第193話「風の迷宮、鬼の合口」
敏捷特化のウインドブレイカーに対しぶつけるのは同じく敏捷特化のグレイディア。
そんな彼女は俺とシュウの間に収まって接敵を待つようだった。
小さな体は十分に守り切れるが、一手様子を見るのだろうか。
「アレが速度を乗せたら出る」
「了解」
「はい!」
口調は暗く集中を高めている様で、丸きり仕留める算段らしい。
期待が湧いた時、右手の剣を左に持ち直したのが見えた。
この臨戦態勢においての持ち手変更だ。
「シャドウウォーク」
いつか聴いたごく小さな詠唱。
滅多に使わないグレイディアの闇魔法だ。
ぶわりと足元に闇がおちて、途端目の色が変わる。
瞳孔は大きく開け広げられ、ふっと息が吐き出されたのだ。
彼女にとってのスイッチの様なものか、微動だにしない姿はさながら狩人。
息もつけぬ雰囲気を真横にしてごくりと唾を飲む音が聞こえた。
快活なシュウが気圧されるのも珍しい。
これはまた良いものが見れそうだ。
グレイディアと同様に目を開け広げ、技術の一端でも盗まんとウインドブレイカーの襲来を待つ。
張り詰めた空気の中で遂に自由落下に移行するウインドブレイカー。
着地まで三、二――。
遠方、揚力を取り戻す飛翔に土埃が巻き上がった瞬間、真横からも同じく跳ね上がる埃と弾ける空気。
跳び出た、グレイディアが。
一歩、二歩、小柄な体格からは想像も及ばぬ歩幅に頭髪が尾を引いて、金色の残光にすら見えた。
想定外のテールライトに遅れた視線が追随して、狂わされた遠近を矯正すると既にウインドブレイカーを目前にしていた。
まるで防御だけでなく回避も捨てているような正面衝突の瞬間だった。
一瞬だ、互いの速度が速過ぎて接敵の間も感じられなかった。
一本角を真正面に捉え剣先を合わせた時、僅かばかりに身体を傾けた。
剣で受けて横に流すと擦れ違い様に一撃滑らせて、残像を残しながら浅く胴体に刃を通した。
受けと流しと残像回避。
あえて当たりに行ったのか。
体術とスキルとが噛み合った見事な一撃、確かに通った。
同時、擦れ違いの一瞬の隙。
生まれた勢いを殺さず伝達し、身体を捻って刃を乗せて、二つ三つの三日月を描いて刃が繰り出された様に見えた。
ここら辺はもう何が何だかわからないが、流れる様に剣を走らせ一気呵成に攻め立てたグレイディアを気にする様子も無く、一本角は猪突猛進こちらに向かい、盾に一撃を掠めて離脱して行った。
大空に逃げ返ったウインドブレイカーに遅れ、さっと跳ぶ様に戻って来たグレイディアの表情は浮かない。
「悪い、外された」
確かに“外された”と言った。
まさかと思い見上げれば、確かにダメージの蓄積が乏しい。
あの速度でスカされるのか。
「当たったのは最初の一撃だけですか」
「ああ。奴め、無挙動で避けたぞ」
「どうやら竜巻の暴風を移動に利用している様ですが」
「道理で。魔力を纏っているのか」
狙いは正確だったはずだ。
それが寸でで躱されてしまったのだとすると、いくら洗練された武術でも捉え切れないだろう。
それよりも問題だったのは、突破口として考えていたグレイディアのスキルが効かなかった事だ。
「しかし残像には目もくれませんでしたね」
「あれは人斬りの技だからな。奴には視覚が無いのだろう」
熱源感知型か魔力感知型か、もっと動きを知る必要がある。
グレイディアの剣は速く浅く、とにかく手数で押し切る効率的なものだ。
仕留めるに足りないのは逃れられぬ範囲――面攻撃か。
「ディアナ、竜の息吹!」
指示と共に盾の間から顔を覗かせたディアナは迫り来るウインドブレイカーに白い蛇炎を吐き出した。
地上擦れ擦れを飛ぶ敵に対し、地を這う蛇炎だ。
飛行が乱れるか上空に飛翔するかと思ったが、蛇炎を縫ってぐにゃりと上下に蛇行回避され、しかもそのままの勢いで向かって来た。
ディアナの太い尻尾がピンと張ったかと思うとわっと首を引っ込めて、半開きの口のまま停止してしまった。
迫る一本角は相当怖かったらしい。
「相性悪いみたいだな」
「は、はい。お役に立てず……」
「いや、よくやってくれた」
竜の息吹は面範囲に適してはいるがその特性上高低差には弱い。
とはいえあれほど華麗に避けられ、かつ反撃まで貰うとは思わなかったが。
体勢崩しもままならないのはさすがに厳しい。
ウインドブレイカーも土の迷宮のアースイーターと同様、並のモンスターとは違う行動を取る様だ。
だとすると魔力切れを待っても意味はなさそうだ。
塔のドラゴンの様に閉所での殴り合いであればまだしも、この地形では大空に逃げられ手の出しようが無い。
何にしても相手側の攻撃から見て、全快維持より継戦維持に移行するべきだろう。
「オルガ、回復はほどほどで良いぞ」
「了解」
ほどほどと言ってもオルガの仕事は六人の管理だ。
まだまだ気は抜けないだろう。
出血さえ免れればダメージは軽いのが救いだが、まともに攻撃を叩き込める状態にしたい――。
ひとつ気になる事は、あれだけの立派な一物を持ちながら突き刺して来ない事だ。
俺達が展開した盾が邪魔だとしてもその攻撃速度は凄まじいものがあって、盾の間を突き抜けて後衛に突貫する事だって可能なはずだ。
蚊の様な容姿に吸血スキルと合わせて考えてみるに、突き刺す行為自体が存在しないとは思えない。
例えば上層のバットは空気の流れで攻撃を回避しつつ牙で切り裂いて攻撃して来る。
ウインドブレイカーの回避法はそれを更に鋭敏化させたものであるのは確かだが、攻撃に関しては斬ではなく突に向いているはずだ。
まさか、物体に突き刺さらないのではなく“突き刺されない”のだとしたら。
空気抵抗でもって鋭敏に反応して舵を取るウインドブレイカーは極太の針の様な一本角を持ちながらそれで裂く様な攻撃をして来る。
突撃槍を縦に横にと振るう様なもので、非常に効率が悪い。
だが空気の流れに依って動いているのなら、接触する直前に逸れてしまうのは必然。
結果として掠めていく攻撃方法となっているのだとすると納得がいく。
それも主要な動力源には魔力も含まれる。
竜巻によって爆発的な推進力を発揮しているのだから、空気だけでなく魔力の影響もあるはずだ。
魔力といえば――盾の裏で大きな体を縮こまらせているディアナに声を掛ける。
「魔力炉使わせてくれ」
「またあの出来損ないですか!?」
納得いかない表情で渋々と小型魔力炉をポーチから取り出したのを見てウインドブレイカーが滞空しているのを再確認する。
「よし。壁役代わってくれ」
「え、私が?」
「しっかり頭と胸守っとけば大丈夫だから。シュウさん、指導頼みますよ」
「任せてください!」
ディアナに一枚盾を装備させてシュウの隣に構えさせる。
ガチガチだが、ウインドブレイカーの直線的な攻撃であれば受けられるだろう。
小型魔力炉に魔石を挿入し、離れた位置に設置してすぐに陣形に戻る。
五層ではこれで釣れたが、守護者相手に効くかどうか。
次の一撃、案の定というか一切の迷いなくこちらに突っ込んで来た。
さすがにこんな子供騙しは通用しないか。
羽虫と違って甘くない。
小型魔力炉を回収して再び盾の後ろに潜むと、黙していたヴァリスタが悶々として愚痴る。
「まだ攻撃しないの?」
「ちょっと相性が悪いな、こいつは」
「でもグレイディアの攻撃は当たるんだから次は押さえ込めばいいじゃない」
「それが出来れば良いんだがな」
貴重な意見だがどうやって取り付くか。
二人揃ってグレイディアに目をやると、肩を竦められてしまった。
「生憎とこの体格では押さえ込むのは無理だな」
「ですよね……俺が出るか」
俺では戦闘センスも動体視力も劣っているからグレイディアの様に受け流したりは出来ないだろう。
シュウにはどっしり仲間を守っていてもらいたいし、ヴァリスタでは耐久力に難がある。
ディアナは攻撃力も耐久力もあるのだが、心がついて行っていない。
先の状況から鑑みるに一撃貰う前提で向かえば接触自体は可能だろう。
小型魔力炉を手にしばし悩んでいると、ふとして遠方のウインドブレイカーに焦点が合った。
すっと視点が集中して、異常にクリアな視界が出来上がっていた。
覚えがある――ジャスティンとの闘いで感じたものだ。
魔法陣の上に出来上がっていた高濃度の魔力溜まりで得た異常な集中力。
勝ち筋、此処にあったか。
引き続きシュウとディアナに壁役を任せ、その裏に守られて五層で回収しておいた風化した防具を取り出した。
それに気付いてグレイディアが眉を顰める。
「何だこの鉄屑は」
「防具の付け方、わかりますよね」
「まさか付けるのか? これを? 此処で?」
「ええ、ちょっと臭いますけど」
時折暴風に脅かされながら上半身を鎧で固める。
比較的状態の良い物を選んだが、錆びた鉄がジャリジャリとシャツを痛め付ける。
着心地の悪い防具を鎧、肩当て、手甲と装着すれば出来損ないの鎧武者と相成った。
両手にはジャスティンの遺品カイザーナックルを嵌め込んで、頑強に手元を固めて――足腰が重い。
「おい、下は?」
「剛腕の影響で下半身はちょっと」
「ちょっと待て、お前その不格好で何するつもりだ」
「勝ちに行くんですよ」
グレイディアに無くて俺にあるものと言えばこの体格だ。
幸いにしてウインドブレイカーは直線的に突っ込んで来てくれる。
こちらは技術は半端だが剛腕持ちだ。
取っ組み合いであれば負ける気はしない。
集中力を高め、一撃で勝利をもぎ取ってみせる。
「ちょ、ちょっ、何してるんですか!」
小型魔力炉を鼻に近付け無色透明な魔力を肺一杯に吸い込んでいると、ふと振り返ったディアナが強奪しようとして来た。
「ははは、魔力吸引だよ魔力吸引。これが本当の吸魔って奴だな」
「意味わかんないですよ! まずいですよ旦那様!」
「俺はいいから前見てろ、死ぬぞ」
「うわっ!?」
迫っていた一本角をどうにか受け止めて、ディアナは息を荒げていた。
もう一息魔力を吸い込むとグレイディアが小突いて来る。
「ほどほどにしておけよ」
「ええ」
心なしか気分も高揚して来た。
今の俺ならあのスピードにも迫れそうだ。
決まった心に拾い上げたバケツの様なヘルムを被れば下ごしらえは完了だ。
若干の曲線を描くこれはグレートヘルムという物だ。
これも内部は鉄錆びて酷い悪臭に占められていて、細く横一文字に開かれた覗き穴からはまるで側面が見えない。
だが正面衝突には十分な視野を確保出来ている。
最後に皆の回復に集中していたオルガの肩を叩いて手を差し出す。
振り返ったオルガは眉を顰めた。
「その剣使わせてもらうぞ」
「え? 何やってんの?」
「お前それはないだろ」
「あ、うん。つい」
バケツヘルムを凝視され、これまでにない程邪険にされながらバタフライエッジアグリアスを受け取ると更に重量が圧し掛かる。
過重武装は上半身への影響は薄かった。
だが貧弱な下半身に負担が掛かっている。
鉄屑武装に黙って目を輝かせていたヴァリスタの頭をとんと叩くと、剣を構えて応えてくれた。
「よく見てな」
「うん!」
たった二人で勝利を確信しつつ、遠方、自由落下する一本角の巨影をしかと捉えて歩み出す。
唖然とするシュウとディアナの間を鈍重に、がしゃりがしゃりと朽ちた音を立てながら最前列に到達した。
「引き摺り下ろしてやるぜ」
腕は剛腕。
両手に握るは久方振りの相棒、騎士剣バタフライエッジアグリアス。
血か錆か赤黒く朽ちた手甲と、武器防御のカイザーナックル。
禿げた肩当てと、歪んだプレートアーマー。
冴え渡った頭と視界に、臭い立つグレートヘルム。
完璧だ、負ける気がしない。




