第220話「血の楔」
急速回復を得て深く快眠に落ちて――翌朝。
暗く狭いテントの中、右の首筋にむにむにとした柔らかな感触を受けて目を覚ます。
右腕は組み押さえられているようで反射的に左腕をがばりと伸ばすと、金糸のような髪に指が埋まった。
テント内には俺を挟むようにしてオルガとシュウが眠っており、周囲には仲間の存在もあり警備は既に交代している。
だとするとこの小さな体格に金髪は――。
確認するより先に抱き着いた腕を外そうとしたが、目前の金髪の下には赤い瞳が薄らと開いて――これはグレイディアだ。
細い身体を太腕でがっちりホールドした形ではあるが、そのままタヌキ寝入りする事にした。
「む……むっ!?」
剛腕に緩く押さえ込まれる形で拘束の解けない彼女が必死に抜け出そうとして、胸元に顔が埋まって暴れている。
しばらくそうしていると諦めたようで動かなくなった。
「どういうつもりだ」
周囲に気付かれないように至近距離、目前から発せられた吐息に乗った囁き声が頬をくすぐる。
鋭敏スキルの前には誤魔化せないようで寝た振りはバレているらしい。
「何の怨みがあって……」
怨みはないが、こうして首筋を吸われるのも何度目か、毎度やられっ放しの俺ではない。
先日ヴァリスタに言われた通り俺は嘘吐きではあるが、股間の勇者様は正直者なのである。
日頃の感謝を込めて圧し潰さない程度に力を籠めると抵抗が激しくなる。
「お、おい! おかしな事をするな!」
「俺も理由なくちゅーちゅーされる訳にはいかないんですよね」
「何言ってんだよ! 離せって!」
軽く抱きすくめただけだが、次第に身の危険を感じ始めたのか暴れる彼女に何時もの余裕は見られない。
手元にはグレイディア得意の剣も無いし、剛腕はがっぷり四つに組み合えば最強だ。
疑似マッチョと化した俺の体格には、幼女の如きグレイディアの体格では敵わない。
しかし反応を見るに、首筋への接吻は無自覚の行為だったらしい。
これまでは彼女の名誉の為に黙っていたが、状況的に嫌な予感がする。
長旅の前に解消しておいた方が良いだろう。
「やはり気付いてないですか?」
「何なんだよ、一体!」
「俺の首を吸っていたでしょう」
「はぁ?」
困惑に脱力して再び身動きを止めた彼女を手離して、身体を起こして向き合う。
「俺的にはしゃぶって貰うのは大変結構なのですが、その様子では浮ついた意味合いではなさそうですね」
「当たり前だろ、いい加減にしろ!」
半ギレで咎められるも聞きたいのはこちらの方で、両隣のオルガとシュウの耳が真っ赤になっている所を見るに彼女らもまた寝た振りで様子を伺っていたらしい。
気付いていたのなら対応してほしいものだが、オルガは変態だしシュウはむっつりスケベなのでこのザマだ。
このまま定期的に寝込みを襲われると俺の貧弱な精神では耐えられないだろう。
「何が起きているんです? まさか魔性に当てられた訳でもないでしょう?」
俺が風の迷宮で受けた幻惑スキル魔性のように、状態異常に犯された訳でもないだろう。
事実ステータスにも異常はなく、意識もはっきりとしている。
それは睡眠中にのみ起きている。
無自覚という事は理性のない、本能に依るものだ。
違和感はグレイディア自身にもあった様で、しばし見合ってようやくと口にした。
「実は吸血を失ってより体調が優れない」
それは気付いていた。
風の街へ向かう道程でもグレイディアを見張りに立たせずに眠らせていたし、その際にも首筋を吸われている。
体調不良から立ち直ろうとして行われる吸血行為とは――。
いつも殺意満天の彼女の無防備な姿はさながら乳飲み子の様で可愛げがあったが、それは『こいつの血を吸ってやりたい』という中々に狂気のある本能からの指令だったのではないか。
とはいえその小さな口元に誇る牙のように鋭い犬歯は突き立てられていない為、出血もしていないし、実害と言えば感触と匂いとに当てられて股間の勇者がレベルアップしてしまった事くらいだが。
「何故すぐに言ってくれなかったんですか」
「スキル着脱の負の側面。それを知ればお前の意志が鈍ると思ってな」
「そんなお利口じゃないですよ、俺は」
「だと良いがな」
「ご期待には沿えると思いますよ」
彼女の眼に留まったのは俺という人間ではなく、俺の異常な能力だ。
それらが副次的な問題を孕んでいたとしても、能力の行使を止めれば本当の意味でただの冒険者になってしまう。
だからどれだけの業を積もうとも方針を変えるつもりはない。
俺は塔を登り、天蓋の上では間違いなく戦争が勃発する。
その道程では必要なスキルが目に入れば容赦なく手に入れるつもりであるし、穏やかに過ごすつもりは毛頭ない。
意志を確認して、グレイディアは話を進めた。
「元々私は食事を必要としていなかった。まともに食事を摂るようになったのもお前と旅をする様になってからの事なんだ」
「なるほど……吸血という糧を失って肉食で血を賄おうとしているのかもしれませんね」
辻褄は合う。
スキル吸血を取り外したのは当然俺なのだが、それは本来吸血鬼という生態を維持する為に必要な生命維持装置だったのかもしれない。
再三『血を吸うぞ』と脅して来たのもそれを発端とした衝動からなのだとしたら、からかってしまったのは悪い事をした。
「これまで私は人斬りをして来たが、それとは別に知らぬ間に吸い殺していたのだろうな」
「それは違いますよ」
「だが吸血というスキルひとつを失った途端にこれだぞ? 普段より血を奪っていたからこそのものだろう」
ヒトには腎臓という最強のろ過装置がある。
これが俺達の中で懸命に働き、過剰摂取した物質も適切な値にまで捌いてくれている訳だ。
同時に汗や尿という形で血流からの塵を排出する。
老廃物と呼ばれるものだ。
スキルの実態は知らないが、そう言っておけば安心するだろう。
「出血した相手からでなくとも、俺達ヒトの老廃物……つまり汗などから吸血していたのでしょう」
「そういうものか?」
「俺の故郷には血と汗の結晶って言葉があるくらいですからね」
グレイディアは人斬りは得意でも、解剖して研究していた訳ではない。
俺達ヒトが肉や野菜を糧とし食らうように、生命活動の一環としてヒトの血を喰らっていたに過ぎない。
そこに本質的な違いはないのだと思う。
「とすると、冒険者ギルドで働いていたのは効率的でしたね。汗まみれの荒くれ共が大量に居た訳ですから」
「何やら気分が悪くなって来た」
実際はそこから血液成分のみを選り分け吸血スキルが汲み上げていたのだろう。
仮に老廃物をそのまま吸い上げていたらグレイディアの小さな身体では消化仕切れずに塵が蓄積し、死んでしまうだろうから。
効能としては肉体強化の剛腕よりは現実的だ。
「俺の血で良ければ差し上げますが」
「いや……それは……」
「そんなに俺のが嫌なら他の奴でも構いませんが……」
「そうではない。むしろお前が良い」
中々股間にぐっと来る台詞を言うものである。
毎度俺の首筋に来るのは誰の血でも良いという訳ではないのだろう。
だとして、目前にある俺のこくまろ血液を求めながらも摂取しようとはしないのは何故か。
「まさか根こそぎ吸い尽くす事もないですよね?」
「……わからん」
「わからんて。さすがに死ぬつもりはないんですけど」
散々世話になっているし血の提供はやぶさかではないが、それも程度というものがある。
彼女もまた殺すつもりはないようで、眉をひそめて語る。
「経験が無いのだ。これまで口で吸った事が無い」
「……吸血鬼なのに?」
「スキル的に吸血していたんだから仕方ないだろう。生来持ってのものだ」
スキルに依る無意識の吸血――。
千年続いて来た習慣を変えるのは、それは苦労するだろう。
今得ている情報を分析するに、血流から直でなくとも血液成分の吸収は可能らしい。
でなければプライドの高いグレイディアが俺みたいな奴の肌を舐めたりはしないだろうから。
「見た感じ、俺の首筋を舐めて落ち着く事は出来ても、解消には至っていませんよね?」
「……そのようだな」
発汗成分だけでは足りていない。
もっと濃いものが必要らしい。
恐らくその牙で大動脈をぶち抜いて直接吸うのが本来の在り方なのだろうが、俺が死ぬ可能性がある。
最悪手首でも切るか――。
あるいはアレをナニして――。
しばし悩んでいると、目敏くグレイディアは追求して来る。
「何か知っているな? これでも割と焦っているんだ。自分を制御出来ないのは……恐ろしい」
「そうですね……でもグレイディアさんキレそうだしなぁ……」
「私はヒトの何十倍も生きている。例え邪道であってもお前が十年、二十年程度で培った倫理など、私にとっては何でもない事だ」
鋭敏な感覚は表情や態度からも機微を読み取って来る。
その感覚を補助する鋭敏スキルはシンプルに強力で便利だが、鈍重を見た今だからこそ下手に付与すべきではないと確信出来る。
仮に俺自身へと付与すれば全身性感帯になるのは想像に難くない、諸刃のスキルだ。
黙っていても何事かよからぬ事を考えているのはバレている。
このままでは貴重な戦力が潰れてしまいかねないし、可能性だけは伝えておく事にする。
大抵、俺が決定すると碌な事にならないので、判断はグレイディアに任せよう。
「グレイディアさんはこれまでも何度か俺の首筋に口を付けていますね」
「どうやらそうらしいな」
「無意識下で口を這わせるのは本能からの伝言だと思うんです」
「食事と同じで口から摂取する事に意味があるのだな」
「というより粘膜接触でしょうね」
「粘膜ねぇ……」
吸血スキルを失った代替として身体が直接的に血を求めている事だけは間違いない。
「ヒトの男女がまぐわう理由はご存知でしょう」
「子を生す為だろう。どうしてここでその話を?」
「その際に男の種と女の卵が接合されて互いの遺伝子……つまり能力と経験とが記された血が混じり合い、双方の特性を獲得した個体が形成される訳です」
「血の継承という訳だな」
右の拳を左の掌に叩き込んでがちりと噛み合わせて見せる。
グレイディアは口元に手を当てて頷いて、何となく理解したらしい。
こういった知識は他種族と抗争を繰り広げるこの世界より、同じ人間同士で解剖や人体実験を繰り返して来た俺達の方が上だろう。
「それで?」
「俺に言えるのはそれだけです」
「あのなぁ、私はそもそもとして子孫を残すという本能は持ち合わせていない」
グレイディアにその気がない事はわかった。
感性の差だ。
首筋への接吻は人間の俺には性的快感に繋がるが、彼女にとっては吸血衝動に過ぎないという事だ。
それでも可能性のひとつとして性交が思い浮かんだのは血液と体液とを類似させて考えたからだが、これもまた俺から見た安全策に過ぎない。
別に彼女となら吸血行為自体は構わないのだが、問題なのは死ぬリスクがある点だ。
採血等で血管に針を通された経験がある為か、牙で貫かれる忌避感自体はそこまで大きくない。
しかし腹上死ならぬ吸血死は何だか非常に格好悪いし、吸血という一方的な行為は屈服させられた感があるし、逆に征服してやりたいというオスの本能が働いているのかもしれない。
しばしの沈黙の後、グレイディアがぽつりと呟く。
「とはいえ此処まで来て下手は打てないのは確かだ。お前も仲間に失血死させられるというのも嫌だろう」
「心配してくれるんですか」
「当たり前だ。お前に死なれたら私はどうすればいい」
真剣に述べるグレイディアに胸が熱くなる。
「わかりました。どうしても我慢出来なくなったら言ってください」
「いや、だからそれでは……」
「幸い今は急速回復のスキルもありますし、何とか耐えて見せましょう」
「……わかった。迷惑を掛けるな」
「お互い様です」
グレイディアの真剣な眼差しに股間の勇者も沈静化し、冷静になって考えて見れば吸血衝動は街に居る間はなりを潜めていた事に気付く。
恐らく食事の問題もあるのだろう。
旅路に出た途端に強く表出するのは、食物からの血の摂取量が不足している為ではないだろうか。
旅路での献立はジャーキーのような干し肉や塩スープなど保存の効くものだけで構成しており新鮮な食べ物は無い。
それは何時か訪れる長丁場に向けて自分自身を慣らす意味もあった。
しかし、ことグレイディアに関してはそういった食事に依り血が不足し体調不良を招いており、これでは本末転倒だ。
体質や鉄分不足で貧血になる者が居るが、まさにあの状態なのかもしれない。
だとすれば吸血するなというのはあまりに酷だし、耐えようと思って堪えられるものではない。
いざ吸血させる場合だが、そう簡単に血が増産されないという人体の根本的な問題も考えなくてはならない。
いくら急速回復スキルがあるとはいえ、血液まで簡単に増やせる訳ではないだろう。
グレイディアを回復させる為に俺が潰れたりすれば、これまた本末転倒である。
吸血スキルを失ったグレイディアの活動限界は二日から三日。
血を多量に含む新鮮な肉を安全に保管するには冷蔵設備が必要になる。
改めて、食料保存用の魔導具の入手は必須事項と言えた。
やはり色々と問題が出て来た。
スキルの譲渡は生物の本質を歪めている。
ミクロな視点からすれば、鈍重スキル持ちのプライムを延命する為に公務を放棄する勢いで時間を割いていたクライムが、今では愛娘を社交界でお披露目し影響力を拡大させている。
俺と接触せずに時代が流れていればヘカトル家は次第に影響力を失い、潰える運命だったのかもしれない。
この瞬間にもスキルを原因とし死亡する者があるのだろうし、それは“そういうもの”として処理される。
この世界ではバッドスキル持ちは死んで当然の存在だ。
以前アライブが孫娘の容態を指して『神というのは、実に平等だ』と発した通り、貧民だろうが貴族だろうが持って生まれたスキルが人生を左右する。
有力貴族のご息女だろうが間引かれて然るべきという発想だ。
人類という種全体が根絶されずとも、そういった世界全体に循環する自然淘汰の流れを俺は変えてしまった。
バタフライエフェクトという発想があるが、スキルを取り外した未知の影響の余波として、未来に災厄をもたらす可能性もある訳だ。
そしてそれが今、まさに吸血不足という形で訪れている。
本来それを俺が予見し、好影響と悪影響を精査してスキルの着脱を行うべきなのだが、そうも言ってられないのがこの旅路だ。
そして例え不幸を招こうとも能力をフル活用し、俺が為に闘い、俺が為に振る舞えと、グレイディアはそう言いたかった訳だ。
それが千年停滞したこのクソみたいな世界を突き崩す一番の原動力になるのだから。
「俺はやりますよ」
お達しはしっかりと胸に刻んで、覚悟を言葉して伝える。
仲間達を起こして準備を整えると、元気なプライムが荷物をテントへと積み込み始めたので止めずに見守る。
聡い子で、恐らく荷物持ちの俺への負担を考えたのだろう。
積載に関する範囲や量を考慮し、あるいはテント自体を収納空間の領域として考えているのかもしれない。
この分だと魔法か何かだと想定している可能性があるが、仮定通り収納能力が重力魔法なのだとすればその考えは間違っていない。
その自主的な活動にエニュオも参加し始めて、満足するまで積み込ませた後にすべての荷物を謎空間にぶち込むと塔の街へと歩を進めた。




