日常の一場面をファンタジーっぽく描く小説 起床編
地平線の彼方から太陽がその姿を現し、やがて、その光を地上の隅々まで降り注ぎ始める頃。世界は、また新たな一日を迎える。
立ち並ぶ住居、間を縫うように通された道。そしてその道を行き交う車。
今はまだ、一足早く活動を開始している数少ない人々が細々とした活動を行っているだけではあるが。やがてそこには多くの活気が含まれていくことだろう。
さて、そんな世界の新たな一日が始まって間もない頃。
世界の片隅、とある住宅の一室では、今まさに。布団で眠りし勇者が目覚めようとしていた。
「ん、んんっ……」
勇者の目覚めを告げる女神の声に導かれ、勇者の意識は遥か遠く夢の世界から現実世界へと呼び戻される。
ゆっくりと閉じていた瞼を開き、見慣れた天井を先ずはその目に焼き付ける勇者。
だが、そんな勇者の目覚めを、この世界には快く思わぬものたちがいた。
姿は見えずとも認知され、世界にはびこる邪なものたちだ。
そして、目覚めたばかりの勇者に、そんな邪なものたちの先鋒が襲い掛かる。
その名を、『眠気』と言う。
「んん~」
目覚めたばかりでまだ完全に感覚が研ぎ澄まされていない隙を突き、眠気は勇者に向けて自身が得意とする魔法を繰り出す。
その名を、『二度寝』と言う。
二度寝の魔法を受けたものはその後訪れるリスクを顧みず、目先の心地よさにその身をゆだねると言う、まさに恐ろしい魔法なのである。
だが、そんな魔法にも打ち勝つ術はある。
それは、自身のレベルアップだ。
一定のレベルに達していれば、この魔法はその効果を激減させられるのだ。
「ん、んん……」
しかし、どうやら先ほど目覚めた勇者はそのレベルに達していないのか。
開いたはずの瞼を再び閉じると、魔法の効果にその身を委ねてしまうのであった。
こうして勇者は眠気の魔法にやられ、無残な未来を迎える。かに思われた。
だが、救いの手はまだ残っていた。
「ん、んん。もう五分……」
勇者に救いの手を差し伸べたのは、他ならぬ女神であった。
女神は魔法の効果が一時的に薄くなる五分後を見計らい、その内包する寸分違わぬ体内時計をもって、再び勇者に自身の声を聞かせる。
すると、女神の声は勇者の意識を魔法の中から引き戻し、再び瞼を開かせる事に成功するのであった。
「ふわぁ……」
欠伸を一つし、完全に眠気の魔法を吹き飛ばす勇者。
しかし、勇者を襲う刺客は眠気だけではない。
「うぅ、寒い……」
眠気に次いで勇者を襲いかかるのは、勇者が眠っている間に寝室を占拠した『寒さ』と、勇者の布団に人知れず忍び込んだ『温かさ』のコンビだ。
寒さがこの時期威力を増す自身の魔法『室温低下』を繰り出し肌寒さを作り出すと、すかさず温かさが布団の中を暖め、その寒暖差をもってして勇者を布団から出させなくすると言う恐ろしい連携技の使い手たちなのだ。
そんな連携技を喰らった勇者は、堪らず布団を被ってしまう。
こうなれば、もはやコンビの思う壺。後はこのまま布団の中に閉じ込めておくだけで、何れ勇者は悲惨な未来を迎える事になる。
もはや救いはないのか。そう思われた刹那、勇者に新たな救いの手が差し伸べられる。
「あぁ、タイマー……」
寝室の一角にて事の成り行きを見守っていた勇者の仲間、魔法使いが自身の魔法で寒さを攻撃し始めたのである。
その効果は抜群で、程なくして寒さは魔法使いの魔法の前に敗北する事となる。
相棒が倒され一気に形勢が不利になった温かさは、時を置かずしてその姿を何処かへと消すのであった。
「ふぅ、あったかい」
仲間の魔法使いに助けられ窮地を脱した勇者は、いよいよ布団から出る決意を固めると、上半身を起こし、いよいよ布団からその体を引き離しにかかる。
だが、実はこの寝室には、まだ勇者を狙う刺客が潜んでいた。
「う! 冷たい!」
それは、起き上がり布団から出て直ぐの足元に潜んでいた。
その名は、床冷え。
魔法使いの魔法をもってしても撃退できない厄介なものだ。
その名の通りの魔法をこの時期常時発動する床冷え。その威力に、勇者は布団に再び閉じ込められてしまう。
まさに最後にして最強の刺客を前に、勇者に為す術はないのかに思われた。
だが、そんな勇者の窮地を救うアイテムは、布団から然程離れていない距離に置かれていた。
その名を、ウィザールの靴。
近所の量販店で定価四千円で購入した裏地あったかの伝説の靴である。
「ほ……」
手を伸ばしウィザールの靴を手にした勇者は、迷う事無くウィザールの靴に足を入れる。
するとどうだろう、ウィザールの靴を装備した勇者は床冷えの魔法をものともしない防御力を手に入れる。
こうなればもう、恐れるものなどなにもない。
勇者は寝室を仲間の魔法使いに任せると、自身は女神を連れて、寝室を後に次なるステージへと向かうのであった。
次なるステージ、その名は『洗面所』。
そこには敵か味方か『蛇口』を始め、再び蘇った『寒さ』の室温低下が待ち構えている。
果たして勇者は無事に、このステージを乗り切ることが出来るのであろうか。
世界が新たな一日を歩み始めたように、勇者の物語もまた、歩みを始めたばかりである。
読んでいただき、本当にありがとうございます。