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第222話「ダークショルダー」

 魔導の街灯が薄らと射し込む此処は宿の二階。

 何時も通り一人部屋のベッドの上、ぐっと伸びをする。


「何か気怠いな……」


 目がチリっとして、朝の目覚めは鈍いものだった。

 不思議と気分の悪いものではないが、急速回復のスキルが効いていてここまで落ち込む事があるとは思わなかった。

 体調不良に対して万全という訳ではないらしい。


 ぼうっとしていると扉が開く音に引き戻されて、目をやれば脱衣所から現れたのはシャツを一枚羽織っただけの小柄な女。

 濡れて垂れた金の髪が目に入る――グレイディアだ。


 昨夜、食事を終えるとまるでスリープモードにでも入ったようにそのまま机に突っ伏して眠ってしまい、ベッドに運び寝かせておいた。

 同室で眠ったのは最悪の事態を想定しての事だ。

 吸血衝動に彷徨い殺人事件など起きても困るし、その点俺の首筋をしゃぶっていれば大丈夫だろうという場当たり的な考えだった。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 紅い瞳と視線を交わして、それは腰の辺りまで下げられて、目を逸らされた。

 一瞬股間の謎空間が全開だったかと手をやったが、パンツどころかズボンもしっかりと履いている。

 謎の疲労からか股間の勇者様も萎え気味で溜まっていた性欲はどこへやら、今の俺は紳士的で、さながら賢者の様な心持ちである。


 そんな俺とは対照的にグレイディアは血色が良い。

 塗れた髪を煌めかせながら窓辺に腰掛け、カーテンから射し入る魔導の街灯を浴びて仄かに赤みの差す頬は可憐で、まるで初めて会った頃を思い出す少女も思わせる雰囲気。

 俺自身の気怠さ以外に特別問題は無さそうだ。


 しかし男女が一部屋で、心地の良い気怠さと――萎えた相棒と――血色の良い女。


「あの、もし……」

「捨て置け」


 まさかこの俺が夜襲を許したというのか。

 ズボンの上からもぞもぞとポジションを直してベッドから起き上がる。

 これまでも何度となく決め付けで失敗して来たのだから、事実確認が先だ。


「その……何です。本日の体調はいかがでしょうか」

「悪くない」

「そうすか……」


 ひとまず血を吸われた形跡はない。

 首元を擦ってみても血管がぶち抜かれた様な感触には当たらない。

 そうして自身の確認を進めているとグレイディアはその小さな口元に指先を触れされて呟いた。


「でも苦いのは苦手だな」

「いや……その……善処します」


 何をというか、ナニをというか。

 グレイディアは酒も嫌いだし、外見通りの子供舌だ。

 俺を起こさず勝手にモーニンググローリーを咲かせたらしい愚息は倦怠感のみを置き去りにして、残念ながら記憶には結び付いていない。


「オルガとシュウが言っていた」

「へ?」

「吸血に関してのお前の考察だ」

「あぁ……」


 塔の街までの道程で生じた一連の衝動談義。

 それをタヌキ寝入りで聞いていた二人が変態的に解釈した答えがこれだ。

 あの時の俺は性欲の高まりもあり口走ってしまったのだが、もしや俺の寝込みを襲う為にグレイディアまでタヌキ寝入りしたというのだろうか。


 いや、グレイディア自身が性的な興奮を持たないと名言していたはずだ。


 ならば吸血衝動がそうさせたのか、種族も発想も違うのだから、やはり勝手に想像せず本人に聞くのが一番だ。

 今の俺は賢者の様なものだし頭もクリアに冴えている。

 愚息は経験に学び、賢者は歴史に学ぶのだ。


 考えを纏めているうちにグレイディアは口元に当てた指をそのままに目を細め、穏やかに脅し文句を口にする。


「口外するなよ?」

「口外はしませんけど口内にはしたみたいですね」

「は?」


 うわ恐い。

 血色の瞳からの視線が容赦なく突き刺さり、まるでドラゴンに睨まれた様な畏怖に股間の勇者が縮み上がった。

 目を合わせると殺されそうなので、視線を逸らし、話も逸らす事にする。


「朝飯……食べましょうか」

「今日はいい」

「ですがまた体調が崩れないとも限りませんし、補給出来る時にした方が良いのでは?」

「もう大丈夫だ。私はギルドに風の街での事の顛末を報告し、今後の継続した同行許可を貰いに行く。ギルドで落ち合おう」


 何やら確信があるらしく、やはり見た目通り体調は万全に回復している様だ。


 一夜の敗北を喫した事は認めざるを得ない。

 これが暗殺者なら俺は死んでいた。

 だが勝利を手にするまで萎びても勃ちあがるのが冒険者魂だ。


 俺は奴隷の主人としてだけでなく、パーティリーダーとしても最強でなくてはならないのだ。


「次は負けませんよ」

「うるさい」


 髪を乾かし終えて退室するグレイディアの背と股間の未来に勝利を誓って巡礼の旅の二日目が始まった。




 朝食を摂り小休止を挟み、冒険者ギルドへと寄る。

 どうした事だろう。依然荒くれ共からの目はあるが、あの嫌な視線はもうない。

 何時か応対してくれた受付嬢に魔石の換金を依頼しつつ小声で問う。


「何か雰囲気変わりましたね」

「張り合いがなくなったというか何というか。グレイディアさんが居た事で張り詰めていた緊張の糸が解けたのか、誰も彼も軟弱になってしまいましたね」


 冒険者ギルド側はグレイディア不在により荒れる事を危惧していたが、その逆の結果になってしまった様だ。

 確かに俺含めグレイディアに睨まれ発破をかけられる事が冒険者――特に魔石拾い――稼業においての一種のスパイスになっていたのかもしれない。

 冒険者は上を目指さなければ雑魚モンスターを倒して魔石を拾うだけで成り立つ生活基盤を支える仕事だ。


 しかしマンネリ化が避けられないのは事実だろう。


 そんな生活で稀に他所からやって来る調子に乗った輩がグレイディアに目を付けられてひと悶着起こしたり、そういった些細な日常の変化が彼等の楽しみだったのかもしれない。

 これはこれで過ごし易いのであえて再燃させてやるつもりもないが。

 当然のように同行の継続を取り付けて来たグレイディアと合流して、穏やかな心持ちで冒険者ギルドを出る。




 ぞろぞろと八人の集団で何時か来た住宅街へと向かう。

 昨日教会で神官に会った事で思い出した、パーティ編成業の先生たる野良神官エティアへの挨拶だ。

 その後の経過も知っておきたいし、彼女が受けた痛み――魔族の現実をプライムに知らしめておけば下手な真似には及ばないだろうという算段だ。


 プライムは魔族を倒してみたいそうだが、それは驕りだ。

 異質な能力を持つ俺が介入しても死闘となる相手なのだから。

 住宅街を通り二階建ての一軒家を前にした所でプライムはそわそわとし始める。


「あれ、もしかして持ち家だったりは……しないよね?」

「俺は王国民ではありませんからね。以前世話になった知り合いの家です。街に寄ったついでに挨拶でもと思いまして」

「律儀だね、現地妻かな?」

「やめてね」


 馬鹿な話をしながら玄関に備え付けられた銀の星型のノッカーを鳴らすとよく通る返事と共に扉が開かれ、青い髪の少女の様な女性が現れる。

 神官エティアの義母フィリアだ。

 ブラウスとスカートの着飾らない姿だが何処か可憐に感じるのはその明るい表情がもたらす雰囲気だろう。

 しかし当の彼女は俺の姿に思い当たらない様で言葉を詰まらせた。


「え……っと……」

「お久しぶりです。冒険者のライです」

「ライさん……ですか? すみません、何か随分と雰囲気が変わった様子で」

「色々ありましたから」


 笑って誤魔化すが剛腕で上半身は屈強になり、神官を殺害し、邪道を練り歩き――左肩には漆黒の憲章に、三振りもの帯剣。

 背後には六人もの仲間と貴族のご令嬢まで連れ立って、これでは別人と思われても仕方ない。


 対してフィリアは以前のやつれた顔付きではなくなり、小柄な体格のせいか妙に若々しい雰囲気。

 この感じならエティアも大丈夫だろう。


「エティアちゃんに会いに来たのですが大丈夫でしょうか」

「ええ、きっと喜びます」


 家に上がらせて貰い、フィリアが茶を出し終えた所でエティアの部屋――二階へと向かう。


「じゃあプライム様と……グレイディアさんも」


 俺の容姿の変貌は恐がられる可能性が高いので、以前連れ立ったグレイディアにも同行して貰うことにする。

 階段を登り二階の一室、ノックをして先にフィリアが入室する。

 しばらく待ちフィリアと入れ替わりに入室すると、ベッドに腰を落ち着けた青い髪の少女――神官エティアとの面会となった。




「元気そうだね、エティアちゃん」


 無言で頷く少女はその家柄を知らなければフィリアの実の娘に見えるだろう。

 その首元には赤いスカーフが巻かれ、教会での死闘を思い出す。

 未だ首を貫いた凶刃の後遺症は治らないらしい。


 いや、あの致命傷は治るものでは――しかし血色は良く、表情も明るい。

 後を追い遠慮なく入って来たプライムの肩を抱いて引き込み、驚き抵抗する彼女を無視してエティアに紹介する。


「こちらは風の迷宮街が領主ヘカトルのご息女プライム様」

「ちょ、ちょっと、何?」

「そしてこちらは俺の恩師、エティアちゃんです。かつて魔族に家族を奪われ、先の戦いでは自身も声を失いました」


 プライムは抵抗を止めて静かにエティアを見詰め、その口が何も語らない事を悟り、答える。


「大変なご苦労をなされましたね。魔族の街中での出現報告は私も聞き及んでいます。教会は我が国に在って手の出せぬ聖域。防衛の脆弱性を突かれた形になりました」


 真面目腐ったプライムの台詞にエティアはゆっくりと首を振る。

 魔族出現に関してはクライムにでも聞いていたのだろうが、あの戦闘は予期せぬ事態で国が総力を挙げて準備した所で対処出来るものではなかっただろう。

 何よりそれはエティアが身をもって経験している事だから。


 しばしの沈黙を経てプライムは呟く。


「ライ君は私に剣の手解きをしながら……戦って欲しくないの?」

「出来れば誰も戦わずに済むのが一番です。でももし、どうしても戦わなければならない時は、是非生き残る道を選択して頂きたい」

「それは私がヘカトルの娘だから?」

「いいえ、プライム様だからです」

「……わかった。気を付ける」


 どうやら納得してくれたらしい。

 しゅんとしたプライムを置いて、エティアにこれまでの話を聞かせる事にする。


「あの闘いの後も冒険を重ねて、俺達は風の迷宮を攻略したんだ。まぁ色々とヤバイ事もあったんだけど、ヘカトル家からこの肩章を頂いたんだ。俺みたいのが貴族と知り合いになったんだぜ?」


 肩の漆黒の憲章を見せびらかしてやると、嬉し気に微笑むエティアに心も震える。

 俺の命を繋ぎ留めた隙間産業の開祖たる少女が、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。

 そう思うと、せめて冒険話くらいは聞かせてやりたいと思えた。


 風の迷宮に在った異質な黒い森の階層や、そこで魔石を喰わせて羽化したニンフの話など、彼女が経験した事のなさそうな出来事を思い出すままに話していった。

 そうしてひとしきり語り聞かせて話題も尽き始めた頃、プライムがエティアに手を伸ばす。


「ちょっと失礼」


 ぐっと首元のスカーフを握り締めて、突然の行動にエティアは力無く抵抗した。


「プライム様! 病床の子ですよ!」


 制止の声も無視して解かれたスカーフの下、喉仏に代わり隆起した赤い血潮の結晶体が露わになる。

 それをまじまじと見ながらプライムはひとつ頷いて、取り上げたスカーフを緩く巻き直す。


「あのね、ライ君。大切な人なのはよーくわかったけど、ちょっとは冷静になったら?」

「冷静ですよ、俺は。エティアちゃんの傷を治すには時間が必要なんだ」

「過保護だって言ってんの! 私には容赦ない癖に、ほんと極端なんだから」


 プライムの言葉に圧されていると、背後からとんと背を叩かれた。

 振り返ればこれまで黙していたグレイディアが頷いて見せる。

 一体何だと言うのか。

 困惑する俺に対し、今度は妙に優し気な声色となったプライムが諭すように言葉を続ける。


「ライ君の目的の為にも何時までも此処には居られないんでしょ? ほら、早くエティアちゃんとパーティを組ませてよ」


 言われるがままにエティアにパーティ申請を投げると、すぐに動きが視える。

 変化はスキル的に起きた。

 プライムからスキルが消え、それがエティアのスキル欄に表示される。

 急速回復が譲渡されたらしかった。


「プライム様……よろしいんですか?」

「時間が経ってこれだから気休めにしかならないだろうけど、無いよりはマシでしょう? 情けないけど私には人を救える程の武力も権力も無い。貴族ったって如何に切り捨てる数を減らすかを考える死神みたいな仕事だよ。個人で出来るのは見聞を広めて、少しでも良い未来への指針を示す事だけ。だけどさ、今くらい良いじゃん、格好付けたって」


 スカーフの隙間から覗く結晶に変化は見られない。

 けれどもそれは確かに、意味のある譲渡だったのだろうと思う。

 巡礼の旅が終われば彼女は今度こそ社交の場から逃れる事は出来ないのだから。


「ありがとうございます。しかしスキルの習得速度は当初よりとても減退しています。再習得出来るかどうか……」

「もう一回程度なら何とかなるでしょ」


 それはまた徹夜の模擬戦を敢行する意志だった。


「私はヴァリーちゃんに生きる勇気を貰った」


 プライムは右手で俺の手を握った。

 左はエティアの手を握り、まるで自身をバイパスとして見せる。

 そうしてにっと小悪魔めいた笑みで続ける。


「そのヴァリーちゃんはライ君の奴隷だから、ライ君の望む形で還元しているだけ」

「ヴァリーだけ丸損じゃないですか」

「それは主人である貴方が補填しなさい」

「……了解」


 男の手ひとつ包み切れない小さな手だが、この時だけは大きく感じられた。

 俺には高貴なる者の責務は理解出来ないが、恩を返せという命令だけはわかった。

 何が何だかといった感じで視線を泳がせるエティアに経緯を話す。


「プライム様からひとつスキルを譲渡して頂いたんだ。治癒能力を高めるもので即効性はないけど、お守りにはなるだろう」


 解説を受けてエティアは視線をプライムに移す。

 青い瞳が交わって、二人は頷いて無言の会話とした。

 言葉が無くても伝わる想いはある。


 俺という存在は彼女らの純粋な対話には邪魔なのかもしれない。


「じゃあ俺は下で待ってますから」


 少しだけ胸が痛くて部屋を出た。

 あの教会での戦いで俺が真に勇者であったなら、こんな思いはさせずに済んだのだろう。

 戦闘能力の低さと、自刃を許す遅鈍さと――。


 あの時の俺には何もかもが足りなかった。


 でもそれは後から付随した問題に過ぎない。

 一番に問題なのは、この世界に召喚されながらどうして力が無いのか。

 あの時に限れば、一振りの伝説の剣よりも、たった一人の少女を救える超人の力が欲しかった。




 大きく深呼吸して何時もの調子を取り戻してから、階下に降りる。


 机には複数のコップが並び、それぞれ椅子に座り温かい茶を飲んでいた。

 そんな中の一人、床に届かない脚を揺らすヴァリスタの頭を思い切り撫で回す。

 ここ最近は大人扱いして避けていたスキンシップに一瞬驚いて、しかしすぐにされるがままになった。


「強くなろうぜ」

「うん?」

「誰にも負けないくらい強くなろう。そうしたら何も怖くない」

「うん!」


 簡単な話だ。やられる前に殺ってしまえばいい。


 中途半端な力では、また喪失を味わう羽目になるだろう。

 だからまだ強くならねばならない。

 数多のスキルから選別し力の極致に至る。


 例え勇者が立ち塞がったとしても圧倒出来るだけの、最強の力を。


 ひとしきり撫で回してから隣の椅子に腰掛けると、フィリアが熱い茶を注いでくれて、それを受け取る。

 立ち昇る湯気を見詰めながら、ふと彼女に疑問を投げ掛けてみる。


「そういえばエティアちゃんは元気な頃も教会では活動されていなかったみたいですよね」

「ええ、何時か魔族を絶滅させる事を夢見ていたみたいですから」

「なるほど……しかし対魔族と教会での活動に何か関係が?」

「教会は基本的に戦闘行為には干渉しません。それは戦時下においてもいざという時の逃げ場ともなりますので」


 まさにそれは“聖域”なのだろう。

 最も魔族が利くはずもないヒト同士にのみ通じるローカルルールで、それが証拠にあの日、あの時、主戦場になったのだから。

 それどころか魔族パラディソの保有していたスポイトマジックは信仰を吸収するスキルで、聖なる場を逆手に取られ利用された。


 役に立たなかった。


 僧侶も神官も、連中は神聖魔法を用いたパーティ編成で間接的に戦闘行為に加担している癖に、いざ血を見れば腰を抜かす。

 その祈りに組んだ手で魔石のひとつでも拾えば生活基盤の足しになるのに、そうはしない。

 何時でも教会に籠って祈っている。


「あの子は高い適性を持つ光魔法の使い手で神聖魔法も備えていましたから、教会からも何度か勧誘が来ていたんです」

「信者になれと?」

「いいえ、此の街の教会の一団からの勧誘です。神官を中心とした上位の……言ってしまえば神聖魔法持ちの互助会みたいなものです。治療や解呪、パーティの構築など冒険者に必要な要素はいくらでも付加価値を上乗せ出来ますからね」


 神官にまで至ってする事が同じ神官同士でパイプを作り収奪システムの構築とは何ともはや――。

 教会を訪れた冒険者は金を払いパーティを編成し、戦いを終えて傷付いた身体を教会で治療する。

 命懸けで手に入れた魔石も巡り巡って教会の魔導ランプに消費されているのだから笑える話だ。


「利権を一極集中させようという魂胆ですか。しかし教会の甘言によく屈しませんでしたね」

「あの子には元より闘うという選択肢しかなかったみたいですから」


 両親を魔族に殺されている過去を持つエティアだからこそ、教会に属さず冒険者ギルドの一角で野良のパーティ編成業を営んでいたのだろう。

 魔族征伐の最前線、捨て駒となる冒険者達のすぐ傍で、その機を伺っていた。

 何時か上がる逆襲の狼煙を――。




 会話が途切れた所で、壁に背を預けて聞いていたエニュオが溜め息を漏らす。


「酷い話だ。神の威光の分散を恐れて飼い殺そうとした訳か。あまつさえ我々の生活を支える冒険者までをも食い物にしようとは」

「これが現実だ。国だって魔族戦線では冒険者を捨て駒に特攻を掛けたんだから。それに冒険者ギルドだって俺達から魔石を買い叩き、纏めて販売する事で利益を上げているんだぜ? 社会ってのは収奪で出来ているのさ」

「何処も変わらないという事か……」


 エティアといえばその腹黒い組合を真っ向から拒絶した訳で、やはりパーティ編成業の先輩、さすがの胆力である。

 冒険者ギルドの一角を職場にしていたのはただ稼ぎ易い場所というだけではなく、その場に居る冒険者や職員達を無償の用心棒としていたのかもしれない。

 隙間産業界の麒麟児に素直に尊敬だ。


 神官共の苦虫を噛み潰したような表情を想像してほくそ笑むと、フィリアが話を戻す。


「あの子がそうする様に、私の両親も教会には属さず貴族様に仕えていました。血は争えないのかもしれませんね」


 年若いフィリアが此の塔の街に敷地と立派な二階建ての家を保有しているのはその両親から受け継いだ為だ。

 貴族に仕え、立派に職務を遂行し、この土地を頂いた。

 教会も傘下に入る事を“お願い”するだけで直接的には手を出さないみたいだし、国の強い庇護下にあるのは間違いない。


 しかしあれからしばらくパーティ編成業も休業している訳で、資金繰りはどうだろう。

 本来家計の事情を聞くべきではないだろうが、この後は国境を越えまたしばらく塔の街には戻れない。

 一時の恥を恐れて一生の後悔にしたくはない。


「あれからどうでしょう。金銭的には困っていませんか?」

「ええ、今の所は蓄えもありますし二人で暮らす分には問題ありません」


 今は問題なくとも、こうした繋がりが知れて教会の連中が俺の情報を求めたりすると彼女ら共々厄介事に巻き込まれるだろう。

 国の庇護下にある以上大それた事は出来ないとして、重要なのは彼女ら自身の意思で歩み寄るような隙を作らない事。

 利権に屈しないだけの力を持つ事。


 金は力だ。


 袖の下を通せば衛兵もトモダチとなり、奴隷商もひれ伏す。

 冒険者ギルドで換金したばかりの物が詰まった皮袋を取り出して机の上に置く。

 じゃらりとしたいやらしい音色に目を丸くするフィリアを置いてゴリ押しする。


「もしもの時の為に持っておいてください」

「ですが……」

「何も無ければそれでいい。それとも護身用はこちらの方がお好みですか?」


 左の剣鞘からロングソードを半抜きにして刃を見せると、フィリアは反論を飲み込んで皮袋を受け取った。


「俺は風の向くまま旅をしている無頼の冒険者、こういった事しか出来ません」

「十分過ぎるほどです……。以前もエティアを助けて頂き、どうしてそこまで……」


 教会の独占市場たるパーティ編成を生業とし隙間産業を開拓したエティアは、俺にとって偉大な先輩だ。

 あの頃、半狂乱だった俺が食うに困り教会の門を叩いていたら、また違う人生を歩んでいただろう。

 独立した冒険者として力を付けた今の俺があるのは彼女の存在が大きい。


 命あっての物種、金など生きていれば勝手に付随して来るものだ。

 既に冷めてしまった茶をちびりと含んで、ひとつ思い至る。


「代わりと言ってはなんですが、冷蔵装置を見せて貰えませんか?」

「何かお飲み物でも?」


 フィリア宅は二階建ての立派な一軒家だ。

 衛兵に護られた街と言えど、女一人の宿暮らしは不幸な結果を招く。

 街中に敷地を遺した彼女の両親もまた聡明だったのだろうと思う。




 席を立ちあがり彼女と共に台所へと向かう。

 キッチンの下の扉を開けば、ぶわりと溢れた冷気が頬を撫でる。

 久々のクーラーに若干興奮しつつ、備え付けられた魔導の冷蔵庫を分析する。


 収納自体はあまり大きくなく、いくつか飲み物と食材を入れておける程度の物だ。

 この程度なら追加購入も可能ではないだろうか。

 しゃがみ込んで隣の彼女に問い掛ける。


「これ、いくらぐらいします?」

「さあ……両親から継いだ物ですので。どうしてですか?」

「実はひとつ欲しいのですが、家を持たない俺が購入すれば怪しまれるでしょう?」


 漏れ出る冷気を浴びながら、彼女は申し訳無さそうに答えた。


「購入は厳しいと思います」

「それはどうして?」

「備え付けの物ですし、貴族様の屋敷であっても複数設置する物ではないですから」


 持ち家があっても厳しいか。

 俺の慣れ親しんだ設置型の冷蔵庫と違い、家や宿に合わせてひとつひとつオーダーメイドされているのだろう。

 そうなると、やはり自作するしかないか。

 振り返り茶を啜りながらこちらを眺めていたディアナに声を掛ける。


「どうだディアナ、作れそうか?」

「そうですねぇ……」


 勿体ぶりながら席を立つ極物尻尾はうずうずと揺れている。

 隣にやって来てしゃがみ込むと、早速解説が始まった。


「この冷蔵の設備は複合的に属性を作用させているんですよ。まず火の力ですが、これはご存知の通り街中に張り巡らされていまして、街灯に使われている物がそれですね」


 全くご存知ではなかったが、知っている風に聞いておく。

 魔力という名のガスが通っているとでも考えればいいか。

 火属性の発露原理としてはカンテラや焜炉みたいなものだと思っておく。


「保冷にはその力の一端も使用しているんです」

「冷やすのに火属性が必要ってのも不思議な話だな」

「設備の底辺で冷水を循環させて冷気の道を作るんですが、これがなかなか大変で凍結しないように導圧を調整しないといけないんです。複数の属性を併用する場合、何度も調整を重ねて作るものですから普通は個人でどうこうしようとは考えません」

「冷蔵庫なのに凍るとまずいのか?」

「まず壊れますね」


 冷気が強過ぎるという事だろうか。

 そもそも攻撃魔法を転用しているようなものだから、そういった微調整で威力を抑え込み日用に落とし込んでいるのかもしれない。

 魔導具が量産の“規格”に嵌められているのも理解出来る。


「あの、もしかして旦那様ってあまり魔導具に詳しくないんじゃ……」


 此処に来て適当に相槌を打つ事で培ってきた魔導の鍍金が剥がされそうになり、すぐに言い訳を挟む。


「何言ってんだ。俺の故郷では冷凍させて腐らず保存出来る食品に、人体を凍結して未来に運ぶ技術まで造られていたんだぞ。しかも俺はおやつ感覚で冷凍と解凍をこなしていた」

「俄然やる気は湧いて来ましたが、それは魔導具とは構造が異なるのでは?」

「確かに体系こそ異なるが、俺は故郷でも謎空間に似たあまねく情報を圧縮する能力も使用していた。俺が獲得した能力にも何かしらの繋がりが無きにしも非ず。そんな俺が魔導具に関して一任しているのはディアナの能力を信じているからに他ならない」

「じゃあもし人体凍結の魔導具が造れたら試用してくださいね」

「それは自分で実験してくれ」


 そんな失敗したら永眠しそうなSFの創造物を造られても困るのだが。

 そもそも俺ほどの現代人ともなれば偉大な先人の残した技術で冷凍なんて放り込むだけだし、解凍も指先ひとつで解決である。

 つまり俺はパソコンの大先生に過ぎないので、難しい事は魔導の大先生が考えれば良いのだ。


 しかし冷蔵設備が冷気に依り壊れてしまうという点については思い至る所がある。


 壊れるのが問題ならば、壊れない物質で形成してしまえばいい。

 不滅の塵合金を素材とすればどうだろう。

 背のレジストプレートの鍔を握って見せる。


「それよりだ、設備が凍結で壊れてしまうのならこいつの素材で覆えばどうだ?」

「着眼点は良いですが、それでは恐らく魔力が遮断されて逃げ場を失ってしまいますし、そもそもその……塵の合金ですか? それ自体魔導と相性が悪いんじゃないでしょうか」


 確かに熱伝導率ならぬ魔伝導率は最悪だ。

 魔導の焼却炉でも溶かし切れなかった塵屑の混合物質――要するに産業廃棄物。

 魔力を伝える役割には向かないし、やはり魔導具に関しては専門家に任せるしかないか。


「地道に構築するしかないって事だな」

「それが出来れば良いんですけど……」

「うん? 何か問題が?」

「これ、見えている面積はこんなに小さいですけど、裏手に大きな装置が取り付けられているんですよ」

「物がでかすぎるって事か。パーツ毎に分けて作る事は出来ないのか?」

「出来ますが、宿を転々とする冒険者の身空では持ち歩く事は――」


 通常規格では大規模な水冷システムが必要になるという事だが、その事を口にしながらちらとこちらに目を向けてはっとする。


「――出来ますねぇ!」

「よし。ディアナの当面の仕事は冷蔵庫の製造な。命に関わるのでくれぐれも励むように。フィリアさんもご協力ありがとうございました」

「え、ええ。何の役に立てたかはわかりませんが」


 謎空間にぶち込んでしまえば大型の装置でも持ち運べる。

 本来はそういった大型設備の製造や運搬が個人で出来ないからこそ魔導機関が存在するのだろうが、ディアナも良い具合に汚染されて来た。

 しかしさすがは魔導オタクといった所か、ひとしきり頷いた後ぼそりと呟く。


「という事は今後は迷宮には入らなくても……」

「戦闘に参加しないなら魔石はお預けだぞ」

「ですよねぇ……」


 異常なまでに魔導具愛が強いだけで、別段戦い自体に価値を見出していないのだから仕方ない。

 抜け道の確保に失敗し心底嫌そうな溜め息を漏らすディアナに鶴の一声を掛ける。


「褒美として今後は夕食時の飲酒を許可する」

「わかってらっしゃる!」


 鶴というか釣るというか。

 此処まで酒に溺れているのは龍人化した影響なのだろうか。

 酔い潰れる危惧も抱いたが、精神は軟弱な癖に酒に関しては異常なタフネスを誇るので嗜む程度に調整してやれば大丈夫だろう。




 ディアナには冷蔵庫の構築という目標を設定し、穏やかに一日が過ぎて行った。

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