第191話「風の迷宮、薄羽影狼」
二度目の第五階層。
物理攻撃に特化した近接メンバーは全面に押し出し、攻撃的な陣形で突き進む。
相変わらず真っ黒な地帯は気が滅入りそうだが、今回は明確な目標があるので悩む必要は無い。
取って付けたような階段から正面に、黒い森林の奥に浮かぶは赤の双眸。
此処までは以前も踏み込んだ地帯で、シュウが不安を口にする。
「このまま真っ直ぐ進むんですか?」
「どうやらこの先に面白いものがあるらしいので。それに今回は目印も用意しましたからね」
黒い木の枝に布を縛り付けてやると、皆納得したようだった。
暗闇での中央突破は方向感覚も狂いそうだが、逃走経路は問題無いだろう。
この階層のモンスター相手も手慣れたもので、盾を手に攻撃を引き付けながら一方的に倒してしまう。
倒した後はすぐに移動を開始して、羽虫の追撃から逃れる。
一連の流れはもはやテンプレートと化していて、口頭で命令するまでもない。
問題はこの先だ。
そこには何かしら異質な存在があるのは間違いない。
報告からするとこちらから手を出さなければ逃げ遂せる事は可能だろうから、本当に危険な相手であれば今すぐにどうこうする必要も無いだろう。
「んあー!?」
直進し続けているとオルガが突然素っ頓狂な声を上げた。
いの一番に覗き込んだヴァリスタが大真面目に報告してくれる。
「オルガの頭がおかしくなった」
「冗談じゃなくて、もう精霊魔法切るからね」
「そういや妨害受けてるんだったな。発生源が近いのかもしれない」
どうやら精霊魔法に対する干渉が強くなって来たらしい。
そうなるといよいよ敵の存在が気になって来る。
探査をマップで引き受けてしばらく進むと正面に大量の敵の存在を認識して一斉に身を隠す。
「掃除の必要がありそうだ」
群集した黒い塊が宙で蠢いて――見えたのは新たな敵ではなく羽虫の大群だった。
あれらが集まるという事はそこには何かしらの死骸があるのかも知れないが、敬意を払う余裕は無い。
ディアナに命令を出して竜の息吹にて一掃させると、排出された大量の魔石は落下の途中で音もなく消え去った。
不気味さに当てられてしばし潜んでみるが、黒い葉の騒めきと風の音だけが妖しく鳴いて、動く事も無く時が過ぎる。
倒したモンスターに釣られて新たな羽虫が襲来する気配も無い。
沈黙の戦場でとうとうグレイディアが口にする。
「視えるか、ライ」
「いえ、せめて敵の一部でも視認出来ないと」
そこに何かが居るのは間違いない。
ただ一切と目に入らないのは幽霊か何かか。
未知の恐怖を拭い去って一歩進み出ると、羽虫の群れが居たその下に不自然に緩やかな円形の穴が在る事に気付く。
更に二歩、三歩と進んでみると全景が見えて、それはすり鉢状の巨大な窪みだった。
硬い土質においてはあまりに異質な光景で、中央に向かう砂の流れが形成されていた。
窪みの中央には流砂の主であろうモンスターが顔だけを覗かせている。
黒いつぶらな瞳に反して口元に生えた強靭な顎と黒い皮膚。
その場から動く様子は見られず、ただ口を開けて訪れる餌を待ち望んでいた。
「蟻地獄かな」
「知ってるのご主人様」
「似たような奴はな」
この流砂、踏み込もうものなら脚を取られてお陀仏だろう。
こんなあからさまな罠、冒険者が避けて通る訳だ。
ニンフ 妖精 Lv.29
クラス エレメンツ
HP 1160/1160
MP 870/1740
筋力 174
体力 290
魔力 580
精神 290
敏捷 1160
幸運 1160
スキル 風魔法 吸魔
敵を視認すると一旦後退して身を潜める。
容姿だけを見ればこの階層の他のモンスターと似通った点は伺えたが、視えた情報はまるで異なっている。
特に気になるのは中途半端なレベルだ。
迷宮内は階層区切りで刻まれたレベルのモンスターが出現するが、こういった数値のズレを視たのは塔で出会ったブラッドソード持ちのゴブリンだけだ。
要するに、レアなモンスターの可能性が高い。
見た目とは裏腹に、種族は魔獣でなく妖精だ。
この階層がおかしいのは今に始まった事ではないが、些細な事にも注意を払って損は無い。
危険を感じるのは吸魔というスキルだが、その名の通り魔力を吸収するという。
吸血と対を成すスキルだろうが、これによって魔石を吸収したのだろうか。
俺達からMPを吸収している様子は無いから、流砂のテリトリーに入らなければ敵対しないで済むか。
だとしても見逃す手は無いが。
しばし作戦を練っていると、頬を撫でる風と共に薄っすらと小さな声が届いた。
「魔石」
「何だよディアナこんな時に、欲しがりさんめ」
「え? 何ですか突然」
「……悪い、聞き違いか」
幻聴だろうか。
まさか魔性の後遺症とは思いたくないが。
「魔石」
「また聞こえた……聞こえない?」
「ライ、こっちを見ろ」
グレイディアにじっと瞳を覗き込まれて、どうやら真っ先に浮かんだ危惧は同じらしい。
「やはり魔性に当てられている風ではないな」
「ええ、本当に声が聞こえて来るんですよ」
どうしてか俺にしか聞こえない声。
それが魔性の効能ではないとすると、本格的に頭がおかしくなってしまったか、はたまた――。
警戒を解かず歩み出て流砂の主と対峙すると、その声ははっきりとしたものになる。
やはりこいつが言葉を発している。
少し声を張って対話を試みる。
「ニンフちゃんこんにちは」
「魔石」
「魔石が欲しいのかい?」
「魔石」
ただ『魔石』とだけ返って来て、あるいはそれ以上の単語を必要としていないのかもしれない。
さながらペットに話し掛ける飼い主の様で、対話に失敗した上に周囲の視線が突き刺さってたまらない。
「うわぁ……何やってんのご主人様」
「そうだオルガ、精霊魔法でお話出来ないか」
「え、こっちに振らないでよ。大体誰と話すのさ」
「あのニンフちゃんと」
「何それっぽい名前付けてるの」
「そういう名前みたいなんだが」
「そもそもボクの精霊魔法は魔力を対価に利用しているだけで、話すというか、伝わる? 万能じゃないんだよ」
意外にも精霊とはビジネスライクらしい。
それともハーフだと精霊との親密度が低いのだろうか。
それにしては魔族探知能力は異常に高いが。
それでも試しに精霊魔法を起動してみたのだろう、「うわー」と間の抜けた声を上げながら首を振って答えてくれた。
そうすると精霊魔法への干渉も此処が発生源と見ていい。
そうと決まればやる事は限られて来る。
このまま遠隔攻撃で倒してしまうか、あるいは求める物をくれてやるか。
幸いにして魔石は大量に余っているから、少々の損失なら目を瞑ろう。
ボロンとひとつ、魔石を取り出し投下した。
先程と同様、魔石は着地する事も無く宙で消え失せ、この異様な光景はやはりこいつが吸収していると考えていいだろう。
しかし魔石を求める声は止まない。
貯め込んだ魔石を次々に投下し始めると、とうとうディアナが止めに入って来る。
「勿体無いですよ!」
「でも魔石を欲しがっている」
「えぇ……」
一番値打ちを知っているであろうディアナは無残にも消え失せて行く魔石達を恨めしそうに見詰めていた。
餌付けというまさかの展開に静まる中で、ヴァリスタがつまらなそうに疑問を口にする。
「倒さないの?」
「どんなに温厚でもモンスターはモンスターだ。攻撃して来るようなら斬って返す。一応戦闘態勢で居てくれ」
戦闘態勢は維持させて、黙々と魔石を投下し続けた。
そのうち『落としたのは金の魔石か銀の魔石か』などと尋ねて来るまであると考えているが、此処は迷宮だ。
どうせろくでもない結末を迎えそうなので口にはしない。
数十個と魔石を投下して、いよいよこれは頭がどうかしているのかと後悔し始めた頃、風に乗って聞こえる声に変化があった。
「ありがとう!」
これは大当たりか。
感謝の言葉と共に流砂の主の暗い瞳が真っ赤に染まり、ずるずると地中から這い上がって膨らみのある胴体を露わにした。
全身を引き摺り出すと突然に跳びかかって来た。
警戒心を剥き出しにしていた為、一斉に回避してすぐさまに臨戦態勢を取ったが、当のモンスターは続く動作も無くべちゃりと着地して抜け殻のように四散していた。
同時に目の覚めるような閃光と共に一陣の風が吹き抜けて――。
「風が止んだな」
目前を光が過ぎ去ると、風の音も、木々の騒めきもぴたりと消え失せて、暗闇と静寂だけが支配していた。
静寂を断ち切ったのは勝利宣言だった。
「倒した」
声の主はヴァリスタだが、何処か浮かない表情だ。
「ヴァリーがやったのか」
「うん。でも手応えが無かった」
「普通じゃなかったからな。脱皮だか羽化だかをして、光に混じって逃げ遂せたのかもしれない。しかしあの一瞬で反撃するとはやるじゃないか」
「え? 避けながら斬っただけだよ。ライがグレイディアとやってた奴」
「……お見事」
最近は自分の剛腕にばかり気を取られていたが、ヴァリスタも一皮剥けたらしい。
打ち合い稽古をしている影で見て覚えて、それも使いこなしてしまうとは。
若干の危機感を覚えつつも自然と興味はドロップ品へと移っていた。
二度、三度と見返しても、地面には透き通った羽が一枚、ぽつりと残されているだけだった。
拾い上げてみると、大きさはそれなりの物なのに重量も感じない、手放せば無くしてしまいそうな儚い代物。
羽の向こう側も薄っすらと透け、まじまじと見詰めるシュウの青い瞳と羽越しに見合った。
「綺麗ですね」
「ニンフの羽、素材みたいですね」
「遺留品ですか」
「置き土産ですよ。魔石で大人になって旅立ったんですよ。間違いない」
「あ……はい」
多くの魔石を投じて得たのは一枚の羽と慈悲の視線だけだった。
魔石も大量の換金はし難くなっていたし、この羽ならばむしろ高値が付くかもしれない。
取引としては上々と思っておこう。
適当に着地させた俺に対して、オルガだけは手のひらを返して目を輝かせていた。
「うわぁ、本当にニンフだったんだ。ご主人様の言う通り、さっきの光が正体だと思うよ」
「マジかよ。結局あれは悪い奴だったのか?」
「ううん。でもあんな雑音出すなんて聞いた事無いし、まさかこんな所に居るとは思わないよ。上手く脱出出来れば良いけど」
「もしかすれば妖精も迷宮でレベル上げしてるのかもな」
「初耳ー」
こんな子供みたいな顔をしたオルガを見たのは久々なので、多分本音だろう。
つまりニンフという生物に本来迷宮との共生関係は無い。
あの風も、何かの拍子に迷い込んで仲間に救難信号でも出していたのかもしれない。
「あっ、でもおかげで精霊魔法は快適になったよ。それにほら、あそこ見てよ」
思い出した様に付け加えたオルガの視線を辿ると、流砂の中心には下層へ向かう階段があった。
どうやら今回は幸運が続いてくれたらしい。




