第98話「抑止力」
勇者と言われて、俺は自然とグレイディアへ視線を投げた。
グレイディアはぷっと吹き出してから俺の無言の問いに答える。
「私は何もしていない。そもそもその外見で勇者ではないと主張していても道化にしか見えない」
「いや、私は冒険者で……」
「ふ、ふふふ。まぁ少なくともこの部屋にお前を利用しようとする者は居ない。他言するつもりはないから安心しろ」
言い返せない。
俺は冒険者だと言い張っても、此処がその冒険者の組合だし。
前に居るタコ親父はギルドマスターだし。
グレイディアは滅茶苦茶笑いを堪えてロリババアの癖に可愛いし。
俺が頭を抱えていると、タコ親父ヴァンがドスの効いた声を発した。
「まぁ、お前が勇者として傍若無人に振る舞っていたら俺がぶっ殺してただろうがな」
「それは恐ろしいですね」
目が本気だ。
やはり地下で真っ先に出会えたのがギ・グウで、穏便に生活基盤を整えられたのは僥倖だった。
「所で先王領域というのは?」
「その名の通り、先王の領域だ。北方の地、火の迷宮を中心として成り立つ城塞都市だ」
城塞都市、名前的に随分物騒な雰囲気だが。
「先王というのは、その……」
「話したくねぇ」
ヴァンが机に頬杖をついてそっぽを向いた所で、肩を竦めたグレイディアが面倒くさそうに話し出す。
「まぁ、お前は知らんだろうな。先王はかつてミクトランを治めていた……とは言えないな。力による支配と言えばいいか。あれはやり方を間違えたのだ。そうして今は嫌われ者の馬鹿者だ」
「つまり、先王は存命という事ですか」
「そうだ。そして城塞都市を中心としてミクトランの一部を未だに占領している」
「はあ……」
武力でもって人を支配し、失敗したという事か。
とすると、あのタヌキ親父ボレアスによって今でこそ塔の街周辺は平穏な状態だが、以前は殺伐としていたのかもしれない。
ボレアスはタヌキ腹に肥えているが相応の苦労もあったのだろう。
恐怖政治であったのなら国から離れた者も多く居たはずであるから、塔の街にまともに迷宮攻略をする冒険者が居ない一因でもありそうだ。
振り返ってみると、ヴァリスタもオルガもシュウも、揃って首を傾げて応えてくれた。
俺含め全員無知だった。
「あの、もしかしてその先王というのは……」
「勇者ではないぞ、先王はな」
「そうですか」
良かった。
日本人が此処で人々を蹂躙していたなんて胸糞悪い展開は勘弁だ。
俺は何だか妙に気が抜けて、一息ついた。
それを見たグレイディアが思案気にしており、慌てて話を切りかえす。
「ふむ……」
「ええと、それで先王領域というのはもしかして行かない方が良いという事ですかね」
「お前が先王側へ靡けば戦争のひとつも起きるんじゃないか」
うへえ。
それは俺が先王領域に踏み入った時点で、ボレアス側は攻撃を開始するという事だろうか。
ともすれば、現在は膠着状態、冷戦という奴なのだろうか。
戦争となれば戦力拡充や魔族征伐戦どころではなくなる。
北への移動は無しだ。
火の迷宮は諦めよう。
「では火の迷宮は無しとして、他に良い場所はあるでしょうか」
「どうなんだ、小僧」
「どうもこうも、水の迷宮か風の迷宮かって所だろ。他は勇者様にとっちゃお遊びにしかならねえだろうし、小規模な所はまともに素材も出さねえからな。うまみがねえ」
「だそうだ」
なるほど、迷宮自体はいくつも在るが、属性の名を冠している迷宮が狙い目というか、難度が高いという事か。
魔法の存在により属性は馴染み深いだろうから、こういった名付けになっているのだろう。
「ああ、後は冒険者じゃなくとも知っといた方が良いのがあるな」
「何でしょうか」
「各迷宮街の名のある冒険者だ」
「ほう、是非教えてください」
「まともに暮らしてりゃあガキでも知ってるんだがな」
「は、はは……」
「まぁ名前だけ知ってりゃあ問題はねえ。実物を見た事がねえ奴がほとんどだし、人知れず死んでるかもしれねえ。何よりまだ名が広まってねえ奴もいるしな」
名のある冒険者――それはつまり街の看板と言える存在だ。
異世界から来た俺と地上に住んでいたシュウはもとより、ヴァリスタもまともに暮らしていた風には思えないから知らないだろう。
オルガもまた森林地帯に住んでいたため浮世離れしているだろうし、俺達のパーティは実に無知だった。
「水の迷宮街のネイヴィ、格闘武器を使う。風の迷宮街のクライム、武器は槍――」
ヴァンは淡々と簡潔に、各迷宮の看板冒険者の名前と使用武器種を語り出した。
「――城塞都市は……」
「私から話そう。城塞都市は火の迷宮を中心として出来ている。既に冒険者ギルドは解体されているが、未だに名が残る奴はジン。得物はお前と同じ、剣だ。そして――」
口籠ったヴァンに代わり、グレイディアが話し出した。
冒険者ギルドが存在しない城塞都市。
そこは先王の統治下であり、ある種隔離された領域なのだろうか。
なるほど、それは忠告される訳だ。
納得して頷いた俺にグレイディアはしかと目を合わせて、言葉を続けた。
「――そして最後が塔の迷宮、塔の街のライ。この四人だ」




