第197話「暗黒への挑戦」
尻が痛い。
緊張の中、休まる事なく約二日。
暗い空、滞留した風、人力車に揺られてとにかく尻が痛い。
早く柔らかなベッドに横になりたい。
もしかすればこれを狙って徹夜の移動を慣行したのだろうか。
そんな邪推をしてしまう程度には弱った尻を強く締め、見据えた大扉の先は赤の絨毯。
此処は王城――謁見の間。
仲間達とは引き離されて、すぐに通され孤立無援だ。
参列者にはアライブだけでなくクライムも見付けたが、それが目に入る程度には数が少ない。
性急な謁見だ、貴族諸侯が間に合わないのも無理はないか。
以前もそうだったが謁見までにまるで時間を要しない。
ならばこちらも礼節に意識を削がれる必要は無い。
赤い絨毯を踏み抜いて、場の中央を突っ切る。
両端には無数の騎士。
王との間にはまだ多く距離が残るが、部屋の中腹で立ち止まる。
何時かの例に倣って片膝をついて、儀礼的な無言の挨拶とする。
「よくぞ参った。面を上げよ」
命に従い視線を上げれば、華美な装飾の椅子に腰掛けた王ボレアスが目に入る。
その横には静かに佇む姫フローラ。
近衛騎士エニュオや暗黒勇者レイゼイの姿は見えない。
「魔族征伐の噂は耳に入っておる。我が国が為よくぞ奮闘してくれた」
「人の世の為にございます」
「そうであったか。ともあれ貴殿の功績をここに評そう」
「ありがとうございます」
王の有難いお言葉に合わせ、近衛の騎士から金一封を差し出される。
まさか毒饅頭ではないだろうし、丁重に受け取る。
褒美の譲渡を見届けて、王ボレアスは真剣な面持ちとなっていた。
「さて、単刀直入に申そう。貴殿は我が国に忠誠を誓っていないな」
「以前申し上げました通り、私は冒険者です。一所に留まる謂われはございません」
「我々も無理強いするつもりはなかったのだが、しかし今回どうしても貴殿の忠誠を確かめねばならぬ事態にあった」
「……詳しくお聞かせ願えますか」
「まこと残念な事に、秩序を乱す不届き者が我が国の内部に滞留している事態が発覚したのだ」
「滞留……ですか」
無論頭の先から足の先まで腐っているのを承知の上での発言だろうが、よもや今になって自浄作用が働いていないとでも言いたいのか。
詭弁だ。
「件の関係者を洗った所、不逞な人身売買が行われているとの事でな。我が国としても長年に渡り問題にしていたのだ」
「それに私が携わっていると?」
「いや、聞くに及び貴殿の様な勇猛な男が、この様な姑息な事案に携わっているとは思えないのだ。もしや知らず泥を塗られたのではないかと思ってな。であれば断罪するのも忍びなく召喚した次第だ」
「まさに知らぬ存ぜぬの事態でありました。ご配慮、感謝致します」
思い当たるのは地下オークションくらいだ。
密告者は恐らく――ちらとクライムに目をやるが、イケメンフェイスに反応は見られない。
してやったり、というものではないらしい。
それはそうだ。
あれは完全に俺の意志で参加したものだ。
奴隷商人からの再三の忠告を受けた上で、だ。
この場合、飛んで魔に入る羽の虫とでも言うのだろうか。
まだ火遊びの方が可愛げがある。
「ところでこの件、どなたが確認されたのでしょうか」
「ヘカトル家が次期当主、クライム・ヘカトルに一任しておる」
「クライム様ですか。なるほど、確かに迷宮で“一度”お会いした事がありますね」
クライムを見れば、今度こそ反応を伺う事が出来た。
片眉だけが上がって、それはもう心の底からの困惑。
しかと視線を交わし、王に向き直る。
「して、早速ではあるが奴隷の身柄、引き渡して頂こうか」
「複数仲間を連れておりますので確認させて頂きたいのですが、その奴隷というのはどういった人物でしょうか」
「ディアナという竜人の女だ」
「なるほど。確かに私の下には同性同名の者が居ります。今、この場に呼ばせて頂いても?」
「許可しよう」
王命を受けて二人の騎士が謁見の間を出て、緊張からか身体を小さくしたディアナが連れて来られた。
容姿は竜人から逸脱し、頬にまで達した白い鱗を目にして様々な反応が沸き、にわかに騒がしくなる。
その中にあって王ボレアスだけは冷静だった。
恐らくすべて承知の上での茶番劇。
詰め将棋に付き合うつもりはない。
王手に興味が無ければ、狙うべきはタヌキ親父ではなく――。
「さて、こちらが私の仲間、龍人ディアナでありますが。如何でしょうクライム様、見覚えはありますか?」
「些か以上の変化が見られるが……」
「果たして変化という表現は適当でしょうか?」
「まさか誤報だったと?」
「いえ、まさか。しかし間違いがあってはなりませんから。是非スキル等もしかとご確認頂ければと」
石板がディアナに持たされて、そこに情報が示される。
種族は龍人、スキルは剛腕が抜け落ちて、似て非なる存在と成ったディアナの情報。
それがクライムの手に渡って一瞬の沈黙の後、二度、三度と視線を上下させ、情報と実態を見極めた様だった。
「如何でしょうかクライム様」
「まさか……」
何らかの答えに辿り着いてか、クライムは目を開け広げ、黙ってしまった。
反して王の瞳は薄く鋭い。
「クライムよ。騙るなよ、真実を申せ」
「……はっ」
思案に遅れて返事をしたクライムはわざわざと歩み出て、俺の隣に着いた。
そこで片膝をついて恭しく頭を下げるとイケメンフェイスは真横に来る。
囁き声の耳打ちが、決着の証だった。
「あの娘の生まれ持っての性質を捻じ曲げたのか」
「もしそうであれば?」
「……信じるぞ」
覚悟が決まったか。
碧眼は暗く強く王へと向けられた。
「あの場で黒尽くめの男を見掛けたのは確かです」
「であれば……」
「しかしながらその者が冒険者ライであった確証はありません」
「何?」
「如何せん薄暗い会場。それに風の迷宮でライ殿と初めて顔を会わせたその足で向かったものですから、少々語弊がありました」
「クライムよ……」
「正確には『冒険者ライに似た男を見た』でした。しばし戦場に身を置いておりました故、言葉に乱れがあった様です。この場を借りて訂正致します」
静まる場にあってもお構いなしにクライムは続ける。
「ともすればライ殿を陥れる為に画策した不逞の輩が居るのやもしれません」
王はクライムの妄言を溜め息交じりに受け流した。
そうして視線は俺の背後へと向けられる。
立ち尽くしていたディアナへと白羽の矢が立ったのだ。
「ディアナよ」
「は、はい!」
「その身は北方の領域より連行され奴隷とされたはずだな」
「いえ……」
「何らかの不正が行われたのではないか?」
「……知りません」
「王の命をもって身の安全を保障しよう。その上で奴隷の身から解放する事を約束する。どうか真実を語ってほしい」
「そ、それは……」
背後、ディアナの震えた声が届いた。
彼女にとっては願ってもいない提案だろう。
「自立出来るのだ。必要とあらば我が国の魔導機関への斡旋も行おう。今一度ヒトらしく生きるがよい」
追い打ちを掛けられて、ディアナは遂に沈黙した。
突然だった。
沈黙の先で何かに気付いた様にはっと声を上げたかと思えば、ごくりと唾を飲む音が続いた。
「私がその軟弱なディアナであったならば、礼のひとつも口にしていたのでしょう」
僅かに低く落ちた声色は、吃る事無くすっと真っ直ぐに押し出された。
「そもそもとして私は自らの意志で冒険者ライと共にあります」
「奴隷の身でありながら志があると言うのか」
「あまり見くびらないで頂きたい、人の王よ」
この緊張に気でも触れたか。
らしくない剛毅な台詞に思わず振り返ると、その赤瞳は曇りなく澄み切った龍の如き眼光へと変貌していた。
「この身は龍の血が流れております。魔力刻印如きに犯される脆弱な魂だとお考えならば甚だ不遜」
遠慮のない反論に場が凍る。
吐き気も催しそうな俺に対して王ボレアスはむしろ強い興味を覚えた様で、前のめりに質問が返される。
「捏造でなく真に龍の血族だと申すか」
「あるいは鱗の化け物でも構いません。信じられないのであればそれも結構。人族にしてみれば龍も化け物も、さした違いはありますまい?」
「……だとして、龍の血族が龍を撃滅する者に従属するというのか」
王の疑問にディアナはすっと指を上げた。
指し示す先は天井。
天井の先は暗黒。
暗黒の先は――。
「私達は上の世界から参りました。今は塔を登る為に闘っています。それに――」
その言葉はまるで俺を模倣した様だった。
指し上げられた手はゆっくりと降ろされ胸に置かれた。
視線が集中する。
そこに何かがある訳ではない。
ただ続く言葉に畏怖と期待とが入り混じって、異様な空気が生まれていた。
一呼吸、大きな胸が膨らむと、見た事も無い自信満々な表情で最後の言葉を吐き出した。
「――それに、我が鱗を授けた相手ですから」
その手の位置を自らに重ねてぞくりとする。
それは間違いなくマントに付けた白鱗のブローチを示していた。
釈明出来ない公の場で、やってくれる。
「ライ様の想い人……?」
此処まで王ボレアスの隣で影薄く黙していた姫フローラが呟いた。
そういえば以前『俺を待っている女が居る』だとか大嘘をぶっこいた記憶がある。
嘘が真になりそうだ。
大見得を切ったディアナに唖然とした姫フローラ。
その混沌とした場においても王ボレアスは冷静だった。
「では件のディアナとはまるで別人だと。なれば亡骸を捜索する必要が出て来るな。風の迷宮で宜しいかな、ライ殿?」
「確かに風の迷宮での出来事でありますが、あれは魔導書の扱いを誤り木っ端微塵に爆死しました」
「……捜しても見付からないというのか」
「魔道学者を自称しておりましたので好きにさせた結果、惨劇を招いてしまいました。好奇心に殺された、不慮の事故でした」
苦しいか。
だがどういった理由でも構わない。
竜人ディアナは見付からない、絶対に。
「相わかった。もし隠蔽が発覚した場合相応の罰が下るが、承知の上だな?」
「理解しております」
あまりに冷静な王ボレアスと、ゴリ押した俺に、乗ってしまったクライム。
貴族から一転共謀犯と化したクライムには後悔があるのではないか。
ちらと横に目を向けたが、その瞳が揺らぐ事はなかった。




