第50話「オルガ・エルフィード」
俺は硬いタイルの上で二度目の土下座をしていた。
「オルガさん、すいませんでした」
「ええ!? どうしたの急に」
「大変失礼ながらずっと男だと思っていました」
「ええ……」
俺は出るとこに出られたら捕まってしま……いや、此処は異世界。
法も糞もない、何故なら俺は奴隷という正当な権利の元でオルガを購入している。
そう、もう酷い事をするつもりはないが、俺は主人なのだ。
「そんなに魅力無いのかなあ」
「魅力というか……」
「なに? 言ってよ」
「胸が無い」
「むむ……」
開き直った俺が微かに見上げてみるとオルガは自分の胸を両手でもって押し上げていた。
果たしてそれは胸と言える部位なのだろうか、その細身において貴重な脂肪を他所から集めていないだろうか。
むにむにと身体を弄るオルガを見て、俺は呆れてしまった。
「オルガよ」
「なに?」
「俺に見られていて恥ずかしくないのか」
「恥ずかしいけど、もっと恥ずかしい所も見られているし……」
微かに頬を染めて上目遣いにこちらを見やるオルガ。
そうだ、トイレに連れて行ってあまつさえ連れションならぬ介護ションをしてしまったのだ。
それでもヴァリスタのようにまるで娘のような小さな子であれば、ここまで驚く事もなかっただろうが。
「見てないから、大丈夫」
「嘘だ、絶対見た!」
「本当に見てないから」
あの時はイケメンエルフだと思っていたから、本当に見ていない。
とはいえ聞いてしまっているが。
オルガは短髪だし、胸もまた服を着ていればわからないレベルなのだ。
自分をボクとか言うし、てっきり美形のイケメンだと思っていた。
エルフは美形揃いとかいう固定観念が切っ掛けでこの盛大なミスを犯した。
男色趣味を疑っていた事もあるからしてすぐに俺の股間の塔が反応する事は無いと思いたいが、長居は禁物だ。
俺は光速で身体を洗い上げると、オルガを置き去りに風呂を出た。
恐ろしい経験をしてしまった。
ついてない。
俺は即行で風呂から上がるとベッドに座り、ヴァリスタを膝へと乗せてその紺藍の髪を撫で回しながらクールダウンしていた。
「ヴァリー、俺は自分の目が信じられなくなってきたよ」
「そうなの?」
「ヴァリーが居なければ大変な事になっていたかもしれない」
「ふうん」
撫で回す手を止めて、俺はこの状況の恐ろしさを思案する。
まずヴァリスタという少女が居なければ、俺は鼻息荒くオルガに飛び掛かっていたのではないだろうか。
何故なら出会った当初ですら男だと思って見ていたにも関わらずとんでもなく整った顔立ち……つまり美人であると俺の脳は認識していたのだ。
美女とひとつ屋根の下、ダブルベッド。
危険だ、危険過ぎる。
小さなヴァリスタが一緒である事、それに胸が無かったのと、腰つきが俺の理想ではなかったのは幸いだ。
あれで着痩せしてましたなどと訳の分からない事を言って安産型の巨乳エルフが飛び出してきていたら、俺の理性は崩壊していただろう。
そしてオルガという奴隷は“全て可能”という契約であり、それはつまりそういう事なのだ。
無責任な真似は出来ない、何せ俺は塔を登って元の世界へ帰る予定なのだ。
静まれ、俺の塔。
「まさかオルガが女だったなんて……」
「気付いてなかったの?」
「ヴァリーは気付いていたのか?」
「オルガはメス臭い」
「そ、そうか……」
俺にはそのメスの香りというものはわからない。
臭いといえば、俺達がこちらの世界に召喚されても空気が綺麗だから問題なかったが、逆にエルフが現代日本とかに飛ばされた場合排気ガスとか諸々の悪性物質で悶絶するのだろうか、気になるところだ。
「特にライに怒られている時がメス臭い」
「それは……それはあまり聞きたくなかった」
ヴァリスタが昨晩「普通にしていればいいのに」と言ったのは、オルガのメスの臭いとやらが鼻についたからだろうか、悪い事をしてしまった。
もしかすればオルガにはいわゆるマゾッ気があるのかもしれない、だがそうなるとこれまでの調教が途端に別のモノに思えてきて嫌だ。
いかんいかん、俺はもう調教はしない、あれは俺にダメージがあるし、何より痛めつけて言う事を聞かせるのは危険だ。
考えをあえて逸らしつつヴァリスタを撫で回していると、オルガが風呂から上がって来て、こちらに歩み寄って来た。
仄かに色付いた白い肌と、微かに水分を帯びた白緑の髪。
こうして見ると、なるほど女だった。
しかし、しかしだ――。
「何故裸なんだ」
「だってこの服を着たらせっかくお風呂に入ったのに――」
「オーケー了解だ、今服を渡すからそこで待て」
抱えた貫頭衣で前面を軽く覆っただけのオルガを右手で制して、左手で謎空間から服を出す。
そういえば男物の服しかなかった。
まだ小さいヴァリスタはまだしも、オルガにこれはどうなんだ。
「なあ、男物の服しかないんだが、後で買いに行った方が良いよな」
「大丈夫だよ。あ、でも下着は欲しいかな」
「そうだな、そうだよな」
下着か。
何処かで見た姫尻を思い出しつつ、俺はやっぱり白い肌には黒い下着が合うのではないかと思うのだ。
いや、決して性的な意味ではなく。
何故かその場で服を着始めたオルガを凝視しつつ、明日からの日程を考える。
予想外に早くオルガと打ち解けられたので、明日から本格的に迷宮攻略で良いだろうか。
いやいや、少し落ち着いて考えよう、まずは下着を買うべきだ。
黒の下着だ、黒は良い。
そうしたら迷宮に行こう、そうしよう。
俺が大真面目に考えていると、オルガが隣に座って来た。
微かに軋むベッド、仄かな石鹸の香り。
オルガはその穢れの無い深緑の瞳で俺の上に座るヴァリスタを見て、俺を見て、囁いた。
「ボクもキミの上に座ってみたいな」
「うっ……」
こいつは変態だ、多分変態だ。
あの綺麗な瞳の奥は穢れ切っているに違いない。
とんだチェリーボーイだぜ。違った、男じゃないのだった。
俺は錯乱した頭を落ち着かせるため目を逸らしてヴァリスタの頭を撫で回す。
ヴァリスタがオルガを睨み付けて事なきを得たが、これは一人で居たら襲われてしまうかもしれない。
貞操の危機だ。
「ヴァリスタばっかりずるい、ボクも撫でてほしいな」
「ヴァリーはそういうのじゃないから」
「どういう事?」
「ヴァリーで手いっぱいだから無理」
「そ、そうなんだ……」
もしかすればオルガは無自覚の変態なのかもしれない。
何故なら拒絶したら目を逸らして少し頬を染めたからだ。
本物のマゾヒストなのだろうか、何だか得も言われぬ恐怖を感じた。
「明日は買い物したら迷宮に行くから、今日は早めに寝るぞ」
「うん」
「わかったよ」
それからヴァリスタも風呂に入る訳だが、オルガと二人きりになると何やら間違いが起きそうだったので俺も再び風呂へと入った。
その後ヴァリスタと共にベッドの右側へと移動して横になる。
ダブルベッドは俺とヴァリスタには少し大きいが、左半分は開けてあるからオルガも寝るのであれば調度良い広さだろう。
そう思っていたのだが、すぐ隣にまでオルガが寄り添ってきた。
「オルガ……」
「え、やっぱりボクはベッドで寝ちゃダメなの?」
何だその期待に満ちた目は、もしかすれば床で寝ろと言ったら逆に喜ばせる事態になってしまうのではないだろうか。
怖い、マゾ怖い。
俺は少し考えて、結論付けた。
「いや、構わないけどもう少し離れ――」
「やった! 家族が出来たみたいで嬉しいよ!」
駄目だった、選択ミスった。
いや、これはどちらを選んでもオルガにはノーダメージなのだ。
そういった感性を持ってしまっているのだ。
こいつはポジティブマゾヒスト。
もしかすれば昨日今日の俺の行動によって、オルガの中に眠っていた怪物を呼び覚ましてしまったのかもしれない。




