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84°33’  作者: ・△
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 朝が来て、シャワーを浴びて、持ってきていたシャツと下着は替えた。中途半端に眠ったからかぼんやりする頭を抱えてあっちだこっちだ島から出てきた祖父母への挨拶だ今度は叔父が来たとやっているともう葬式が始まる時間になった。葬儀会社から来た人間が司会役をやってくれるようで、おれたちは家族三人で突っ立ってこのたびはご愁傷さまでしたという定型句を延々と聞き続けた。指示に従ってのろのろ席に座るさまは飼われている羊のようだっただろう。父はまだしっかりとしていたが母は明らかにかなしいです、つかれています、という顔をしていた。自慢の息子を亡くしたばかりの母親として当然の態度かもしれないが。昨日よりすこし長い読経とかれをもしかすると知りすらしないような人からきた電報が紹介され、焼香が終わった。摘んだそれは昨日とおなじくらいざらざらしていて、すこしだけ目が覚めるようだった。

 一頻りが終わって顔を上げると知った顔と知らない顔が一対三くらいだった。思ったより学校の連中が少なくて、なんだおまえそんなもんかよとちょっとだけ笑えた。あんなに四六時中誰かに囲まれていたのになあ。女子よりも男子のほうが多いようでこれも意外だった。おれ、おまえの交友関係すらろくに知らないや。最後のお別れを、と言われるとどこから来たのかスーツの人間が増え、祭壇に飾られた花をどんどん抜いて銀のお盆に並べ始めた。これを棺の中に入れてくださいとのことだった。おれはまず近くにいたので渡された白いユリの花と、まあるい菊を一本ずつかれの胸の上に置いた。それが合図だったみたいでたくさんの人がどんどん寄ってきて、どんどん花を置いた。父も、母も、祖父も祖母も、父の仕事の関係の人など今まで晶の人生にとくに関係のなかった人間も、学校の担任も、もうやめてずいぶん経っていたはずのエレクトーンの先生も、 学校の席がたしか隣だった女も、部活の先輩だという男も、隣の家のおばさんも等しく花を置いていった。所定の時間が経ったらしい。いつの間にか晶の顔の上にふわりと布がかけられているが、花が引っかかっておれのほうからは閉じた目が見えた。おまえはおれよりなんでも、名前でもいっぱい持っていたのに、なんでこんなところで死んでいるんだよ。めちゃくちゃ腹立つ、ウソだよそんな気持ちもおれはもうあんまり持ってなくて、死んでいるその顔を見ていた。ユリの花が持ち上げる布越しに死んでいる。とことん死んでいる。今、この瞬間もより深い死に向かっている。

 棺の蓋が閉められてそれも見えなくなった。さらに釘を打って留めるのだという。葬式というのは本当によくできている。人間の存在をすこしずつ絡めて捕ってこの世から削り取るように消していく。金づちでも出てくるのかと思えばすべすべとした手触りの小石を渡されて、ここだと言われてコン、と叩いた。釘はへにゃりと曲がったが、べつにいいらしかった。棺を持ち上げるのだが、父とおじ達と何人かいたからだろうか、ものすごく軽くて正直驚いた。人間一人とあんなにたくさんの花が入っているのに、こんなものかと思うほど軽かった。みなそう思っていたのだろう。叔父など車を見送ってから、軽かったなあ、などと呟いていたから。

 そのままちいさいバスに乗りすぐ横の火葬場まで血縁者だけで移動した。と言っても父母おれに祖父母二組、おじにおばに、いとこたちで三十人くらいはいただろうか。見たことのない顔の人までいて、おれの親戚って案外多かったんだなあとそんなことを思った。車を出て近代的なおおきなビルをテクテク歩き、ホテルのロビーみたいなところですこし待たされてからこちらへと案内された空間はエレベーターがものすごくたくさんあるエレベーターホールみたいだった。横長のその空間をなぜかおれが写真を持たされてまた羊の一群のようにのろのろと歩かされる。遠くで焼かれた骨が飛び出てくるのを横目で見ていた。ドアごとに赤ん坊のいるところ、三人しか人のいないところ。誰もいない閉まったままの扉の裏では今まさに人間の身体が燃えているのだろう。こちらへどうぞと呼ばれて足を止めるともうずいぶん見慣れた例のぺらぺらの棺が待っていた。また念仏が始まり正直一年分聞いたなと思う。焼香は今回も指に突き刺さる。顔を見るのが最後だと促されて疲れていたのもあってすこしだけ笑ってしまった。ぱかっと開いた四角い小窓越しに花に囲まれた顔。おれは今後も鏡を見るたびに似た顔に会い続けるのに。ストレッチャーがレールの上に載って自動でガラガラ釜の中に引き込まれる。天国へ続くエレベーターのドアが閉まる。ごうごう強い火で焼かれればきっと誰だってそのエネルギーで空の上までたどり着ける。そんなことを考えてやっぱり疲れてるなと思った。

 晶がこんがり焼きあがるまでの時間、なにがあるのかと思ったら昼飯だった。悪趣味すぎねえかとちょっとびっくりしたがみな平気な顔をしていたのでそんなものかと思った。日本料理れんげなどという嘗めきった名前の店は火葬屋の斜め向かいでおれは世の中のことを考える。出てきたのは普通の四角い容器に入った料理たちで、普通に刺身はあるしビールの瓶まで置かれている。おれはもうわけがわからなくなった。べたっと死んだ魚のかけらは口に入れてもべたっとしていた。睡眠不足もたたってか不味いせいか食欲もわかなくて、ひじきと豆の煮物みたいなものをものすごくゆっくりすこしずつ食べていたら叔父に見つかって、これからは日くんがしっかりしないといけないのだからちゃんと食べなさいなどと言われて、おれは正直すべてを吐いてしまいそうになったが、なんとかこらえきって生返事をした。叔父はぺらぺらと彼のかわいい双子の息子のことなどを喋り続けている。双子多すぎかとすこし面白くなるが、おれはこの父の年の離れた弟のことがあまり好きではなかった。一時間半ほどそうしていただろうか。大半の人間が皿を空けたあたりでそろそろお時間ですので、と声がかかった。時間って何だっけ、と思ってそうかおれの双子がこんがり焼けたってことか、と考えが至った。またのろのろと羊の集団になったおれたちは促されるままエレベーターのドアの前に並ぶ。ドアが開き出てきたのはまあ、普通に骨だった。なにがあると思ったわけではなかったが普通に骨だった。よっぽどの高熱だったんだろう、白く脆く、焼いたメレンゲみたいで煮込んだ手羽元のそれのほうがまだつるっとして生き物っぽいなと思った。足の骨から入れます。促されるままに骨を拾う。長い箸は使いにくい。焼かれたそれは当然だが熱くて、そばに立っているだけで顔が赤くなりそうだった。順番を代わってください、と言われて後ろに立っていた親戚に箸を渡す。頭蓋骨を入れます。おれの頭の中に入っているのもあの形なんだなと思う。喉仏を拾います。これはこの形が座っている仏様に似ているので、と解説が入る。皆がそれを見る。理科の解剖の授業じゃねえんだぞとおれは喚きたくなる。鯛のタイでも拾っておいてくれ。思ったよりちいさな壷に全部の骨が入ってしまったので、おれはおれが死ぬときにもせいぜいこのぐらいの大きさになるんだなと知った。

 葬式自体はこれで終わりいうことだったが、本当はすこし後にするはずのなにかも一緒にしてしまうらしい。おれたち家族と父方の祖父母だけが一度家に帰るということになった。知った顔と見知らぬ顔がない交ぜの一同と別れ、島に戻るのに難儀をする母方の親戚を見送りおれたちはタクシーに分かれて乗った。父が助手席に座り住所を告げる。おれと母は二人、後部座席に並んでいた。こんな風に母と並んで座った記憶はこの葬式のときだけで、疲れて、苛立っているのがはわかるが、この人は美しいのだなと改めて思った。横顔は本当に晶に似ている。彼女と鏡ごっこができるなんて思うことはないが。

 家に着くとまた僧侶がやってきて、一体何回念仏をあげるのかと思ってしまう。ダメ押しのようなそれに、さらに焼香が着いてくる。こんなに何回もやっていればだいぶさまになっているに違いないと、やっぱりちくちくするそれを摘み上げた。葬儀社の人が用意した白木の簡単な祭壇がかれが眠っていた客間の隅に置かれ、写真と、骨壷の包みと、花を入れる花瓶と、ちょっとちっちゃい線香と焼香のためのセットとほかにもこまごました物が置かれ、僧侶が帰り、ぐったりとしたおれたちを見てなぜか満足げに祖父母も帰って行った。すげえな葬式。悲しむ暇がない。

 さすがに翌日は学校を休んでもいいと言われておれは泥のように眠った。母も父もだるそうにしていたが、父は昼から仕事があると言って出勤していった。おれは父の仕事が忙しいは半分くらい家にいたくないという話ではないかと思っていたが、なるほどある程度は実際に忙しいらしかった。金曜日は父の携帯電話が何度も鳴っているのを見た。子供が死んだ父親にかけてくるというのも大概だが、取引先などには実際関係がないことなのだろう。電話の相手の家の事情なんてわかるほうが妙だ。その次の日は普通に出勤と通学。こんなものかと思うほど普通だった。おれはそもそも学校で親密な人間なんていなかったし、もしいたとしてもだれも声のかけ方なんてわからなかっただろう。兄弟が死ぬというのはそこそこのレアケースで、教師ですらおれをどのように扱えばいいのかわからないようだった。おれはただただぼんやりしていた。中学三年生の秋は皆受験に向けてそれぞれ忙しくて、おれにかまう暇なんてないのだ。本当ならばおれだってそのの準備をしなければいけないのだろうが、おれはすっかり自分の未来についての想像力を失っていて、母はずっと晶のことで手一杯だったし、それからもどうも心の中で生前より美しくなったかれにとりつかれてしまったようだった。父はその後より忙しく働きはじめた。皆、埋まらない空洞がすでにできてしまったのでそれを自分の身体に慣らすまでだれかの心配などをしている暇なんてなかった。晶の病気で今まで止まっていたようなうちの時間は、葬式のあわただしさの後そのまま爆発的速度で動き出して、母はどんどん具合が悪くなり、夜眠ることができないと病院通いまで始めた。父は仕事が大詰めだとかで、夜十時までに帰ってくれば今日は早めだねという状態で、おれにはまあ、好きにすればいいとだけ言って体よく放置を決め込んだ。要するに晶が生きていたときとなにも変わらなかった。母が骨壷を抱いて悔しそうに泣いているのを深夜に帰ってきた父が見つけ、もう早めに納骨してしまうのがいいだろうとなり、おれはてっきり母のふるさとのあの島に埋めに行くのかと思ったが、当然ながら父の方の墓に入れることが決まった。年が明けて、普段なら父母どちらかの実家に行くだろうにそれもせず、今年一番の冷え込みと言う日が三日ほど続いた後、ちょうど四十九日にあわせてそうすることになった。おれたちの家からは電車で一時間半くらいかかる祖父母の家の近くにある小さい寺の小さい墓がそれで、灰色の石には晶という字がすでに彫られていた。近くに住んでいる叔父が車を出してくれて、祖父母と、彼と、おれたちでものすごくあっけなくそれは終わった。帰りの電車の中で母はおれに言った。

「おまえが死ねばよかったんだよ」

「うん、ごめんね。母さん、ほんとにそう」

 おれはべつに悲しいだとかショックだとかはなくて、ただそうだなあ、と思った。その後で父には家を出たい、と言った。彼はそうか、好きにすればいいといつもと変わらない調子で答えた。聞きにくそうに進路のことを聞いてきた教師に就職をして家を出たいのですが、と伝えると彼は複雑そうな顔をして、たくさんのパンフレットをくれた。結局就職先は決まらないままおれは卒業した。卒業式のシーズンは桜の印象があるけれど、まだ固いつぼみは咲く気配すらなくて、その代わりに昼過ぎからものすごくちいさな雪のかけらがひらひら降ってくる日だった。寒くて、おれはマフラーを固く巻いていた。そういえばこれは晶と色違いで去年買ったんだな、そのときにはこんなことがあるなんて思ってなかったもんな、と思った。

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