第188話「風の迷宮、漆黒の翅」
戦闘を終えた後、いくらか後退して茂みに身を潜めていた。
一か所に全員が固まって全方位への目視を続け過剰な警戒ではあったが、功を奏して視界には二対の薄羽を持つ漆黒の羽虫を捉えていた。
全長は子供台で一瞬小型と認識してしまったが、虫として見るとそれでも大きい。
数は四体、さながら死臭に集うハエの如く飛来した。
モルドスケイル 魔獣 Lv.30
クラス ナイトフライ
HP 300/300
MP 100/600
筋力 600
体力 120
魔力 720
精神 120
敏捷 1920
幸運 120
スキル 鋭敏 風魔法
ナイトフライというクラスで、敏捷値にガン振りされた能力値と鋭敏スキルを持つ所を視ると、機動力が売りのモンスターなのは確かだ。
巨大な眼と多くの節を持つ細長い胴体はトンボやカゲロウを彷彿とさせるが、名称がモルドスケイルだ。
容姿も能力もまるで違うが、先のカマキリの親戚か。
クラスひとつでここまで変わるとは思わなかった。
種族は魔獣で一括りにされてはいるが、細かい所ではスケイル種とか、そういった区分になるのかもしれない。
弓を引き絞っていたオルガも飛び交う羽虫を見て何かしらの疑問を抱いたらしく、弦を緩めた。
「こっちに気付いてないね。あそこに何かあるのかな」
「カマキリを斬った所だな。しかしえらく屯してるな」
しばし眺めていると臨戦態勢を維持したままで悶々とし始めたヴァリスタが問い掛けて来る。
「あいつら隙だらけだよ?」
「ちょっと待ってな」
ヴァリスタの言葉通り、隙だらけだ。
ピンポイントで此処に降りて来た辺り、勝利の余韻に浸っている冒険者への追撃というのが一番に考えられるが、索敵能力はさほど高くないみたいだし、死骸漁りとしても肝心の死骸は迷宮に還っているし――そもそも迷宮のモンスターは何を食料としているのだろう。
何も食わないとしても不思議ではないが。
少し馬鹿な考えを思いついて、思わずぐっとグレイディアに寄って質問する。
「魔力って栄養価あるんですかね」
「お前大食らいになったよな。腹減りだからって気を抜くなよ」
「いや、俺の飯の話じゃないんですけど。魔族って倒すと凄い濃度の魔力放出して逝くみたいじゃないですか」
「ああ、うん」
「魔力の質に差はあれ、モンスターも同じなのかなと」
「……そうかもな」
モンスターを倒した後も全てが魔石と化す訳ではなく、見えない魔力の残滓が滞留しているのかもしれない。
予想通りか、うろついていた羽虫達はしばらくすると静かに飛び去って行った。
辺りにモンスターの気配が無くなった事を確認して行動に移る。
「ディアナの魔導具を使ってもいいか」
「何ですか?」
「例の小型魔力炉だよ」
「あの出来損ないを!?」
ディアナが夜なべして試作している魔石を昇華するだけの小型魔導具だが、彼女は出来損ないと呼称している。
技術者のプライドがそう呼ばせるのだろうが、今日から別の名前が必要になるかもしれない。
初めてじっくり見たのだが、その形状はいわゆる魔導焜炉の基礎を改修したものだろう。
試作の未完成品の外観を整えるはずもなく、剥き出しの台座に魔石を挿入し、開けた地点でしばらく作動させた後、その場を離れ身を潜める。
すぐに効果は現れた。
先程とは違い十匹近い羽虫が何処からともなく集合し、魔力を放出した地点に群がったのだ。
「大当たりだな」
「まさかモンスターを呼び込むなんて……」
「さすがディアナだ。期待の新星」
「いや、どうするんですかこんな事して」
「今度は竜の息吹だ」
「え? あっ……そういう……」
「失敗しても守ってやるから、思いっきり吐いて来い」
「やめてくださいよその言い方」
茂みから僅かに頭を出したディアナは、大きく息を吸い込み白い息吹に変えて吐き出した。
うねる白蛇は瞬く間に羽虫を飲み込んだ。
おちた羽虫の魔力の残滓に釣られてか、再び羽虫が集って――。
「これは効率的ですね」
移動すら危険な階層で、一掃出来る手段を持ち、条件さえ整えれば経験値をデリバリーしてくれるモンスターと来れば、やる事はひとつだった。
定点羽虫狩りだ。
竜の息吹を感知して避けられるかとも思ったが、どうにも羽虫達は相当に魔力が好きらしい。
「土の迷宮でもこうして乱獲していた訳か……それは迷宮も自壊するだろうな」
「あっちでは死闘でしたよ」
「まさか」
グレイディアに想像出来ないといった感じに肩を竦められてしまう。
そんな一幕も露知らず、大活躍のディアナの裏で、剣と盾を構えて今か今かと出番を待っていたシュウがぐぬぬと唸っていた。
「ディアナも結構……やりますね」
「立派に戦えるようになったのもシュウさんの指導の賜物ですよ、きっと」
「え、そう思います?」
「多分」
「えへへ」
シュウが日に日に好戦的になっているのは気のせいではないだろうが、ディアナを立てるという点では一歩引いているらしい。
気を揉む仲間を落ち着かせて、作業化した羽虫狩りは加速した。
そうして羽虫狩りを続け、階層に相当するレベルまで引き上げた。
この右も左もわからない階層においての不意打ちは凶悪でどうしても地道に狩って適正レベルまで引き上げる必要があったから、これはうまかった。
再び左手伝いに歩き始めて、先の戦闘跡から少々離れた所で小休止とした。
こんな戦闘域で調理を始める気にもなれず、保存食を取り出す。
肉の保存食、いわゆるジャーキーだ。
絶壁から離れ木々を盾に腰を落ち着けて、周囲を警戒しながらガムの如くジャーキーを噛み締めているが、まるで空腹は満たされない。
相変わらず熱気を纏う肉体だが、剛腕化してから食欲も増進されたのはこの筋肉を維持する為なのか。
だとしたら肉体強化の効能も、燃費の悪さも一級品だ。
食欲に負けるというのも情けないが、ジャーキーを噛みしだく俺を見てヴァリスタがここぞとばかりに突いて来る。
「ライは最近食べ過ぎだよね」
「俺は体重とか括れとかより健康重視だし。ヴァリーこそどうなんだ」
「括れはもしもの時に食べられないから要らない」
「自分の肉を食料に数えるのか……ジャーキーやるから落ち着けよ」
「これおいしくない」
互いに渋い顔をしてジャーキーを噛んでいると、他の面々に吹き出されてしまった。
まさかヴァリスタの口から肉が不味いという言葉を聞く日が来るとは思わなかった。
随分と舌が肥えて来たようだ。
この世界のステーキ肉は普通に美味いので、保存食に関しては調味料から燻し方から、加工が今一歩足りていないのだと思う。
魔導技術が強大で、保存食の発達は未熟なままに現在に至っているのかもしれない。
冒険者なんて食えるだけで十分――そんな感じなのだろう。
腹の膨れない間食を終えて再び歩き出す。
伝う絶壁付近では忘れた頃にカマキリと遭遇する程度で大きな苦労は無かった。
ただ倒した後はすぐに移動しないと羽虫が来て面倒な事になるので、戦闘直後に休む事は出来ない。
そう考えると体力的にも精神的にもやられやすい場所なのかもしれない。
しばらく歩き尽めて、ふとしてオルガが口走った。
「この奥、何人か居るみたいだね」
「ずっと壁伝いに来た訳だが、この階層では他の冒険者に会うのは初めてだな」
それぞれに思案し、一瞬しんと静まり返る。
「ただモンスターも居るみたいなんだよね」
戦闘中だとするとスケイル系の厄介な連中に絡まれている訳だ。
下手を打っていた場合、羽虫の大群に襲われているかもしれない。
ちらとグレイディアを見ると躊躇無く言い放つ。
「相手も冒険者だ。魔族とやりあっている訳でもなし、手を貸すも見過ごすもお前次第だ」
「ならその命、拾って貰いますか」




