アンケート
アンケート
一
とある街のとある駅前。俺が歩いている時に配られてきたのは、1枚のアンケート用紙であった。
1、このアンケートにお答え頂くと、1枚につき1回、身の回りの人を、動かすことができます。
2、尚、例えば殺人等、比較的大きな動きは、身の回りの人にさせることはできません。このアンケートが効力を発揮するのは、あくまで身の回りの、些細なことに限られます。
3、また、このアンケートは、記名式となっております。利用される方は、アンケートにお答え頂き、名前の欄にもご記入頂き、最後の自由記入欄に、あなたの望みを書いてください。
…なんだこのアンケートは?正直言って、かなり胡散臭い。こんな物、信じる方が馬鹿だ。このアンケートを見た瞬間、俺はそう思った。
その日は美容院で、ブリーチとヘアカラーをしてもらった帰りだった。今の髪の色は、明るいオレンジ。周りからは、「不良っぽい」と言われそうだが、そんなことはおかまいなしである。まだ22年間しか生きていないが、俺の生き様は、「人の目を気にせず、我が道を行く。」というものだ。だから、たとえ髪型が他の人から不評であっても、気にしない。
また、今日は髪の色を変えたい、もう1つの理由があった。それは、俺が社会福祉士の試験に、落ちてしまったことだ。実は俺は、柄にもなく、福祉系の大学に通っている。理由は、「世の中の人に貢献したい。」という、至極まっとうなものだ。髪の毛はオレンジで、バイクが好きという、一見するとただの不良に見える俺だが、将来就く仕事は、福祉関係のような、小さなことであるかもしれないが人の役にたつものがいいと思っている。
そういうわけで、今年の1月に、社会福祉士の試験を受け、1週間前に結果が発表されたのであるが、残念ながら今回は、不合格であった。そのため俺は、気分転換とストレス解消を兼ねて、髪を染めたのである。
そんな中、このアンケートと出会った。もちろん俺は、こんなもの、信じるタイプではない。しかし…。
俺はたまたま、見てしまった。そこは駅の裏路地で、人気の少ない所であった。もともと俺は、人ごみはどちらかというと苦手なタイプなので、よくこのような裏路地など、人の少ない所を歩いている。この日も、俺がアンケートを受け取った、駅の表通りは人でごったがえしていたので、ちょうど裏路地へと移動し、家に帰ろうとした矢先であった。
なんと、その裏路地で、俺が言うのもなんだが、1人の不良っぽい兄ちゃんが、落ちていた財布を拾い、自分のポケットに入れようとしたのである。その兄ちゃんは、周りに人がいないか、しきりに確認していた。そこにはその兄ちゃんと、俺しかいなかったのであるが、兄ちゃんは俺の見た目を見て、同類だと安心したのか、どうやら俺を見張りの頭数には入れなかったらしい。その後、兄ちゃんは財布をポケットに入れ、その場から逃げようとした。これはいわゆる、ネコババ、というやつだ。
もちろん俺は、「世の中に貢献したい。」という思いを持っているので、こういった小さな悪事でも、見逃せないタイプだ。しかし、俺みたいなオレンジ髪の人間が、いくら注意した所で、事態が変わるとは思えない。むしろ、その兄ちゃんは、
「こいつが俺の代わりに、財布をネコババしようとしていやがる。」
と思い、不信感を募らせるだけであろう。しかし、これを見逃すことは、俺のポリシーに反する…。そうやって考えているうちに、俺は、思いついてしまったのである。
この状況で、さっきもらったアンケート用紙に、「こいつがネコババしないように。」という旨のことを書いたら、効果はあるのだろうか?もちろん、そんなのないに決まっている。このアンケートは、まがいものに違いない。しかし―。この状況を変えられるのは、この「アンケート」しかないような気もする。
そして俺は、試しに、
「今裏路地にいる兄ちゃんが、拾った財布を、交番に届けに行きますように。」
と、アンケートに答えた上で書いてみた。すると―。
その兄ちゃんの様子が、少しおかしくなった。それはまるで、覚醒したかのようであった。そして、その兄ちゃんは、裏路地を出て、歩いていった。兄ちゃんの様子が変わったのを不思議に思った俺は、こっそり、後をつけることにした。(とは言っても、尾行はしたことはなかったので、傍から見ればバレバレの動きであったかとは思うが。)
その兄ちゃんは、そんなことはおかまいなしで、ずんずん歩いて行った。そして、どこへ行ったかといえば、なんと、交番であった。そこでその兄ちゃんは、
「すみません、お巡りさん。これ、落とし物です。」
と、さっき拾った財布を、その交番に届けたのである。俺は、心底びっくりした。
しかし、俺が更にびっくりしたのは、その後である。交番に財布を届け終わった後、その兄ちゃんの様子が、また変化した。
「あれ、俺、こんな所で何してるんだ?まあいっか。とりあえず家へ帰るか。それにしても、だりいなあ~。」
と、今度は、財布を交番へ届ける前、ちょうど、その兄ちゃんが財布をネコババしようとしている時の様子に戻ったのである。それを見た俺は、
「もしかしてこれは、このアンケートのおかげなのか…。」
と、思った。
これが、俺とこの不思議なアンケートとの、出会いであった。
二
それから俺は、何度か同じ駅で、アンケートをもらい、それに記入してきた。例えば、
タバコのポイ捨てを目撃した時は、
「そこのおっちゃんが、タバコを拾って、灰皿に捨てますように。」
とアンケートに記入した。すると、そのおっちゃんはタバコを拾い直し、灰皿がある所へ行き、それを捨てて帰っていった。
また、俺が電車に乗っている時、優先座席に座っている若い姉ちゃんが、お年寄りがいるにも関わらず、その席からどこうとせず、化粧ばかりしていた時は、
「そこの姉ちゃんが、電車の中での化粧を止めて、お年寄りに、席を譲るように。」
と、アンケートに記入した。すると、その姉ちゃんも、化粧を止め、立ち上がってお年寄りに席を譲ったのである。
そんなこんなな一件が何度も続き、俺は、「このアンケートは本物だ。」
と思った。そして、こんな俺でも、世の中のために、微力だが役に立つことができ、本当に嬉しかった。
※※ ※ ※
話は変わるが、俺には、好きな女がいる。その女と出会ったのは、高校時代であった。
俺は高校の時、色々あって周囲と馴染めない時期があり、若干不登校気味の時があった。その頃から俺は、髪の毛を茶色に染めるなど、少しではあるが非行に走るようになっていた。それで、そんなどうしようもない俺であったが、たまたま俺が登校し、クラスでポツンと浮き、1人で椅子に座っていた時、声をかけてくれたのが、その女であった。
「はじめましてかな?よろしく!私、藤森理加子って言います。あなたの名前は?」
「真山、優季だけど…。」
「そっか、じゃあ、優季って呼ぶね。後、私のことも、理加子って呼んでいいから。ちなみに優季は、趣味とかあるの?」
「えっと…。」
それから俺と理加子は、共通の趣味、例えば音楽の話や、好きな小説の話などをした。理加子は、天真爛漫という言葉がよく似合う女で、背が低くてかわいらしく、誰とでも仲良くなれる、明るい器量を持ったヤツだった。
そんな理加子が、何で俺なんかに話しかけてきたのかは分からないが、多分、誰とでも仲良くしたかったからであろう。
しかし、俺たちはあっという間に意気投合し、一気に仲良くなった。見た目は全然違う俺たちであったが、意外と好きなアーティストや、作家が同じなど、共通点、共有できるものがあり、理加子とそんな話をしていると、時間があっという間に過ぎるように感じられた。それから、俺が理加子に対して恋愛感情を持つようになったのは、しばらくしてからのことである。理加子に対する特別な感情を、俺は最初、強い友情であると思っていた。しかし、それは違った。ずっと理加子と一緒にいたい、理加子と離れたくない、もっと言えば、理加子を独り占めしたい、という気持ちを、俺は持つようになった。また、それは今まで俺が、経験したことのない感情であった。こういう気持ちを、「恋」と言うのか…。俺は、高校生になって、(遅ればせながら)初恋をしたのである。
しかし、そんな俺の思いも、全く実らなかった。理加子と出会って、学校にも来るようになった俺は、休み時間などは、ずっと理加子と過ごすようになった。もちろん、昼食の弁当を食べる時も一緒で、2人きりで過ごすことも多かった。しかし、理加子の口からは、
「私たち、本当に仲がいいね。優季とは、高校卒業しても、ずっとずっと親友でいたいから、よろしくね!」
という言葉をよく聞いた。もちろん、俺の存在がそれだけ理加子の中で大きいということは分かっているつもりだ。ただ、理加子に対して恋愛感情を持っている俺には、「親友」という漢字2文字が、俺と理加子との間に、超えることのできない大きな溝を作っているように、感じられたのである。
そんな理加子との関係は、大学生になった今でも、続いている。お互い、俺は福祉関係、理加子は看護関係の学校へ進学した。なぜ、俺が福祉関係の大学に進学したか、それは理加子の、
「私、将来は、人の役に立つ仕事がしたいんだ。例えば、…看護師とか。」
という一言がきっかけである。それまで俺は、はっきり言って自分のことしか興味がなかったが、理加子との出会いをきっかけに、
「世の中の人に貢献したい。」
という思いを、強く持つようになった。それで、自分にできることは何かと考え、福祉関係に、進もうと決めたのである。
そして俺は、このアンケートを手にし、今こうやって、世の中のために役立とうとしているわけだ。いや、アンケートで人を操っていることは、世の中のためでも何でもなく、単なる自己満足かもしれない。でも、今の俺にはそれでもいい。何も世の中のためになることをせずに、日々を無為に過ごすより、たとえ偽善でも何かをする方が、よっぽどいい。俺はそう、開き直ったのである。
しかし、俺の頭の中にはその時、悪魔の囁きに似た、ある考えが浮かんでしまった。それは…。
「身の回りの人を動かすことができるなら、もしかしたら、人の心も、動かすことができるのではないか?」
さらに、
「そうしたら、自分の『意中の人』を、振り向かせることも可能なのではないか?」
ということは、
「俺は理加子に、『ずっと親友でいようね』と言われているが、もしかしたら、理加子が俺のことを、恋愛対象として見てくれるように、なるかもしれない。そして、理加子と俺は、両想いになれるかもしれない。」
という考えであった。
俺はその考えを、すぐに頭の中から消そうとした。
「何て、恐ろしい考えだ。これは、はっきり言ってマインドコントロールじゃないか!そんなこと、できるわけない。」
しかし、俺の頭の中の、もう1つの人格が、「このまま、親友で終わるより、いっそのこと、このアンケートを使って、両想いになった方がいいのではないか?」
と囁いている。
人間とは、利己的なものなのかもしれない。俺は理加子に救われ、理加子の影響で、「世の中の役に立つ」ということを意識し始めた。そんな俺が、今は理加子を独り占めにしたいがために、とんでもなく自分勝手なことを、考えている。
いや、人間は決して利己的なだけではない。俺の中には、理加子を心から愛する、気持ちがある。そして俺の良心は、
「親友としてでもいい。理加子の力になれれば、そして、理加子が笑って暮らせれば、それでいい。」
と俺の頭の中で叫んでいる。
人間というものは、相反する2つのものを同時に所有し、矛盾する感情も、内包するものなのだ。俺はこの時、自分自身で、そのことをまざまざと思い知らされた。俺の理加子を愛する気持ちは、この2つの、良心と邪心の間で揺れていた。そして、理加子から、
「優季に、相談があるの。」
とメールが来たのは、そんな時であった。
三
「実はね、私、好きな人ができたんだ。その人は、バイト先の1つ上の先輩。ねえ優季、苦しいよ…。こんな時、どうすればいいかな?」
俺は、理加子のその言葉を聞き、愕然とした。理加子に好きな人ができた…。その事実は、悲報として、俺の頭の中を駆け巡った。そいつは、どんなヤツなんだろう。1つ上の先輩らしいが…、もしそいつが、どうしようもないチャラ男だったりしたら、殴り飛ばしてやりたい、俺は瞬時にそう思った。しかし、仮にも理加子が好きになった男だ。理加子は人を見る目はある方だから、そんな男ではないだろうと、俺は少し気を取り直して、話を聞くことにした。
「私が看護の学校に入ってから、レストランのバイトを始めたって、前にも言ったよね?その人は、そこの1つ上の先輩なんだ。それで、私の学校の近くにある大学の、医学部の学生なの。見た目は…、背が高くて、爽やかなイケメンって感じ。もちろん見た目もかっこいいんだけど、何より、『医者になる』っていうはっきりした夢を持ってて、私に対しても、
『理加子ちゃんは、看護師になりたいんだね。僕も医療関係を目指しているから、お互いに頑張ろうね!』
って優しく言ってくれて、それで私、キュンとしちゃった。本当にその先輩は、優しい人なの。」
…医学部生か。どうやら、頭は良さそうだ。こう言っては何だが、俺が通う大学は、決して偏差値の高い大学ではない。頭脳では、完全に負けている…っぽい。でも、理加子を想う気持ちは誰にも負けない。俺は心の中でそう思いながら、しかし表情には出さずに、話の続きを聞いた。
「先輩は、バイト先でも優しくて、初めての仕事ばかりの私にも、丁寧に仕事を教えてくれたんだ。それで、私が注文を間違えた時も、
『誰にでもミスはあるよ。次、頑張ればいいからね!』
って、優しく声をかけてくれたの。何かさ、医学部の学生って、偏見かもしれないけど、『自分、頭いいです。だからできない人の気持ちなんて、分かりません。』
って感じの人、多そうじゃない?でも、その先輩は違う。先輩は、私みたいな、何の取り柄もない人に対しても、優しいんだ。」
理加子が何の取り柄もない?それは明らかに謙遜だ。だって理加子は…、俺は心の中で、そう思ったが、この話になると俺の頭はのぼせてしまいそうになるので、途中で思考するのを止めた。
でも、待てよ?実は、その先輩とやらは、単に遊びたいだけで、優しいふりをしているだけかもしれない。本当は、理加子の言う一般的な医学部生の、人を見下す態度を持っていて、それを隠して、表面上は優しくしているだけかもしれない。その上で、理加子を単なる遊びの対象と思って声をかけているのかもしれない―。いや、きっとそうだ。騙されるな、理加子!本当は、そいつは…。
それに、そんなヤツなら、たとえ医師免許をとったとしても、ろくな医者にはならない。まあ、医師になって、ゆくゆくは教授を目指して、出世街道まっしぐら―、そんな青写真を、思い描いているのだろう。
「それに、先輩の夢は、地元に帰って、立派な町医者になることなんだって。」
…あれ?
「実は先輩は医学部内でも優秀で、主席をとれるぐらいの成績らしいんだ。それで、教授からも、『将来の私の後継者』みたいに思われてたらしいの。でも、先輩は、
『お気持ちはありがたいのですが、僕には他に夢があります。実は、僕には数年前に亡くなった、祖母がいました。その祖母と、僕は『将来、この町の人の役に立てるような、立派なお医者さんになるからね。』
という約束を、祖母の生前にしたんです。だから、申し訳ありません、教授。僕は将来、地元に帰って、町医者になりたいと思います。もちろん、立派な町医者になりたいので、今まで以上にご指導、よろしくお願い致します。』
って、言ったらしいの。」
なんと、いい話ではないか。どうやら、出世を目論んでいるわけではないらしい。ということは…、単なる遊び目当てではなく、根っからの優しい人間、であるのか。
そして、ふと、俺は理加子の顔を見た。その先輩のことを語っている理加子の目は、本当に輝いていて、その表情は、俺が今まで見たことのないものであった。「目がキラキラしている」これが理加子の表情、気持ちを表す、ベストな言葉であろうか。ともかく、その顔を見た瞬間、
「俺の負けだ。」
俺は、素直にそう思った。理加子は、その先輩と幸せになればいい―。俺は、理加子を応援しよう、そう一瞬のうちに決めた。
「それで、その先輩の連絡先は知ってるの?」
俺はそう訊いたが、理加子から帰って来たのは、意外な答えであった。
「うん、知ってるよ。でも、その先輩、今日、留学先のアメリカに旅立っちゃうんだ。その前に、ちゃんと気持ちを伝えなきゃ、って思ってたんだけど…。結局無理だった。」
「無理だった?どういうこと?」
「今、19時40分だよね?実はその先輩、20時発のフライトで、アメリカへ行くの。確かに連絡先は知ってるけど、向こうへ行っちゃったら、連絡する勇気なんかないよ…。今からだったら空港へは絶対に間に合わないし、私の恋も、終わっちゃったのかな。」
「諦めんなよ!」
理加子がそう言い終わるか言い終わらないかのうちに、俺は叫んでいた。
「ごめん、大声出して。でも、理加子が好きになった男だろ?だったら、ちゃんと気持ち伝えなきゃ。今からでも間に合うかもしれない。車とってくるから、ここで待ってて。」
「えっ、でも、今からだと…。」
「いいから!」
俺はそう言い残し、理加子を待たせて、車を取りに家へ戻った。俺は免許を取ったのが最近なので、初心者マークはまだ外せず、つたない運転かもしれない。でも、理加子のために、何かしないといけない―。俺は、そう思った。それに、時間の件は、瞬時に閃いたことがあった。
そうだ、アンケートだ!俺は理加子から話を聞いた瞬間、そう思った。このアンケートを使えば、フライトの時間を遅らせることができるかもしれない。いや、遅らせてくれ!天候のせいでも何でもいいから!俺は、そう祈った。今まで俺は自分のためにアンケートを使ったことはなかったが、1度ぐらいなら、それも許されるだろう。その時俺は、そう思ったのである。そして、家に帰り、車の鍵とアンケート、それにペンを持った俺は、アンケートに、
「○○先輩を乗せた飛行機のフライトが、遅れますように。」
と記入した。そして、いつものように、名前等の欄にも、記入した。
「真山優季、22歳、『女性』」
四
俺、真山優季は、物心ついた時から、「他の人と違う自分」というのを、自覚していた。それを、「性同一性障害」という名前で呼ぶ、ということを、俺はしばらくした後で、知ることとなる。
特に思春期の頃の俺は、当然のことであるかもしれないが、体がどんどん女の子らしくなっていった。しかし、それについていけない、俺がいた。俺は、男として生きていきたい。スカートとなんか、履きたくない―。俺は、ずっとそう思っていた。
俺の異変を感じた両親が、俺を病院の精神科へ連れて行ったのは、そんな頃のことであった。そして、その時俺は、自分の、「体は女、心は男」という特性を、受け入れた。というより、受け入れるしかなかった。
また、そんな俺であったため、どうしても、俺は周囲と馴染めず、壁を作るようになっていた。それは、中学を卒業し、高校に入学した時も、変わらなかった。そんな俺の心のバリアーをといてくれたのが、藤森理加子だったのである。
しかし、俺が性同一性障害であることを、この期に及んで、理加子には言い出せていない。何度も、理加子にだけは分かって欲しい、と思ったが、嫌われそうで、勇気が出なかった。でも、これから理加子は勇気を出すんだ。俺も、頑張らないといけない、俺は理加子を迎えに行く一瞬のうちに、そう心に決めた。
※ ※ ※ ※
そして、俺は理加子を迎えに行き、空港まで車をとばした。案の定、アンケートの効果は抜群で、20時のフライトは、天候不良のため遅れていた。そして、理加子は空港内で先輩を見つけ、
「先輩、私、ずっと先輩のことが好きでした。アメリカに行っても、私のこと、忘れないでください!あと、できたら、私と付き合ってください!」
と、離れていた俺にも分かるような大声で、先輩に気持ちを伝えた。それは、見ているこっちも恥ずかしくなるような光景であったが、どこか微笑ましい、そんな光景でもあった。
実は、その先輩も、理加子のことが気になっていたらしい。
「また、アメリカに着いたら、連絡するよ。」
理加子は、先輩にそう言われた、と後で俺は聞いた。とりあえず、理加子と先輩の仲が、うまくいって良かった、俺は心から、そう思った。
さあ、次は俺の番だ。俺は、一瞬だけ深呼吸をして、理加子に、性同一性障害のこと、あと、俺の素直な気持ちを、伝えようとした。
「あの、実は…。」
「優季って、もしかして、男の子だったりする?もちろん、心の中が、って意味だけど。」
「…、実はそうなんだ。」
「やっぱりそうだったんだ。ごめんね。前から薄々そう思ってたんだけど、訊きそびれちゃった。それに、それって優季の大事な部分だって思ったから、こっちから訊くのも、悪いかなって思って、訊けなかったの。」
「そうなのか。理加子が予想した通り、俺は性同一性障害だよ。」
「そっか。私、理加子と会った時から、何となく、ただのボーイッシュな女の子じゃないなって、思ってたの。
でも、心の中が男の子だったら、好きになるのも女の子なのかな?もしかして、私のこと、好きだったりして?…もちろん、冗談だよ。」
「…実はそうなんだ。俺、理加子のことが、ずっと好きだった。」
「えっ、それは気づかなかった。ということは、私、優季にひどいことしちゃったね。本当に、ごめんなさい。」
「いいんだ。俺は、理加子が幸せになってくれれば、それでいい。
これからも、俺と友達でいてくれるかな?」
「ありがとう、優季。うん、これからも、ずっと親友でいようね!」
「こちらこそ!」
俺たちは、その後握手を交わした。確かに俺の恋は叶わなかったが、理加子の恋は、成就した。俺には、それで充分だった。空を見上げると、アンケートの効果で、降っていた雨も止み、雲の切れ間から、月の光が、俺たちのいる地上を照らしていた。(終)
少し、改稿しました。(2016年10月17日)




