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第217話「重剣トラロック」

 場所は謁見の間、時刻は三度目の鐘が鳴った頃――夜。


「――明らかに異常な、意思を持たぬ奴隷が増え始めたのもその頃です」


 言葉は透き通るように冷えた空気を渡った。

 赤い絨毯の上に貫頭衣のまま晒され発言した女はエニュオ・トラロック。

 手首を拘束する手枷から伸びる鎖は隣に立つ俺の手にあり、衛兵はエニュオを見張らない。


 それは端的に“落ちた”事を表していた。


 彼女の言葉を耳に入れて、玉座に腰掛けた恰幅の良い王ボレアスが返答する。


「フォボス・トラロックが地下組織に加担した時期の断定に繋がる貴重な証言だ。大義である」

「エニュオ……ッ!」


 横合いに組み敷かれたフォボスは絞り出すように声を上げて、睨むようにエニュオを見上げた。

 対して見下ろす義娘エニュオの視線は、蒼穹を射抜く様に鋭かった。

 義娘に見捨てられた事に気付いたフォボスはギリッと歯を擦り鳴らし、その怨みの視線は手綱を握る俺へと向けられた。


「その手に彼女の剣は重過ぎたみたいだな」


 フォボスはどんと絨毯に額を打ち付けて俯いた。

 エニュオはもう不味い牧草で満足する女ではない。

 蒼穹の瞳は俺が吊るした天上の人参を見定めている。


 対するフォボスは電撃戦の折には貴族の御曹司に負かされ、王城では冒険者のクソガキに奪われ、さながら転落続きといった所だろうか。

 貴族社会に生まれながら横の繋がりを疎かにした結果がこれだ。

 巧遅は拙速に如かずというが、常日頃から準備を整えセーフティを敷いておかなければこうなるという悪い見本だろう。


 そもそもとしてエニュオが姫の騎士にまで成り上がったのはフォボスの鞭が効いたからではない。


 フローラの身辺に配備しても危害を及ばさないだろうと思わせる愚直な性質と、本人のたゆまぬ努力の賜物だ。

 握った鎖の先、隣の彼女に目をやれば既に“義父だったもの”への興味を失い王へと視線を戻していた。

 棄てる覚悟を抱いた女は恐ろしい。


「口を割らせない為に強力な隷属を掛けたのでしょう。屋敷の奴隷達はどれも感情を失っておりました」

「しかし貴様はそこまで認知しておきながら知らぬ存ぜぬで通して来た。その事実も相違ないな?」

「まさしく。反論の余地もありません」


 鎖を鳴らしてエニュオは膝を着き、首を垂れる。


「エニュオ・トラロックよ、この時を持って貴族の位を剥奪する。非情にも我が国の民草のみならず他国にまで及ぶ強制的な隷属行為、それを見過ごした咎は目に余る。依って貴様はこの国の民としての権利も剥奪し、親子共々然るべき罰を与える」

「承知致しました」

「そしてよくこの場で罪を告白した。大罪人フォボスに関する貴重な証言だ。これよりは冒険者ライの奴隷として一生を掛けて罪を償え」

「深き恩情、痛み入ります」




 茶番だった。

 本来首を撥ねられ晒される獄門地獄でも構わない案件を『懺悔出来て偉いね』と奴隷落ちで済ませたのだから。

 王国からすれば俺への報酬がこれで賄えるのだから、それはそうするだろう。


 一方、お達しを耳にしてフォボスは逆上である。


「あの暗殺の一門を継ぐ忌まわしきヘカトルが王国内で強権を振るっている事こそが国の癌に他なりません!」

「今は遠い過去の事だ」

「それだけではございません! 風の噂では悪魔憑きとも謂われる娘を隠匿し育てているとも聞きました。公に出来ぬ子供など何か後ろ暗い事があるに決まっております。先の塔の街での魔族出現を聞くに及び、ヘカトルが内通し風の街を内部から魔族の都へ作り替える腹積もりやもしれません。私は一刻も早く力を付け、風の街をヘカトルの魔の手から奪還しようと尽力したのです!」


 公の場において詭弁は重要だが、それはいけない一手だ。

 俺が思うと同時、横合いの貴族の壁を割って二名が躍り出た。

 金髪碧眼の優男クライムと、同じく麗しのご息女プライムである。


「まぁ、恐ろしい。お父様は魔族と内通していたのですか?」

「私の記憶には愛おしい我が娘プライムの姿しか見当たらないな」

「おかしいですね。わたくしにも思い至る所はございません。それにお母様は私を置いて死の神に連れて逝かれてしまいましたし、お爺様はいかがでしょう?」

「知らぬな」


 遠く諸侯の裏に立つアライブも答えて、それは断罪の場を利用したヘカトル家が箱入り娘プライムの劇場型お披露目会だった。

 プライムお嬢様はご機嫌斜めだと伺っていたが、どうだろう。

 俺の知る暴れ馬は潜められ、澄まし顔で清廉そうな態度を繕って見せている。


 場はどよめいて、極刑が確定していると言ってもいいフォボスへの興味は急速に失われ、プライムへの関心に僅かに囁き声も聞こえて来る。

 この辺りはさすがは貴族社会という事で、消え逝く者よりこれから隆盛するかもしれない箱入り娘に注目が集まったのだ。


 しかし暗殺の一門だとは予想が的中してチビりそうだが、表向き罪状の付いていない俺に牙を剥く事はないだろう。

 日本人として、そして掃除屋として水に流すという概念は持ち合わせているが、ことヘカトルに及んでは『それはそれ、これはこれ』という二面思想を地で行くヤバい一族なのである。

 藪蛇とはまさにこの事で、フォボスは藪に火を点け怪物を炙り出してしまったのだ。


「思い返してみればフォボス殿は先の電撃戦でも、父上を抹殺し風の街を支配しようなどと空恐ろしい提案を私に持ち掛けて来られました。どうやら相当に心を病んでしまっているらしい。民草の上に立つ重圧に耐えられなかったのでしょう」


 ダメ押しとばかりに国家反逆の罪まで付け加えて、ヘカトル一家の劇は終幕した。

 俺はといえば豹変したプライムに笑いそうになりながら口元を押さえ、咳をして誤魔化した。

 その苦笑混じりの咳を聞いてか、フォボスは衛兵を跳ね飛ばしてぐりんとこちらに顔を向け烈火の如く叫んだ。


「また貴様かッ!?」

「何の事やら」

「公の場で知らぬ存ぜぬが通ると思うなよ……」


 共謀者ともであるクライム一人ならともかく、ヘカトル一家を動かせる力は俺にはない。

 そんな一族を敵に回すはめになったのは間違いなくフォボス自身のせいで、自らに蓄積して来た所業カルマから逃れ切れず喰われたのである。

 それでもこの男はあくまで原因を他所に求めている様で、口元を歪めて歯を剥き出しにした。

 笑顔ではない。威嚇というか、覚悟を決めた表情だ。


「王よ! この男は、勇者ライは異常なスキルを保有しております! 野放しにするべきではありません!」

「だとして、それを部外者の貴様が語る資格はない。それに彼は我が国に助力しただけの、ただの冒険者だ」


 当然の対応だった。

 公然の秘密を暴露するのは上等だが、大罪を犯し貴族の位を剥奪された非国民の男に国政に口出しされる謂われはないのだから。

 そもそも俺が何も抱えていない真っ新な人間だとは、この場の誰も思ってはいないだろう。


「密売された奴隷も購入しております! 証拠があります!」


 王へ向けられる発言はやぶれかぶれだった。

 既に俺が探索済みだと知りつつも便所の下の天国に懸けたのだろう。

 そしてあわよくば奴隷商人が俺の情報を売っている可能性に。

 しかしそれは王自身の言葉によって潰される。


「冒険者ライの所有している奴隷はすべて正式な手続きを踏み購入されたものだ」

「ですからそれは……ッ!」

「それは?」


 ここに来て、俺が根回しを完了している事にフォボスは気付いてしまった。

 答え合わせは恩情を賜るどころか死への道程が一足跳びに進むだけだ。

 こいつは俺を道連れにする事すら出来ない。

 蒼白の顔と泳ぐ視線が俺に向いて、ヘカトル一族に合わせて澄ました営業スマイルで返してやる。

 それを受けていよいよと琴切れるように全身から力が抜けて、どさりと倒れ込んだ。




 エニュオの証言に依り咎は罪となり、クライムの追撃に依り罪は重罪となった。

 ここにトラロック電撃戦は決着を迎えたのである。

 数日後に公の場で断罪されるらしいが、そんなものを見る趣味は無い。




 その後、なんと晩餐会に招かれた。


 大広間で開宴され、中央は大きく開かれて、外円に軽食が置かれ、華美な服装の連中がお喋りしている訳である。

 何かダンスしてる奴とか居るが、俺達――というより俺が場違いだ。

 左肩には防具とも見紛う漆黒の肩章を付け、黒いマントを羽織り、硬質化したジレとコンバットブーツ、三振りも帯剣しての完全武装である。


 今催されているのは昼のエセ社交界とは違い、ガチの奴である。

 この場でもドレスコードを咎められなかったのは、やはり大目に見て貰っているらしい。

 自分にも一着買っておけば良かったと思ったが後の祭りなので、景観を損ねぬよう隅の方で仲間達と固まり腹にたまらない軽食を食らう。


 そうしていると俺と同様に挙動不審のオルガがアホ面で疑問を口にした。


「見た感じ上級の貴族ばかりだよ。何でこれボクら呼ばれたの?」

「王様から時間潰してろってお達しだ」


 というのもエニュオの隷属に準備がある為らしい。

 隷属の作業自体は魔力を刻み込むだけなのだが、今回の場合は公に貴族を隷属化するから情報に不備が無いようしっかりと整えて行われるのだ。

 情報共有の会かと思った夜の部はガチの晩餐会で、こんな事で評判を落とすのも馬鹿らしいので出席しておいた。


「プライムさん人気ありますね」


 シュウの言葉で目線を辿ってみると、装飾ジャラジャラの華美な服装に身を包んだ貴族に囲まれ、口元に手を当て「うふふ」と心にも無いお嬢様スマイルで応えるプライムが見えた。

 昼の部と違いしっかり参加している辺りさすがのヘカトルだが、たった一人の少女を囲むのは数人とかいうレベルではない人だかりで、完全にプライムが台風の目と化している。

 あれはしばらく拘束されるな。

 隣で見ていたヴァリスタがぽつりと呟く。


「プライムちゃんってライに似てるよね――」

「俺あんな美形だったか、ちょっと褒め過ぎだぜ」

「――嘘つく所とか」

「賢いなヴァリーは……」


 もぐもぐと肉を食べるヴァリスタの純粋な瞳には俺達は嘘つきに映っているらしい。

 社交の場など嘘つき大会であるからして、あながち間違ってもいないので反論はしないでおく。

 当のプライムといえば、遠く貴族台風の目の中心で笑みを作りながらも目が死んでいるという対比が大変に面白い。


「王子様だ。口を滑らせるなよ」


 突然グレイディアが警告と共に視線で指した先では、王子ゼーテスが銀のグラスを片手に単独でこちらに向かって歩いて来ている最中だった。

 ゼーテスは鎧姿ではなく、予想通りの屈強な肉体の上には王族らしく華美な服装を纏っていた。

 厚い胸板には銀の星のペンダントが輝いて、下品にならない程度の飾りは映える。


 途中他の貴族に話し掛けられるも手挨拶ですげなく躱し、一直線でこちらに向かって来ていた。

 口に含んでいた肉を飲み込んで、口を付ける気もない銀のグラスを手に持って構える。


「これはゼーテス様」

「楽しんでいるか」

「食事は楽しめています」


 はははと笑って真面目な表情に切り替わった。


「時に神官ジャスティンを斬ったそうだな」

「私は人の世の為、魔を祓ったのみです」


 声量を抑えた質問は、この場にそぐわない話題だからだろう。


 一発目にカマを掛けられたが、冷静に捌く。

 状況証拠的に命を奪ったのは俺以外ありえないし神官殺しは問題だろうが、今更罪を問われる謂われはない。

 魔族征伐が為の犠牲、それは国を治める貴族であればこそ理解出来る話だろう。


 そうであってもゼーテスが話題を振ったのは、教団関連の任を賜っているが故か。


 信徒からも突き上げがあるだろうし、関係各所への面倒な対応がある事は想像に難くない。

 そういった面倒事を上位の連中に丸投げ出来るからこそ冒険者というのは動きやすいのだが。

 今後も国体を維持して頂きたいものだ。


「では何か彼が携帯していた物はなかったか?」

「と言いますと?」

「どうにも不自然な報告で遺品も改めさせて貰ったのだがな。例えば武器だとか聖書だとか、そういった携行品が見当たらなかったのだ」


 聖書というが、ジャスティンが持っていたのは人類に仇名す魔法の本だ。

 カイザーナックルと共にそれは奪い取り、懐に納めた。

 対して金銭や装飾品といった、いかにも価値の有りそうな物品には手を付けなかった。


 旅の神官が無一文では怪しまれるし、金目的で殺したと疑われるのを避ける為だ。

 それらを纏めて遺体ごと焼いて葬り去ったので、周囲には焦げ付いた衣服や装飾品が遺されていた事だろう。

 グレイディアに従い行った仕込みが、ここに来て実を結んだと言える。


「存じ上げません」

「……そうか。ともあれ事前に潰して頂いた事には感謝しよう」

「勿体無いお言葉です」


 いかに王族であっても魔法の本は渡せない。

 魔の法を付与するのであろうそれは人の手に余るものだ。

 当然俺も使う気はなく、この世界が滅びるまで謎空間に放置が妥当だろう。


「ではしばしの安息、楽しんでくれ」


 グラスを軽く掲げて挨拶とし、ゼーテスは貴族諸侯に挨拶回りを始めたのだった。

 飲まないグラスはアルコールデリバリー待ちのディアナに手渡して食事へと戻る。




 晩餐会もしばらく経ち俺達の腹も膨れた頃、相変わらずプライムは貴族台風に飲まれたままで、何時の間にやらクライムまで巻き込まれていた。

 それを眺めていると給仕がやって来て、奴隷引き渡しの準備に入る事になる。

 仲間達を連れて大広間から出ると、城内を案内されながら一室に向かった。


「書記と奴隷商人を連れて参りますのでこの部屋でお待ちください」


 そうして給仕は呼び出しに向かった。

 どんな大層な部屋に通されるのかと身構えていたが、何て事のない普通の部屋だった。

 ただし大きな机には書類が並び、そこには石板に紙に羽ペンと並べられていた。


 どうやら此処は色々な事を記録、管理する書記の部屋のようだ。


 部屋の中央にある机は四方を囲うように椅子が並び、そのひとつに金髪の下に蒼穹の瞳を湛える男装の麗人が腰掛けていた。

 服装はシャツとズボン、装飾の乏しいベストを着込んでおり、華美ではなくともしっかりとした作りの物だと解る。

 身綺麗にされたエニュオだ。


 鎧姿でも貫頭衣でもない、素の状態の彼女を見たのは初めてかもしれない。

 これまでと違うのは空も射貫く様な意志の籠った瞳を持つ事。

 それを見て立ち竦んだオルガが呟く。


「うへー大丈夫なのこれ」

「王様も本人も認めた事だからな」


 エニュオと言えば貴族で近衛騎士だった女だ。

 本来はそれを隷属下に置く事はかなりのリスクとなるが、今回は色々と状況が重なり俺への悪影響はない。

 仲間達を後ろに置いて椅子に腰掛ける。


 机を挟み左手側に腰掛けているエニュオと視線を交わす。

 報酬としては金銭でも名誉でもない邪道なものかもしれないが、リスクなく元貴族の持つ情報を頂けるのは好都合だ。

 奴隷商人も到着していないし、昼の会でゼーテスから仕入れた未知の情報を精査しておく事にする。


「時間もあるし、色々聞いておきたいんだが。エニュオは武術だけでなく魔法も扱えるな?」

「……よくわかったな、調査済みという訳か」

「んな優秀じゃないよ。それで、その力は巡礼に依るものなのか?」

「そうなるな。フォボスは教育熱心だったからな」


 当たりだ。

 にやりとしてしまい、彼女は怪訝そうな目を向けて来る。


「しかしどうして? 龍殺しが信徒にでもなるつもりか?」

「実は巡礼で更なる力を得られるかもしれないと王子様から伺ってな」


 疑る目。

 俺みたいな奴が信者として相応しいのかと、また神に認められるのかと、そういった疑問だろう。

 当然そうしたものに向いていないのは自覚している。


「俺は神への信仰はないかもしれないが、力への意志はある」


 恐らく望んだ回答ではなかったのだろう、エニュオは深いため息をついた。


「巡礼では具体的に何をするんだ? そしてどういった効果がある?」

「神殿に至る道……国境も越えて各地の教会を巡り、祈りを捧げる旅路だ」

「何か実感は? 明らかに異質な感覚があったとか、神の声を聞いたとか」

「実感と言われてもな……。情けないが鈍感な方だ。一にも二にも剣を振って来たし、天啓など授かった事も無い」


 これなら俺にも機会はありそうだ。

 クラスの習得条件がガバガバな様に、巡礼の条件もガバガバならば道程をなぞるだけでも行けるかもしれない。

 要するに信仰の先に力を得るのではなく、力を得る為の進行だ。


 何だか異端者めいているが、実際異端者だし、信仰心が試されるのならば俺の歪んだ心ではどうしようもないのが現実だ。

 だから抜け道を探る。

 礼より先に思考を巡らせる俺を見て思い出したようにエニュオは付け加える。


「ひとつ言えるのは神殿の迷宮で私のスキルが覚醒したという事だ」

「神殿が迷宮を保有しているのか?」

「神を祀る聖地だ。恩恵を賜れる」


 聖地とまで言わしめるのであれば、何かしらありそうだが。


「重剣技もそこで?」

「何故それを……」

「視えるんだよ、俺には」


 自身を瞳を指差して示してやると、しばし互いの視線が交わる。

 突然何事かに気付いたように頬が染まり、はっとして局部を手で覆い太腿を固く閉じた。


「き、貴様ッ! まさか姫様のお身体も……!」

「そうでなく」

「では何なのだ!」

「能力だ能力」


 返した雑な回答にむっとして見返されて、過剰反応した自分を思い出してか赤面している。

 俺に透視能力でもあると思ったのだろう。

 欲しいけど。


 エニュオはそれから目を泳がせた後、ひとつ咳をついて姿勢を正した。

 まるで何事もなかったかのように繕って会話を再開する。

 面白い人である。


「それで、その出鱈目な視力があるとして、光魔法より重剣技が気になるのか?」

「そりゃあな」

「先の戦いでは私の剣は貴殿に受け止められてしまった。それどころか手痛い反撃も貰ったのだぞ」


 思い出しながら右肩を擦るエニュオ。

 あれは殺し合いだ、謝る気は無い。

 命があっただけマシ。その考えはエニュオも同じようで、特別口論には発展しなかった。




 エニュオが重剣技を低く評価している理由には思い当たる。


 重剣技の体力を無視する効果は字面だけではわからない。

 凄い重圧の攻撃くらいの認識なのだろう。

 貴族社会ではわかりやすい魔法スキルばかりが重視されるのだ。


 だが因果が逆転していないだろうか。


 光魔法に適性があるから貴族なのか、貴族だから光魔法に適性があるのか。

 魔法の使い手はそれだけで重用されているのに、上級の貴族連中はどいつもこいつも光魔法を持っている。

 各地から巡礼の旅に出て、その終着点でスキルを身に付け――これ、もしかして神殿の迷宮にさえ忍び込めれば巡礼の行程は要らないのでは。


 何か裏がある気がするが、ひとまず神殿の迷宮はスキルが手に入りやすいとだけ覚えておこう。




 しかしだ、以前塔の街のギルドマスターヴァンに迷宮について尋ねた折『勇者にとっては大迷宮以外はお遊びでしかないだろう』と茶化されている。

 大迷宮というのはいわゆる火、水、土、風という付近に大きな街が形成されるレベルのものだ。

 問題なのは小さな迷宮はろくに素材も手に入らない事らしい。


 察するに難度としては水の迷宮より下にあるはずだし、何とも言えない所だが――。


 片腕を背もたれに掛けて背後に目をやる。

 老馬の智というし、何時ものグレイディア頼りだ。

 塔の街の冒険者ギルドに長年勤めている彼女なら何か知っているはずという短絡的な発想だった。


「神殿の迷宮は水の迷宮と比べてどう思います?」

「そもそも神殿自体よく知らん」

「知らんて」

「私が神殿に招かれると思うか?」

「あー……」


 武神と謳われ人斬りと自嘲するグレイディアが仲良く出来る手合いではないだろう。

 秘匿という訳でもないだろうが、宗教団体から縁遠い者にとっては神殿などどうでもいい場所な訳で。


「ちなみに俺はどうでしょう?」

「厳しいんじゃないか、お前だけでは」


 教会での戦いでは居合わせた僧侶を脅しているし、神官ジャスティンを抹殺している。

 対立には至っていないが、教団と関わる切っ掛けも持ち合わせていない。

 評判はよろしくないだろう。


「『お前だけでは』というのは?」

「教団の事など知らんが、巡礼の警護役として務めればあるいは」

「なるほど、用心棒として付き添い侵入してしまえばこっちのもんって訳ですね」


 パーティを一巡して見るが、犯罪奴隷の獣人、変態ハーフエルフ、上の世界の人族、殺人吸血鬼、そして過去を棄てた龍人。


 誰も教団の知識がないし、信仰心がないのだから真正面から乗り込んでも弾かれてしまうだろう。

 聖地というくらいだから恐らく教団のお偉いさんも居るのだろうし、どれだけ演技しても誤魔化せない相手はいる。

 神を欺いただとか、訳のわからない罪を着せられて裁かれるなんて御免だ。


 彩り溢れる多種族構成に一般常識を喪失し躓くのは何時もの事だが、改めて、今回エニュオを引き込んだのは正解だったと確信する。




 振り返ってエニュオに話を戻す。


「再度巡礼者として神殿に入れるか?」

「私では無理だな。入場は管理されているし、トラロック家の義娘として巡礼した頃の記録も残されているだろう」


 一度きりの巡礼――。

 神に祈り、認められる道程を何度も繰り返されては神殿を管理している側も休めないという事だろうか。

 敬虔な信徒など毎日でも来ようとするだろうし。


「実は先程の話なのだが、不心得にも思えるがゼーテス様は貴族の家から巡礼者が出ると積極的に付き添いに参加する。幾度も神殿の迷宮に入場しているのだ」

「やっぱあの人、冴えてるんだな」

「剣も魔法も上等の、まさしく万能の戦士だ。あれほどの貴族は二人と居まい」


 理解は食い違っているが、凡百の貴族ではないという点では同意だ。

 付き添いは不正ではない、グレーゾーン。

 そこを突いてゼーテスは自身の強化を行っている。


 幾度も神殿の迷宮に進入しているのは教団関連の仕事を仰せつかっている立場から実利を兼ねたものだろうが、武術スキルがない事を心の片隅で諦め切れていないのかもしれない。

 自己鍛錬と同時に公務もこなし、貴族諸侯との関係も強化し、敬虔な信徒として認められる。

 一石四鳥とはうまくやるものだ。


「その神殿の迷宮の階層はどれくらいなんだ?」

「階層などないぞ」

「守護者は存在しない?」

「そうなるな」


 小さな迷宮は実入りが薄いというのはこれが原因だろう。

 グレイディアもギルドマスターヴァンも小迷宮を俺に勧めなかった訳だ。

 経験上モンスターは視界から外れた地点にしかリポップしないので、ひとつの階層に冒険者がすし詰めになるとうま味が無い。


 しかしながら既に土の迷宮と風の迷宮は攻略済みだ。

 残るは火と水で、火の迷宮は北方――先王領域。

 ミクトラン王国とは敵対しているから踏み込めない。


 つまり水の迷宮を攻略すると塔を登る舵取りになる訳だが、勇者との決戦を考えると戦力的にはまだまだ厳しい。

 何も得られないかもしれないが、神殿の迷宮にも寄ってみるべきだろうか。

 そこまで考えた所でようやくと扉がノックされる。




 書記と奴隷商人の到着だ。

 この場を取り仕切るのであろう書記が右手側に座り、契約手続きに呼ばれた奴隷商人が机を挟んで対面に腰を落ち着ける。

 いよいよと契約の段に入る。


「隷属形態は如何致しましょうか」

「魔力刻印で、拘束は最低レベルで構いません。それより元貴族の隷属などした事がないのですが、名前はどうなるんでしょうか」

「家名を外す事は可能です。名前は固定されてしまっていますので、そのまま使用して頂く事になります」


 それはまた珍妙な話だ。

 公式な手続きなどを行うと固定化されるのだろうか。

 だとすれば手続きをしなければ変え放題なのではないか。


「一定の認知を受けると定まるのだ」


 一瞬疑問に思ったが、横合いからエニュオが答えてくれた。

 本来石板やギルドカードを前にしては偽名は使えないという事だ。

 そんな俺が上の世界から落とされて『ライ』に改名出来たのは、それまで一個人としてではなく剣を持ち込んだ異世界人としてしか見られていなかったからだろう。


 上の世界の連中にとって、俺はただの都合の良い道具だった訳だ。


 もしかしたら強力な武具を持ち込む勇者が現れるまで召喚しまくっていたのかもしれない。

 そして俺の相棒がなまくらと知るや否や地獄へ叩き落した。

 やはり滅ぼさなくてはな。




 手続きは滞りなく進み、エニュオは上の世界のトラロックを知る為に、トラロックの名を棄てた。

 どの道、貴族のままでは地下に埋没するしかなかったのだから。


 目的は達せられた、此処にもう用は無い。

 晩餐会は続いているが、俺達はこれでお暇する。

 騎士の居並ぶ廊下を歩く中、エニュオが小声で訊ねて来る。


「ご主人様……と呼べば良いのか」

「今まで通りで良い」

「それはまた何故だ」


 エニュオはいわば――。


「俺達は同じ、上の世界からやって来た仲間だ。そしてこれは塔を登り、再び上の世界に戻る為の闘いでもある」


 それは姫フローラとの軋轢を生まない為のカモフラージュでもある。

 そしてこのエニュオという女の根は愚直で、一度盟約を結べば裏切らないだろうという打算も働いた。

 いくら猜疑心が芽生えたとはいえ、ごく理想的な“騎士らしい騎士”として教育を受けて来た為に非常に御しやすい。


 同時に御されやすくもある。

 それは相手方に正義があった場合だ。

 だから此処で約束しておく。


 目的を明確にし、上の世界まで連れて行く。

 そこでは間違いなく対勇者の戦闘が勃発するだろう。

 勇者達は強力に偏重した能力値を持ち、まず障壁となるのはタンクタイプだ。


「だから共に真実を見付けに行こう。あの暗黒の空を越えて」


 体力を無視して攻撃を通す重剣技を持ってすれば、真っ向から打倒せしめる事が出来るだろう。

 これまで想定出来なかった戦術が取れるようになる。


「同じ空を知る者として」


 歩を止めず、いつかエニュオが口にした言葉を復唱して、同類であると錯覚させる。




「雌伏の時という訳だ」


 ひとつの答えを得て、エニュオは噛み砕いた。

 理由など人それぞれで、彼女には上の世界に至るまでのトラロックの真相を究明するというお題目があればいいのだから。

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