第192話「風の迷宮、吸血魔」
ニンフが飛び去って静寂に落ちた階層だが、本来迷宮土着の生態ではないらしいし、これが正常な環境なのだろう。
結局この階層が何処まで続いているのかは想像もつかないが、歩き詰めて端に辿り着けなかった先日の状況から鑑みても、無闇な探索は骨折り損になる可能性が高い。
少々の思案の間精霊魔法による探知で周辺を探っていたオルガが進言する。
「まだ少し人の気配があるよ」
「……下層に降りよう」
「本気? まだ生きてる人が居るんだよ?」
囚われた冒険者は生かさず殺さずで養分を吸い取られる形態の様だし簡単に殺しはしないだろう。
あくまで此処での目的は戦力増強だ。
最深部に一番乗りし守護者のドロップをかっさらう。
最高戦力を整えるにはこれしかない。
本当にドロップ品であるならば急ぐ必要はないかもれないが、爪盾パンツァーという先例によれば一点物の可能性もあり得る。
何より階段を封鎖していたニンフを解放した今、蛮勇の者が気まぐれに下層へ降りる可能性も生まれた。
最下層の存在が知れ渡れば冒険者が押し寄せるかもしれない。
土の迷宮との一番の差は人気の多さだ。
グレイディアも同様の見解に辿り着いたか、オルガに釘を刺した。
「先の救出が運良く成功しただけであって、下手に動けば無駄に被害を呼ぶ可能性だってある。こちらも命を担保にしているのだからな」
「そっか……そうだね。仲間の命が最優先って事だね」
「その通りだ」
帰路は確保してあるし消耗も少ない。
戦闘準備を整えて下層へと降る事にした。
降り立った第六階層は見渡す限りの平野。
視界は良好で遠く奥の岩壁まで目に入り、およそ円形の広間が形成されている様に見える。
岩壁を辿って見上げれば、そこには暗黒の空が広がっていた。
木々も林も無い広けた空間は空洞と言うべきだろう。
全員が階段を降り切って警戒に入るが、モンスターは見当たらない。
それどころか次に進むべき道も存在しない様で、しばしの沈黙が続いた。
何も無い外れの階層なんてあるはずも無く、待機を続けるとにわかに変化が訪れた。
「この音は……」
「わっ!?」
遠く耳鳴りの様な雑音が混じり始めた。
それは次第に雑音では済まない音量となり、過剰な反応を示したのはヴァリスタだった。
グレイディア以外も身を縮こまらせてしまい、どうやらこの世界の人類も本能的に似通った危機感を覚えるらしい。
遠方より轟く重低音はスズメバチやらの殺傷能力を持つ飛行生物を連想させるものだった。
その羽音が突然に止むと、はっとしてオルガが叫んだ。
「上から来るよ!」
暗い上空からきりもみ落下する巨影を発見する。
開けた空間の中央に出現した一体の敵。
グレイディアとディアナを除いて置かれた状況を直感的に察知した面々は一斉に背後へと目を向けて、上層への退路に霧が掛かっている事を視認していた。
「戦闘準備だ! 俺とシュウさんが盾になる、他はしっかり敵を見とけ!」
早急に指示を出しながら武器はディフェンダーと中盾として躍り出ると、シュウと共に盾の壁を作る。
グレイディアとディアナはいわゆる守護者との対峙は初めてだろうが、後方確認という突然の揃った動きに何かしらの危機感を覚えてくれたのだろう。
ぎこちないが疑問を口にする前に指示に従ってくれて、何は無くとも防御態勢に入る。
縦列の陣形に構えて鉄壁の守りで迎えると、自由落下する巨影は着陸すれすれで突然に揚力を取り戻す。
爆音を轟かせて、次の瞬間には目前に迫っていた。
ウインドブレイカー 魔獣 Lv.35
クラス ガーディアン
HP 35000/35000
MP 3400/3500
筋力 490
体力 0
魔力 490
精神 0
敏捷 7000
幸運 175
スキル 吸血 鋭敏 竜巻
一瞬だった。
見えたのは一本角。
あまりに鋭利な切っ先はさながら針のようで、咄嗟に盾で視界を覆う。
シュウのスカートが捲れ上がるのが横目に見えた。
上昇気流に一本角は舞い上がり、僅かに捉えた巨影は一対の翅を持つ細長いものだった。
正体はわからない。ただ急接近から遅れて戦闘機すらも錯覚する猛烈な風が追って来て突き抜けた音波はひどく強い耳鳴りを残していた。
一瞬飛ばされた思考を引き戻すと、音速の一本角は遥か上空へと昇っていた。
目前で急上昇しながら掠めて行かれて、盾の上からとはいえ確実にダメージを蓄積させられている。
「かなり速いな」
「でも軽いですね」
シュウの言う通り、爆音を纏った攻撃にしてはさほど重くない。
あくまで掠めて攻撃する事で一撃離脱を完遂しているのだろう。
しかし真正面から突撃されてこうも容易く逃がす羽目になるとは。
敏捷特化も此処まで行くと手に負えない。
何よりスキル構成がいやらしい。
吸魔を持っていないのは良かったが、それでは尚更に第五階層の異質性が際立つ。
元々吸血持ちのバットが猛威を振るう迷宮だから守護者が吸血型なのも道理とは思えるが――考え過ぎだろうか。
とはいえ敵の情報は割れた。
「吸血持ちだ! 皆負傷は無いな!」
声に応じて自身を確認する面々の中でヴァリスタだけがふらふらと目を回しており、耳の良さが仇となったか、どうやら轟音にやられたらしい。
布を取り出し耳に突っ込んでやると、わっと驚いた後に耳の詰め物に納得して、何時もの調子を取り戻した。
見た所誰も外傷は負っていないようだが、数値的な被害は全体に及んでおり、真っ向から受け止めた俺とシュウも余剰ダメージを負っているように見受けられた。
先の一撃が物理攻撃ではないとしても、シュウなどは防御能力の高さで余裕なはずだが。
考えは纏まらず、対抗策を見付ける為に再び一本角――ウインドブレイカーの影へと視線を向けると、暗い空をふらふらと浮遊していた。
攻撃一辺倒でなく休憩も挟んで来るのはただの羽休めか、はたまた吸血をフル活用して失血死を狙うスタイルなのか。
こちらからすれば一々逃げられていてはうまくない。
だがよく見ればウインドブレイカーのMPが減少している事に気付く。
つまり魔力による攻撃を行っている。
スキルを見ても竜巻しかあり得ないが、ドラゴンが用いるあの凶悪な暴風は見ていない。
何かからくりがある。
「次で見切るぞ! 全快に保っとけ!」
バタフライエッジアグリアスを取り出してオルガに放ると、MP自動回復の効果で多少の延命を計る。
元々持久戦には向いていないメンバーだが、だからといって出し惜しみは出来ない。
過剰な回復を施して万全の状態に持っていくと、ディフェンダーを仕舞いもう一枚中盾を出す。
両手に盾を装備して、それはもはや剣士ですらないが、この場で最も冴えた戦闘スタイルに違いない。
先程と同様きりもみ落下から突然の加速を見せたウインドブレイカー。
迎える盾受けの奥で今度は視界を遮らず、しかと攻撃を見切る。
目前に迫るまさにその直前、ウインドブレイカーのMPが減少したのを捉えた。
直後にごく微風の上昇気流、舞い上がるスカートと一本角。そして遅れてやって来た暴風音波。
これがからくりの正体か。
竜巻の勢いも操作出来るとすればどうだろう。
先程の攻撃がまさにそうだが、衝突時に竜巻を置いて急上昇しているのだろう。
ドラゴンが放つそれより遥かに威力は低いが、だからこそ奴はその乱気流に便乗する事が出来ている。
オルガとディアナに目を向けると、すぐに上空へ追撃を放ってくれたが、案の定避けられてしまう。
風をかき乱されては弓でどうこうなるものじゃない。
まして魔導書等は発動までのラグが大きく、相性は良くない。
羽音やらから蜂の様なモンスターを想像していたが、まるで違った。
その容姿はごく細身で、鋭く長い針の様な、棒の様な手足を持ち、吸血能力を兼ね備えた――蚊だ。間違いない。
ただし不快と痒みの配達員だとか感染症の媒介者だとかそういったレベルを超越して直接殺しに来る殺人鬼だ。
ジリ貧どころではない、下手に打ち合えば血液が根こそぎ吸われてしまう危険すらある。
ふらふらと浮遊するウインドブレイカーを見ながら嫌な考察をしていると、背からグレイディアの問いが届く。
「また見知ったモンスターか?」
「俺の世界での吸血鬼の王様って所ですかね」
「嘘だろ!? あれが!?」
「真に受けないでくださいよ。環境が違うんですから」
「そ、そうだな……」
眼をまん丸にしたグレイディアの反応が見れたのは幸運だったが、この蚊――ウインドブレイカーの危険性は冗談では済まない。
防寒着みたいな名前だが、風をぶっち切って飛翔する様はさながら弾丸だ。
音を置いて来る飛行において細身が千切れないのも気流を乗りこなす鋭敏な感覚が為だろう。
しかしどう斬る。
下手に大きさもあるものだから、とても叩き潰せる相手ではない。
地道に削り切れば勝てるが、果たして攻撃が届くか。
その機動力はグレイディアでも追えるか不安が残るが、相性として一番に勝機が見えるのは彼女以外に無いだろう。
「グレイディアさん、あいつ斬れますか?」
「やれというならば」
「頼りますよ。くれぐれも回避優先で」
「やってみせよう」




