第199話「邪悪なる闘い」
風の街の近郊にはいくつかの町がある。
迷宮街の壁の外に形成されたスラムに住みたくない者や小金持ちがこういった町に定住するのだろう。
前回密売に参加した町の様に人の気配の薄い町もあるが、今目前にしている町には薄っすらとだが光が漏れ出、生活の気配がある。
大きな家屋も見られ、そこそこに発展している町だとわかる。
これから此処に乗り込むのかとしばし眺めながら武装を整える。
両の腰にはロングソード。
強固なディフェンダーもあるが、一応表向きは国軍の一員である為、目立ち難い量産品を獲物とする。
胸元、白鱗のブローチをぐっと引き上げてマントを整えると、その上に更に外套を着こみ、クライムが装備を整えている暗い人力車へと乗り込み最終確認に入る。
「此処の貴族は多数の奴隷を飼っている。娯楽としては些か過剰な程にね。部下達にはその保護及び無力化を命じてある」
「無力化……抵抗する者は殺めて構わないという事ですね。私もその奴隷達を相手にすれば良いのでしょうか」
クライムは静かに首を振った。
「俺達はそれらには目もくれず領主邸へと向かう」
「それはまた何故」
「ライ君に関して俺が握っている情報はメモ書きのみだ。しかし此処には紙媒体のみならず魔導具でこれまでの参加者の情報が蓄積されているだろう。特に魔導具に保存されていた場合はまずい。証拠として効力を発揮してしまうからだ」
早い話が証拠の隠滅だ。
「この手でやらなければならないという事ですね」
「真面目な奴は証拠を残そうとするだろうし、王の息の掛かった者も居るだろうからね。さすがに証拠を隠滅しろなどと指示は出せない」
この為に俺を参戦させたのか。
いくらクライムが証拠隠滅に走ろうとも一人では限界がある。
だからといって第三者を通せば情報が洩れる危険がある。
スパルタな騎士団とはいえ一枚岩ではないという事か。
争奪戦の様相を呈して来た。
地下組織の本拠地と言っても外観は普通の町だ。
迷宮街の外壁の様に堅固とはいかないまでも、まるで光を外に漏らさないように高い壁が構築されている。
門番も居たが、人力車から降りたクライムがハンドサインで指示を下せば何処からともなくナイフが飛び、同時に側面から現れた黒ずくめに押さえ込まれて命を奪われる。
音も無く抹殺された衛兵が寝転がされたのを確認すると、別の人力車から降り合流した仲間達と共に町へと乗り込む。
黒い外套を身に纏った騎士団が静かに町の包囲を完成させたのを見計らって指示を出す。
「グレイディアさんに指揮をお願いしても?」
「構わんが」
「こいつを使ってください」
取り出したのは騎士剣バタフライエッジアグリアス。
長大な剣は小柄なグレイディアには扱い難いだろうが、両手に携えてもらう。
「例の飾剣だな。どうすれば?」
「隷属の首輪を打ち破れます」
「ほう……?」
「富裕層の家を狙い撃ちにしてください。目に付く魔導具を破壊して周りながら奴隷達を解放し、騒ぎを引き起こし戦線を乱します。程よく混乱したら領主邸で落ち合いましょう」
「間怠っこしいな?」
「勝ち戦ですからね。放っておくと一瞬で片を付けられてしまいます」
「なるほど。良い心意気だ」
金の髪を外套に隠しながら、その口元には狂暴な笑みが見られた。
作戦を聞いていたオルガもまた白緑の髪と長耳をフードで覆いながら肩を叩いて来て、不審そうに疑問を口にする。
「これ協同の隠密作戦じゃないの?」
「今だけは官軍の尖兵だからな。ラッキーだぜ、後片付けは国がしてくれる」
「そんな無責任な……」
じとっとした視線を目深に被ったフードで切り、会話を遮断して行動に移った。
暗い街灯の町並みは特筆すべき物もなく普通だった。
特徴がないそれはあくまで町並みの話で、人の気配はしても人の通りは無い。
予めそうなるように仕向けていたのか、あるいは今が時刻的に夜中だからなのかは不明だが、この暗黒の空では朝も夜も景観にさした影響は与えない。
作戦開始、クライムが直々に指揮を執り家庭訪問が敢行される。
それを見送って一団から一人離脱し大通りを真っ直ぐと、遠く見える領主邸へ向かって行くと、敷地の境界を示す鉄格子の小さな門を潜り白いコートに軽鎧を纏った女騎士が出て来た。
頭の前部のみを守るバイザーの下には金の髪、空色の瞳――姫の騎士エニュオだ。
外套の下で抜剣し、片手にロングソードを暗く携え歩みを止めずに向かう。
「止まれ! 何者だ!」
「んひいいいっ!?」
制止の声を掻き消す様に背後からは情けない絶叫が木霊した。
ちらとフードの端より目を凝らせば腰布を押さえて汗だくで町中を走る恰幅の良いおっさんが見えた。
その背後、豪邸から飛び出て半裸のおっさんに追いすがる、これまた裸の少女の姿。
手にはナイフが握られており、背に跳び掛かった。
肩口に一刺し、おんぶの形にしがみつくが、実態はそんな可愛いものではない。
ザクザクと半狂乱気味に背から首から掻っ切られて行き、ひどい血飛沫が撒き上がっていた。
その横を長大な剣を持つ黒い影の集団が音も無く駆けて行き、その先でもまた悲鳴が上がる。
グレイディア達は上手く動いてくれているようだった。
石造りの地面を転げ回る変態親父だが、結局背に取り付いた少女の殺人おんぶは剥がせず、血の噴水と化しおぞましい断末魔をあげてもがいた後、一際大きく血を放出し激しいプレイは終了した。
成金親父の背中に突き立てられたナイフ――。
風の迷宮で見た風化した亡骸を思い出して少し嫌な気分になりながら向き直る。
「何だこの喧騒は……」
困惑する声を聞きながら、外套の下でロングソードをだらんと下げて歩み寄る。
すると途端に声色が怒気を孕んだものに変わる。
「この先は領主の敷地だ。これ以上の進入はまかりならんッ! 止まれ!」
その言葉を無視してもう一歩前に出ると、腰に帯びた太身の剣を抜き放ち、大きく振り被りながら踏み出して来た。
MPの減少が見られた。
彼女のスキル、体力値を貫くという重剣技が発動されたのだろう。
重剣技と遠心力とで練り上げられた一撃は轟と重い風切り音を従えて肩目掛けて振り下ろされる。
スタンスを広く取り直し、ロングソードを両手で握り込み下段から振り上げ打ち合わせる。
耳を塞ぎたくなるような摩擦音が響き、エニュオの顔が歪んだ。
音にやられた訳ではない、衝突の激しい痺れが伝わったのだろう。
「これは……ッ!?」
一瞬力が緩んだのを見逃さず、合わせた剣を引き戻す。
支えを失いぐらりと揺らいで中段まで落ちた太身の剣目掛けてもう一撃。
今度は両手持ちの全力を上段から叩き込む。
「ぐっ……! あっ……ぎっ!?」
強烈な剣の接触音とは別にぼきりと鈍い嫌な音も拾って、エニュオの右肩が外れたようだった。
右足を下げてすぐにテイクバックし、手放された太身の剣を拾い上げられないようロングソードで地面ごと抉って力任せに弾き飛ばす。
我ながら見事なスイングで太身の剣は手の届かぬ範囲に押し飛び、石造りの地面に擦って火花を散らして行った。
落ちた太身の剣の横にカランと虚しく細身の切っ先が踊って、手元を見ればロングソードの刃が粉砕していた。
あの鉄板の様な近衛騎士の剣と剛腕の圧に耐え切れなかったらしい。
折れたロングソードを放って右腰の剣鞘からもう一本を抜剣しながら、丸腰となったエニュオにぐっと身体を近付ける。
その圧迫感を受けて咄嗟に逃れようと彼女の左足が動いた為、股下に脚を擦り潜らせながら軸となっている彼女の右足に狙いを付け、踏み抜く。
「なっ……!?」
剛腕の影響で脚力は弱いが、体重や体格差の兼ね合いもあってか、軸足を潰すには問題なかった。
突然に足の動きを抑制された事でバランスを崩している。
前傾に倒れそうになった彼女の胸当てにガッと肩を合わせ、逆手に構えたロングソードの石突で腹部を突いた。
「ぉっ……」
押し出されるようにびしゃりと散った唾液だか胃液だかを肩に受け、漏れた声にならない声は、剛腕の威力をピンポイントに打ち付けられありったけの空気が吐き出されてた為に発せられたものだろう。
HPも根こそぎ持って行ったのでまともに抵抗も出来ないようで、そのまま身を預けて来た彼女を肩に担ぐ。
涎の道を作りながら門に辿り着くとその横の壁際に降ろした。
それでようやく圧迫が解けたようで、思い切り息を吸い込んでハァハァと涙やら涎やらに塗れた顔で意気込んでいる。
まだ戦意はあるようだが、身体がついて来ていない。
何故此処に居るのかは知らないが、組織に関係があるならば追って沙汰が下されるだろう。
一応知り合いだしフローラのお付きの者でもあるので、この姿で捕縛されると無罪だった場合が恐い。
あまり時間は掛けられないので布を取り出し乱暴に顔を拭いてやるが、それが闘志に火を点けてしまったようで睨み返して来た。
「このような……事をして、許されると……オッ!?」
息も絶え絶えに文句を言って来たので顔を拭き終えた布を口にぶち込んで、噛み付いて来ようとする歯はグローブには通らない。
嗚咽も聞こえて来るが口内を圧迫したまま押さえ込んでおき、大通りで脱走者を捕らえんと構える騎士の一人を呼び寄せた。
「かなり暴れるので縛り上げといてくれませんか」
「了解!」
「……ぐっうぅ!」
無理矢理に上体だけを起き上がらせると抜けた右腕がだらんと垂れ下がり激痛を伴っているようだ。
残念ながら嵌め方はわからないのでそのまま騎士達に預ける。
あちらこちらから怒声が聞こえて来て、初めこそ集団で家庭訪問していた騎士達だが、次第にばらけて襲撃を始めているのがわかる。
エニュオの捕縛を任せると領主邸へと乗り込んだ。




