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第205話「真なる貴族の肩章」

 ベッドの上、先程まで表情に乏しかった少女は金糸の様な髪を大きく揺らして両手を握った。


「いっ……!?」


 短い声と共に握った拳を今度はすぐに開け広げ、痛みの波を身を竦めて堪えている。

 今度は指も軋まない、口元から血も流れない。


「どうやら神経は無事みたいですね」


 少し不安を覚えた原因は、かつて救った神官エティアの症状を連想したからだ。

 喉を貫かれて死に掛けて、それは完治に至らなかった。

 プライムの場合、箱入り娘であった為か肉体、神経共にダメージが蓄積されずに済んでいたのだろう。


「な、なに……? 何なのこれ?」

「それが痛みです」


 掌にある爪痕、そこから滲んだ血を見ながら彼女は毛も逆立ちそうな様子で全身の感覚というものを味わっていた。


「痛い……こんなに痛いのに、今まで気付かなかったの、私?」

「何時も身体が受けていて、しかし認識出来なかったもの。それをようやく感じ取れるようになったのでしょう」

「皆はずっとこれを感じていたんだ……」

「ヒトがヒト足り得る呪いみたいなものですね。心の痛みは晴れても、これからは身体の痛みと付き合って行かなければなりませんよ」


 人形の様な顔つきだったプライムはぎこちなく喜怒哀楽を見せ、鈍重から逃れ喜べばいいのか、鈍重を失い痛がればいいのか、それにすら困った表情だ。

 対してその隣に腰掛けていたエレナは表情が鈍くなっていた。

 その細身の肉体には明らかな悪影響が見てとれる。

 鈍重の影響を理解してか身体は動かさず目線だけを泳がせていて、ちらと目が合う。


「クライムさんを呼んで来て頂けますか」

「え、ええ……」


 言葉の意味を理解して、エレナはベッドからふらりと立ち上がり扉に向かう。

 それは鈍重が無効化されてなどいない事実を勘付かれてはいけないという、俺とエレナの共通の認識。

 一歩一歩を確かめる様な緩慢とした所作と速度が、しかと鈍重の影響下にある事実をまざまざと見せ付けて来る。

 痛みの束縛から復帰して、遅鈍に扉に向かうエレナに気付いたプライムが金の髪を揺らして向き直ろうとした時だった。


「プライムちゃんこっち向いて」

「うん?」


 呼び声に碧眼は迷って揺れて、隣に立ったヴァリスタに向けられた。

 そのファインプレーに心の中で撫で回しながら静観していると、ヴァリスタの小さな手が目前の白い柔肌に伸ばされてプライムの両頬を指先で摘まみ始めた。

 ぐにーっと引っ張られたプライムは摘ままれた頬の痛みに切れていた口内の痛みも合わさってか、その手を外そうとして力負けする。


「にゃにするのー」

「確認は大切」

「いたいいたい」

「一流の戦士は万事に備えておくものよ」


 ヴァリスタの口を突いたのは以前俺が体調管理は大切だという意味合いで発言したものだ。

 痛みの確認、それは鈍重が適切に排除されたかの物理的な検証。

 両頬を引き延ばしながらでは締まらない構図だったが、おかげでエレナが部屋を出て入れ代わりにクライムと執事が入室していた。




 ベッドの上でヴァリスタに玩具にされ抗議するプライムを見ながらクライムと執事は今にも泣き出しそうな表情で佇んでいたが、プライムが二人に気付くと瞬間、男の顔に戻った。

 泣きたい時に泣けない。

 男とは実に悲しい生き物なのである。

 そんな事を考えながらも立場が違えば自分も同じ顔をするのだろうと見て見ぬ振りで声を掛ける。


「上手く行ったみたいですね」


 ヴァリスタを手招きで呼び寄せてプライムから離すと、空いたベッド脇へ向かったクライムが毛足の長い絨毯に膝立ちとなり、目線を合わせて愛娘の顔を覗き込む。


「プライム、何処かおかしな所はないか?」

「うーん、ぜんぶ?」

「痛いか」

「痛いよ、凄く痛い。ライ君に穢されちゃった」


 何と恐ろしい事を言う箱入り娘なのか。

 一瞬ビクついた俺など気にも留めずに親子は対話を続ける。


「ははは、そうか。それは……良かった……」

「良くないよ! だってこんなに痛いんだから」

「そうだな、痛いのは誰だって嫌だ。俺だって嫌だ」

「でしょう?」


 くつくつと堪えて笑う親子の姿はまるで生き写しの様で、表情を得た事で似ているのは容姿だけではないのだと認識させられる。

 クライムが回復魔法を掛けながら、親子水入らずの会話が始まった。

 その横で執事がうんうんと頷きながら涙を湛えているのを見て、いよいよお邪魔かと思い二人で部屋を出る。




 階下、バーのテーブル席に腰掛けたエルフ奴隷のエレナを見付け、テーブルを挟み対面に立つ。

 役に立った協力者を前に、手を前に組んで多少なりとも敬意を払っておく。


「無事終わりました。そちらはどうですか」

「是非もなしね」


 遅鈍した神経で表情筋の動きに乏しい。

 それでも嫌な気分ではなさそうだった。

 隣のヴァリスタは俺を真似して前に手を組んだ後、瞬きを数度繰り返して何事かに思い当たった様でエレナに声を掛ける。


「プライムちゃん、痛いって」

「そう」

「ありがとう。おばさん」


 ふっと鼻で笑ってエレナは俺を見上げた。

 その無表情は鈍重故。

 しかし抗議のひとつでも受けるかと思ったが、どうにもそうではないらしい。

 おばさんはないだろと思いながら足元に尻尾を巻き付けてくるヴァリスタを撫で回していると、エレナは短く言葉にする。


「その娘を大切にしなさい」

「言われなくてもそうします」

「でも戦わせるんでしょう?」

「その為の仲間です」

「全く、理解に苦しむわね」


 笑う様な声色での呟きを受けて、エレナから視線を外す。

 元よりわかって貰うつもりも無いのだから。

 背後、まだカウンターで味わいながらカクテルを飲んでいたディアナを見ながら、二階の親子の対話が終わるのを待った。




 酔ったディアナがオルガとグレイディアに絡み始めて両側から肩パンならぬ乳パンされた頃。

 スキルの譲渡が完了してから一時間も経っただろうか。

 プライムの部屋の対面、クライムの部屋に一人通されていた。


 この部屋は仕事の合間に事務的な作業をこなす程度にしか使われていないのだろう。

 調度品などはなく、プライムの部屋に比べても非常に簡素で、飾り気のないベッドと机、紙に羽ペン、そして椅子が数脚あるだけだった。

 小さな机に暗い色合いの防具が置かれており、それを挟んで椅子に腰掛け対面する。


「まずは礼を言おう。娘を助けてくれてありがとう」

「お互い様です。ですがプライム様がお元気そうで何よりでした」

「少し元気過ぎるくらいだね。それで、まずはこいつを受け取ってほしい」

「こちらは?」

「古い時代より受け継がれて来た肩章だ。ご先祖様が活躍の折、さる高貴な方より頂いた代物だね」


 一度も見た事のない黒に塗り潰された肩章。

 艶消しでも施されているのだろうか、目を凝らせば何かしらの紋章が刻まれている様だが、そこに輝くものはなく、飾り気もない。

 曲線を描き肩を覆う様に形成されたそれは一目見ただけではただの肩当にしか思えないだろう。

 肩章と言いながら硬質化まで付与されており、およそ煌びやかな装いとは程遠い代物だった。


「そんな大切な物を頂く訳には参りません」

「既に公的な力は失われているよ。それに付けていて貰わなければ困る」

「というと?」

「それがなければ信頼の置ける俺の部下の支援を受けられないという事だ。逆に言えばその肩章を付けていればヘカトルに連なる者だと認識される」

「有難いお話ですが、それでは冒険者としての立場が危うくなります」

「ならないさ。ずっと公には使われていない隠者の称号だ。ごく近しい者にしか伝わらないその黒い意匠は、闇に潜む仕事に長けた証とも言えるが」


 それは暗殺で成り上がった一族という事なのだろうか。

 今更になって恐ろしくもあるが、王族に信頼されている実態もある。

 後ろ暗い歴史だけではないのだろう。


「それに、こちらとしてもライ君に下手を打って貰っては困るのでね」

「なるほど。支援という名目での監視ですか」

「情報を共有している共謀者ともは守らねばね」


 俺が捕まればクライムが咎人に加担した情報まで洩れる可能性がある。

 そういう危惧だ。

 これではもはや味方なのか敵なのか、保護なのか監視なのかよくわからないが。


 だから互いに自嘲して笑って、納得する事にした。




 肩章という名の肩当は頂くとして、未だ解消されていない疑問に思い当たり質問してみる事にする。


「それにしても、何故これまで冒険者として活動されていたのですか?」


 クライムは俯いてしばらく、沈黙の後に答えた。


「俺には妻の忘れ形見を捨てる事は出来なかった。だからこれまで表向き存在しない者として、隠匿して育てて来たんだ」


 そういえばクライムの嫁には会った事が無かった。

 忘れ形見というと――そういう事なのだろう。

 子供が居る事が知られていたのだから、その母親についても知られていたはずだ。

 アライブの『子はまた作れば良い』という言葉は、即ち過去を清算し新たな嫁を娶れという未来志向な考えでもあった訳だ。


「何とかなると思っていた。しかし生傷が絶えないあの子を生かすには金も、魔力も、時間も必要だった」


 鈍重から来る無自覚の自傷。

 日常生活ですら生傷が絶えない子を放置出来ないのは当然だ。


「朝になっては薬を飲ませ、昼になってはモンスターを狩り、夜になっては魔法を掛け……この繰り返しで俺はまともに国政にも参加出来なくなっていた」


 いくら私情があるとはいえ、公務に手が回らないのは貴族としては深刻な問題だ。

 フォボス・トラロックにはそれが『遊び半分で始めた冒険者』に見えたのだろう。


「親父もそれは問題視していてね。その時に回された仕事がアレだ」


 貴き者の責務にして、咎を背負う使命。

 まともな家柄――それも迷宮街を管理する名家の子息ならば普通は受けない下賤な任務。

 それを受けてでも守りたかったものがある。


「その後も迷宮には入り続けた。レベルが上がれば魔力の総量も上がる。回復魔法が使えれば死の危険も遠のく。しかし成長も次第に遅々としたものになって、いよいよ限界が見え始めた」

「頭打ちになりましたか」

「才能……なのだろうね」


 彼は低階層での魔石拾いを生業とする“冒険しない冒険者”としては強くなり過ぎていた。

 計算高い編成と効率の良い周回法を確立していても、経験値に減衰が掛かり始めれば深い階層に潜らなければ効果は薄い。

 それが当時の彼にとっては死活問題だった訳だ。


「エレナはその折に競り落とした奴隷の一人だ。最も国際問題に発展する前に回収するのが俺の役割でもあったから、そちらが本筋ではあるのだが」

「もしやこの店で働いている他の娘達も……」

「俺の回収した奴隷だね。せめて人並に労働もさせてやりたかったが、表向きはやはり奴隷。情けない話だが遊ばせている金もない。箱庭を与えるのが精一杯だった」


 他国の者を密売し、それが公になれば戦争にも発展しかねない。

 地下で活動する為には自身も外道に堕ちる必要がある。

 事が終わるまで奴隷を解放する訳にもいかず、かといって多額の税金を投じる訳にもいかなかったのだろう。


 そして掬い上げるのは国際問題に発展しかねない極一部の者のみ。

 瀬戸際で回収していたのだから、北方の領域から連行された竜人ディアナを競ったのも頷ける。




「以上が事の顛末だ。俺は貴族には向いていない」

「そうかもしれませんね。これではただの子煩悩な冒険者だ」

「どうせ歴史に名を遺すつもりもないし、ディアナさん含め奴隷の密売を見過ごし泳がせた罪を負って貴族社会から降りても良いんだけどね。俺のポストにライくんが成り代わってくれさえすれば」


 まるでその父アライブの様にあえて提案して来るクライムに、こちらもわざとらしく肩を竦めて見せる。


「罪を償うにはまだ早過ぎます。私が冒険者として塔を登るその日までは」

「まだ休めないか、俺も」

「これからでしょう。父親としても」


 自嘲気味に鼻で笑ったクライムは、その双肩に担って来たものがどっと崩れ落ちるかの様に背もたれに深く身を預けた。

 気品も何もない、呆けた表情で天を仰ぎ、見えない空に独り言ちる。


「ようやくあの子が笑えるようになったよ……」


 神か、仏か、はたまた――。

 邪道の先で、娘の笑顔という真に掛け替えのないものを手に入れたクライムは、その報告を誰に向けて呟いたのか。

 俺にはそれを静かに聞き流す事しか出来なかった。

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