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84°33’  作者: ・△
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 卒業式の後、おれは家にまっすぐに帰って、制服を脱ぎ、灰色のデニムと、黒のパーカーと、すこしだけ色のうすいコートを着た。マフラーと財布の中に入っていた学生証と期限のまだある定期をゴミ箱に捨てて、家を出た。電車に乗って、祖父母の家の最寄まで行き、記憶をたどりながら寺を目指す。冬の陽はすっかり落ちていてあたりは暗くなっていたが、さすがに街中なので真っ暗にはならない。

 寺の門は閉まっていたが、ぐるりと一周すると裏にはちいさな扉があってそちらは開いていた。おれはまっすぐかれの墓まで行き、墓石に掘られた真新しい晶の字を持ってきた金づちでがんと叩いた。力任せに殴って、その一番上の日の字を潰して、ようやく安堵したのだ。

 そのまま駅まで取って返して、ゴミ箱に金づちを捨てて、やって来た電車に乗った。大きな駅に着いたらより遠くまで行きそうな電車に乗り換えて、終点で降りたら今日の電車は終わっていたので、人がいないのを確認してのそのそと改札を乗り越え、駅舎の中の待合室のベンチにねっころがった。青い、プラスチックでできた椅子は硬くて眠ることなんてできなかったが、おれはもうなんでもよかった。月が出ているのか窓の外は妙に明るくて、そのあたりに貼られたポスターの大きな文字くらいは読むことができた。なじみのない地名ばかりで、遠くまでやって来たのだと安堵する。始発が動く時間を確認して、まだほの暗い駅の中を壁伝いに歩き、ホームで電車が来るのを待った。ちいさな駅の周りは薄ぼんやりとした霧でかこまれて、なんだかすべてが青みがかって見えた。遠くから電車の音が微かに聞こえて、ライトが見えると水の加減なのだろうか、光の花が咲いたみたいにそれが膨らんできらきらと光った。きれいな景色だった。きっと晶も気に入るだろうと思ってから、おれは頭を振ってその電車に乗り込んだ。

 今までもらってとくに使うあてのなかった小遣いやお年玉が結構まとまった金額になっていたので、新幹線にだって乗れるのだけど行きたいところがあるわけでもなかったし、実を言えばもう死にたいと思っていた。なぜ家を出たのかというと、おれの死をおれのものだけにしたかったという幼稚な話が近い気もするが、おれ自身もそのときの気持ちを上手く言うことができない。ただ一人で電車に乗って遠くへ行くんだと思うと気分がよかった。電車の中に座っていると冬だから暖房が効きすぎるくらい効いていて、あたまがぼんやりとしてきて、冬特有の灰色の空から、たまにはしごのように光が海や田畑や町に落ちているのが見えた。お昼過ぎのやわらかな光線が、美しく入りこんでくる。電車のための架線を支える鉄柱が移動する縞模様の影になって窓からすうっと投げられているのが誰にでも等しく、やさしかった。おれの黒いスニーカーに結ばれた白い靴紐が濃い影をまとって、毛羽立ちの一つずつがよく見えた。その日も電車を乗り継いで、腹が空けば売店で適当なパンを買って食べ、夕方には大きな駅に着いた。見ると大阪と書いてあり、丸一日電車に乗ると人間は大阪に着くんだなということがわかった。

 たしか大阪にも海はあったんだよなとなんとなく電車を降りて、駅員に切符をなくしたと嘘をついた。乗り込んだときの切符は持っていたけど、昨日の日付の関東の切符なんて出したら怪しまれるのではないかと思ってそうすることにした。どこからかと聞かれたので東京だと言った。時間や席を聞かれて、細かくは覚えていません。と言うと彼は不審そうな顔をしてじろりとこちらをにらみ、所定の額らしい数字を告げた。切符が出てきたら返金できるから。と言われて証明書のようなものを貰った、会釈をして改札を出る。新幹線に乗ったことになっていた。大阪の駅は混んでいて東京となにかが違うかといえばよく判らなかったが、たしかになにかごちゃごちゃとした感じはした。海に行きたかった。玉砂利の浜はないにしろどんな海でも海は海だろう思った。周囲を見渡すとなじみのない名前の電車たちにまざって地下鉄という表示が見えた。これは海に行くだろうか、とその表示をたどって乗り口まで行く。路線図を見ると大阪港、という駅があって港という名前がつくのだから海なんだろう。大して離れていないようで、大阪というのは実は小さい町なのかと思う。乗換駅を確認して行き先までの切符を買った。地下鉄というのはどこも変わらないと思うが、東京よりすこんとぬけているようなところがあって、地上の駅のごちゃごちゃ詰まったような雰囲気よりずいぶんよかった。ホームにはゴミ箱があったので、さっきの証明書をそこに捨てた。乗り換え一回、なんということもなく目的の駅に着き、案内板を見ると一角に大きな水族館と美術館といくつかのお店と観覧車があるほかはとくになにもない土地のようで、海風がびゅうびゅうと吹いていた。冷たい小雨が降っていて、風にまぎれてとても細かいしぶきがおれの顔にかかった。本来の目的を果たそうと海があるらしい方向に歩き始める。道は太くて立派なのに、車はほとんど通っていなかった。すっかり日は暮れていて、あたりは暗く、ぽつぽつと飲食店らしい建物から明かりが漏れている。

 大きな魚の柄の建物が見えて、あれが水族館かと思う。そこらのものがすべて大きくて、階段の一段すら幅が広く、とても大きいもののための住処に迷い込んだようなところだった。水族館の裏側に曲がりこむと、フェリーが着くという船着場があったが、船はひとつもなかった。海を見ながら歩いてると足元が一段低くなっていて、雨で濡れたコンクリートですべって転んでしたたかに頭をぶつけた。そのまま空を見上げると遠く工場の明かりかなにかで灰色にぼおっと光っていた。寝返りを打つように海のほうを向くと夜空よりももっと暗い水が重たい音を立てて揺れているのが見たことのない生き物じみていて、東京の海とも、もちろんあの玉砂利の浜ともまるで違って、だからおれが見たかったものはこれなんだと思った。おれにまったく関係のない海は優しかった。船着場はコンクリートで固められていて、すぱっと気持ちがいい直角でいきなり海になっているのもよかった。もう波打ち際みたいな曖昧なところにいたくはなかった。

 おれは疲れていた。いろいろな事にだ。空気はだんだん、静かに冷たくなっていく。ここで眠ったら調子よく死ねないだろうかと考えてまぶたを閉じた。もうなにもしたくなかった。

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