第203話「鎮守の館、霧の徒花」
フォボスを筆頭に町の貴族や奴隷を引き連れ王城に引き返した俺達は、それらを牢にぶち込み任務を終えた。
厳正な審査の上追って沙汰が下るとの事で、俺達への褒賞もまたその際に決められるという訳だ。
行ったり来たりと面倒な日程を終えて、再び風の迷宮街に戻るのはクライムに対価を支払う為。
風の迷宮は変わらず迷宮から放出されていた風を失ったままで、街中は大変歩きやすい。
「何処に向かうのですか?」
俺の疑問を受けたクライムを先頭にしてパーティが続く。
騎士達は既に解散しておりミクトラン王国側の存在はクライムのみだ。
些か気を抜き過ぎな気がしてならないが、もし襲撃でもされようものなら俺達が叩き潰すのでそこは心配していないのかもしれない。
クライムは歩を止めずに静かに答えた。
「すぐに着く」
方角としては風の街を東へ東へと進み、向かう先は領主邸ではない様だ。
ならば何処へ向かう気なのか、横を歩くグレイディアへ目を向けるが首を傾げて返された。
風が止んでいるにも関わらず裏路地も経由して進むのが尚更に理解出来なかったが、人目を避けているのかもしれない。
そうしてクライムに合わせ黙して歩くと遂に壁を前にしてしまう。
街を覆う大壁だ。
つまり最東端、外周にまで辿り着いてしまった。
見上げてもすぐには切れ間が見えないほどの高さは圧巻で、いよいよ行き先がわからなくなる。
そうしている内にもクライムは足早に動き、ひとつの建物へと踏み入っていた。
「ギムレット……」
「ご主人様が女の人を買った所だね」
「買ってないが」
覗き込んで来たオルガのドスケベな視線に目も合わせずに返しながら、件のはじまりの地である景色に困惑が隠せないでいた。
「どうしたい? 早く入るんだ」
スナックバーの様なその店ギムレットへ先行して入場していたクライムは、中々入って来ない俺達に痺れを切らした様で、頭を出して呼び込んで来る。
らしくない光景だが素直に従って店へ入る事にする。
中は薄っすらと暗がりとなり、以前と変わらない落ち着いた雰囲気のバーといった感じで、向かって右手側にはテーブルとソファーが複数、左手側にはカウンターに数席、寡黙なマスターが一人。
「わー……」
グラスを磨くマスターの背後に陳列された無数のボトルに目を奪われたディアナに気付いてクライムは声を掛けた。
「俺の驕りだ。好きに飲んで良いよ」
「あまり甘やかさないでください」
「良いだろう、今日くらいは」
「どうなっても知りませんよ。ディアナ、ご厚意に甘えさせてもらえ」
「ありがとうございます!」
受けないというのも失礼で、ディアナに飲めと命じればさっとカウンターに腰掛けて極太尻尾を暴れさせながら注文を入れた。
こいつ最初から注文決めてやがったな。
こんな時だけ機敏である。
「皆は……ディアナを頼む」
「任せてください」
先輩風を吹かすシュウは乗り気だが、オルガとグレイディアには損な役回りかもしれない。
うちのパーティでまともに酒を嗜んでいるのはディアナだけだ。
というかディアナは間違いなく潰れるまで飲む。
加減を知らないのだ、彼女は。
「ヴァリーは俺と行こう、な」
「うん」
子供に与えられない物を見せびらかすのは酷だろう。
そうして二人でクライムに続いて行けば何時か見た奴隷のエルフにテーブル席から視線を向けられ、会釈で挨拶としておく。
店の奥の暗がりには階段があり、それを登り二階へ。
二階に上がればごく短い廊下に出て、その左右にいくつか部屋がある。
廊下の突き当りには何度か会っているヘカトル家のあの執事が佇んでおり、こちらも会釈で挨拶を交わす。
執事が立つすぐ傍の部屋には貼り紙があって、クライムもその部屋を前に立ち止まった。
どうやらそこが目的地らしかった。
貼り紙は読めないが、『立ち入り禁止』なのかもしれないし、『従業員専用』なのかもしれない。
何にしても部外者には見せられない部屋で、その扉にクライムがノックを掛け、続けて声を掛けた。
「お客さんを連れて来たんだ。今、大丈夫かな?」
「どうぞ」
中から聴こえた入室を許可する声は、鈴を転がす様な、しかし風にでも流されて消え入ってしまいそうなものだった。
クライムが扉を開けると、手で促されて先に入室する。
ヴァリスタも後に続き、二人が入った所で扉は閉められてしまった。
退路を失い向き直ると、部屋の中央に据えられたベッドの上に“彼女”が居た。
プライム・ヘカトル 人族 Lv.14
クラス 騎士
HP 560
MP 70
SP 14
筋力 210
体力 100
魔力 70
精神 210
敏捷 140
幸運 210
スキル 鈍重
名はプライム・ヘカトル。
彼女こそがクライムの娘だろう。
クラスや能力値に特筆すべき点は見当たらないが、スキルに鈍重とある。
これは鋭敏とは真逆の、感覚を鈍くする効果だった。
スキル取得にも見られない、バッドステータスならぬバッドスキル。
まずは魔の法でなくて良かったとひとつ安心を得て胸を撫でおろす。
プライムはクライムの遺伝子を色濃く受け継いでいる様で、穢れのない金髪に澄んだ碧眼、年頃はヴァリスタと変わらない様に思えるが、幼いながらもすらりとした容姿で大人びて見える。
今まで眠っていたのだろうか、少しサイズが合っていない大きめのシャツを羽織り、足元には毛布を被せて枕元に腰掛けている。
憂いに満ちた表情はあまりに儚く、掴めば霧と散ってしまいそうなほどの弱々しさも感じられた。
此処がただの店ではなく愛娘を隠す隠れ家である事を知られたくない為に、騎士すらも置いて来たのかもしれない。
しかし今、この部屋にはプライムと無法の冒険者だけ――あまりに無防備過ぎる。
その状況を気にも留めず、プライムは俺の言葉を待っている様で、顔色ひとつ変えずにこちらを見ていた。
あまり黙しているのも失礼だと思い挨拶に入る。
「初めまして、私は冒険者の――」
「ライくん、ですね」
「――はい。ライと申します。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「プライムです」
ただ、プライムと名乗った。
美しい声色ではあるがいやに単調で、表情も変わらず、感情が見て取れない。
だからといってクライムの父アライブが言った様な『悪魔の子』の様な雰囲気はまるで見られない。
ヴァリスタが尻尾をぐるりと足元に巻き付けて来たのでその頭を撫で返してやると、プライムもそれに釣られて目を向けた。
「そちらは……」
「私の仲間のヴァリスタと申します」
「獣人……ですか?」
「え? えぇ、はい。そうです」
目を開け広げ、物珍しそうにヴァリスタと俺とを交互に見る。
獣人など珍しくも無いだろうが、プライムの驚く様な表情が見られて思わず言葉が詰まってしまった。
今までの人形の様な応対は美しさはあれど可愛げはなかった。
やはり感情が表に出て、人は初めて魅力的に映るのだろう。
ヴァリスタへの興味が尽きないのか、プライムは右手を少しだけ引き上げて、緩く握ったり開いたりしながら手を伸ばすべきか伸ばさぬべきかと思い悩んでいる様だった。
その手を捉え、遠慮せずにぐっと握手を交わしに行ったのはヴァリスタの方で、珍しく能動的に他人と接して見せた。
ひとつ大人になったという事だろうか。
そんな親心の様な甘い考えで静観してしばらく、交わした握手はそのままに、ヴァリスタは紺藍の瞳を目前の碧眼に合わせると突発的に呟き始める。
「チビ、ゴミ、クズ、能無し、役立たず」
思い出す様に口を突く心無い言葉のひとつひとつがプライムに突き刺さっていく様で、受けた言葉に碧眼は揺れ動き、次第に涙も溢れて零れた。
「ライ、この子おかしいよ」
「ヴァリー!」
「だって怯えてる。あの頃の私みたいに」
「ヴァリー……」
突発的に見えた行動はしかしヴァリスタにとっては熟考の上のものであった様で、それ以上思い当たる言葉が無かったのか、言い終えると震えるプライムの右手に左手を重ねて優しく包み込んだ。
ヴァリスタは難しい言葉は持たない。
というより、必要性を感じていないのだろう。
敵ならば殺す、仲間ならば救う。
そんなシンプルな答えが先に来ている為か『邪魔だから殺す』のではなく『殺す、邪魔だから』という肉付けで行為を正当化しようとするきらいがある。
少しでも面倒に感じれば抹殺を提案して来るのがそれだ。
罵声を浴びせられたプライムは涙を一筋、二筋と流してぽつりと呟く。
「彼女の……ヴァリーちゃんの言う通りです。私は恐ろしいのです。すべてが」
「プライム様は何も悪くありません」
「甘言は聞き飽きました」
プライムはヴァリスタの暴言を肯定し、優しい言葉を拒絶した。
彼女は聡い。甘い言葉に意味などない事を知っている。
疑問が残ったのはヴァリスタの反応だった。
これまで俺以外の者に『ヴァリー』と呼ばれる事を良しとせず、誰であれ睨み付けたり脅しを掛けたりして来た。
だがプライムに対してはそういった反応は示さなかった。
武力こそが正義のヴァリスタの中で、種族も出身も性格も異なるプライムが“同属”だと思われたらしい。
思えば先程の暴言の数々も、名無しであった頃にヴァリスタ自身が呼ばれていたという“名前”なのではないだろうか。
涙を湛えたプライムは鼻をすんと鳴らすと再び人形の様な無表情に戻り、ヴァリスタとの深い握手を解き、俺に暗い瞳を向けた。
「父は様々な人を連れて参りました。薬剤師、魔術師、神官……」
「その様ですね」
「ライくん。どうせ貴方にも何も出来はしない。持って生まれたものを変える事は出来ないのです。私は……生まれた事が、罪なのです」
「やってみなければ解りません」
「どうぞご自由に」
自暴自棄の言葉から気丈に振る舞い、痛々しく見せ掛けの笑顔を作るプライム。
そうして事も無げにシャツをはだけさせ、胸元を見せる。
曝された肌は白く、明らかに運動が不足しており筋も薄い。
今にも霧散してしまいそうな儚い身体につうと紅い筋が通った。
作られた笑顔、無理に上げられた口角――歪んだ唇の端から一筋、鮮血が垂れて純白のベッドを穢した。




