第211話「至高のヴァリスティック」
暗黒の空の昼下がり、風の迷宮街に到着すると、すぐに領主邸へと向かう。
プライムを送り届ける為だ。
領主邸の門番が邸宅内へ取り次ぎ、戻って来る。
「クライム様より言伝で、いつもの飲み屋に向かってほしいとだけ」
得られた回答は思わしくないものだった。
門番に感謝の言葉を述べつつ言伝に従い風の街の最東端へ。
ぞろぞろと仲間を引き連れ向かった飲み屋はバー・ギムレット。
落ち着いた雰囲気の店内だが、何か違和感がある。
「あれ、エレナは?」
カウンターに腰掛けてすぐ、出された水を飲み干したプライムの漏らした疑問にマスターは静かに首を振った。
見返してみると奴隷の娘達が一人も居ない。
解放されたという事だろう。
どうやらエレナも、プライムが家を離れている間に鈍重スキルを抱えて街を発ったらしい。
心の中で感謝しつつ、残るはプライム本人。
いくらマスターが居るとはいえ、クライムに取り次がず置いて行くのは危険な気がする。
「クライム様はどうされたのでしょうか」
俺の質問にマスターからの無言の返答。
カウンターにすっと二枚の手紙が置かれたのだ。
当然読めない。
「プライム様、読んで頂けますか」
本来は俺が読むべきなのだろうが、読めないものは仕方ない。
領主邸でなく此処に有るという事はクライム経由の配達物だろうし、封蝋を解いて読んでもらう。
「先の電撃戦においての活躍を表し、功績を称え褒賞を授けるものとする。ささやかながら宴も用意しております……って」
「宴ねえ……気は乗りませんが、悪い便りではない様ですね」
「悪い便りって、一体何を想定してたの、ライ君は」
じとりと目を向けて来たプライムのその肩に手を置いて、もう一方の手紙の解読を促す。
「あぁ、こっちね。お父さんからだよ。娘を王城にて待つって」
「クライムさんですか。待つという事は、俺が連れて行くのか……」
「嫌なのー?」
「いえ、えらい信頼されていると思いまして。こんな無頼の輩に可憐なお嬢様を任せるとは些か不安になりますね」
裏切れないと知っているからこそなのだろうが。
この様子だと密売組織の残党狩りは粗方片付いたのだろう。
どうせ次に向かうのはずっと西方、塔の街も越えて西の西、獣人の国とされる水の迷宮街だ。
その経路に王城はあるし、ついでだ。
「もう少しだけ冒険は続きそうですね」
「やったね」
「では我々はお嬢様と共に王城へ向かいます」
マスターに報告すると頷いて返される。
向かうは西方、しばらくは此の街には来れないだろう。
出立前に少し資金を調達する事にした。
場所は冒険者ギルド。
行うのは魔石の換金だ。
一応鉱床の町にもギルドは在ったのだが、周囲に迷宮の無い町での多量の換金はあまり賢いとは思えず避けていた。
異常な量の道具を持ち歩いている事を示唆する様なものなのだから。
カウンターへ向かうと何時ものふさふさ尻尾の受付嬢ヴェージュが出て来て、以前風の街を出る際にお祈りされた事を思い出した。
「どうやら何事もなかったみたいですね」
「ご覧の通り、何処にでも居る普通の冒険者なので」
「そうですか」
ヴェージュはちらと背後のグレイディアと目を合わせて、相変わらず俺を放ってのアイコンタクトである。
「次は水の迷宮に向かおうと思っているのですが」
「そちらでもひと暴れですか」
「暴動があちらから寄って来るんですよ」
しばし目を合わせて無言の対話の後、換金を終えて出された硬貨を一枚一枚数え、遅々として皮袋に入れながら言葉を続ける。
「それで、何か気を付ける事などはありますか?」
「私に聞くんですか?」
「獣人の国と聞き及んでいます。その可愛い尻尾なら何かご存知かと思い」
身体を右に倒してカウンターの奥の尻尾を覗き込むと、ぶんと振られたふさふさ尻尾は俺の視線から逃れて左側に行ってしまった。
「強いて言うなら殴られたら殴り返せ……くらいですかね」
「……とても参考になりました」
「それは良かった。また何時でもどうぞ」
相変わらず事務的に手続きされて、冒険者ギルドを出る。
最後に一応、保険としてあの場所に寄っておく事にする。
訪れたのは領主邸ではない豪華な館。
鉄柵に仕切られた敷地は左右に門番も居り、正門前に仲間達を置いて入場手続きをする。
風の迷宮街を発つ前に、奴隷商人スネイルのもとへとやって来たのだった。
「武器を預かります」
「あー……ちょっと、かなり重いんですけど……」
右の腰のディフェンダー、左の腰のロングソードと手渡して、背負った塵合金の剣レジストプレートを思い出して、理由を付けて渡さないのも怪しまれるので言葉に出しつつも素直に手渡す。
「うおおおっ!? 何だこれ重過ぎだろ!? 先に言えよ!」
「言ったじゃないですか」
腰をがくんと落とし石造りの地面に武器を散乱させた門番にマジギレされていると、何事かともう一方の門番も駆け付けて来て、少し騒ぎになりつつも俺自身が抵抗した訳でもないので入場には差し支えなかった。
悲しいかな、塵合金の剣はあまりに重過ぎるので門番の前に放置である。
「久しぶりだな」
豪華な造りの館の中、場所は玄関。
以前の様に尊大な態度を繕って挨拶すると、出迎えに来たスネイルは顔を引き攣らせた。
「これはライ様。お久しぶりです」
「どうした、日頃の感謝を込めて礼を言いに来てやったのに」
「ご無事で何よりです」
「まるで私が無事じゃない可能性でもあった様な口ぶりだな」
「いえ、そんな事は」
あまりそれらしい反応は見られない。
もう少し突っついておくべきだろうか。
客間に通されて机を挟んでソファーに座り、美人の奴隷に出された茶を啜ってから対話に入る。
「悲しいよな、政って奴は。罪なき者が罪を負わされ、力ある者は狩り立てられる」
「私共はお客様の情報を売り買いは……」
「解っているさ。しかし誇りを持って仕事に邁進しているのは君だけじゃない。私は冒険者の生業に誇りを持って勤めている。だからこそ同じ本物を信じられる。客に合わせて良質な商品を提示してくれる、いわば奴隷売買における本物の職人という者を」
静かに聞くスネイルに特別不審な様子は無い。
「実はクライム・ヘカトル様と知己を得てな。私を盟友として、いみじくも厚意にしてくださっている。その恩情で先の電撃的な賊の征伐戦においても戦果を上げるに至り、これより褒賞を賜りに向かう所だ」
「それは大変な活躍でしたね。おめでとうございます」
一口に『とも』と言ってもその実は共謀者なのだが。
スネイルの上辺だけの同調に頷いて返し、ソファーから立ち上がる。
窓際、閉められたカーテンをちらと開けて館の正門に目を向ける。
「あの少女が見えるか」
「どなたでしょうか」
門の前、待機していた仲間達の中で、紺藍の髪の少女と戯れる金髪の少女に目をやる。
隣に来たスネイルもそれに気付いた様で、しげしげと伺う。
「プライム・ヘカトル様だ」
「噂程度には知っていましたが、御存命でしたか。しかし妙に……」
「元気だよなぁ?」
「その様ですね」
「人に歴史ありというが、険しく長い雌伏の時が彼女を逞しく育てたのだろうな」
そんな適当な解答を与えて見せると、明らかに俺を疑う視線で見返された。
「大変に懐の深い方でな。一緒に遊んでいるのは私の奴隷で、人種も身分も異なるにも関わらず親しく付き合ってくださっている。微笑ましいだろう」
遊んでいると表現してみたが、どう見ても殴り合っている。
止めようとした門番が睨まれて引き下がり、拳闘が続行される。
少し目を離すとこれだ。
左右の拳を互いに避けながら間合いを取り、寄れば下がり、下がれば寄る。
少しプライムの読み合いが高度になって来たが、まだ足りない。
ヴァリスタの左のジャブに反応して起こしたスウェーを読まれ、その隙、弾丸の様に飛び出した一歩で深く潜り込まれる。
下方からの屈伸運動を用いた強烈な右のアッパーが腹に入り、膝から崩れ落ちたのはプライム。
街中で剣は振るえないので体術で競い始めたらしいが、せっかく買い与えた服がまたボロボロになりそうだ。
そのプライムとヴァリスタの無遠慮な関係のおかげでこうした事実に基づいたアピールが出来るので能動的に引き剥がすつもりはないが、もっと可愛げのある趣味を見付けられないのだろうか、あの二人は。
「ご覧の通りお転婆だ。ヘカトル家の未来は安泰だな?」
「……その様ですね」
多分あれ結婚出来ないんじゃないかな。
順調にフローラ姫ルートに入っているプライムの貴族の子女としての一番の懸念材料はおくびにも出さず、ソファーに掛け直す。
同じく対面に腰掛けた奴隷商人スネイルを見直して、詰めに入る。
「あの時は運悪く……そう、知らず、良かれと思って彼の商品を勧めたのだろう?」
存在しない売買の話。
当惑の眼差しから逸らさずに、言葉を続ける。
「私もまた故を知らず竜人ディアナを此処で買った。金銭を対価に、正式な手続きを踏み。相違ないな?」
「どうやら……そういった事態になっている様ですね」
やはり既知の事態らしい。
ミクトラン王国が風の街一番の奴隷商人たる男スネイルに聞き込みに来ないはずがないのだから。
ソファーから中腰に、机を挟んだ向こう側へ皮袋を取り出し握らせる。
「手間賃だ」
「何の“手間”でしょうか」
「日頃から世話になっている事への駄賃だ」
皮袋を開いて見てそれを理解した様で、スネイルは顎を引く様にして微かに頷いた。
「それではこれで。茶、美味かったぞ」
「この金の茶菓子も大変美味しゅうございました」
大人から子供まで、冒険者から貴族にまで喜ばれる伝統芸能、山吹色のお菓子を袖の下に奴隷商館を出た。
スネイルの反応を見る限り要らぬ心配だったかもしれないが、此の街を離れている間に何が起こるとも知れない。
だから幾ばくかの出費で安心が買えるなら安いものだろう。
これより向かうは王城。
今度は咎人としてではなく客人として門を潜れる事だろう。




