第196話「土と風と燻る者」
カーテンを緩く閉め暗がりとなった部屋で、髭親父がどかりと椅子に腰掛けた。
机を挟んで対面に座して話に入る。
「どうですか、状況は」
「良くねえな」
「でしょうね」
「風が止んじまったからな。疑われてるぜ、大将」
「何時頃に風が失せたか覚えていますか?」
「正確にはわからねえが結構経ってるな。出歩いてる奴も多いだろ?」
想像通りというか、何と言うか。
風の消失は守護者を倒した事が原因ではないだろう。
「風の主は妖精さんか……?」
「あん?」
「いえ、迷宮は無事なはずなのでご安心を」
「ならいいけどよ。この街は冒険者だって昔っから住んでる奴ばっかなんだ。騒ぎが収まってからが問題だと思うぜ」
何せ壁の外にまで住まう者が居る街だ、一度火が点けば面倒な事になるだろう。
早めに行動するのが吉か。
「冒険者といえばクライム・ヘカトルさんは見ましたか?」
「見てねえな。どうしてだ?」
「いえ、この街の冒険者として名のある方ですから、近況を知っておきたいと思いまして」
未だ冒険者としての活動に戻っていないとすると、ヘカトル家に何か問題があったか、はたまた国に動きがあったか。
クライムといえば確か娘が――。
「ところで人族が重篤な症状……例えば病気に掛かった場合って、普通どうされるんですか」
「病気ィ? さては何か貰ったのか?」
「まさか。例え話ですよ」
「普通は教会に行きゃ解決するもんだが」
「普通は治療出来るんですね?」
「あ、ああ。何かやべえのか?」
軽く首を横に振って否定を示せば髭親父はほっと息を吐く。
「教会の他に道具屋で何か薬物を購入したりとかは?」
「しねえな。普通は」
「ではもし、普通ではない、治療の効かないものがあるすると?」
「腕がぶっ飛んだりとか、生まれ持ったモノとかじゃねーの?」
生まれ持ってのモノと言えば、ディアナの剛腕が記憶に新しい。
考えたくは無いが、領主アライブがクライムの娘を悪魔の子と称していた。
自分の孫娘を、だ。
魔の法という邪悪な先例もある。
国の内部から食い荒らすというのは、魔族が人族を滅ぼすにはうってつけの手法だ。
上の世界があの様なのだから、下の世界の中枢に入り込まれていてもおかしくはない。
問題なのはクライムの娘の存在自体が貴族の恥部とも言える事だ。
何故なら本来間引くべきものを生かしているのだから。
通常、謁見すら叶わないだろうが――。
「ありがとう、良い話が聞けました」
話を切り上げすっと一枚硬貨を差し出すが、髭親父の顔は優れない。
「一枚では足りないと?」
「い、いや。まさか金貨とは思わなかった」
「仕事には相応の対価を支払うものですよ。何より貴重な時間を使って頂いたんですからね」
情報収集に時間を割かせたのだから、その分冒険者稼業が疎かになる。
本来得られたであろう報酬を与えたに過ぎない。
何より金で時間を買ったと思えば安いものだろう。
翌朝、風の街からの脱出を試みる。
行動は早い方が良い。
対応される前に、究明される前に。
仲間達を引き連れて風を失った静かな街並みを歩いて西の門へと向かう。
ディアナなどは二日酔いに苦しんでいるが今回ばかりは我慢してもらおう。
脱出というと大袈裟だが、ただの移動も検閲があるだけで肝が冷える。
辿り着いた大きな門は十数名の騎士が配された厳戒態勢だった。
朝早くからこれだけの人数だ、尋常ではない。
早速と寄って来た騎士達は取り囲む様子はなく、こちらの出方を伺う様に問い掛けて来た。
「冒険者ライだな」
「何かご用でしょうか?」
「ああ、御用だ。領主様がお呼びだ、来て貰おう」
やはりそうなるか。
抵抗する気もなく大人しく連行されて領主邸に辿り着けば、その門前は巨大な箱に塞がれていた。
四隅に光度の低いランプが取り付けられた箱型。
木製のタイヤを持つ――以前奴隷商人が乗車していた人力車に近いだろうか。
その陰から領主アライブが姿を現してぞくりとする。
服装は以前の様な華美な物ではなくて、ほどほどに着飾っただけの正装だった。
「意外と早い再開であったな」
「今回はどういったご用でしょうか」
「顔が引き攣っているぞ」
「気のせいですよ」
無理に顔を作った俺に対してアライブはやけに清々しい表情をしている。
「風の迷宮について聞きたい事があってな」
「それで厳戒態勢ですか」
「いや実は王が貴殿と会いたいそうでな。丁度そちらの準備も進めていた所だったのだ」
「それは光栄ですね。しかしまことに残念ですが水の迷宮に向かう所でしたので、風の迷宮のお話が済み次第出発させて頂きます」
「西方か、なら都合が良いな。我々も同行し、道中話を聞くとしよう。長い旅路だ、王城で休ませて頂くと良い」
また領主邸で圧迫面接でもされるかと思ったが、王城に連れて行かれるのか。
しかし案外と早い期限の到来。
俺を落とす算段がついたという事だろうか。
後方に居たグレイディアにちらと目を向ければ軽く首を振って応えられてしまった。
逃げ道は無いらしい。
それからすぐに四台もの車が用意されてそれぞれに搭乗させられると、乗り心地の悪い人力車が発進した。
装備を剥がされたのは俺だけで、そうすると独り領主アライブと同席させられる事になる。
残りの仲間達は別の車に乗せられて、まるで奴隷になった気分だ。
車の内部はそこそこに広いが窓も無く、長椅子状に組まれた座席があるだけだ。
一番に問題なのは獣人の狂戦士ゲインスレイヴが目前に居る事だった。
威圧感は以前より薄く感じられるが、それは軽鎧ではなく正装をしている為だろう。
ヴァリスタを彷彿とさせる目付きの悪さにガタイの良さも相まり、その服装は全く似合っていないが。
丸腰の俺に対して武器を携行している上に、鋭い眼光が常にこちらへと向けられているので気が休まらない。
天井に取り付けられた申し訳程度の暗い光源がまた窮屈だ。
非常に居心地が悪いが、努めて顔に出さずに居た。
しばし揺れる座席に尻を痛めながら乗っていると、停車と共に積み荷の確認も行われ、検閲を通された。
体感的にいやに長い時間揺られていたが、ようやくと街を出た所らしい。
そこに来て初めて話を切り出される。
「崩壊した土の迷宮に続き、風が止んだ事は承知しているな?」
「はい」
「心当たりはあるか?」
「いいえ」
アライブは冷静だった。
「そうか」と一言だけを告げられて会話は打ち切られた。
追求の要は風の迷宮ではないのか。
呆気にとられるも気を抜かずに様子を伺っていたが、緊張とは裏腹に時は鈍重に過ぎて行った。
しばらく運行すると一旦の休憩に入り、暗い灯りの下で温かい飯が配られた。
簡易な野菜のスープではあるが、俺達が野外で食べるそれとは明らかに異なる。
具材もあれば香りもあり、匂いだけでも胃袋が唸る。
そのスープが騎士達の手で次々と配られて、一切の渋滞無く行き届いて行く。
腐った騎士ばかり見て来たが、領主の召し抱える上級の騎士ともなると練度もそれなりのものなのだろう。
それは奴隷にも別け隔てなく、俺の隣に静かに居たヴァリスタを見付けると屈み込んでスープを手渡した。
しかしいざ受け取ったヴァリスタは何とも言えない表情で俺を見上げる。
「貴重な食料を別けて頂いたんだ。お礼を言わないとな」
「でも野菜……」
「野菜でもだ」
「そっか……」
ヴァリスタはまじまじとスープを見る。
野菜が浮かぶスープを。
それでもひとつ納得して、騎士に視線を戻して一言。
「ありがとう、おじさん」
「おじ……」
おっさん認定された騎士はまだ若いが、確かに俺よりは幾つか年上だろうか。
見た所二十台半ばといった感じだが、肩を落として意気消沈してしまった。
どの世界も子供の屈託の無い言葉は胸に刺さるらしい。
それでも野菜が不評だった為か、申し訳無さそうにこちらを見て来たので、手挨拶で返答した。
ヴァリスタもヴァリスタだが、いくら食べられる様になったとはいえ野菜尽くしはキツいらしい。
この世の終わりの様な表情でスプーンを野菜の海に泳がせていた小さな手が、何かに引っ掛かった事で急停止し、眼が光る。
掬い上げれば野菜に埋もれた肉を見付けてしまった様で、すぐに口に運ぼうとしたので制止する。
「ヴァリー、ちょっと待て」
「食べたいの?」
「いや、そうでなく」
さすがに子供の飯を奪い取るほど腐ってはいない。
とはいえこの状況だ、何が盛られているとも知れない。
少々疑いが深過ぎるだろうか。
それでもしばらく様子を見て、警護の騎士達やゲインスレイヴ、アライブ自身も口をつけたのを確認してから食事を許可した。
ようやくと肉を口にしたヴァリスタと対照的に、スプーンに掬い上げた野菜を美味しそうに頬張ったシュウが味を確かめて渋い顔で呟く。
「何だか負けた気がします……」
「何を競っているんですか」
冒険者でなく村娘の性が滲み出てしまったシュウは、はっとして表情を繕った。
俺もひとつ冷静になって行動に移る事にする。
周囲に目を向け直すと、意外な軍勢に驚きが隠せない。
警護役に牽引役、数えれば四十人近くは居るのではないか。
その部隊の中で目を付けたのは何時か会った壮年の男。
魔導焜炉を使って調理を行っている、ヘカトル家の執事だ。
スープを片手に声を掛けに行く。
「お久しぶりです」
「これはライ様。どうかされましたか」
「とても美味しいスープでしたので一言お礼をと思い」
「それは良かった」
「お話も伺えればと思いまして」
「料理にご興味が?」
「塔を登る事を目的に掲げておりますので。どんな戦士も腹減りには勝てませんから」
「なるほど」
ふっと笑った執事は大鍋をかき回しながらしばし、思案気に口にした。
「塔と言いますと、やはり長丁場になるのでしょうね」
「そうですね。どれほど掛かるか見当もつきませんから、食料の保存なども不安視しております」
「保存ですか。一般的には冷蔵していますが、設備の問題がありますからね」
「それは購入出来るものでしょうか?」
「市販されておりませんよ。やはり巨大な設備となりますから」
「なるほど、問題は多そうです」
冷蔵庫の導入は厳しいと。
魔導具の小型化が促進されていないのが問題というのは間違いないが、これほど一般化されていながら進化が滞留しているのも奇妙な話だ。
いや、強化はされども小型化には向かないのか。
謎空間にぶち込めば設備のひとつも持ち運べそうではあるが、さすがに工業製品となると足がつくし、ディアナに作ってもらうのが一番かもしれない。
「そういえばクライム様の姿が見えませんが」
「数日前に発たれていますからね」
「やはりアライブ様とは別行動なのですね」
「頑固なのですよ、お二人共」
風の迷宮街が領主アライブと、その息子のクライム。
どちらにも歩み寄りは見られないらしい。
そうすると、クライムは地下のオークションが終わって後、すぐに風の街を発っていたのだろうか。
それではいくら探そうとも出会えるはずもない。
怪しまれない程度に会話を続けていたが、休息時間は長くなく、全員が食事を終えるとすぐに移動となった。
そのまま移動は続き、問題が起きる事も無く人力車は順調に運行される。
ほぼ停車する事は無く、食事等の小休止を除き昼夜を通して移動を続けたのだ。
四台もの車を用意したのも訳があって、何か物品を運送する訳でもなく、人海戦術が為の編成だった。
人力で引くのだから通常一日中動き続ける事は不可能だ。
だからいくつかのメンバーが入れ替わり立ち替わりで引き続ける。
凄いのは、それらの部隊が騎士で成っている事。
身形の良い彼らが奴隷が如き牽引作業を行っているのだった。
一般の騎士と比べても教育が行き届いている風だし、上級騎士は意外とスパルタなのかもしれない。
そうして騎士達の重労働によって、幸か不幸か二日としない内に王城へと辿り着いてしまった。




