第224話「獅子に獣道を」
塔の街から西へ、三日の行程。
塔の街を発って初日の夜にプライムと一晩中切り結び、どうにか急速回復を習得し直す事に成功した。
やはり習得速度は芳しくなく、彼女の感覚器官は完全に瀕死状態に慣れてしまった様だ。
手綱の握れない暴れ馬だが背中でぐっすりと眠っていれば可愛いものだ。
保存食のみで構成されている俺達パーティの残念な食料事情だが、今回は普段購入しない生物も謎空間にぶち込んで携帯している。
長期保存は効かないが、パーティの回避盾兼火力役であるグレイディアの吸血不足から来る行動力の低下は看過できない。
いくら俺の超天然勇者液が吸血行為の代用となると言っても、旅路の途中で目が覚めると賢者モードなんて事態は危険過ぎる。
テントの中でも夜襲を警戒しながら街道を進んだ。
歩きに歩いて遠く淡く等間隔に灯る魔導の光が目に入り始める。
見上げるほどの大壁の――関所へ辿り着いた。
周囲は開けた平地なのだが、分厚く高く頑強な壁が一帯を通っており、複数配置された騎士達が警邏を行っている。
塔の街や城下町以上の物々しさを感じるが、周囲には家屋も並んでおり、強いもので商人という人種はこういった所でも商いを行っているらしい。
そしてこの壁こそが国境。
跨いだ先がミクトラン王国の力及ばぬ西の領域。
人力では開かないであろう鉄の大門を前に槍を携え帯剣する門番へと声を掛け、王子ゼーテス・ミクトランと貴族クライム・ヘカトルの名が流麗に刻まれた巡礼許可証と、塔の冒険者ギルドマスターヴァンが認めた汚い直筆サイン入りの用紙を見せると、しばし読み込んだ後に槍を下ろし動き出す。
「把握しました。こちらへ」
そのまま後ろについて大壁に立ち入る事が出来た。
壁の内部は大剣であれば満足に振るえないであろう狭い通路と多くの騎士の休憩する大部屋とで構成されており、頑強な石造りの壁を伝い進む先には手すりもない階段。
さながら秘密基地の様相を呈しており若干の興奮を覚えつつも、黙して案内に従う。
階段を上がると風もない壁の上――ずらりと居並ぶ騎士達の傍には弓矢など遠隔武器も備えられており物々しさに拍車が掛かる。
それらの後ろを通り抜けて行けば突き出した狭間へと到着し、そこには騎士とは違うラフな格好をした戦士達――魔法スキル持ちが待機していた。
貴族で構成され美麗な武具を纏う騎士達と比べればその容姿はそこらのごろつき冒険者と変わらないが、平均的なレベルは騎士達より上にある。
魔法スキル持ちは国境警備の要と言えるのかもしれない。
彼等に会釈しつつくり貫かれるように配された穴から覗く向こう側が西の領域。
暗く短い草に覆われて、門から続く踏み鳴らされた道程だけが剥げている。
東のミクトラン王国側と景色に差はない。
下の世界は何処もかしこも暗黒に包まれて、人工的に据え付けられた魔導の光まで無くなれば発狂する事請け合いだ。
騎士は事務的に案内しながらも、壁の狭間から遠く西を指差して、暗黒の先を説明する。
「まずは経由地として水の街へは真っ直ぐ西を目指してください。ただし此処から先は我々の直接的な介入は望めないものと心得て頂きます」
「ご忠告ありがとうございます」
それは駐屯騎士団の身において出来得る限りのアドバイスだろう。
ミクトラン王国の領域でしか活動して来なかった俺にとっては近くとも遠い旅路となる。
プライムも同様で、暗い街道を見詰めてきらきらと輝かせる瞳は浮足立っている証だった。
意識が前へ前へと行き過ぎれば良からぬミスをする可能性もある。
スキル急速回復のおかげか三日の行程でも疲れは表出していないが、一旦此処で休憩を入れる事にする
進むべき道を確認し壁から降りると、駐屯騎士団も利用する安全な宿を紹介してもらう。
騎士達の命を預ける宿である為か粗末な黒い材木でなく頑強な石造りで、宴会でも開けそうなだだっ広い食堂を一階に、奥のカウンターで受付を済ませて部屋を取る。
カウンターの向こう側には酒なども陳列されてある辺り、国境警備が上等な扱いを受けている事が解る。
嗜好品が完備されているのは商人の頑張りだけでなく国の血税で賄われている点が大きいのだろうが、国境警備に精を出す騎士や魔法使い達の英気を養えるのであれば安い出費なのだろう。
当然俺達は嗜好品である酒に関して馬鹿高い金を支払わなければ口に出来ないのだが、まともに飲むのはディアナのみなので懐の心配は要らない。
駐屯騎士団に配慮してか常に食事の注文が出来るようで、早めの夕食を済ませる事にして適当なメニューを注文し、先払いで料金を支払うと人気の少ない隅のテーブルへと向かう。
思い思いに休息を満喫する騎士や魔法使い達を流し見ながら点在する大テーブルを縫って行くと、どうにも見覚えのある情報が目に映る。
魔導の灯りも薄暗い隅の一角に腰掛けて大きなジョッキで飲み物を口に運ぶ独りの戦士。
暗がりに潜み切れていない挑発的な深紅の長髪と、革の鎧に革のロングブーツ。
壁際には武器防御の効果が付与された上質な斧槍バルディッシュを立て掛けて、腰にはロングソードを帯びている。
一直線に向かいながらステータスをしかと確認し、肩を叩く。
鋭い眼光で返されて、今にも噛み付いて来そうな邪険な視線を受け留めて声を掛ける。
「よう、ヨウじゃないか」
「あら、ライ?」
ヨウ・クレイ。
以前はノースリーブにミニスカートという馬鹿げた服装で戦闘を行っていた土の迷宮で出会った女冒険者だ。
防具が新調されて戦士らしくなったが、整った顔立ちに反して血の滾るような赤い髪と、獣のような強い意志を持つ赤い瞳は相変わらずだ。
俺の予想では没落貴族だが、これでもかと武術スキルを積み火魔法まで有する将来有望な冒険者でもある。
あの頃と比べて装備だけでなくレベルも上昇し確かに強くなっているのだが、成長が遅く感じられるのは俺達の戦闘経験が出鱈目なだけだろう。
正直何処かで野垂れ死んでいると思っていたので少し感動だ。
机を挟んで対面に座り込むと、仲間達はひとつ隣の席に遠慮してくれた。
「生きてたんだな」
「まあね。……って、何で死んでる前提なのよ!」
「いや、だって仲間作れなそうだし。独りで突貫して袋叩きにされる光景がありありと目に浮かぶんだが」
「……否定は出来ないけど」
深紅の髪をぐしゃりとして額に手をやった。
どうやら死に掛けはしたらしい。
見た所まだ一人旅らしいが、よくもあのどん底から生き抜いたものだ。
魔族征伐戦では残党狩りに参加しドブ攫いと馬鹿にされていた彼女だが、生命力だけは確かなものである。
「獅子が子を谷に落とすというが見事に這い上がったな」
「別に落とされた訳じゃないわ。私は私の意志で冒険者になったの。世界の脅威を黙って見過ごすつもりはないから」
「なるほど。立派な心意気じゃないか」
冒険者には副次的に魔族征伐の役割がある。
征伐などと言っても捨て駒である為それは強制されるものではないが、どいつもこいつも日頃の鬱憤をぶつけるに最適な機会と捉えているらしい。
あるいはこの腐った世界の中で死地を求めているのかもしれない。
エティアの様に肉親を魔族に殺され怨み骨髄の者も居るが、大半は人類の敵だから殺すという古くからの連綿とした全体の意識に突き動かされているのだろう。
そして俺達冒険者に国境越えが許されているのも魔族を征伐し“平和を維持する”という絶対的な正義がある為だ。
上の世界の在り方に照らし合わせると、これもまたヘイトを魔族に集めているだけなのかもしれないが、此処では実態として対魔族の戦争は勃発している。
この環境は俺という出生不明の冒険者の存在を確固たるものとし、また評価を押し上げる一点において非常に利用し易く、そして動き易い。
レイゼイが勇者の立場から地位を確立しているように、俺もまたこの状勢を冒険者の立場から存分に利用するだけだ。
食事が届いて会話が途切れ、鉄板に乗せられたよく火の通った肉を一切れ口にすると、ヨウもまたジョッキを煽り隣のテーブルに目をやった。
「そちらは随分大所帯になったみたいね」
口に含んだ肉を飲み込んでパンをちぎって見せびらかす。
「羨ましいか」
「貴方本当に好きね。女だらけじゃない」
「皆俺の仲間だ、貸さないぞ」
「要らないわよ。言ったでしょう。私が求めている仲間は絶対的な強者。半端な人を仲間にして死なれたりしたら皆不幸になる」
隣の席からふんと鼻を鳴らして答えたヴァリスタにヨウも肩を竦めて返礼する。
紺藍と深紅、餓狼と獅子、水と油だ。
そんな彼女に俺から提案出来る事と言えば――。
「奴隷でも買えばいいのに」
「私はあまり好きじゃないわ。奴隷という文化そのものが」
「珍しいな。そういう考えの奴も居るんだな」
「父の影響よ」
「良いお父さんじゃないか」
「まさか」
馬鹿にする様な、軽蔑する様な声色。
父親とは不仲だったのだろうか。
「義理や人情、仁義――そんな思想を人に押し付けておきながら自分は戦わないんだもの」
「それで家を出て冒険者に?」
「だっておかしいでしょう? 仲間には命懸けで戦わせて自分は安全な所に引き籠って高みの見物だなんて」
「それが戦争の本質だろう」
俺の回答に対して心底理解出来ないといった感じでゆっくりと首を振るった。
剣を握るのは腕の務めで、前に進むのが脚の務めだとすれば、指揮を執るだけでなく生き残る事も頭の務めだ。
それが道理に反しているのもまた事実ではあるが。
だが聞いた所、仲間が離反せずに居るという事はそれなりに信頼の厚い人物なのだろうと思う。
どうやら家が潰れたという訳ではないらしいし会った事もないので憶測に過ぎないが、少なくとも彼女よりは論理的な思想の持ち主だ。
善意からの暴走――ヨウはさながら貴族意識の低いフローラといった所だろうか。
「たまには家に顔を出しても良いんじゃないの」
「帰れないわよ、今更」
決意は固い。
帰る家があるだけでも今の俺には羨ましく感じるが、例え目前に家があろうとも命を失えばそこで終わりだ。
「帰る気が無いなら尚更、奴隷でも何でも味方につけておいた方が良いんじゃないか。後悔してからじゃ遅いんだから」
「だとしても、人が人を虐げる道理はないわ」
「難儀な奴だな」
この世界に来る前であれば俺も彼女の意見に同調しただろうが、この世界において利用出来るものを利用しないのは善行ではない、愚鈍だ。
理想で勝利を掴めるのならばエティアが声を失う不幸は起きなかっただろう。
勇者だろうが、英雄だろうが、現実に生きるしかない。
「俺だって奴隷を引ん剥いて見世物にしてる輩は道義的に問題があると思うよ」
「理性的な見解ね」
「奴隷に衣食住を提供するのが主人の仕事だからな。裸で出歩かせるって事は衣類も買い与えられない無能だと自己紹介しているようなもんだ。そんな馬鹿は奴隷使いの風上に置けない」
「あ、そっち?」
「第一奴隷が肌を晒して良いのはご主人様の前だけだろ、常識的に考えて」
「馬鹿ね、貴方」
「よく言われる」
互いに乾いた笑いを漏らして、彼女は神妙にする。
「どうしてこう……ズレるのかしら」
「うん?」
「お互い高みに昇ろうとしている。でも相容れない」
ひとつ思案気にして言葉を続けた。
「ライはまだ強くなるつもりよね」
「当然だ。必ず最強の冒険者になる」
「なら私達、根本は同じはずなのにね」
手にしたパンを口に放り込み、噛み締める。
確かに俺とヨウは似た者同士なのかもしれない。
その日暮らしの魔石拾いが大多数を占める冒険者稼業において目的意識を持ち、同時期に冒険者として活動し始めた。
だが俺が欲しいのは仲間という名の裏切れない関係性で、ヨウが欲しいのは肩を並べる事の出来る対等な仲間だ。
似ていても、その本質には大きな差がある。
三日振りの宿の食事を終えると、答えをまとめて返答する。
「俺もヨウも惰性で冒険者をやってる訳じゃない、譲れない目的がある。だからこうして交わる事があっても同じ道を歩めないんだろう」
同じ考えに決着していた様で彼女は深く頷いた。
しかしその紅蓮の瞳はくすまない。
この世界において重要なのは能力値とスキルだ。
すべてを撃ち滅ぼす圧倒的な力さえ手に入れれば自ずと道は拓かれるだろう。
何よりヨウは、俺と違い多数のスキルを自力で習得出来るだけの才能がある。
このまま死なずに成長を続ければ冒険者として名を馳せる事も夢ではない。
食事も会話もひと段落して、ヨウが此処に居る理由に疑問が浮かんだ。
風の迷宮では見掛けなかったから、もしかすれば水の迷宮街に行っていたのだろうか。
良い情報源になるかもしれない。
「それにしても、こんな所で会うとは思わなかった。水の迷宮に潜っていたのか?」
「数日前までね」
「攻略完了という事かな」
「解ってて言ってるでしょう。相性が悪かったの」
「せっかく火魔法が使えるんだ、弱点を突ける風の迷宮から行くべきだったな」
「仰る通りで。ただ力を付ける為には逃げてばかりも居られないからね。力が物を言う地域だし仲間の一人も見つかると思ったんだけど、あそこの冒険者は思った以上に我が強くてね」
彼女らしい無謀な発想だ。
努力で結果を掴み取るという考え方は悪くないが、そこに至るまでの組み立てが論理的じゃない。
だとしても、猪突猛進な彼女が簡単に迷宮攻略を諦め退くとは思えないが。
「キナ臭い情勢だったのもあるわ」
その言葉に反応して隣のテーブルのグレイディアに目をやると頷いて返されて、その隣のプライムもまた同様にして見せる。
聞き込めというお達しだ。
銀貨を数枚テーブルに積んでやる。
「詳しく」
「別にお金を取るつもりは……」
「俺は情報を金で買う。情報の責任はヨウが持つ。そういう取引だ」
「……しばらく見ない間に随分黒くなったわね、貴方」
ちくりと突かれつつも正確性には自信があるのか、銀貨を懐に納めて話を続けた。
「国王が崩御されたらしいのよ」
「それは大変だな」
「でも唐突過ぎるのよね」
死というのは突然なものだと思うが、どういう事だろう。
首を振るグレイディア、冒険者ギルドに関しては伝わっていたとしても知らぬ存ぜぬだろう。
プライムとエニュオに目をやると、こちらも首を振って返される。
どうやらミクトラン王国側にも伝わっていない新鮮な情報らしい。
「病死か寿命か、突然の死なんていくらでも考えられるが」
「グランディーヴァの名を冠する獣王がそんな情けない死は許されない。基本的に戦死が誉れとされているから」
「また穏やかじゃないな。天寿を全うするのが不名誉って事か」
「戦士としての寿命が近付くと決闘して次代の王を決めるくらいだから。それは獣人にしか解らない事なのでしょうけれど、まさに力を誇る王ならではね」
戦争や迷宮での死がモットーという事だろう。
魔族が現れた形跡もないし、直近では人類同士の戦争の噂も聞いていない。
「それでも当代の獣王は聡明で文武両道な勇士だと聞いていたから衝撃が大きいと思ってね」
確かにキナ臭い。
武力だけでなく知力もあるならば馬鹿な死に方はしないだろう。
水の街で何かしらの策謀が渦巻いており獣王グランディーヴァがそれに嵌められ消されたのだとしたらヨウの嗅覚は確かなものだ。
次代の王を選定せずに崩御されたとなれば代替わりのショックは大きい。
しばらくごたごたがありそうだが、俺達の巡礼中に沈静してくれていればありがたい。
テーブルの食器類も片付けられて、いよいよ解散といった雰囲気の所でヨウが珍しく躊躇いがちな口調で引き止めて来る。
「ねえ、私これでも強く成ったのよ。一本お願い出来ない?」
「冒険者同士の私闘はご法度だぞ」
「ただの訓練よ。それに私が冒険者として活動を始めて最初に組んだのが貴方達。一番自分の成長を実感出来ると思うから」
グレイディアに目をやると肩を竦めて返される。
お目こぼししてくれるだろう。
「腹ごなしに一本だけな」
グレイディアの舞踏の剣を真似てゴリ押しの剣に辿り着いてしまった俺だ、ヨウの技を盗めるのは良い機会かもしれない。
小休止を挟んで外に出ると、国境から少し離れて準備を整える。
一息ついた所で一本勝負の条件を提案される。
「武器は装備している物すべて。勝負は寸止め、出来る?」
「任せろ、これでも経験豊富なんだ」
左右の鞘から剣を抜き放つとすぐに反応が見れる。
「二刀流……!」
「どうした、腰が引けてるぜ」
「言うじゃない! どこまで本物なのか見物ね」
にっと獅子の如き笑みを浮かべると、闘志の籠った紅蓮の瞳が突き刺さる。
左側面をこちらに向けて対面積を減らすと同時、腰を落とし両手にて構えられた斧槍の穂先がぴたりと俺の正中面に合わせられる。
彼女の獲物であるバルディッシュは剣状の穂先を持つ槍の両側に斧が取り付けられた攻撃的なポールウェポン。
斬撃、突撃、打撃を高度に兼ね備え、更にディフェンダーと同様の武器防御の効果まで付与されておりダメージ軽減効果まで持つ隙の無い一本。
しかしそれは剣術、槍術、斧術、格闘術と武術系スキルを多数保有する彼女だからこそ十全に扱える属性を詰め込み過ぎた重武装だ。
刺突攻撃はあの土の迷宮での戦いでも狭い通路で存分に威力を発揮し、この広場であれば長大なリーチでもって剣に対して優位に立てる。
彼女自身の武術適性も相まってまさに攻防一体に仕上がっていると言える。
剣を鈍器の様に振るう事でしか扱えない俺には大きく不利にある一戦だが、武術に精通している事が仇となったかどうやら二刀流に対して強い警戒心を抱いている。
両手に剣を持てば二倍の攻撃回数で絶対に強いという短絡的な発想は俺だけのものではない様で、恐らくヨウもまた二刀流に挑戦した事があるのだろう。
まともな人族では扱えない剛剣。
それに対する憧憬が、彼女の斧槍を鈍らせる。
あえて広くスタンスを取り剣を左右に広げて威嚇する。
もろ出しの正中線を突けないのは未知の剛剣への畏怖。
いよいよ攻撃に移ろうかという限界点までにじり寄り、一歩。
大きく踏み込んで反射的に横薙ぎに来た斧槍を左のディフェンダーで受け、右のロングソードと合わせて斧刃に食い合わせる。
穂先を引き込んでやれば前傾に体勢を崩し、硬質な斧槍の柄に刃を走らせ太刀打ち、武器防御に反発の火花を散らしながら一本奪おうと力を籠めると途端、すっと感触が浅くなる。
何事かとたたらを踏み視野を広げれば、深紅の髪が舞って何時の間にか彼女の右側面がこちらに向けられている。
異常に気付きぐんと視界が引き付けられるような錯覚を起こし、瞬間に距離を取られていた。
凄まじい反射神経、刃が柄を走り始めたと同時にバルディッシュを手放していたようで、更に軸をずらさず大きく後退しながら次の獲物に手を掛けていた。
左の腰に伸びる右手から高速の抜剣。
咄嗟に振るった左のディフェンダー――迎撃は甘く、余裕をもって回避されると同時にその上から勢いよく打ち付けられる。
ぐらりと肩を引かれるように剣先が地面に向かって行き、彼女に倣い衝突する前に手放して勢いを逃がす。
右のロングソードも手放してすぐさま背中、塵合金の剣レジストプレートへと両手を伸ばし――背から抜剣と共に振り下ろし、振り上げられた剣と真っ向から打ち合って、火花が散って切っ先が折れ飛んだ。
鈍い落下音――双方が手放した斧槍と鉄剣が地面を打つ。
止まった空気、交わる視線。
遅れてずしゃりと折れた切っ先が地面に突き立って静寂を裂いた。
「参りました」
潔いヨウの言葉と共に互いに息を吐き出して、張り詰めた気を一気に緩ませる。
塵合金は壊れない。
折れたのはヨウの量産型ロングソードで、空中に留めた漆黒の刃を引き戻し背に納剣すれば、彼女も斧槍を拾い上げその石突を地面に鳴らして額に汗を光らせた。
彼女が斧槍と剣に加え格闘武器まで携帯していたら負けていたかもしれない。
地に落ちた自分のロングソードを拾い上げて差し出す。
「これやるよ」
「良いの?」
「良い修練になった。それに剣一本折れたせいで死なれても寝覚めが悪いしな」
「それはどうも」
ロングソードの在庫は潤沢だ。
それに実際、良い戦闘経験になった。
武術適性の高さは本物で、頭を一定の高さに保って動くせいで距離感を喪失し、追撃を外された。
これはスキルどうこうの代物ではない、対人に特化し研鑽の積まれた本物の戦闘技術だ。
同じ技巧派でもグレイディアの捻りを加え最高速で動き続けるぶっ飛んだ挙動は俺には模倣し切れなかったが、ヨウの動作なら少しはモノに出来そうだ。
「しかし驚いたわ。見間違いじゃないみたいね。貴方あの時と比べて二回りくらい身体が大きくなってる」
「言ったろ。最強を目指してるんだ」
「ただ経験を積んだだけじゃないでしょう? 剣速も増して、太刀筋も読み難い。この短期間に一体どれほど過酷な……どんな荒行をこなしたの?」
いくら武術に造詣のあるヨウでも一見では力の核心には至れなかったようだ。
太刀筋が読み難いのは後付けの剛腕を力任せに制御している為なのだが、それは格好悪いので言わない。
「土の迷宮でも風の迷宮でも守護者を倒して力を付けた。俺もただ奴隷を戦わせてた訳じゃないんだ」
「守護者か……まだまだ学ぶ事は多そうね」
「独りでやれる相手じゃないぜ」
「でしょうね……でも、やれる所まではやってみたい。私は強くならないといけないから」
「くれぐれも気を付けろよ」
「お互いね」
互いに頷くと、彼女は赤い髪をなびかせて去って行った。
冒険者の知り合いと、その再会と――。
出会いは最悪だし仲間になる事もないだろうが、経験を積んで来た今の俺には彼女の強さの一端が感じ取れた。
振り返ればいい見世物になっていたようで感心した風なプライムが問い掛けて来る。
「やるじゃん! 私にもその剣教えて!」
「さすがにそれは無理ですね」
「なんでー!?」
「我が流派は筋骨隆々な戦士にしか扱えない撃滅の剣なので、立派なマッチョレディになられたら考えましょう」
あからさまにむくれてしまったのでロングソードを一本取り出して手渡す。
「良いの?」
「鍛錬は裏切りませんよ」
見えない鎧に余計な武器まで携帯して更に動きが緩慢になってしまうだろうが本人が満足そうなので良しとする。
本当にゴリラみたいな体型になったらどうしようと未来を予想してしまった俺を置いて、プライムはえへへと嬉しそうに両の腰に剣を備えた。
ひとしきり崩した表情を戻すと、打って変わって真面目に問い掛けて来る。
「あの赤い人、随分仲良かったみたいだけど、どちら様?」
「ただの同業者ですよ。さあ、今日はもう休みましょう」
解散といった感じに宿に向かって歩く一同の背中、ひとつ思いついてプライムに呼びかける。
「そういえばクレイって家名に覚えはありますか?」
「んー、わかんない。私は知り合いほとんどいないし、エニュオは?」
「私にも覚えはありません。突然何故だ、ライ」
「いや、気になっただけだよ」
ミクトラン王国の貴族ではないという事だ。
あるいは弱小過ぎて無名なのか、西側の諸国出身なのか。
悩みながら歩いていると、同様に考えたのかエニュオが付け足した。
「西方には小迷宮が複数在ると言ったな。それを中心として名も上がらない小国が存在するらしい」
小国の出身であれば姓も知られていないという事はある――のだろうか。
むしろ小さな国だと貴族級の者も少なく目立ちそうなものだが。
「把握し切れていないのか?」
「国といっても賊が侵略したり実態のない王家の末裔が現れたりするらしいからな。ミクトラン王国としても獣王国が間に在っては無用な手出しは出来ないし、むしろ獣王国が西方を統一してしまえば面倒はないのだが……」
どうやら獣王国というのは侵略行為に乗り気ではないらしい。
というより、個々人の我が強い為に国として動くという意識が生まれないのかもしれない。
実際、この世界の環境であれば大迷宮をひとつ支配しておけば安泰な訳で、水の迷宮をひとつ抱える状態が獣王国にとっては最適なのだろう。
対魔族で協力しているからこそ国家間の紛争が生じずこういった状勢になってしまっているのだとすれば、偏に国と言ってもその運営は王の手腕ひとつでは立ち行かない。
ミクトラン王国を見てみれば、王ボレアスや風の迷宮街領主アライブが目を光らせて、その裏では王子ゼーテスが教会関係者から情報を引き出し、クライムが悪党の排撃に影で動いていた。
組織とはワンマンでは限界があり、影響力が広がれば広がるほど優秀な手駒が必要になる。
逆に言えば狭い範囲の支配であれば強力なトップが居れば十分で、詰まる所獣王国というのはそういった所なのだろうと思う。
大きく異なるふたつの国、その狭間にあるのがこの国境。
これから待ち望む闘いに備えて各々英気を養い、早めの就寝となった。




