第25話「うつろいゆく世界」
暗黒勇者が去ってしばらく、ようやっと元の騒がしさに戻った塔の下で、俺はヴァリスタの手を引いて移動し始めた。
何か面倒事が起きる前に、解呪に行こう。
木板は謎空間に放り込んで、バタフライエッジアグリアスを持ったヴァリスタに話しかける。
「ヴァリスタ、良い愛称を思いついた」
「ヴァリスタは、ヴァリスタよ」
「お、おう、そうだな。名前を変えろっていうんじゃなくてな、略称で呼ぼうと思って」
「わかった」
「ヴァリーなんてどうかな。呼びやすいし、可愛げもあるだろ」
「……いいよ」
ちらとヴァリスタを見てみると、少し頬を綻ばせた気がした。
少しは懐いてくれたのだろうか、最初よりは口数も増えて来た。
そうして他愛もない話をしながら冒険者ギルドに着くと、早速僧侶エティアを探す。
「居ないな」
「だれ?」
「ヴァリーの病気を治してくれる人さ」
「わたし、病気なの?」
「ちょっとした、な。すぐに治るさ」
とはいえエティアが居なければ治しようもない。
ギルドの入口まで戻ると、のっそりとゴブリンが入場して来た。
見覚えのある鎧姿――。
「ギ・グウじゃないか」
「おお、久しぶりだナ。奴隷を買ったノカ」
「ああ、おかげさまでな。世話になりっぱなしだ」
「それはこっちの台詞ダ」
感謝の応酬でお互いに吹き出し、この話は終わりだ。
ヴァリスタは俺とギ・グウを不思議そうに見比べてから、手を引っ張って来る。
「てき?」
「敵じゃないよヴァリー、俺の恩人だ。こんな所で剣は抜くなよ」
「わかった」
ヴァリスタがバタフライエッジアグリアスを振ればどうなるか、正直楽しみではあるが。
「それで、ギ・グウは報告に来たのか?」
「いンヤ、征伐の出撃準備ダ」
「征伐? 何処かで戦いが起こるのか?」
「ンダ、正式な発表はこれからダドモ、北の方で魔族が出たらしいゾ」
「魔族って……」
北と言えば、この地下街を基準とするならば俺が落下したあそこからは正反対の位置となる。
ナナティンがあれだったのだし、まぁありえなくはないだろうが。
だとして魔王が復活したとか、そういう話なのだろうか。
「魔王とか、出たのか?」
「ソレはネェナ。魔王が復活していれバ、オラは既に化け物になっちまってル」
「どういう事だ?」
「魔王っつーのはモンスターを支配する王ダ。世界に存在するだけでモンスターは支配下に置かれるンダト」
「隷属状態みたいなもんか」
「そういうこったナ」
魔王が復活すると、まさに勇者対魔王、ひいては人対モンスターの構図になるという事か。
それは恩のあるギ・グウが敵になるという事。
これほど恐ろしい事は無いだろう。
そんな事を考えていると、ホールの中央に筋骨隆々な男が出て来た。
頭は坊主、髭も無い、骨ばって見えるその顔に、太すぎる腕、なかなか威圧的な風貌だ。
坊主頭に血管の浮き上がるその様たるや、タコ親父とでも呼ぼうか。
「野郎共! 仕事だァッ!」
その張り裂けるような声で、ギルド内は静まり返った。
「場所は北の開拓地! 相手は魔族の糞虫共だ! 一匹残らず血祭りに上げろ!」
穏やかじゃない宣言。
汚い言葉の連続に、俺はヴァリスタの耳を塞いでからタコ親父の話に耳を傾ける。
「参加報酬は金貨一枚! 討伐報酬は魔族一体につき金貨五枚だ! 親玉をぶっ殺した奴には金貨十枚くれてやる! 出発は準備が整い次第すぐにでも、出遅れたウスノロは討伐報酬を得る機会を失うぞ!」
「おおおお!」
「太っ腹だぜギルマス!」
「愛してるぜえええ!」
盛り上がる一帯。
ギルマスと呼ばれるという事は、タコ親父がこのギルドの管理者なのだろう。
円換算で、金貨一枚が約十万円として、魔族一体で五十万円、親玉で百万円か。
確かに美味い、美味すぎる。
参加するだけで俺の泊まっているそこそこ良い宿の宿泊費一か月分だ。
「魔族なんて普通に居るのか?」
「稀に出ル。力を蓄える前に叩くのが常道だがナ……」
ギ・グウは微かに俯いた。
この戦いは、何かあるのだろうか。
「報酬額といい、何だかキナ臭いな」
「気付いたカ。コイツァ危険な征伐戦になるナ」
「やっぱりか」
「聞いた話じャア、冒険者を突撃させた後、騎士団で追撃を掛けるらしいゾ」
囮というか、味方諸共圧殺する気だろうか。
恐ろしいな。
というか何でギ・グウがそんな事を知っているのだろう。
「やたら詳しいな」
「オラはこれでも騎士団所属だからナ」
「マジかよ」
「下も下ダガナ」
しがない冒険者の俺なんかとは比べものにならない程凄い奴だった。
それならば家庭を持っていても不思議ではない。
「ンデバ、オラは準備に掛かるダ」
「おう、気を付けてな」
ギ・グウがギルドの奥へ去り、俺はギルド内の喧騒に耳を傾ける。
どうやら此処に居る大半の冒険者が参加表明をしているようだ。
石版に名前を記し、登録していく。
登録した者から鼻息荒く次々とギルドを出ていき、十分もすると事務処理だけが残ったがらんどうとなっていた。
もう一度周囲を見渡してみて、やはりエティアの姿は見えない。
どうしたものかと思っていると、ジレを引っ張られる。
ヴァリスタかと思ったが、そういえば手を繋いでいた。
不審に思いながら見下ろすと、そこには可愛い笑顔の少女が居た。
いや、少女っぽい何かが居た。
最強ロリババア吸血鬼だ。
「どうされたのですか、グレイディアさん」
「小僧……とその小娘は参加しないのか?」
「私達はまだレベル1なので、厳しいでしょう」
「ふん、どうだか。ところで征伐に出るのであれば、特別に戦線を出し抜いて敵本陣までの案内をするが」
行かないと言っているに。
「いえ、ですから私達は……」
「この戦い、負けるぞ」
「え?」
「圧倒的に戦力が足りていないばかりか、急ごしらえのメンバーだ。そもそもとして集団戦闘経験が乏しいのだ。しかし頭を潰せば話は別だ」
だからといって、俺達が行ってどうにかなる訳でもないだろう。
それは俺は勿論の事、例えば此処に他の勇者達が居たとしても同様だ。
勇者として召喚されたとはいえ、その力は一騎当千のものではない。
能力値がまさに勇者タイプのイケメンを除き、勇者はあくまでレイドを組み役割分担を行った上で発揮される、特化され過ぎた力の持ち主なのだから。
また俺の場合はそもそもとしてまだレベルを上げたくない。
良成長無しでレベルを上げた先で、勇者との衝突に耐え切れる気がしないからだ。
そしてその考えは日増しに強くなった。
地下の平均レベルが低いのは、パーティ編成の仕事で散々見て来たので確実だ。
グレイディアのレベル77は例外として、俺が地下で見た最大がギ・グウのレベル36だ。
地下での戦闘だけではレベル40辺りが関の山と考えている。
それはこちらが低レベルにより発生する経験値減衰があるように、高レベルの場合でも減衰が働くだろうという予想からだ。
もしかすれば地下にある迷宮とやらの深部では高レベルモンスターが出現するかもしれないが、それでも塔を越える事は無いはずだ。
でなければ塔が“難攻不落”とは称されていないだろうから。
だからおそらく塔の六十階層――地上――つまりおおよそレベル60の時点で勇者達と相見える事になる。
そう考えて行動するべきだ。
そして、だからこそ、今の俺は極力レベルを上げる訳にはいかない。
「ここ数百年――」
いつの間にか、グレイディアはギルドの外を見ていた。
真っ赤な瞳を細めて、暗い空を見上げて。
「魔王が討伐されてより、世界の脅威は去った。魔王討伐という絶対的な目標を前に、幾千の敗北を踏み越えて。脆弱なる肉体でもって歯牙を研ぎ続けたヒトは、遂にその刃を届かせたのだ。そうしてようやく事は成り――今がその、遥かなる安寧の時だ」
「ええ、良い事だと思いますが」
「ヒトは強欲だった。数多の戦友を置き去りに、空を塞いだ」
六十階層の事だろうか。
太陽も月も遮る天蓋は、まさしくヒトの業を体現したものだ。
「ヒトは衰えた。しかし魔族はおそらくあの時の、勇者と魔王が雌雄を決した闘いの最期に生み出されたものだろう。その魔力を注いでな」
「魔王の魔力で生み出された魔族だから、強いと?」
「そうだ。地下は滅ぼされ、地上へ至る足がかりとされるぞ」
だからといって、俺に戦えというのか。
「龍を撃滅せしめるその力、貸してはくれないか」
「……」
「あのゴブリンや、その小娘、お前の知る者全てが失われるのだぞ」
「うっ……」
それは、卑怯だろう。
「そうは……言うがな」
「退屈な日常には飽いていたが、それでもヒトの営みは面白い。私はこの地下を、守りたい」
純粋な視線と、言葉だった。
ロリババアとはいえ、見た目はヴァリスタと同じく幼気な少女なのだ。
その威力は凄まじい。
参ったな、しかしギ・グウへの恩返しとしては、調度良い機会なのかもしれない。
そして地下が魔族に乗っ取られてしまえば、レベルやら良成長どころじゃない。
これは多分、引けない戦いなのだ。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、グレイディアは俺と手を繋ぐヴァリスタをちらと見て、笑みを浮かべた。
「見た所、小僧は幼女趣味のようだな」
「はあ!?」
「まっこと不健全極まりないが、この依頼達成の暁には夜伽の相手になってやっても良いぞ」
「よとぎってなに?」
「シッ! この人の話を聞いちゃいけません!」
俺は光速でヴァリスタの耳を塞いだ。
「良いでしょう、案内してください。それに私は参加報酬と討伐報酬が頂ければ結構ですよ」
「え? あ、ああ、そうか」
「いや、でも、そうだな……。じゃあ、魔族の親玉討伐の暁にはグレイディアさんがひとつだけ言う事を聞いてくれるというのなら、ありがたいですが」
「こ、小僧、本気か……? ふ、ふん、良いだろう、受けて立つぞ」
かくして俺は、魔族征伐戦へと出向く事になった。




