第206話「異風同導」
面倒事が一通り終わった翌日。
貸切のバーの一角、テーブル席のソファーに腰掛けていた。
膝には身体だけでなく頬にまで白い鱗を持つ様になった龍人のディアナ。
白みがかった琥珀色の髪は幻想的ではあるが、その表情は苦悶に満ちていた。
「喉……渇きました」
「どうだ、たらふく飲んだ朝の目覚めは」
「最高ですね……ワイバーンブラッド、ストレートで」
「水飲め水。酔いを酒で誤魔化すな」
顰めた眉と虚ろな瞳に少しばかりの唸り声も混じって、明らかに二日酔いだった。
その髪を掻き分けて、後頭部を支えて少しだけ持ち上げてやりながらテーブルの冷水を口にやる。
こくこくと飲み干すと、脱力して膝に頭を預けて来る。
「お前さ、驕りなんだから少しは自重しろよ」
「本当は飲む気はなかったんですけど、旦那様の命には逆らえないので致し方なく」
「凄い奴だよディアナは。俺には真似出来ないや」
「えへへ……」
頬を染めて破顔して見せたので、おしぼり代わりに布を濡らし額に投下する。
びちゃりと額に落下した衝撃はごく軽いもののはずだが、赤子の様に丸まって悶絶していた。
二日酔いの混濁した頭には良い刺激だろう。
「あれ、これ頭割れてません? 割れてますよね?」
「割れてんのは理性だろ。ちょっと頭冷やしてろ」
布を畳み直して額に乗せてやり、膝からソファーへと降ろし寝かせておく。
枕を失い恨めしそうに見て来るディアナを放って、ここ最近の騒動で移せなかった計画に入ろうと考えていた。
「ライカちゃんをご存知でしょうか」
バーの二階、クライムの部屋で机を挟み対面して話を切り出した。
これまでの戦闘を振り返り、剛腕を手にした事で体格的に及ばないはずのモンスター相手でさえ真っ向から攻撃を受け止められる程の膂力を手に入れている。
しかし力が強過ぎるというメリットは同時にデメリットも孕んでいた。
先のトラロック征伐戦でロングソードが大破したのがいい例だ。
人前でほいほい武器を積み替えながら戦闘する訳にもいかないし、何はなくとも一振り頑強な武器が欲しい。
求めるは高品質な装備を打てる鍛冶師。
心当たりはある。
風の迷宮街が領主アライブの下で暮らしている少女ライカ。
その祖父こそが俺が普段使用する量産型ロングソードの製作者らしかった。
幸いヘカトル家との関係は良好で、子飼いの鍛冶師との交渉くらいは取り付けて貰えるだろう。
ライカの名はクライムも承知していた様で、ひとつ頷いて返される。
「実はそのお爺様が名高い鍛冶師と聞きまして、一振り打って頂きたいと考えていました。お取り次ぎ願えないかと思いまして」
「あまり気乗りはしないが、親父に聞いてみよう。ただ工房に籠って納得の行くまで剣を打ち続けている頑固な人だから、繋ぎは出来ても打って貰える保障はないよ」
「そこは何とか交渉してみようと思います」
「いいだろう。プライムも今の自分を親父に見せたいみたいだし、丁度良い。あの娘に話を取り付けて来て貰えるかな」
「私がですが?」
「ほらほら、善は急げだ」
そうしてクライムより承諾を貰い、追い立てられる様にその足で対面の部屋へと向かう。
昨日は廊下に立っていた執事は既に居らず、今頃は領主邸で本来の業務に励んでいるのだろう。
ノックして様子を伺うとどたどたと騒がしくなり、マップを伺えばふたつの点が右往左往しているのが見て取れる。
しばし待つと、ひとつの点は部屋の中央、もうひとつの点はその少し後ろに止まり、澄ました声で返事が来る。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋の中央、純白のベッドの前で身綺麗にして待っていたのは金髪碧眼の娘プライム。
白いブラウスにロングスカート、装いは貴族らしからぬラフな物ではあるが、綺麗に纏まった雰囲気はさすがの気品か。
これまで運動が出来なかった為に筋肉が薄く少し服もだぼついてはいるが、締める所は締めて着こなしている。
「少々ベルトの数が多い様に見受けられますが」
「えっ!? あ、はは……流行りぃ……ですかねぇ」
「ダメージベルトですか」
「そう、それ!」
アクセサリーのひとつも持たない引き籠り――もとい箱入り娘が流行など知るはずもなく、無駄に多いベルトの一本は痛みがあり、激しい擦り傷も見える。
何を隠しているのか、ベッドの下にヴァリスタが潜んでいる事だけは予想がついているが、部屋を見渡し確認する。
ベッドの毛布のその端から鉄の足が視えた。
剣鞘の底の金具部分、ロングソードだ。
見えてしまった物は仕方ないので、プライムの横を素通りして毛布を引き剥がす。
姿を現した一振りは明らかに新品ではなく、使い込まれたそれを見下ろして棒読みで呟く。
「何だこれは、こわいなー」
「やだー! 淑女の寝室を漁るなんて大胆!」
「どうして此処に剣があるのですか? 暗殺の訓練か何かでしょうか」
「違います。たまたま落ちてただけです」
こんな事になっていたのにクライムが気付かないはずはない。
どうしたものか、ひとまず注意しておく事にする。
「慣れていないのに狭い屋内で剣を振るっては危ないでしょう」
「良いじゃん、ライ君だってやってるんだし」
「仕事ですから」
「私もしたいー! 冒険者したーいー!」
どうやら駄々っ子の応対を押し付けられたらしい。
胸の前に手を組んで懇願して来るプライムは、活力が有り余っている様だった。
姫フローラの様になりそうで大変に未来が心配である。
「迷宮に連れてって?」
「駄目です」
「えー!? こういう時って勇者とか騎士はお姫様を攫うんじゃないの? 私の為に指名手配されてよー」
「されません。この部屋には勇者様も居ないし騎士様も居ませんからね。それで、お嬢様は本日はお暇ですか?」
「どうせ暇ですよ。暇、暇」
「なら、攫う事は出来ませんが、一緒にお出掛けしませんか」
途端に瞳が煌めいて、左手を取られると逃がさないとばかりに腕を組まれる。
別に街の外に出る訳でもないのだが、自分の脚で出歩けるだけで楽しいらしい。
箸が転んでも可笑しい年頃とは言わないが、長年の鬱憤がそうさせるのだろう。
「ヴァリーも出て来いよ」
もぞもぞとベッド下から這い出して来たヴァリスタはベッドの上の剣を取ると、左腕に絡み付いたプライムを見て右手に繋いで来た。
どうやら本数の多かったベルトはヴァリスタの物だったらしく、プライムはいそいそとそれを外して返していた。
何をやっているのだか、少しぶかりとしたブラウスを見ながら呆れていると、ベルトを巻き帯剣しながらヴァリスタが答える。
「プライムちゃん、剣の練習がしたいって」
「それで二人で秘密の特訓か」
「うん」
「次からはクライムさんの許可を頂くように」
その回答と共に左のプライムに目を向けると逸らされた。
バレバレだが本人はあくまで隠れて練習するつもりらしい。
あのクライムの監視下では危険な事にはならないだろうが。
風の迷宮街、領主邸。
相変わらず巨大な鉄柵の仕切りに囲まれた土地で、敷地内は色のある森と化している。
クライムを見送って、右にヴァリスタ、左にプライムを従えてしばし待つと、屋敷から出て来た衛兵が門番に何事かを伝えた。
それを聞いた門番が動き、剣を預けてようやくの入場となる。
大勢を引き連れて領主邸に乗り込むのは賢い選択ではない。
領主アライブは隠密の警護を配しているし、いくらクライムが居るとはいえアポイントメントの無い接触だからだ。
木々の香りを身体いっぱいに吸い込みながら歩くプライムはまるで草原を散歩しているかの様な雰囲気で――もしかすればこの雑多な庭園は、遠出出来ない彼女の為に仕込まれた物なのではないかと今更になって気付く。
玄関たる大扉を潜ると、相変わらず中は煌びやかというか、目に痛い華美な装いに包まれている。
道化にもなれるのではないかという華美な服装のアライブを前にして、挨拶に入る。
「突然の来訪、お受け頂きありがとうございます」
「構わんよ」
短く返したアライブは俺の左隣の少女に気を取られている様で、聞こえるか聞こえないか、自分に言い聞かせる様な声量で呟く。
「プライム……? いや、まさかな」
「お久しぶりです、お祖父様。自分の脚で此処まで来ました」
「本当にプライムなのか。どうして、いや、一体何があった?」
「他の誰でもない、父の努力の賜物です」
腕を組んで磨かれた壁に背を預けていたクライムはくつくつと笑い、どうやらプライムの来訪を伝えずサプライズを仕掛けたらしかった。
これまで気を揉んでいた俺はまさに驚愕といった表情のアライブが見れたので良しとして、さすがは腹芸に秀でた貴族か、その表情は無理矢理に落ち着けられて感情とは別の言葉を紡ぎ始める。
「お前に孤独を与えたのは私だ。怨むなら私を怨め」
「ギムレットでは何時も誰かが居てくれたし、友人も出来ました。私は独りじゃない。だから此処まで生きて来られたのです」
打てば響く様にプライムも真面目腐って返答する。
これだからこの一家は怖いのだ。
毅然とした態度を見てアライブは微かに笑った。
「……大きくなったな」
それが本心だろう。
挨拶を終えたプライムは『また変なのが増えてる』と、節操のない調度品を見て回り始める。
それにヴァリスタがついて回り、老人の趣味を二人で無邪気に叩きながら、それを見ているアライブは目を細めてほんの僅かにだが頬を綻ばせている様に感じられた。
とすると、侘びも寂も感じないあれらもまた自由に動けない孫に対してのアライブなりの心遣いだったのだろうか。
だとすれば、つくづく愛情表現の下手な一家である。
それからプライムとヴァリスタの二人は執事に見守らせておき、何時かと同じ客間へと通された。
相変わらず狂戦士ゲインスレイブにガン見されながら、近況報告などを終えて本題に入る事にする。
剛腕に耐え得る武器を求めて。




