第198話「冥府魔導の深みへ」
ディアナの機転で有耶無耶にされた場で、王は唐突に話を切り替えた。
「時に風の噂で我が娘フローラがライ殿と一夜を共にしたと聞いたのだが」
「ぶっ」
突然爆弾を投下され吹き出し赤面するフローラ。
ざわつく一帯、縮まる股間。
大丈夫だ、俺は何もやっていない。
ナニもしていないし、むしろ紳士的に接していたはずだ。
「まさかと思ったが、ライ殿より贈り物を頂いたと嬉し気に見せられた事があってな」
確かに世話になった礼に魔石を渡した事はある。
だがそれが何だというのか。
菓子折りを渡す程度の事、何の事はない。
耳まで赤くなった顔を両手で覆ったフローラが見えて、どうやら彼女の差し金ではないらしい。
フローラの部屋から勝手に持ち出されたのか、いつの間にか宰相が手に持っていた特大の魔石に感嘆の声が上がる中、嫌な予感に顔を引き攣らせた。
「これは凄い。これほどの魔石は見た事がない。婚約指輪には些か大き過ぎるやもしれんが」
ねっとりと話しながら大仰に驚いて見せる。
魔石を婚約に使うなど聞いた事も無い。
そもそも結婚などするつもりがなかったから調べてすらいなかった。
後ろ暗い事があるのは解っているはず。
その上で俺をカタに嵌めようと言うのだ。
俺の引き攣った顔を見てか、今度は隣で片膝をついていたクライムがひとつ咳を吐くとさっと身なりを整えて囁く。
「どうしたい」
「何です?」
「姫を娶りたいなら協力するし、嫌なら話を切り上げるが」
「後者で」
「嫌いなのかい? フローラ姫が」
「王族アレルギーでして」
顔を下げて苦笑したクライムは視線を王に戻す。
「失礼ながら、よろしいでしょうか」
「申せ」
「いくら姫様と仲がよろしくとも、秩序を維持する為にも疑念を抱かれたままのライ殿を野放しにする訳には参りません」
何を言う気だ。
片膝をついたままマントの下で静かに戦闘体勢を整えていると、クライムはすっと立ち上がった。
諸侯の視線は口を噤んだ俺から離れ、隣の優男へと集中する。
「ライ殿の疑いを晴らす為、この戦いへの参戦を要請したいと考えております」
二転、三転と話題の転換に置いて行かれ、隣のクライムを見上げても大丈夫だと目で応えるばかりだ。
理解が及ばない。
「咎人を疑われる者に背を預けるというのか」
「幸い私は冒険者として力を付けて参りました。しかし敵方は無数の奴隷を抱えており、激しい抵抗が予想されます。何時魔族が現れるやもしれないこの状勢では騎士団総出で向かう訳にも参りません。たった一戦であれ、ライ殿が協力してくださるならばこれ程心強い事は無い。それにこの状況ではいかにライ殿といえども、まさか拒否など出来ますまい」
そうしてクライムはわざとらしくこちらを見下ろした。
その様子を見て王ボレアスは深く玉座に座り直すと言葉を返した。
「何かあればその首で贖って貰う事になるぞ」
「お任せください。件の問題は風の街近郊を根城として起きた事、一貴族として、私が責任を持って片を付けます」
「良かろう。アライブよ、貴公も相違ないな」
「御意に」
クライムの父アライブもまた“件”に俺を巻き込む事に賛同した。
俺が迷宮で暴れている間に一体何が起きていたのか。
クライムが件の話題を振れば何事もなかったかのように謁見は終了し、衛兵に案内されてディアナと共に客間へと通された。
「何があった」
大きな机を中心にそれぞれ椅子に腰掛けていた仲間達を見て安堵すると、即座に問い掛けて来たのはグレイディアで、鋭い目付きが簡潔に話せと物語っている。
「俺とディアナが恋人で、疑いを晴らす為に戦わされるみたいですね」
「噛み砕き過ぎ」
苦言を呈されて説明し直す。
遠く机の向こう側からのヴァリスタの視線に怯えるディアナを背に、グレイディアとオルガは理解が及んだようだった。
静かに聞いていたシュウが首を傾げて疑問を口にする。
「要するに戦争に駆り出されるんですか?」
「よくわかんないですね」
「大丈夫なんですか、それ」
「戦争なんて大仰なものじゃない。賊の征伐だよ」
ノックも無く開かれた扉と同時に背後から聞こえた声――クライムのものだ。
廊下はどうやらヘカトル家の騎士に埋められているようだった。
遠慮せずに入って来たクライムが扉を閉めた所でグレイディアが椅子から立ち上がり軽く会釈をして見せて、面々がそれに倣う。
「賊というと、やはり奴隷密売の組織の事ですか?」
「そうだね。深く根差した無法者を炙り出す為に長い時間を掛けて調査を行って来た。奴隷を収容しているその本拠地を叩く」
「奴らの味方ではない事を行動で示せという訳ですか」
「ああ、これですべてが終わる……」
クライムは視線を少しずらし、大きな身体を俺の背に隠していたディアナへと向けた。
「そしてディアナさん。あまり詮索したくはないが、これが最後の機会だ」
二人は姿勢を正して相対する。
「仮に今後何かしらの証拠がもたらされたとしても、確実なものでない限り王はそれを握り潰すだろう。国が国である限り、決定は簡単には覆らない。つまり、この戦いを持ってより君は被害者という立場ではなくなる」
「それを私にお話しされるのですか」
「ああ、これは俺とライ君が共謀者となる上で重要な事項だ。後になって北方から不法に連行されたなどと騒がれては困るからね」
「件の竜人であれば助けも乞うたのでしょう。でも私は……龍人は、龍撃と共にあります」
「強い女性だ。国の助けは要らない……そういう認識で良いんだね?」
クライムの視線に深く頷いてみせるディアナ。
クライムは種族の変化という超常現象に対し、理解は出来ずとも現実を受け入れたのだろう。
最終確認を終えて、青い瞳がこちらを見据えた。
「その尋常ならざる力の恩恵、享受させてくれよ?」
予約された罪は果たされ、次なる咎へと手を伸ばす。
差し出された右手を掴み、堅い握手を交わす。
剛腕の膂力にクライムの顔が歪んだが、真に俺がそれを保有している事が伝わり、暗い笑みへと移り変わる。
竜人ディアナという存在は無いものとして扱われ、代わりにクライムは俺の力の一端を利用する。
望み通りの結果を得られるかはわからない。
それでもクライムは、可能性に賭けた。
「これより賊の征伐へ向かう」
とんぼ返りだった。
馬がなければ騎士が牽けばいいじゃないという無茶な理論を完遂するヘカトル家の騎士団を脚として、風の街へと引き返す。
尻は悲鳴を上げるが、来た時と違い人力車に同乗するのはクライムで、その父アライブと比べれば気を張らずに済む。
長椅子の様に組まれた座席に腰掛け姿勢を正し黙していたクライムは、城下町の検問を通過したのを境に姿勢を崩してこちらを見た。
「しかし王も王だ。今時婚約に魔石の指輪とはえらい古風な儀礼を持ち出して、よっぽど好かれているようだね」
「ははは……此処では証を立てるような事はあまりなされないんですか?」
「そこは人に依るけど、指輪は決して婚姻の証という訳ではないね。奴隷が首輪をするように、物で契りを交わす行為に忌避感を抱く者もまま居るから。ライ君が知らなそうだからあえて出したんだろうけど」
あのタヌキ親父。
舌打ちもしそうになる。
「弄ばれたのでしょうか」
「というより落とせないと悟ったんだろうね。姫様が荒れるぞ、アレは」
一国の王ともあろう者が娘を咎人とくっつけようとするなどいかれてるとしか思えない。
フローラに『お父さん臭い』とか『近寄らないで』とか言われてしまえと呪いながら、椅子にもたれ掛かる。
悪口とは自分が言われて嫌な言葉が思い浮かぶというが、確かにそれをヴァリスタに言われたらへこむ。
ふっと互いに鼻で笑うと、それにつけて先の話が持ち上がる。
「謁見に臨んだ諸侯の人数の変化、気付いていたかい?」
「少ないとは思いましたが、もしや……」
「既に何人かは始末した。勘付いて落ち延びた者も居るだろうが、しばらくすれば浮き彫りになるだろう。あの組織はもうお終いだ」
この優男、俺が迷宮でモンスター相手に暴れている間に、人族相手に暗殺をこなしていたらしい。
「あのオークション会場にも間者を紛れ込ませて居たんだ。気付かなかっただろう?」
そういえば用心棒は首輪を嵌められて睨みを利かせていたのに、門番や案内役はそういった縛りもなく嫌に丁寧な対応だった。
あの内の誰かがクライムの送り込んだ密偵なのだとしたら、見事に侵入先で信用を勝ち得、重用されていた訳だ。
「しかし従軍が認可されるとは思いませんでした」
「王命は絶対だ。そして俺は全力を持って事に当たれと命じられている」
一度下した命は簡単には取り下げられない。
それは王政故の難点。
失敗を認めれば王の権威が落ちるからだろう。
殺しのライセンスも与えられ――任務が失敗した場合、罰を負うのはクライムという事だ。
それからしばらく揺られて、大股に開いて溜め息をひとつ。
身体を前傾に倒して腰を落ち着けると、聞こうか迷っていた事を口にする。
「間違っていたらすみませんが、クライムさんが望むのは家族に関しての事……ですよね?」
「察しはついているという訳だ。それでも解らないだろう、笑顔すら自由に作れない子供に何もしてやれないもどかしさは」
幸いにもうちのヴァリスタは笑顔を見せてくれる。
偏食のきらいがあるのが心配だが、些細な事だろう。
「親父は顔を会わせる度に表に出してはいけないと念を押す。俺もあまり、他人に会わせたくないと思っている」
「……」
「人の目があると頑張ろうとするんだよ、あの娘は。それがあんまり不憫でね」
正直心情の機微はわからない。
俺に自分の血を継いだ子はいないのだから。
「俺は……貴族としての自分より、父親としての自分を選んだ」
「……」
「会わせる顔がないな」
そのまま会話はフェードアウトした。
翌日――風の街、郊外。
閑散としたひとつの町の外で、物々しくも武装を整える一団。
真実を闇に葬る為の一戦、更なる深みへの一歩を踏み出そうとしていた。




