第219話「急速回復の夜」
城下町から出て街道を西へ、まずは準備も兼ねて塔の街へと向かう。
巡礼の旅という名目上、諸々の手続きを踏み時刻は既に真夜中だ。
いくら陽光射さぬ天蓋の下でも体調を整える為に基本的に夜は活動しないのだが、今回すぐに城下町を出たのは同行を取り付ける為に襲撃して来たプライムよろしくフローラとまで遭遇する可能性を考えての事だ。
プライムの巡礼の旅はクライムが承認を取り付けて、王ボレアスはすぐに許可を出したらしくひとつの書簡を手に入れた。
王子ゼーテス・ミクトランと風の街が次期当主クライム・ヘカトルのサインの書かれたそれは巡礼手形とでも言えばいいだろうか。
書簡に記された有力貴族の名は強い効力を発揮し、同時にそれは責任の在り所ともなる。
仮に巡礼先で問題を起こせばゼーテスとクライムに請求が行く訳だ。
王ボレアスでなく王子ゼーテスが噛んで来たのは驚いたが、神殿騎士という立場もある為だろう。
それにもしかすれば初めから俺が神殿の迷宮に食いつくと踏んでいたのかもしれない。
俺やヘカトル家に恩を売ろうというのか、はたまた信仰心と気まぐれで手伝っただけなのかは知れないが、ゼーテス自身が着いて来るなどと言い出さなくて良かったと胸を撫で下ろす。
あのゴリマッチョ王子は神殿騎士にして教団と密に連携を取り合う公務に就きながら、神殿迷宮を私的に利用しグレーゾーンを渡って自身を強化するダーティーな男だ。
王子の真意は不明だが、王国としては純粋にこの巡礼は必要なものと理解しているはずだ。
自国の貴族、それも風の迷宮街を支配するヘカトルの力を固持する点においても重要な行事であるし、貴族の子女に同行させる事で俺という異常な存在の他国への流出を抑えられるという算段もあるだろう。
城下町を出て、先の見えない暗黒の街道をカンテラで照らしながらさくさくと歩いて行くプライムがふと振り返って、足並みを揃えつつ話し掛けて来る。
「ねー、ライ君って何時も荷物持ちしてるの?」
「大体そうですね」
武器、防具を除き共用の荷物は一手に引き受けて、剛腕で強化された上半身にはテントや保存食なども含まれた大荷物を背負って歩く。
荷物持ちが得意分野なのは奴隷の主人としてはアレだが適材適所だ。
全体に疲労が蓄積するより、剛腕で纏めて持ち歩いてしまった方が効率が良いのだから仕方ない。
「私も荷物持ちしたらムキムキになれるかな?」
「腰悪くするんで止めた方が良いですよ」
普段は謎空間にぶち込んでいる――とはまだ告白していない。
正直怠いのでとっとと収納してしまいたいのだが、まだ城下町を出たばかりだし、いざ謎空間を使用するにしてもプライムに口止めを施す必要もある。
とりあえず今は堅固な城壁から漏れる街灯の光が見えなくなるまで歩き、そこで野営を敷く。
箱入り娘のプライムに俺達の常識を教え込むのはそれからだ。
「いやーしかし味方してくれるとは思わなかったよー」
「神殿なんて我々だけでは入れませんからね」
「高貴なる力に敬服したまえよー」
あまりに上機嫌なプライムに注意喚起しておく。
「出来ればもう少しお淑やかにしてくれませんかね」
「なんでー? 実質冒険者なんだからいいじゃん」
「信じて巡礼に送り出した一人娘が荒くれ者になって帰って来たら問題でしょう」
小さな口を結んで「んー」と悩み答えを出す。
「獅子身中の虫作戦! そんなにお父さんが恐いならうちに婿入りすれば万事オッケーだよ。ライ君なら歓迎だぞー?」
「暴れ馬に乗る趣味はありませんので」
「じゃあ……お淑やかにしたらうちに来てくれる?」
「そういうお話ではございません」
しおらしく見せながらも表情は楽しげだった、
歩みは力強く前へ前へと進められ、自らの手足でもって野外を出歩ける喜びに溢れている。
別にこれまでヘカトル家に束縛されていた訳ではない。
むしろ男手ひとつでここまで育て上げたクライムには称賛の念しか湧かない。
クライムの愛情は深く、プライムもそれを理解している。
持ち得る知識を余すことなく与えられ、聡いプライムは賢く育った。
まるでクライムの生き写しのように――。
賢くなり過ぎてしまった。
分別が出来過ぎて、頭が回り過ぎて、遂には与えられただけの知識を疑い始めた。
その結果がこの巡礼の旅だ。
この世界の現実を自分の目で見て、肌で感じたいという事なのだと思う。
教育の成果として父親を越えて行こうとしているのだから、あるいは本望なのだろうか。
しばし他愛もない話をしながら歩き、周囲を見渡し光が見えなくなった事を確認すると、ようやくと野営の準備に入る。
踏み鳴らされた街道から少し外れ、背負っていた荷物を下ろし仲間達にテントの設営を頼む。
その隣に移動してプライムを手招きすると、もう一方のこれまで俺達が使って来たテントを取り出す事にする。
「いくつか特殊な能力がありまして」
「そりゃあスキルを弄ったり出来るんだから普通じゃないんだろうけど。でも何、今更?」
「あまり口外出来るものではないんですよ」
プライムは少し悩んで小声で口にする。
「スキルの譲渡よりヤバいやつ?」
「ある意味で。それこそ罪人に仕立て上げられてしまうかも」
「誰にも言うなって事だね? でもそんなに知られたくなければ使わなきゃいいんじゃない?」
「旅に掛かる時間にも直結する問題なので。あるいは見て見ぬ振りをして頂けるのであれば幸いですが」
「見て見ぬ振りは出来ないなー面白そうだし」
そう来るだろうとは思っていた。
闘争心と共に好奇心が強過ぎるのだ、このお嬢様は。
左肩――漆黒の肩章をとんと叩いて指し示す。
「ではこの肩章に誓ってください」
「どうして?」
「これは代々受け継がれて来たとされるヘカトル家の肩章です。だからクライムさんやアライブ様を含めた御先祖様すべてに」
「うーん、わかった! みんなに誓う!」
答えを得てすっと右腕を突き出して、小指を立てて見せる。
小首を傾げるプライムの手を取って、互いの小指を繋いで大袈裟に振る、振る。
頭に刻み込むように動作と合わせて大嘘を吹き込む。
「指切拳万、嘘ついたらスキル全部返す、指切った」
「何これ」
「私の故郷で古より伝わる呪詛刻印ですね。お互いの小指に魔力の糸が繋がったので、もし約束を違えれば発動し、鈍重と化した上に下半身が貧弱になりますよ」
「禁術の類かな? またスキル譲渡し直したら大丈夫そうじゃない?」
「賢いプライム様は大好きですよ。しかしその譲渡能力自体、私が与えたものです。果たして権限の所在は何処にあるのでしょうね」
「うっ……」
無論時間を巻き戻すなど出来る訳もないし、譲渡されたスキルの権限も俺にはないのだが。
それでも生来もっての鈍重スキルは、彼女にとっては隣人でも友人でもなく恐怖の象徴でしかない。
脅し過ぎた感はあるがこれで十分だろう。
「もしかしてライ君って魔族か何かなの?」
「あるいは魔王かもしれませんね」
「こわいなー」
エルフの精霊魔法に感知されていないのだから、それはないだろうと知った上での問答。
メニューシステムの中で一番社会的な規範から外れたものが収納能力だ。
これに限っては盗賊扱いされる危険性が高い。
脅しついでに隣でテント設営の地味な杭打ち作業をさせているエニュオにも釘を刺しておく。
「エニュオもだ。俺の能力は口外するなよ」
「要らぬ心配だな。今更寄る辺もない。地獄……もとい天国まで付き合うさ」
ちらとこちらに視線を流して適当に答える彼女だが、今では明確に目的意識があり下の世界に未練はないらしい。
手を前に出して謎空間から設営済みのテントを取り出す。
「うわっ!?」
杭打ちの鎚を取りこぼして大きく反応したのはエニュオ。
彼女はフローラと野外活動もしていたし、すぐに収納機能の危険性に思い至ったのだろう。
滅茶苦茶睨まれた。
「おーすげー」
対して反応が薄かったのはプライム。
出て来たテントの周囲をぽんぽんと叩いて歩き、ぐるりと一周すると入口から内部を隅々まで視認する。
一通り確認を終えると中に入って行き、頭だけ出して疑問を口にする。
「此処で寝ればいいの?」
「少し窮屈ですが初めての長旅が野ざらしで始まるよりはいいでしょう」
「そうだね。食料も持ち歩かないといけないだろうし、此処に積み込めばかなり遠出も出来そう」
驚くより先に有効な活用法を考えていたらしい。
テントから頭だけを出して聞いて来るので大変馬鹿っぽい体勢だが、冷静に安全確認していた所を見ても状況は理解しているらしい。
一を聞いて十を知るといった所だろうか、これならば大丈夫だろう。
「賢いお嬢様で良かったですよ……」
「え、何? その意味深な発言は……」
「実は初めてだらけのプライム様だからこそ頂きたいモノがあるのですが……」
テントに近付いて行くと、プライムはばさりと顔を引っ込めた。
設営中のテント前で調理していたシュウがそれに気付いて「あっ……」と漏らす。
他の仲間達は気にせずテント設営を続け、しかし横合いからエニュオに腕を掴まれ引き留められる。
「放せよ、今いいところなんだから。こういうのは勢いが大事なんだよ」
「さすがにまずいだろ」
「何が?」
「いや……」
もごもごと何事かを呟くエニュオの背に、呆れ顔のシュウが声を掛ける。
「あー、それは大丈夫ですよ」
「何が大丈夫なのだ」
「明日に疲れが残るだけですから」
「そういう問題ではないだろう!」
「いやーそういう問題なんですよね」
そうしてエニュオがシュウと議論にならない口論をしている隙に、テントへと押し入る。
布を厚く敷き詰め寝転がり易くしたテントの隅にはへたり込んだ金髪碧眼の少女がワンピースの裾を握り締めて、薄ら涙にこちらを見詰める。
「プライム様、今日から冒険者として私達の……いや、俺達の仲間になるんですよね?」
「これが冒険者の洗礼なの……」
「少なくともうちでは通過儀礼ですね」
「まだ心の準備が……」
覚悟が決まらずごくりと唾を飲み込むプライムに、考える猶予を与えずに言葉を投げる。
「だから急速回復のスキル、頂けませんか?」
「えー?」
まるで気でも抜けたように肩を落とした少女プライムと共にテントから這い出る。
エニュオの視線が痛い。
どれだけ睨まれようとも、憎まれようとも、手に入れるべきものは手に入れる。
それが才能のない俺が力を付け得る数少ない手段であり、生き残る為の不正道だ。
現在のプライムは強力な学習状態にあると考えられる。
これまで鈍重で萎縮していた脳の一部、痛覚や生存本能を司る領域が活性化され、身を守る為に異常な回復力を手にしたのかもしれなかった。
俺達ヒトには高度な精密さと“はったり”とを同居させた、動物として見ても機械として見ても欠陥の多いいかれたコンピューターが内蔵されている。
脳という名の幻覚や錯覚、喜怒哀楽に加えてありもしない愛憎すらも覚えてしまう厄介なこいつは胎児の段階より凄まじい勢いで成長を遂げる。
取捨選択を繰り返し、必要無いと感じれば優秀な補助機能すらも刈り取り、切り捨ててしまう。
これらがスキルにも当てはまるのだとすれば――。
「代わりに実戦仕込みの剣を教えますから」
シュウが何事かを察していたのは、以前風の街へ向かう道程でまさに彼女が経験していたからだ。
鉄は熱いうちに打て、スキルは柔らかいうちに譲渡しろ、そんな感じだ。
いざ迷宮に入ればプライムは凄まじい速度で成長し学習補正が切れてしまうだろう。
しかしてスキルの覚醒を促すには手加減の訓練では効果が薄く、衛兵が闊歩する街中で行えるものではない。
やるならば監視の目がない野営中、プライムが活性化している今しかない。
「じゃあまずはライ君にあげるね」
スキルが譲渡されて、僅かばかり疲労が取れた気がする。
プラシーボ効果ではない、そういうスキルなのだ。
あるいは脳の神経回路が組み換えられてそういう思い込みを実現化しているのかもしれないが、先程まで大荷物を抱えて疲労が蓄積していた肩が軽くなった。
「ありがとうございます。では始めましょうか」
「言っとくけど、私本気で冒険者目指してるから手抜きしないよ」
「ご随意に。一晩中お相手致しますので」
「スキルを譲渡し切る前にライ君が息切れしちゃうかもね」
軽口を受けつつベルトを外し、鞘に納めたままの剣を手にする。
マントは外し、背に帯びていた塵合金の剣レジストプレートは地面に転がして、身軽になって長い夜の戦闘準備をする。
右にはロングソード、左にはディフェンダーを携えにじり寄ると、プライムもロングソードを両手持ちに構えて牽制する。
二刀流はプライムにとっては初体験だが、そもそもとして彼女には実戦経験がまだない。
訓練や模擬戦という名の一方的な戦闘不能の連続で本能が死を直感していたのも無理はない。
だから自然とプライムの構えは攻撃を避けるように形成されて、攻撃に晒される体面積を減らす半身の構えに肘を上げて携えられた剣は切っ先がだらりと下りている。
これは足りない筋力をカバーする為に重心を下に逃がしているのかもしれないが、突きやカウンターに向いているだろう。
対する俺は持ち得る技量でもって捌くだけだ。
今はただスキルの習得と譲渡を繰り返す。
だんと踏み出して向かって来た一撃目は走力を乗せたままの突き抜ける中段。
さながら闘牛士の要領で左で切り払うと、がら空きの横っ腹に右を打ち込む。
押し出されるように息を吐きながら強大なダメージに一撃でノックアウトしたプライムは俯せに倒れ込み、テント設営の片手間にオルガが回復魔法を飛ばすと、それに呼応してエニュオも魔法を発動する。
回復魔法に当てられて身体が光り、それから少し痙攣すると、重々しく身体を動かして仰向けになる。
「いっ……てぇ……」
「本気で打ち込みましたからね」
気品も何もない言葉は、どうやら本気で痛かったらしい。
これまで受けて来た攻撃は同程度の体格のヴァリスタのものばかりだ。
痛みの質も違うという事だろう。
「ライ君はもっと私をお嬢様扱いしていいと思うよ……」
「プライム様にはもっとお嬢様らしくしてほしいのですが」
弱音を吐いて見せるが口元は笑っている。
ヴァリスタやグレイディアが見せるあの攻撃的な笑みだ。
脱力して立ち上がれもしないのに、剣だけは手放さない。
この戦意、ただの模倣ではない、本物だ。
スキル急速回復――。
想定では時間と共に急激に習得速度が減退し、本来は物心つく頃には習得不能になる闇のスキル。
このタイミングでしか得られない事だけは確信出来た。
だから一刻も早いスキルの再習得と譲渡を繰り返す必要があった。
静まり返った街道脇――数え切れないほど戦闘不能を繰り返したプライムからスキル急速回復を全員に振り分けるまで一晩掛かってしまった。
現在メンバーは俺含めて八名。
後半につれて習得速度が鈍化していた所を見るに、やはり慣れがスキルの習得を阻害するらしい。
元気に剣を振っていたプライムも今はテントに潜りぐっすりと眠りに落ちた。
エニュオは何故かプライムを守るようにその隣で寝ている。
俺を何だと思っているのか。
一仕事終えて魔導焜炉で煮沸した白湯を飲みながら、ぼうっと話し込んでいた。
魔導焜炉を挟んで向こうの相手はシュウ。
自分と同じスキル譲渡地獄を味わったプライムを気に掛けているようだった。
「結局皆に渡るまでスキルを習得し切りましたね」
「子供は元気が一番」
「あんまりやり過ぎるとぐれちゃいますよ」
生存率を引き上げる為、当然シュウにもスキル急速回復を付与しておいたので今更咎められないというのが本音だろう。
苦笑を漏らしながら西方、見えない塔へと目を向けて話題は移り変わる。
「ようやく道半ばって所ですかね」
「エニュオさんは上の世界に戻ったらどうなっちゃうんでしょうね。このまま行くと、きっとアーレスさんと戦う事になると思いますよ」
「それはやってみなければわかりません」
現在どうなっているのかは上がってみなければわからない。
だから危険な状況に対応出来るだけの力が欲しい。
急速回復で継戦能力も向上しただろうし、微小でも勝率は上がったと言える。
上の世界の話を聞いて、眠そうに欠伸をしながら周囲の警備を続けていたオルガが不満気に疑問を口にする。
「今更言うのもアレだけどさー、本当に元の世界に戻る必要あるの?」
「あるさ。今だってこうして俺がプライム様に関わった事で鈍重スキルを取り外し、本来あり得ない挙動が発生しているんだ。この世界としても俺みたいな存在が居て良い事はないと思う」
「でも結果的には助けたよね?」
「一面だけ見りゃあな」
プライムから鈍重を引き剥がした事で、それを継承したエルフのエレナが俺達の見えない所で鈍重に苦しんでいる。
助けたのではなく、押し付けたのだ。
それは決して解決したとは言い難い。
俺にはそういった事しか出来ない。
「本来持つべき者が失い、持たざる者が得る。それは救済なんかじゃない、異常な事なんだよ」
「それでも人に役立つ事に使えばいいのに」
「あまねくバッドスキルを取り外す闇のスキルショップでも開くか?」
冗談で言ってみると思った以上に食い付きが良く、シュウが身を乗り出す。
「良いじゃないですかそれ、貴族様にも厚意にして貰えますよ」
「聖人として教会に祀られるかもね」
そんな事になったら世界中からバッドスキル持ちが押しかけて来そうだ。
貴族になったら対魔族の兵器として子供を作る機械にされるし、聖人となったら軟禁状態で死ぬまでスキル解除師をやらされる。
どっちに転んでもこの世の終わりみたいな生活だ。
「じゃあ俺もひと眠りするから」
二人に警備を任せてヴァリスタ、グレイディア、ディアナの眠った窮屈なテントに入り込み、遠慮なく場を占有していたディアナの大きな尻尾を退かして出来た隙間に寝転がる。
仲間を増やし、スキルを手に入れ、レベルを上げる。
これまでもこれからも変わらない。
急速回復に身体の疲れが自然と癒えて、何時の間にか眠りについた。




