罪深きフレーバー
もうすぐ満月がやってくる。
月明かりだけで照らされた部屋の窓辺で、アサギはビビッドシティの夜景を眺めていた。
海の底に沈んだような青さに包まれたビビッドシティは、家々の灯火で幻想的な輝きを放っている。
中心街にそびえ立つ時計塔の鐘が、真夜中の12時を告げた。
この鐘の音を聞くたびに、あの美しい怪盗のことを思い出す。
彼女は今、どこで何をしているのだろうか……
怪盗ツツジに出会ったのは、半年ほど前だった。
この平和なビビッドシティに突如現れた、人の心を盗む怪盗……
怪盗ツツジは、犯行前に被害者の元へ必ず予告状を送りつけてきた。
そこに書かれた犯行時刻はいつも決まって真夜中の12時。
予告状を出された人は、その人にとって1番大切な感情を盗まれてしまう。
犯行の翌朝には、1番大切な感情をすっかり忘れてしまうのだ。
アサギは何度も彼女を捕まえようとしていたが、いずれも失敗に終わっている。
犯行を阻止することが稀にあっても、ツツジ本人を捕まえるまでには至らない。
いつも、美しい羽でひらりと逃げられてしまう。
あと一歩のところで逃げてしまうツツジを、どうしても捕まえたい。
そして、何故人の心を盗んでゆくのか、その理由を知りたい……
予告状が届くたびに、ツツジに対する執着心がどんどん膨らんでゆく。
家々の灯火がポツポツと消灯し始めて、アサギも今夜は休むことに決めた。
どうやったらツツジを捕まえられるのだろう。
ベッドに入っても、躑躅色の鮮やかな姿が思い浮かんでしまう。
眠らなくては……
思考を無理やり打ち消して目を瞑ると、夢の世界へどんどん落ちていった……
***
「………さん」
「……探偵さん」
「探偵さん、起きてちょうだい?」
アサギは聞き覚えのある声で目を醒ますと、勢い良く立ち上がった。
辺りを見渡しても、いつも生活しているはずの部屋ではない。
それどころか室内でもなく、どうやら森の中に居るようだ。
地面に茂る湿った草のせいで、横たわっていた背中は少し濡れている。
夜の青い空気と、濃い霧で覆われた空間。
嗅いだことのあるような、花蜜の香り……
「お目覚めになったかしら?」
声の方に振り返ると、眠る前にも思い浮かべていたあの美しい怪盗が佇んでいた。
「ツツジ!!一体どうして!」
ツツジは不敵な微笑みを浮かべると、アサギの方へ歩み寄ってきた。
こうして間近でゆっくりと見ると、遠くから見るよりも華奢で小さいことがよくわかる。ドレスから覗く太ももは、艶めかしく色香を纏っていた。
「あなたに渡したい物があって、ここに来てもらったの」
ツツジはアサギの目の前に立つと、羊皮紙のようなカードを差し出してきた。
「これは……?」
「あとで、読んでみて」
状況を飲み込めずぼんやりとしているアサギの手をとると、ツツジは手のひらにカードをそっとのせてきた。
小さな両手がカードと手のひらを丸ごと包み込むように握ってくる。
今がチャンスだ。この隙にツツジを捕まえれば、彼女はもう罪を重ねないかもしれない。
頭ではそう理解しているのに、体が動かない。
ツツジから香ってくる甘い花蜜の香りが、思考を鈍らせてくる。
「私を、捕まえたいの?」
「……もちろんそうさ。君が何故人の心を盗むのか、その理由を知りたい。それに、君のようなまだ幼い少女がこれ以上罪を重ねるべきではない」
「私のしていることって、罪なのかしら?」
「それはそうだろう。人の1番大切な感情を盗んでゆくのだから」
「……そうかしら?」
ツツジはカードの上に乗せていた手を、するりするりと腕の方まで滑らせてゆくと、そのままアサギの喉仏まで触れてきた。
距離が近くなる程、香りが脳を支配してきて、何も考えられなくなる。
柔らかい指先の感触で、理性が吹き飛びそうだ。
喉仏を撫でるように触ると、今度は首の後ろまで手を伸ばしてきた。
反対の手は、いつの間にかアサギの腰まで回されている。
あんなに捕まえたかった人が、こんなにも近くにいるというのに、体が動いてくれないもどかしさと、香りで頭がおかしくなってしまう。
そんなアサギのことなど全く気に留めない様子で、ツツジは変わらず不敵な微笑みを浮かべている。
躑躅色の鮮やかな瞳には、アサギの恍惚とした表情が映っていた。
ツツジは爪先立ちをして、顔と顔を更に近づけてくる。
こんなに近づいて、いいのだろうか。
怪盗といえども、相手はアサギよりも幼いであろう少女。
もう、唇と唇が触れてしまいそうなのに、どんどん近くなる距離。
その唇を一舐めすれば、きっと罪深く、花のような風味を楽しめるのだろう。
期待と背徳が混ざったような、複雑な感情。
他の女性に、こんな感情を抱く事はあっただろうか。
ーーいや、無いだろう。
もう、このまま口付けてしまいたい……
アサギの淡い願望を打ち砕くように、触れる寸前で唇は耳元のほうへ移動してしまった。
やわらかく、甘い吐息が吹き込きこまれる。
「あなたを快楽の底へ、連れていってあげる……」
耳の奥に絡みつくような囁きで、花蜜の香りは最高潮に達した。
身体中の神経という神経が支配される。
もう、何も考えたくない……
***
眩しい光が瞼を刺激してくる。
重たい瞼をゆっくりと開くと、いつもの天井が見えた。
今見ていたことは、夢だったのだろうか。
それにしては、花蜜の香りがまだ周囲に充満しているような気がする。
この光景も、もしかしたらまだ夢なのだろうか。
ーーーいや、違う。
寝る前には、手に何かを握っている感覚なんてなかったはずだ。
勢いよく起き上がって、握りしめていた羊皮紙のようなカードを読み始めた。
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親愛なる探偵さん
いい夢は見られたかしら?
夢の中では長い時間一緒にいられなくて、残念だわ。
本当は、あなたと一度、ゆっくりお話ししてみたいと思っていたの。
次の満月の夜、幻惑館にいらして?
オリジナルブレンドのハーブティーをご馳走してあげる。
幻惑館につながる秘密の道は、真夜中にだけ開かれるの。
必ず1人きりでいらしてね。約束よ?
満月の夜12時に、幻惑館にてお待ちしているわ。
怪盗ツツジ
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夢見心地で招待状を読み終えると、アサギはゆっくりと立ち上がった。
朝のビビッドシティは、真夜中の青さと打って変わって清涼な空気に包まれている。
彼女の目的は一体何なのだろうか?
わざわざ呼び出すなんて、罠に決まっているだろう。
そう、わかっているのにーーー
甘い花蜜の香りが、脳に絡みついて、離れない。
危険だとわかっていても、彼女に会いに行きたい。
アサギは冷静な判断を失い、幻惑館に向かうことを決めた。
月が満ちれば、約束の夜だ。
お読みいただきありがとうございました。
この作品は「花蜜ホリック」というCDの歌詞内をイメージしてを書きました。
ツツジの書いた招待状は、こちらのMVの冒頭で登場します。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29925554
特設サイトなどもございますので、是非ご覧ください。
http://kamitsuholic.businesscatalyst.com




