第232話「浄財対償」
神父ラトナックによる右から左へと抜けて行く説法を受け流していると「そういえば」と思い出したかの様に勧めて来る。
「此処には懺悔室もあります。冒険者の身の上では思う所もあるでしょう。内に秘める思いを吐露すれば気も楽になるものですよ」
「どうでしょう。後ろめたい過去も思い浮かびません」
思い悩む素振りと共に回答すればラトナックは満足げで、そうして視線は少し下がり隣のグレイディアへと向かった。
「んん……。改めて、闇の権化が光の神殿に訪れるとは何と因果な事でしょうか。しかし真に力ある神々は、血祭りの夜すらも糧とし人々に恵みをもたらしました。人類の繁栄を見てください。貴女もまたこの世に産まれ落ちた星々の欠片に過ぎないのです」
「左様で」
「平等に生きる権利の裏には、また平等に死ぬ義務が付与されているものです。この暗黒の時代にあっても、死に向かう生命の輝きだけは変わらずに世界の循環を司っていると思いませんか、グレイディア殿?」
「それは結構。眩しくて目を逸らしたくなる程ですね」
此処に来てから観念的で理解し難い宗教観に頭がこねくり回されているが、彼等は実に生と死を信奉している様に感じられた。
ひとしきり言葉にして再び祭事に戻るラトナックの背を訝しげに見送るグレイディアは何を想うのだろうか。
「あんな事言わせといて良かったんですか?」
「悪意を持って言った訳じゃない。いわば常識の違いだな。そいつはどうにも、対話で解決出来るものではないらしい」
「尚更問題じゃないですか。百年そこらで死ぬ人類の価値観を、千年の保持者に押し付ける平等性なんて欺瞞ですよ」
「だからこそ言葉ひとつに誑かされるなよ。経験していない過去を追憶する事ほど愚かなものはないのだから」
それはそうなのかもしれない。
グレイディアにとっては俺どころか神父ラトナックすらも、短い時の中で足掻く子供に見えるのだろう。
「千年を知るグレイディアさんになら誑かされても仕方ないという事ですね」
「お前まで自殺志願者になられても困るって言ってるの。まったく口ばかり上手くなって……」
むっとして見せる姿がおかしくて可愛げがあったが、その口をついた話は理解こそ出来ても納得は出来なかった。
ミクトラン王国の客人として重用され各地で顔を売っている暗黒勇者レイゼイが巡礼の旅に出たという話を聞かないのも、教団の闇適性に対する忌避に配慮しての事だろうか。
悩む姿を見てか「あのな」とひとつ間を置いて冗談めかして口にする。
「私は神を騙った事も無ければ、魔族に与した事も無い。何処かで謳われた人斬りの伝説が、あるいは国獲り物語にまで発展して今の私を形作っている。ただの死に損ないだよ」
「死ぬまでには言ってみたいセリフですね」
小突かれながら卑屈に笑って会話を締めくくると、長く沈黙していたイシュバリオンが口を開く。
「千の夜を知り、万の人を斬り、その目に映る俗世は如何ですか?」
「治世も乱世も、いもしない敵を恐れて非太刀を打つ。火無き地に火起こし得るは人の性かな」
「今も昔も変わらないという事ですね」
フードの下、目元にまで掛かる白髪の間から覗く暗い瞳はグレイディアを捉えていて、どうとでも取れる会話には地雷でも仕掛けられていそうで踏み入らない様に聴き流す。
それからも神殿内部を見て周っていたが、グレイディアとイシュバリオンが付かず離れずの舌戦を繰り広げているし、口の上手い二人に挟まれて精神が擦り減る時間はマインスイーパの如くである。
だから粛々と神殿の警備体制やらスキル構成やらを盗み視て、現在の情勢の理解に努め、持ち得る情報から共通点や文化的背景を洗い出していく事にした。
此処にあるのは秩序と技能に裏打ちされた武装集団で、武器を持つ事や牽制を行う事に躊躇いは無い。
戦わない為なら存分に武力も活用するという雰囲気だった。
広く流布されている不戦の誓いとはどうにも印象が異なって、各地の教会では神官クラスが都合良く解釈して安全圏から好き勝手に振舞える法として悪用されているのではないかという疑念すら湧いた。
もやもやとした物を頭の中で混ぜながら思考と共に目的も無く神殿内を周っていると、遠く鐘が三度突かれて耳に届く。
神殿の外には物見櫓や食糧庫等が在って、時を告げる鐘も此処に在る。やはりこの総本山は、ひとつの街として機能しているのだろう。
鈍い鐘の残響が鳴り止んだ所でイシュバリオンに呼び止められ、脚を止めた。
「本日のお勤めはこれにて終了ですね。食堂に案内しましょう」
後ろについて来た彼が今度は前に、神殿入口から正面に見える大扉に案内される。神殿騎士が左右に控える扉を潜った先の一室で、一同が会する事となった。
巨大な横長のテーブルを中央に、上座にひとつ多少なり装飾の見受けられる椅子があるだけで、残りはテーブルを挟んで対面に並ぶ形で背もたれもない簡素な黒椅子が等間隔に配置されているだけだった。
神殿勤務の神官達が勢揃いといった具合だが、誰も彼もが白いローブに身を包み、この場においても容姿における差異は認められない。
しんと静かな食卓の末席に腰掛けると、既に俺とグレイディア以外の仲間達は席についており、目で挨拶を交わしながら一日目を平穏無事に過ごした事実を共有する。
イシュバリオンがジャラりと剣や鎧に装飾品の音を鳴らして隣に座り、どうにもローブの下は重武装らしい事が判明する。
一方的に威圧感を覚えながら卓上を観察すると、木彫りの簡素な皿に硬そうなパンがひとつ。その隣には血の様に赤いワインの注がれた銀食器があった。
不思議に思い、隣のイシュバリオンに問い掛ける。
「清貧をモットーとする神殿で酒とは豪勢に思えますね」
「原産地ですので」
「地産地消ですか。うちに酒豪が居るので気になりますね」
「気になるなら帰路の前に購入すると良いでしょう。取り次いでおきますよ」
「ありがとうございます、イシュバリオン」
教団運営における貴重な資金源という訳だ。
お布施代わりといっては何だが、ディアナが涎も垂らしそうな表情でこちらを見て来るので買い貯めておいても良いだろう。
しかしこんな火口に建造された神殿でワインの材料等確保出来る物だろうか。
些細な疑問を抱きつつ、冷め気味の香草スープが置かれた事で思案を止め、配膳してくれた清楚系ベテラン神官に手を合わせて拝んでみれば視線から逃れるようにして退散されてしまう。
無心で合掌したというのに、なんと無礼な聖職者なのだ。
その様子を対面から伺っていたプライムが、繕っていた表情を崩してにやりとする。
「逃げられたね」
「箱入り娘って感じでしたね」
「私だって箱入りだよ」
「そこ競うんですね」
小声で馬鹿話をしながらスープの配膳が終わるのを待っていると、すっと遅れて扉を潜る影がひとつ。
それと同時に静かだった食堂の空気が更に沈む様に一段落ち、物音ひとつしなくなればこちらも釣られて口を噤む。
後から来た人影は金糸の編まれたローブを身に纏った明らかに位の高い神官だ。
一番奥の上座に着いた彼に目をやると、フードの下に見えたのは白髭を蓄えた貫禄ある老齢の男性だった。
「本日より巡礼者プライム・ヘカトル様御一行が滞在しています。新たな子らの訪れを喜ぶと共に、この地に間借りする兄弟として血と肉の贄を共にする機会を大切に致しましょう」
場を仕切り本日の献立を話して見せる様は手慣れたもので、この教団の管理者の様な存在かもしれない。
上位の存在を見定めて、見て見ぬ振りで自分の食事に視線を逃がす。
「地を満たす肉の界と、天を衝く血の宮があまねくすべての糧となりて、永久の繁栄と太陽の恵みに感謝致しましてお祈りします」
何だが物騒な前口上だったが、教徒達は手を組んで射さない陽光を望むお祈りが始まった。
プライムとエニュオは流れに合わせて静かに祈っており、ワインに生唾を飲むディアナを除いて仲間達は手持ち無沙汰だ。
祈りが終わり改めて食卓に目をやれば、硬いパンに香草のスープ、ワインが一杯ずつという献立は少々たんぱく質が不足している気がした。
「酒はあるのに肉は無いのか。これでは俺の彫像の様な上半身が維持出来ない」
「ライは子供ね。一食抜いたくらいで死にはしないわ」
「ヴァリーは大人だなぁ」
上機嫌に尻尾を振りながらスプーンで綺麗にスープを掬って飲んで見せるヴァリスタは、何時の間にやら礼儀作法が貴族側に寄っている気がする。
プライムから学んだのだろうが、どうなのだろう。その横で無作法にスープを啜り飲むのがご主人様のこの俺なのだが。
何だか妙に美味いスープだ。味蕾を爆発させるコンソメ感がある。
ずるずるとスープで潤った口に千切ったパンを運んで上座の男をちら視しながら噛んでいると、視線に気付いたのかイシュバリオンが小さく口にする。
「法王イシュキミリ聖下です。御無礼なきよう」
「ご忠告ありがとうございます」
視た情報ではトラウィス・イシュキミリという男だ。
クラス神官、スキルは槍術に光魔法と神聖魔法。
貫禄はあれど特別戦闘能力が高い訳でもないのはミクトラン国王ボレアスとも似通っているか。
本来知れぬ情報を元に詮索は出来ないし、この下賤な冒険者にあちらから能動的に関わって来るとは思えない。
法王の存在は保留とし、静かに食事を進めていると神官が一人やって来る。
「献金を募っていますが、こちらは自由です」
お次は薄い生地を縫っただけの簡素な布袋を持った神官がやって来て、飯の合間に献金タイムらしい。
献身的な心など持ち合わせてはいないし、この手でモンスターを殺して作った血生臭い金ではあるが、宿代とでも思っておこう。
相場が全く解らないが、一人銀貨一枚として、全員で銀貨八枚もあれば十分だろうか。
「心ばかりの物ですがお納め下さい」
「その献身はきっとあなたの心を満たして下さいます」
心よりも体を満たして欲しいのだが、献身ついでの無礼講でポケットから出した風に銀貨を数枚手に取って、隣のヴァリスタを筆頭に卓上を転がしたり、プライム始め対面側に座る者には指で弾いて宙を渡す。
食卓を越えて仲間達に銀貨を配布すると、その手で直接布袋に納めさせる。
こういった儀礼は纏めて行うよりも、個人にやらせる方が印象に残る物だ。
要すれば貴族のプライムを基準として、同じ額を献金した奴隷に対しても教団側の最大限の配慮を要請している訳で、下手な扱いは許さない。
それから食事を終えると各々部屋に戻った。
一通り神殿内を見て周ったが、各所に神殿騎士が配され警備体制は万全で抜け目なく、本当に何もない一日だった。
教団にとってもミクトラン王国側の巡礼者に問題が生じれば権威に傷が付くし、この分だと三日の行程は何事も無く終わりそうだ。
ベッドに寝そべり天窓を模した魔導の灯りをぼうっと眺めていると、扉をノックされて起き上がる。
扉を開けば待っていたのは目深にフードを被った白髪の撃剣士――イシュバリオンだった。
替えの服を小脇に抱えて、ローブの下に鎧は見えない。表情もどこか温和で、張っていた気が抜けた。
「入浴の時間ですが、案内がてら一緒にいかがです?」
「風呂があるんですか。良いですね、お供しましょう」
夜になって警護が解かれたと思いきや、自室に服を取りに行っていたらしい。
適当に替えの服を取り出して、ついでに仲間達の部屋に寄りつつ、明日の宿代として銀貨一枚と服を配って廊下を行く。
だらだらとイシュバリオンを追って、遅れて脱衣所に到着すると彼は隅の方で服を脱いでいた。
男の裸等興味は無いからして、久々の入浴に逸る気を抑え切れずに服を脱ぎ捨てるといざ入場。
黒い木造の扉を開くとぶわりと湯気がやって来て、扉の先の眩しさに少し目が眩みながら、仄かに漂う香りに気付く。
「すげー!」
気の抜けた言葉しか出ないが、白亜の造りは清潔感があり、汚れひとつ見受けられずよく手入れされている事が一目でわかった。
また壁ひとつ取っても、周囲をぐるりと青い魔導の灯りが走り、まるで露天風呂の様な開放感を演出している大浴場だ。
何かしら香料が撒かれているのだろうか、柑橘系のさわやかな匂いに逸っていた心も落ち着く。
この溢れる熱湯も魔導具に依って生み出されているのだろうが、まさに湯水の如く、豪勢に垂れ流されている。
これだけでどれほどの魔石を浪費しているのか知れないが、今はこの浴場を楽しませて貰おう。
お湯を桶で掬って頭から被ると、頭の先から熱を感じてピリピリと感覚が冴える。
「ぐはー!」
「随分楽しそうですね」
「そりゃあもう! 大浴場なんて久々ですからね!」
どっぷりと肩まで浸かって全身で味わっていると、遅れてやって来たイシュバリオンと共に示し合わせたかの様に息を吐き出した。
この老廃物が絞り出される様な心地良い感覚は水圧とその波動に依って内臓が刺激されるからだというが、ここまで広い大浴場をたった二人で利用すればその快楽は科学を超える。
二人で唸りながら浸かっていると、神官や神殿騎士のおっさん達もやって来て次第に肩身が狭くなり、自然と身を寄せて長湯していた。
「ライも好き者ですね。これほど長湯とは」
「イシュバリオンこそ、一日中張り付いているのでもっと生真面目な方かと思いましたが」
「仕事ですから」
すぐ隣で言葉を交わしながら不意に見やると、目元まで覆う白髪の下には何処とも知れない虚空を望む暗い瞳が見える。
伸びた髪で隠れていたのか、頬や首元に傷痕が見えて、なるほど歴戦の勇士といった感じだ。
熱で緩慢となった意識でガン見していると、それに気付いたイシュバリオンは、ふっと少し自嘲気味に笑って見せた。
右の獣耳はヴァリスタと同じくぴくりと動いて、左耳があるはずの頭頂部付近は伸びた白髪で覆われている。
恐らくその下に耳穴はあるのだろうが――左の獣耳が無いのだ。
「故郷の習わしで耳標……烙印みたいなものが刻まれていましてね。以前は戦士団に居たのですが、野に下った際に切り落としたのですよ」
「そいつはまた……役職を追われての事ですか?」
「戦士にすら成りそこなった社会不適合者という所ですかね。それより前は剣を頼りに紛争があらば乗り込んで、命を糧に転戦していました。ある意味自由ではありましたが、行き場の無い虚無感に追われていましたね」
「元傭兵ですか」
「そのようなものですね。そうして人を斬りながら、今では教えを乞われ剣士として腰を落ち着けて居ます。だから私が仕えるのは神でなく人です。この剣は神々に捧げる物でなく、人々に与える物でありたい」
神殿に間借りしながら神を信仰している訳ではない。
確かに似た者同士なのかもしれない。
信仰心に頭を煌めかせるおっさんひしめく大浴場で、二人静かに世間話というのも存外心地良いものに感じられた。
「紆余曲折あれど、今や神殿務めとは大出世じゃないですか」
「悪運だけが味方でしたから、剣の師に拾われていなければ今の私はないでしょう。だからライ、君には目を掛けているんですよ」
「ありがたい話ですが、俺はそのお師匠様に似ているんですか?」
「その周囲を見る散漫とした目付きとか、浴場に目が無い所とか。侘びとか、寂びとか。この瞳には映らない世界があるのでしょうね」
こんな無頼者にそんな身の上話をしてしまって良いのだろうか。
若干の困惑を見せると、イシュバリオンはすぐに察して言葉で返した。
「飛びトカゲの紋章を身に付けていたでしょう。ヘカトルには世話になっていますから」
「紋章って、あの肩当ての事ですか? そういえばヘカトル家でも耳の無い獣人を見掛けましたね」
「ゲインスレイヴとは同郷です。ひとつ違えば、狂戦士の資格を獲得していたのは私だったかもしれない」
ヘカトル家が治める風の街周辺はバラックが立ち並んでおり、大量の冒険者が壁の外側に居住していた。
獣王国やその他の地域に対しても何かしらの繋がりや諜報活動を行う為に多種族を受け入れていたのだろう。
「それに貴方の連れている奴隷もそうです。あの紺藍の毛並みは珍しい物ですから」
「ならばうちのヴァリスタもイシュバリオンやゲインスレイヴと同じ境遇で育ったのでしょうか」
「初めに視覚を塞ぎ、次に嗅覚を潰し、聴覚を削ぎ、最後は尾を失う。そこまで仕手、狂戦士に覚醒しなければ……。あの娘の状態を見るに、そういった段階に至る前に放流されたのでしょう」
思ったより惨い境遇の生まれなのか、しかしヴァリスタはレベル1の喪失状態で肉体の欠損は見られなかった。
運が良いのか悪いのか、俺と同じで最初から壊れていたから放り出されたのかもしれない。
イシュバリオンはかつて左耳のあった場所に手を添えて話を続けるが、その腕に残る古く深く刻まれた傷にまた異なる意味を見出して、思わず目を逸らしてしまった。
「耳が削げるとね、集音や遮音が成立しなくなって平衡感覚も狂ってしまうんです。そうして永続的な緊張状態に置かれると、人は簡単に発狂してしまうものなのですよ。一度狂化状態に入れば狂戦士として、対魔族の兵器として、使い潰されるしか道はない」
「まともに日常生活が送れなくなるんですね。そこまでして……」
「そこまでしてでも人類は生き残る為に咎を背負ったんです。窮地に陥っても、あらゆる手段を講じて覆して来た。虚構を信仰し欺瞞を実現する事こそ、人類が他の種を出し抜けた特異な性質だと師は言いました。唾棄すべき行為も正当化して、世界はこれからも続いて行くのでしょう」
「報われませんね、人の世は」
「グレイディア殿は千年もの間、この報われない人の世を目にして来たのです。断片的な伝説でなく、連続性を保った意識の下で。それでも愚かな人類を見捨てずに共存の道を選んだ彼女を、私は尊敬しますよ」
それには同意せざるを得ない。
ちゃぽんと深く体を沈めて想いを飲み込むと、イシュバリオンも一際に小さく独り言つ。
「これは私如きが口にして良い事ではないと思いますが、この歪んだ世界で狂わずにあったヴァリスタを大切にしてあげてください」
「……善処しましょう」
同郷の娘に対する同情。
それだけの為に彼は恥を忍んで自身の生い立ちを話したのだろう。
打算なのかもしれないが、この男の意志はしかと受け止めて、頭に籠った熱に若干のふらつきも覚えながら浴場を後にした。




