第195話「遺風残香」
「迷宮、壊れませんね」
黒い空を見上げていたシュウが呟いた。
やはり土の迷宮自壊の原因は魔力か何かが枯渇していたからなのだろう。
迷宮は、守護者を倒しても壊れない。
「生きて帰るまでが冒険って事だな。ヴァリー、そこらに落ちてる武具回収しといてくれるか」
ヴァリスタはうんと頷いて動き出した。
さて、肝心のウインドブレイカーのドロップはどんなものか。
仲間達の中心に目を向ければ、落ちていたのは魔石がひとつと、細く鋭い漆黒の――角だろうか。
針剣クサグキ 剣
必殺
針剣クサグキ――必殺の効果が付与されている。
捻じれた鱗の刀身と、申し訳程度の螺旋の鍔。
属性的には剣らしい。
刺突に特化した形状はウインドブレイカーの一本角に酷似しているが、スケールはヒトのサイズに準拠している。
追加効果の必殺は勇者九蘇が持っていたそれだ。
その効果は急所を見極めるとある。
すると、ドラゴン戦で窮鼠猫噛み的に見せた顎下への一撃はまぐれではなかったといえる。
それが外付けのデバイスでなく本人の能力として備わっているのだから、いかに勇者が強力な存在なのかがわかる。
問題なのはこういった強力な能力を保有しているのが一人だけではない事だ。
一応、こちらの強みとしては知識と情報がある。
その上でやはり人材も武装も並では勝ち目が無いだろう。
幸い守護者からはまぐれでなくそれなりの物が手に入る事がわかった。
出来れば剛腕両手持ちの馬鹿げた力に耐え得る頑強な武装も持っておきたい所だが――。
しかし針剣クサグキ、これはどうしたものか。
必殺の効果は魅力的だが、物としては刺突剣に近い。
完全に扱うにはそれなりの技量が必要だろう。
「シュウさん、この剣使いますか?」
「私ですか?」
「何か追加効果に必殺って付いて――」
「あーいいですねー! 使います使います! 丁度手頃な必殺技が欲しかった所なんです!」
装備した所で必殺技が使える様になる訳ではないのだが。
ぶんぶんと振って必殺技を編み出そうとするシュウを見ていると、目が釘付けになった。
「ん?」
「え、どうしました?」
「これはこれで……いや、なかなかどうして……」
「うーん?」
小首を傾げたその下、どうしてか肌の色がよく目に入る。
服の下にあるはずの白い肌が透けていた。
さすがは守護者と言った所か、衣類を透けさせる効果が付与されているらしい。
透けた先には下着が覗いて、透過の効果は服装一着分だろうか。
もったりとした胸部は天然の純脂肪産で、若干と重力に負け気味の積載を着衣が抑える。
なるほど男を必殺する武器。
真剣な眼差しで考察していた俺と周囲の視線に、遂にシュウが自身の変化に気付く。
「えええ!? 何ですかこれ、また呪いの装備じゃないですか!」
頬を真っ赤に染めて右手で胸部を、左の爪盾パンツァーで下腹部を隠して、針剣クサグキは宙を舞っていた。
放った針剣は地面に突き刺さって、切れ味は中々のものらしい。
消えた服がすぐに姿を見せた所で、関心は最高潮に達する。
守護者という奴は呪いを掛けないと居られないのだろうか。
しかし今回は爪盾パンツァーの脚部装備破壊ほどの邪悪さはない。
見るのとやるのとでは違うものだし、物は試しだ。
痛む掌で拾い上げて見れば、見る見るうちに服が透過した。
上半身は既にズタボロとなっているシャツなのでたいした事はないが、しかし防具の残っていた胴と右肩だけは衣類が視認出来る状態に気付く。
下半身はパンツが見えるだけに留まっているし、外側だけを透過するのだろうか。
「何ですぐ試そうとするんですか!」
「透明ってロマン感じますよね」
「感じませんよ! 体! 体隠してくださいよ!」
「おっと失敬」
顔を覆った両手の指の間からガン見していたシュウに配慮して針剣クサグキを謎空間に放り込んだ。
手放せば服装の透過は元に戻り、やはりダメージを受ける様な呪いではないらしい。
一通り後始末も終わって、ヴァリスタが小さな体で抱えて来た装備を受け取って収納すると、軽く衣類も整え直して振り返る。
「もう此処に用は無い。行こう」
霧の失せた階段から、今度は上層へ登って行かなければならない。
目的を達した帰り道というのが一番危険なのだ。
だから気を抜かず、警戒は何時も以上に堅固に高め、時間を掛けて帰路についた。
一歩迷宮から外へと出ると、強い違和感に襲われた。
それは普段見られない喧騒によるもので、ブロック分けされた建造の脇道からは人々が姿を現していた。
傍目に見れば穏やかな昼下がりといった所だろうか。
しかしこと風の迷宮街という場においては大通りが賑わう事態は異常に他ならず、得も言われぬ気味の悪さに戸惑いながらも冒険者ギルドへと向かった。
「やりましたね」
冒険者ギルド一階。
魔石を百個程度換金に出して受けた開口一番の労いは、決して称えるものには聞こえなかった。
何時もの受付嬢ヴェージュは相変わらず尻尾はふさふさで、しかしその表情は如何ともし難い硬化したもので、元々あった距離が更に広まった様に感じられた。
わからないとばかりに肩を竦めて見せると、その茶色い瞳は訝しむ様に細められグレイディアに向かい、目で会話して見せる。
グレイディアもまた肩を竦めて、全く同様の反応にヴェージュはほとほと呆れた様子で口にした。
「風が止みました。此処の迷宮も見事に撃滅されたのでは?」
「光栄ですね。そんな凄腕に見えますか」
「さあ? 私は一職員に過ぎませんので」
呼吸にも似た風が迷宮から排出されなくなった懸念が大部分を占めている様で、迷惑な風が止まったにも関わらず俺という個人への風当たりは強まっていた。
「結局最後まで事務的な一本調子でしたね。嫌われる事をした覚えは無いのですが、気難しい方だ」
「最後?」
「此処での目標を達成しまして。じきこの街を発ちますので」
「……ギルドが見過ごしても国が見過ごすか、保障は出来ませんよ」
「ありがとうございます」
ツンとそっぽを向いて呟いた忠告だけはビジネスライクなものではなかった。
知己の間柄であるグレイディアに向けてのものかもしれない。
グレイディアは俺と共に行動している。
そこで何か起きる度に積み上げて来たモノがダルマ落とし的に吹っ飛んでいくのは間違いない。
出発点として何も持たない俺と、信用を勝ち得ているグレイディアとでは対極にある。
だからどうしてもどちらかが得をして、どちらかが損をする関係になってしまう。
俺達の場合は勿論――。
事実として風の迷宮は崩壊していない。
とはいえ迷宮の変化が此の地に住む者に与える影響は計り知れない。
実害が無くとも、風評被害というものがある。
迷宮が壊れてしまうのではないかという懸念を皮切りに、人材の流動や消費の低減、未曽有の影響が不安視されるのも仕方のないことであった。
「では、くれぐれもご自重ください」
「ご自愛の間違いですかね。心に留め置きましょう」
「その調子が崩れない事を祈っています」
手厳しいお祈りを受けて魔石の換金も終わると、ちらと他の冒険者達へ目を向ければそこに馴染んで駄弁る髭親父を見付ける。
相変わらずドワーフの様な髭面だが、こういった所では見分け易い
ごく僅かに指先を動かし目立たない挨拶を交わすと、冒険者ギルドを後にした。
風の失せた街を歩いて一軒の店に辿り着けば、何時にない穏やかな雰囲気にあった。
黒くない室内は黒くない木造り。
いわゆる普通の色合いの木が使われた店。
豪勢に使われた木材で出来た大きな机や椅子は、ともすると美しい調度品とは言えないのだが、下の世界においてはその素材自体が高級だ。
客は数える程で、ゆったりとした時間を過ごしている。
そこに馴染まない冒険者一行こそが俺達で、そわそわと辺りを見渡すシュウがごく小さく呟く。
「何かひっじょーにお高い香りがしますね」
「好きに飲み食いしてください」
隣で黙していたヴァリスタからじゅるりと音が鳴る。
今日は随分と出費が大きくなりそうだ。
俺の出す金というのも結局は皆の働きから得ているものなのだが。
たまの散財は給料代わりとしておこう。
「特にオルガ」
「え、ボク?」
「お前には一番負担掛けてるからな」
「そうだったの? そうなんだ、一番キツい役割だったんだ……一番キツい役割だったんだー」
わざとらしく繰り返したオルガの言葉にグレイディアが堪えて肩を震わせているのが横目に見えて、口を滑らせた事に気付く。
実際攻撃も回復もやらせているし、その上精霊魔法でのサポートも兼任で、遂に司令塔の役割にも食い込み始めて来た。
面倒な要求が来そうだが――今回は大目に見よう。
ふとヴァリスタに視線を向けると、裕福そうなおっさんが食べている分厚いステーキを食い入るように見つめていた。
あれは決して子供が注文する物ではないと思うが。
身動きもしないので耳打ちしてやる。
「思う存分食べて良いぞ」
「えへへ」
はっとして一瞬口を半開きにしたが、そのまま表情を綻ばせてしまった。
最近格好付ける事が増えたが、食に関しては一貫して素直だ。
一番の成長と言えば肉だけでなく野菜も自発的に摂る様になった事か。
菩薩の様な顔で口に詰め込む様は涙も溢れそうだが。
身体は小さいが中身は順調に大きくなっている。
俺とグレイディアはこだわりもなく注文を決めて、最後まで悩んでいたのはディアナだった。
「ディアナは……そういえばお前好みあるのか?」
「うーん……?」
「ワインでも飲むか?」
「え!? 良いんですか!?」
「お、おう」
「じゃ、じゃあ……」
普段そういった注文は一切しないが、食いつきが良い。
この世界、魔石から水が得られる分、水源からの水汲みなんてものは無いし、保存も必要無い。
その分手間の掛かる酒類は完全な嗜好品となっており、要するに馬鹿高い。
だがそれに麻薬的な中毒性があるのは変わらずで、稀に見る飲んだくれの冒険者というのはそこそこに稼いでいる証。
それはある意味冒険者の憧れでもあるという、何とも退廃的な社会が仕上がっている。
「あの真っ赤な奴なんてベターで良いんじゃないか」
カウンターの奥に見えたボトルを指すとディアナは目を細めた。
「うわぁ、人族らしい不吉な名付けですね」
「どういう名だ?」
「読めないんでしたっけ。ワイバーンブラッドですよ」
「ああ……」
「でも本当に良いんですか?」
「おう、遠慮すんなよ」
「はい!」
洒落た名前――とはワイバーンの居る世界では言えないか。
ドラゴンブラッドでない辺り力関係が垣間見えるが。
それから一、二時間とゆったりとした食事を済ませて宿へ向かう路。
散財で功を労えば、満腹で鈍足と化したヴァリスタを筆頭に、それぞれ好きなだけ食べて満足そうにしていた。
普段から体を動かしている分食事量は中々のもので、見ていて気持ちが良いというのが正直な感想だった。
喧騒の中を歩いて、背中には重量感ある胸があった。
それはディアナのものだ。
未だ痛みの残った掌は悲鳴を上げるが、この肉付きの良い体と大きな尻尾では背負えるのも俺くらいだ。
ディアナは完全に酔い潰れて居た。
龍人というのは酒が好きなのだろうか。
最初こそチビチビと確かめる様に味わっていたが、次第に気が乗ってがぶ飲みし始めこの様だ。
幸せそうに潰れたディアナを見て苦笑いするシュウは先輩風を吹かせているが、アルコールは駄目らしい。
代わりに結構な量を平らげていたが。
「今日は随分豪勢でしたね。何だか、ほっとしました」
「たまにだから良いんですよ、こういうのは」
「……ですね」
贅沢への謎の嫌悪感。
それは同じ上の世界の王城に住んだ事のある者にだけ通じるものなのかもしれない。
「そういや黒い木が主流なのに、野菜は普通に色付きですよね」
「あ、本当ですね。全然気にしてなかったです」
疑問を口にしていると、ここぞとばかりにオルガが答えてくれた。
「森林地帯で栽培してるんだよ」
「エルフ様様か」
「別に誰が偉い訳でもないよ。役割分担みたいなものだから」
役割分担――そう考えるとしたたかだと思う。
エルフは少なくとも街で見掛ける事はほとんどない。
本当に最低限の人数だけが派遣されている様で、それも時報や魔族探知などの文明維持に必要な技能を用いた作業に限定されている風だ。
その上色付きの材木は強力なブランドを確立しており、高値で取引されている。
対して人族と獣人は冒険者ばかりで、明日をも知れない肉体労働に従事している。
単純なスキルの格差だけでなく、知能の差というのもあるのだろうか。
しばし他愛も無い会話をしながら宿に着いて、女性陣の部屋に入る。
ベッドにディアナを降ろすと、心地良さそうに寝息を立てていた。
投げ出された手足を整えていると、椅子に座ってそれを見ていたオルガが突然愚痴り出す。
「あー辛いわー。肩が痛いわー。日頃のキツい役割に肩が泣いているわー」
「しょうがねえな」
何時もなら反論のひとつも返してやろうかと思うが、その肩を揉んでやると途端に黙って俯いた。
掌は焼けて痛いのだが、この程度の痛みで信用が買えるのならば安いものだ。
「気持ち良いか?」
「あ、はい……ありがとう……ございます……」
これだ。
オルガはおちょくって来るが、いざ手を出せば口を封じられる。
普段は野放しにしているからか、基本俺が手を出さないと思っているのだから笑ってしまう。
「あの……なんか、こわいんですけど……」
「悪い、慣れて来たとはいえ剛腕だからな」
「い、いや、そうでなく……な、何か悪い報せとか、あったりする?」
「俺を何だと思ってるんだ……」
「い、いやあ。だって何時も傍若無人であんな事やこんな事を」
「してねえよ」
「は、ははは……」
一体こいつの目にはどんな風に見えているのか。
末恐ろしい女である。
ひとしきり解してやって、逆に強張ってしまったオルガを置いて本題に入る。
「さて。土の迷宮に続き風の迷宮も踏破した。次は水の迷宮に向かいたい所だが……確かそこは獣人の国でしたね?」
グレイディアに話を投げると、小さく頷いて切り返した。
「不安はわかるがお前は冒険者を貫いて来た。よくもまぁうまい話を蹴り続けたものだと感心するよ」
「先を考えるとどうしてもね。しかし受付の姉ちゃんが言ってた事が気になりますが……」
「ヴェージュがああ言ったのだ。万全を期すなら塔の街で話を通した方が良いだろうな」
「国境越えですもんね。しかしようやっと冒険者らしい恩恵に与れますね」
「問題はこの街から出られるかだな」
「……ですね」
そもそもとして冒険者でありながら国の目を伺って動かなければならない俺が異端なのだ。
とはいえ蔑ろに出来ないのも事実。
受け身では限界があるとはグレイディアの言だったか。
「では今日はこれで解散。皆もゆっくり休んでくれ」
女性陣の部屋を出て、自分用に借りた部屋へと向かう。
中央の机と周囲の椅子は無人で、一人静かに腰掛ける。
しばしの後、うるさいノックに目を開く。
「よう大将!」
扉の先にはむさくるしい髭親父が居た。




