第201話「常世の底根」
屋敷外の喧騒が大きくなり、いよいよとタイムリミットが迫っているのを実感する。
今の俺が取れるムーブとしては、ヴァリスタの冴えた意見の通りフォボスを口封じしてしまう。
あるいはこの戦果を手土産とし姫フローラを頂き王侯貴族の仲間入りを果たす。
もしくはすべてを棄て今すぐ戦線を離脱し、塔攻略へと向かいこの世界からの脱出という可能性に賭ける。
そんな手段が考えられる。
安全なのはフローラとの乳繰り合いだが、俺のみを求めているはずはない。
子供が産まれ安定するまで向こう三年は身動きが取れないと見ていい。
隙を見て勇者レイゼイを連れて逃走、塔攻略への逃避行とする事は出来るだろうが、失敗した場合九割九分奴隷堕ちだろう。
ならば馬鹿らしくとも、思い浮かぶ手段を講じておくに越したことはない。
焦る気持ちを抑えてディアナの手を取る。
「ちょっと付き合ってくれ」
「え、ちょ……何ですか?」
「便所だ便所」
「トイレ? 二人で? 此処の……此処で?」
必要なのは戦闘能力でも魔力でもない、魔導に長けた者。
この世界の電子機器とも言えるそれの知識を持つ者。
「いやです……」
「なんで?」
「い、いや、だって、嫌ですよこんな所で! しかもトイレで! 誰に聞かれるかもわからないですし! や、宿! 宿に戻ってからならお相手しますから!」
嫌がるディアナ、しかし背に腹は代えられない。
腕を掴んで引っ張って、目指すは立て札が置かれていたあの扉。
「クライムさん、二人でしばらく籠ります。騎士達は頼みます」
「あ、あぁ……出来るだけ時間を稼ごう。なるべく手短にな……」
「皆は誰も入って来ない様に見張って居てくれ」
「うん!」
快諾して警備を始めたヴァリスタを除き全員に目を逸らされながらディアナを便所へ引き摺り込む。
場所は三連便所のド真ん中、いかにもな立て札が置かれていた個室だ。
後ろ手に施錠すると、便所の隅に機敏に逃げたディアナを放って外套とマントを取り払い、気合を入れて洋式風の便器を見直す。
「や、やめましょうよこんな事……冷静になって。ね、ライ様……」
「悪いな、時間がないんだ」
この便器、一見すれば普通の物に見えるが、外側からの留め具が見られない。
かといってカバーで隠されている様子もない。
内側から留めているのだとしたら水に曝されて錆びてしまいそうなものだが。
蓋を開けて覗き込む。
やはり工事中だったのだろうか、水は張っていなかった。
使った形跡もないし、臭いもない。
「あ、あれ、何もしないんですか? というか何してるんですか?」
「俺はいいからこいつを見てくれ、どう思う?」
「うん……うん? 何かこれ、おかしいですね。ほら、この後部。魔石の交換を容易にする為に分解出来る規格が採用されているはずなのですが。骨董品なのかな?」
途端真面目に分析し始めるディアナ。
指摘する魔導水洗装置の納まるタンク部分を見直せば、確かに便器と一体型になっている。
すぐにカイザーナックルを嵌めてタンクを殴り壊すと、内部は空で水も入っていなければ魔導具も組み込まれていなかった。
「む、無茶しますね……」
「でもこれで解ったな」
「模造品……というか、特注? この屋敷の人、便器好きだったんですかねぇ……」
タンクと接合されているはずの水道管も見られない。
これは完全にカモフラージュ目的で作られている。
改めて便器内部に視線を移し躊躇なく手を挿し入れるが、奥には何もない。
ここも空洞だ。
本来そこには排水及び汚物を流す為の管状の構造があり、家屋内に悪臭を漏らさない様に封水可能な形状のはずだ。
水も無ければ便器としての設計自体にも欠陥がある。
「うーわっ! ちょっと何やってるんですか! 私そういう趣味は無いんで! ほんと勘弁してください!」
「ちょっと静かにしてろ」
「いやです! 断固反対! 便器男! 便器の勇者!」
「お前逃げんなよ。鍵開けたりしたら逆鱗撫でまわしの刑だからな」
「幻滅です!」
「俺にどんな幻を見てたんだよ」
ディアナに罵倒されながら肩まで便器に突っ込み、内側から探っていると指先が突起物に当たる。
仮留めされていたナットの様な物で、四隅に軽く留められたそれらを外し終わると、腰を落として便器を抱え横にずらす。
そこには下へ向かう階段があり、やはり以前奴隷密売で通ったアレと同じ隠し階段だった。
「これは……よく気付きましたね。というかよく手を入れる気になりましたね……」
「便所は得意分野でな。元の世界では便器で飯を食っていたと言っても過言ではない」
「えぇ……」
つくづく運命というものを感じてしまう。
もし俺に憑いているとすればそれは便器の神だろう。
運は悪いが悪運は強いらしい。
「さあ、行こうぜ」
「何処に行く気なんですかね」
「此処しかないだろ」
マントと外套を羽織りながら向ける視線の先は便器の元在った場所。
暗い階段を見下ろして、ディアナは立ち竦んだ。
汚物がある訳でも空気が汚染されている訳でもなし、それでも心底嫌そうにして動かない彼女へ、カンテラを出すついでに防臭マスク代わりの布を渡してやれば、それで鼻と口を覆って泣きそうになりながらもついて来る。
器用なもので、極太尻尾を壁にも階段にも接触させないよう慎重に追って来た。
「うぇぇ……排水路を通ってる気分ですよ。穢れてしまった……」
「俺はそんなディアナも大好きだよ」
「何言ってるんですかね、この人は……」
捻り出した殺し文句が通じないようなので黙る事にして階下を目指す。
「これは……」
階下、正真正銘の地下へと辿り着くと、石造りの広い空間に出る。
所狭しと檻が在り、陰鬱な雰囲気をカンテラの灯りで照らせば淡く浮かび上がったのは虚ろな瞳で収監された奴隷達だった。
ディアナは冗談でなく気分の悪そうな表情なので、手を引いて足早に奥へと連れて行く。
「見なくていい」
「でも……」
「俺には助けられないし、お前にも助けられない。何も考えるな」
檻と檻の間を縫って行くと、壁際には大きな机が置かれていた。
机の下には木箱と、その中には魔石が入っており、明らかに怪しい雰囲気だ。
その机の上に一枚置かれたカードを取ってディアナに手渡し、壁伝いに周囲を探索する。
「ギルドカード……ですかね?」
そんな疑問の声が聞こえて、もしかすればそれに密売のデータが記録されているのかもしれないと考えながら、大きな魔導具が目に入ってディアナを呼び寄せる。
大の男の身長ほどもありそうな直径の四角い石のような物だが、魔石が挿入されており、側面にはいくつもの横長の穴――スロットの様なものがある。
スロットはすべてが埋まっていた。
「カードが挿入されているな」
「此処で情報を書き込んでいたんでしょうか」
「かもな。このカードは何て書いてあるんだ?」
見れば挿入されていたどのカードにもラベルの様な物が貼られており、そこに何事かが記入されていた。
適当に引き抜いてディアナに渡すと、ふむふむと読み込んで伝えて来る。
「日付と場所みたいですね」
「当たりだな」
「でも読み取りの装置がないですね」
机に置いてあったカードにはラベルは貼られていない。
とりあえず引き抜いたカードは挿し直して、戻しておく。
何だかSDカードだとか、USBメモリだとか、そういった物を連想してしまう。
「これで読み取り可能なんじゃないのか」
隅から隅まで見ていると、石のような物の側面、魔石の挿入された穴の付近にいくつかの突起があった。
上から押してみる。
すると鈍く青色に発光して見せた。
「うおっ」
「作動したみたいですね」
これが情報記録装置だった場合、隠蔽しておかなければならない。
その下の突起を押すと、青い光が収束して、表面にじんわりと青い文字が形成された。
「これは名前ですね。参加者名簿かな?」
「王城とかで使われているあの石板みたいな奴か?」
「ですかねぇ」
「密売の買い付け先はどうなってるんだ?」
「それぞれにバラバラな奴隷商人の名が表記されているみたいですよ。でも何かなーこれなー」
思い悩むディアナを置いて、石のような物を起動させたまま片っ端からカードを抜き挿しして反応を伺う。
いくつか試した所で抜くと光が分散し文字を為さなくなり、挿すと光が収束し文字が浮かび上がるカードを見付ける。
今表示されている文字はこのスロットから投影されている様だった。
とすると、やはりカードに情報が刻まれているらしい。
そうして確認の取れた所でディアナが思い出したように声を上げる。
「あー! あれです! ほら、業務用の魔導具!」
「どれだよ」
「ギルドでもこれに近い物を管理用に使ってると思いますよ。これで偽造したカードを公的な魔導具に取り込ませて情報を上書きしていたんでしょうね。それなりに地位のある人しか出来ない芸当ですよ」
「上手い事やるもんだな。操作は出来そうか?」
「多分……でも私そんな上位の権限持ってませんでしたし。上のトイレもそうでしたけどこれも妙に作りが古臭いんですよね」
「やるだけやってみてくれ」
最悪全データロストでも構わないが。
ラベルの無いカードを預かりつつディアナにやらせてみると、すぐに操作に慣れた様だ。
「一番若い日付の情報は出せるか」
「うーん、最新のものでも結構古いですね」
直近の奴隷密売は俺の参加したもので、ごく最近だ。
やはりこのラベルの無いカードが俺の情報入りだろうか。
あくまでデータを保存しているのはカードのようだから、情報を改変するならスロットに挿す必要がありそうだ。
「挿しただけで情報吸われたりしないよな?」
「カードの書き込みと読み取り、削除くらいしか出来ませんよ。やはり過去の遺物ですよ、これは。完全に独立していて、情報の共有が出来ていないみたいですから」
スタンドアローンの魔導具という事か。
それは地下組織には都合の良い管理設備だろう。
対して冒険者ギルドの設備は何かしらの共有システムが働いている訳だ。
「じゃあ俺の情報を検索してくれ」
ラベルの無いカードを挿入して検索させるとすぐに見つかったようで、文字の読めない俺に代わりディアナが読み上げていく。
「えっと……ライ、買い付け先はスネイルって書いてありますね」
「ほう……」
公的にはその情報が共有されている訳だ。
聞いた事のある名前は、風の迷宮街で仲介となった奴隷商人だ。
風の迷宮街の領主アライブの言に依れば、奴隷商人は客の情報を売らないという。
神に認可されたクラスという誇りを持っているからだろう。
事実俺も告発されていない。
ディアナがどういったルートで俺の手に渡ったか、それはスネイルのみぞ知る所となる。
実態はスネイルもディアナの事など知らないだろうし、仮に知っていたとしても話さないのだろうが。
「あ……私の名前もある……」
「悪いな……」
「いえ、大丈夫です。竜人ですから、このディアナは」
ディアナはひとつ深呼吸をして俺の情報を消去した。
カードは最初と同じようにセットし直しておく。
此処にリストアップされた者達はいつか捕まるだろう。
ライの名が消された偽造名簿を置き去りにして。
地下の奴隷密売オークション――そこに俺は居なかった。




