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第204話「血化粧」

 プライムは口元から伝う血に気付いていない様だった。

 鈍重スキルの作用に依る激しい鈍麻がそうさせているのだろう。

 筋肉の収縮、骨の軋み、そういった生物が当たり前に感じているモノが、神経の遅鈍化により彼女には感じられていない。


 鋭敏スキルが異常に敏感になるのなら、鈍重スキルはその逆だ。

 俺が剛腕により力加減を見失った様に、鈍重も加減を喪失する。

 筋肉が薄いのは運動不足というより、そもそも運動出来ないのだろう。


 笑えば歯茎は痛み、頬を噛み切っても気付かない。

 今見せている出血がまさにそれだ。

 舌を噛み切れば一巻の終わり。


 だがプライムは痛みを感じない故に、その加減が制御出来ない。


 歩けば足を骨折するだろうし、フォークを咥えれば口内を傷付けるだろう。

 熱湯も冷水もわからないだろう。

 表情筋の鈍麻もあるだろうが、それ以上に自らの行動で自らを死に至らしめる危険を孕む。


 だから彼女が真に笑う事はない。

 今でこそこうして大人しくしているが、小さな頃はどうだったのか。

 アライブが悪魔の子と称したのは、決して邪悪な娘だからなのではなく、その無邪気な自傷行為に気を病んだからだろう。


 危ないから動いてはいけない、そう諭されて言う事を聞く子供がどれだけいるのか。

 ましてや痛みを感じないのだから――考えると恐ろしくもある。

 そしてプライム自身が苦しむ未来を踏まえて楽にしてやるべきだと考えていたのかもしれない。




 だが、俺ならその鈍麻を移植出来る。


 問題は誰に移植するか。

 提案すればクライムは躊躇なくスキルの譲渡を受け入れるだろうが、今度は鈍重に苦しむクライムを見て、娘のプライムが悲しむだろう。

 これでは意味が無い。


 先の闘いで発覚した犯罪者に擦り付けるのはどうだろうか。

 いける気はするが、プライムは連れ出せない。

 相手側を連れて来るハードルも高過ぎる。


 何より信頼の置けない者を通せば俺の能力が割れる可能性が高い。




 では鋭敏スキルを取得させるのはどうだろう。

 鋭敏と鈍重の相反するスキル。

 上手くいけば打ち消し合うかもしれない。


 だがこれは可能性の話だ。


 噛み合わなかった場合はどうなるか。

 脳の神経が焼き切れ廃人になったり、伝達物質の異常な増減と反作用が影響し常に痙攣したり、全身麻痺状態になってしまうかもしれない。

 繊細な管の集合体である脳神経が一度焼き切れれば、元に戻す事は不可能だろう。


 少なくとも未発達のプライムで実験出来る代物ではない。




 考えは纏まらず、未だ胸元を開け広げて治療行為を待つ彼女の口元を布で拭ってやり、シャツから指を離させる。

 握り拳を解けば掌にはくっきりと爪が刺さった痕が残り、これもまた浅く出血していた。

 シャツを整えてやると俺が諦めたと思ったのか、プライムはあっさりと引き下がる。


「御足労をお掛けしました」

「少々お待ちください。ヴァリー、プライム様と一緒に居てくれるな?」

「うん」


 ヴァリスタに任せて部屋を出ると、しっかりと扉を閉める。

 独りにしなかったのは、今にも消えてしまいそうだったからだ。

 次に迷宮から風でも吹いたら散ってしまいそうな――。




 あまり時間は無いように感じられた。

 心身共に衰弱しているのだ。

 本人に暗い未来を切り裂く意志が残されていない。


 だからここからは大人の話になる。


 誰が犠牲になるのか。

 そしてどう伝えるのか。

 そういったダーティーな話。


「結論から言えば私の能力でプライム様の足枷を引き剥がす事は可能です」

「本当か!」


 一瞬明るくなった場に、すかさず水を差す。


「ただ……この先を話す前に、口外しないと約束して頂けますか?」


 ちらとクライムと執事を見れば、そのどちらもが頷いて見せた。

 いざ、犠牲者が必要であると話そうとした時だった。


「ライさん」

「これは……どうも」


 先程まで階下に居たはずのあの奴隷のエルフが階段の隅から顔を覗かせ、声を掛けて来た。

 その出で立ちはバーの従業員の制服に身を包んではいるが、白緑の髪のオルガとは違う、金の髪に青い瞳、少し他人を見下した様な目付きを持つ、俺が想像する所のエルフらしいエルフ。


「少し話があるの、来てもらえるかしら」

「え? ちょっと待ってください」


 有無を言わさずといった感じで腕を引かれ、貧弱化した脚で咄嗟に動かされてこけそうになりながらも階段を下り、踊り場にまで引き摺り下ろされる。

 クライムと執事は茫然といった感じで、助け船は出してくれなかった。

 こちらに振り向いた彼女に対し、あまりに緩急の付いた動きに脚がついて行かず細身の身体に追突しそうになる。


 咄嗟に取った情けないへっぴり腰で、彼女の腰に手をやる形で勢いを緩和した。

 緩衝材とならなかったのは頭から突っ込んだ薄い胸で、やばいと思いながら見上げると、左右から伸びるすらりとした腕が撫でる様に両頬に触れられて、そのまま緩く押さえ込まれた。

 ホールドされた俺をしばし見詰めて口にする言葉に思わず目を細めてしまう。


「剛腕ね」

「わかりますか」

「それも先天的なモノじゃない」


 ぎんと目を見開いて彼女の能力を盗み見るが、特別なモノは見当たらない。

 何かあれば最初から警戒していたのだから。

 女の名はエレナ。

 スキルとして弓術と精霊魔法を持つエルフ、それだけだ。


「何をしたんです? 能力を盗み視ているんですか?」

「知ってるだけ。そんな凄い力があったら奴隷になってないわ。それに先天的な剛腕持ちはそんな情けない動きはしないから」

「なるほど……うちの奴より幾分か知識がある様ですね。胸の感触は同じみたいですが」


 話題に出したのはオルガの事で、エレナは大の男を胸元に抱いている現状に今更気付いた様で、ふっと笑って俺を解放した。


「それで? 今大切な話をしていたんです。プライム様が待っていますから」

「私を使いなさい」

「何です?」

「どういった手段なのかは解らない。でも貴方は能力を奪える。じゃあ奪った後の能力はどうなるの? 本来持って生まれて死ぬまで保有し続ける一の力を零に――無に還すなんて理屈に合わない。さっきの話は、そういう流れでしょう?」

「……だとして、どうするつもりですか?」

「もしそれをクライム達に継がせるのならば不幸を招くわ」


 それは俺も考えていた所だ。

 だが、だからといってこのエレナに継承させて良いという話でもない。

 それに思い当たってか、エレナは身の上話をする。


「クライムの闘いが終わったから、私はじきに解放されて故郷へ帰れる。それを持って姿を消せる」

「自分が言っている意味、理解しているんですか」

「プライムは全身が鈍麻に犯されている。感覚が無い。それを引き受けるという事でしょう?」


 そこまで解っていて鈍重を、あろう事が奴隷が進んで身に受けるという心境に理解が及ばない。


「私の精霊魔法なら簡単にだけど補助が出来る。手足を動かす程度なら造作もないわ」

「うちのエルフも精霊魔法を持っていますが、そんな能力はありません」

「でしょうね。だってあの娘ハーフでしょう?」


 ぴくりとする。

 一瞬侮辱の様に聞こえたからだ。

 赤の他人であればスルーも出来ようが、オルガは変態だが良い女だ。

 拳を握り見返すと、エレナは明後日の方向に目を向けていた。

 壁の向こうのオルガを視透すように優し気な表情を湛えていて、気が削がれた。


「どういう事です。ピュアなエルフとハーフエルフ、何が違うんですか?」

「血が混ざれば精霊魔法も少なからず影響を受けるの。だから混血は忌避される」

「なら向けられた悪意を見抜く能力はハーフ特有のもの……?」

「人族の血の為せる業でしょうね。だって人族は同じ種族で騙し合い、殺し合うもの」

「エルフだって同じじゃないですか。ハーフというだけで差別し、交渉材料にした。結果として彼女が俺の手に渡ったのですからピュアエルフ様様というものですね」


 俺の皮肉にエレナは軽く首を振って答える。


「そうしないと天蓋の下では生き残れない。精霊魔法が維持出来なくなれば朝も夜もわからない。魔族が現れても対応が後手になり蹂躙される」


 それは言い返せない。

 俺達はその恩恵を多分に受け、精霊魔法の維持という重役をエルフに依存しているのだから。


「ですが彼女からそういった話を聞いた憶えはありません。ピュアだのハーフだのは俺にとってはどうでもいい事です。いくら細工の凝った見栄えの良い宝石を見せられても、不細工でも偽らない欠片を選びます。騙すつもりなら命を賭ける事になりますよ」

「騙すつもりなんてない。森林地帯……私達の里ではハーフエルフは森の外縁部にしか住まわされず、社会との関わりはごく薄く、知識も与えられない。狩人として一生を過ごし、時として――」

「交渉材料にされる」

「――ハーフであれば血の流出は最小限で済む。だから、出来るだけそうする」

「効率的ですね。感動すら覚える」




 沈黙の中で考える。


 エルフの里の無情な方針はまるでシミュレーションゲームだ。

 だが筋は通っている。

 仮に俺が同条件で国の運営を任せられたら同じ事をするかもしれない。


 だとして、スキル鈍重をどう棄てさせるか。


 考え得る最善の手段はプライムから鈍重を引っ剥がし“消失した”事にするパターン。

 だがスキル譲渡にはドナー登録よろしく本人の意思表示が必要だ。

 エレナに譲渡したという事実は知る所となる。


 ならばエレナに一芝居打ってもらう必要がある。


「本当に良いんですね? 俺はクライムさんの様に優しくない。もし俺についての情報を口外しようものなら、森林地帯とやらに侵攻してでもその首を獲りに行きますよ」

「望む所よ。私はクライムに助けられた。その恩を返したいだけ。彼の友人である貴方に迷惑を掛けるつもりはない」


 奴隷として買われていながら『助けられた』と言って見せる。

 そうしながらもクライムやプライムに対し敬称も付けずに話すこの女の心境は――以前奴隷商人に聞いた半殺しで捕らえられたエルフの話を思い出す。

 クライムは地下オークションへの潜入捜査をしながらも、奴隷の競売にも参加していた。


 俺の知る中で、エルフの奴隷はオルガとエレナの二人しか見た事が無い。

 そしてエレナは先の闘いが終わった事で解放されると語った。

 一致しないだろうか、この女の存在は。


「もしや貴女は……密売されたエルフでは?」

「クライムに買われなければ、一生飼われていたかもしれないわね」


 どうやらそういう事らしかった。

 疑う思考は杞憂に終わり、何時もこうして気を揉む事になる。

 まるで俺が一人で勝手に踊っている様で馬鹿らしくも感じるが、グレイディアにそう教わったように最悪の事態を回避するには一にも二にも悩む必要がある。

 俺は止められないのだろう、この思考を。




「よくわかりました。ならばプライム様の鈍麻を引き受けてもらいましょう」




 階段の踊り場から二階へ戻り、話の続きを聞かせろと目で訴えるクライムと執事に会釈で返して、何事もなかったかのようにプライムの部屋へと入室する。

 違いはエレナを連れて居る事。

 そしてヴァリスタに手を握られていたプライムはすぐにそれに気付く。


「エレナ……?」

「プライム、今日で悪夢は終わりよ」

「何、どうしたの?」


 相変わらず無表情のプライムは、エレナの決意の籠った瞳を理解出来ずに居る。

 知る必要は無い。

 子供には荷が重すぎる。


 俺、プライム、エレナの三人のパーティを編成し、まずは大前提のスキル譲渡をプライムに取得させる。

 ぴくりと跳ねる様に過剰反応したプライムは何事かを理解した様で、畏怖にも似た眼差しで俺を見た。

 その少女と目を合わせ、嘘偽りなく真実を話す。


「私の能力です。それでプライム様の鈍麻を取り除けます」

「凄い……」

「しかし引き剥がしたものは必ず誰かに押し付けなければなりません。早い話、犠牲者が必要になります」

「そんな……!」

「ですが幸運でした」


 批判的な目を向けて来るプライムを制して、真実を伝えたその口で嘘を並べ立てる。


「このエレナは特異体質で、そういったモノの影響を受けません。さすがはエルフといった所でしょうか」

「本当なの?」

「私が嘘を吐いた事がある? それとも私を信じられないの?」


 プライムはエレナを信頼している様だった。

 エレナはクライムと共に迷宮で活動していた様に、戦闘能力も高いのだろう。

 だから此処の用心棒も兼ねて、プライムの世話もしていたのかもしれない。

 そのエレナを信じる様に小さく頷いたのを確認して話を進める。


「しかしこれは誰にも話してはいけません」

「何故ですか?」

「クライムさんはとてもお優しい方です。伝えれば要らぬ気苦労を掛ける事になります」

「はい……」

「それに彼女が特異体質であると知れればそれを悪用しようとする者が現れるでしょう。例えクライムさんに奴隷の身を解放されても、悪しき者の手で再び奴隷に堕とされてしまうかもしれません。そんな事、誰も望まないでしょう?」

「そう……ですね」


 先程までの貴族然とした態度から打って変わって、子供染みた口調と態度で口を噤み視線を落としたプライムの横にエレナが腰掛けて、その濡れた頬を撫でて最後の一押しを決める。


「だからこれは私達だけの秘密。守れるわね、プライム」

「うん」


 大人は嘘を吐く。

 それは子供を守る為という独善的な発想で、子供の意思を否定しながら行われる。

 善意の押し売り、継承される鈍麻、他の誰にも伝わらない痛みの譲渡だった。


 クライムとの約束を果たすべく、エレナの恩返しを成し遂げるべく、無邪気に受け入れさせて――此処にスキル鈍重の譲渡は完了され、報酬の対価は支払われた。

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