第187話「風の迷宮、黒い空の庭」
第四階層を一通り周って、その途中に深層へ続く階段も発見していた。
これほど順調なのも、土の迷宮とは違い深い階層においても冒険者が散策しているからだ。
突然にモンスターに襲われる事も無く一方的に始末する態勢が整っているのだから、苦戦は無かった。
そうしてこともなげに五階層へ降り始め、やたら長い階段を通過すると開けた森林地帯が広がっていた。
木と、林と、土と――やはり森林と形容するのが正確なのだろう。
少なくとも岩盤ではない。
とはいえそれらは黒い樹木で、とても“緑溢れる”と表現出来るものではない。
一応空も存在している風だが、とにかく暗く、視界は開けているのにまるで解放感は感じられない。
此処が迷宮内である確証は、暗黒だらけの中にあって自前の光源も無しに視界が良好な点だ。
錯覚を疑う様な光景に目を奪われていると、何かがふわりと頬を撫でた。
「風が吹いているな」
「何だかこの風、気持ち悪いね」
「そうか?」
オルガは暴風が好きらしいが、この風は迷宮内部でありながら何処か自然的で、何だか癪だが、とても良い風の流れだ。
「えっと……人の気配は疎らかな。上の階層よりは減ってるね」
「此処からが本番って事だな」
開けた地帯を真っ直ぐに進んでしばらく、遠く暗闇に一対の赤い光が見えた時、ふとして“道”が無い事に気付き、危険を感じた。
「まずいな……」
「どうした」
「この階層、順路が無いんですよ」
「順路?」
グレイディアが首を傾げてしまった。
「これまでは総当たり……要するに片っ端から道を選んで行けば、何時かは階段に――いわば正解の道に当たりましたよね」
「その為にオルガに地図を書かせていたんだろう?」
何と言えば良いのか。
「要するに、此処からは適当に進んでいると死にます。多分」
「死ぬ?」
「帰って来れなくなります。多分」
「多分って」
「予想なんで――」
ただ無限に広がっている、というのは考えにくい。
これまでの迷宮の構造からしても、大きさの大小はあれ箱庭が妥当だ。
例えばこの階層自体がひとつの異世界なんていうぶっ飛んだ構造ならば、尻尾を巻いて逃げるしかない。
「――なんで、隅を探りましょう」
「隅というと?」
「この階層の端っこ、壁ですね」
「なるほど……この森林地帯をひとつの部屋と仮定して、その壁を把握するという事か。突飛な発想だな」
何となく納得したグレイディアと、若干納得に至っていない面々と、この構造は簡単に把握出来るものでもないだろう。
とにかく動くしかない。
踵を返して歩き出す。
階段へ戻り、まずはそこから更に後ろ手へ向かう。
階段は絶壁の山に覆われていて、これがいわゆる“壁”であるならば、山を中心として東西――この場合は左右というべきなのか――ともかくどちらかを伝って行けば階層の端を見付ける事も出来るだろう。
今回は絶壁を左手に、向かって右方向へと進む事にした。
編成を俺とグレイディアが前衛、シュウとヴァリスタを後衛として、ひとまず鉄壁の状態とした。
この際前も後ろも無いが、前後どちらにも火力役を配し、一応の防御力も確保している。
またオルガとディアナを壁寄りに歩かせ堅牢に守る事が出来る点もあり、移動には持って来いだ。
色々と試しながら歩いていて、恐ろしいのはカンテラが効かない点だった。
謎の光源により視界は確保されているのだが、逆に光源がある為か、いやそれ以上の何かが働いている為か、光を灯して目印とする事も出来ない。
自前の光源が中和されてしまう。
大変気味が悪い。
視界はおよそ五歩先までが良好、そこから先はゆるやかな暗がりといった感じで――意外と視認距離は広く感じられるが、それは余裕のある非戦闘時だからだ。
移動に不安を感じないこの半端な視界こそが危機感の正体か。
調子に乗って進むと咄嗟の事態に地獄を見るだろう。
間違いない、此処が風の迷宮のターニングポイントだ。
ヤバイと勘付いて引き返す者と、突き進む者。
あまり考えたくはないが、今この階層で健全な状態の者はどれほどだろうか。
オルガが探知した人数は疎らだという。
結構な数の冒険者が彷徨っているのかもしれない。
だが彷徨っていれば何時かは端に辿り着く。
その点で言えば、生還率は零ではないはずだ。
なのに、情報が無い。
この階層についての情報が流れて来ていない。
勿論俺が他の冒険者に避けられている為に生の情報網が使えないのもあるが、ギルド側からも何も無い。
この階層には何かがある。
しばらく歩き通しモンスターにも遭遇せず、夜の森林を散歩している様で変な気分になって来た頃、オルガに呼び止められる。
「この先に何か居るよ」
左手伝いに来た絶壁から離れ、それぞれ木や林に身を潜める。
これまでの洞窟を基準とした形成ではないから全体的に動きはぎこちないが、緊張感を取り戻す意味では良い薬かもしれない。
木々を挟んだ向こう側で宙に蠢く一対の赤い残光を捉えて、暗がりに潜む影を視る。
モルドスケイル 魔獣 Lv.30
クラス ナイトハルパー
HP 1200/1200
MP 0/0
筋力 680
体力 120
魔力 0
精神 120
敏捷 720
幸運 1320
スキル 貫通
モルドスケイル、クラスはナイトハルパー。
屈強そうな名前に反して防御面はあまりに貧弱だ。
スキルは貫通。
やはり居たか、貫通持ち。
数値だけ視れば仕留めるのに苦労はしないだろうが、幸運の値が頭抜けている。
一撃必殺の一発屋だろう。
しばし目を凝らすとようやくと輪郭が捉えられる。
規則的に揺れる漆黒の体はさながら闇に紛れる暗殺者。
まず真っ先に防御を許さない湾曲した二本の鎌が目に入る。
気を抜いていたらばったり対面して首を狩られていたかもしれない。
全長はかなりのものでグリフォンとも引けを取らないが、膨らみを持つ腹部の他は全体的に線が細く、無駄の無い細身で硬質そうな脚が二対。
更に前胸部が伸び、そこに例の鎌が生えている。
逆三角形に近い独特の形状の顔面が妖しく蠢き、時折外れそうな角度を見せる。
顔の半分程も占めていそうな赤い双眸が血の様な残光を引き――。
「カマキリだこれ」
ぼそりと呟くとヴァリスタが反応する。
「カマキリ? 強い?」
「強いんじゃないか。でかいし、二刀流だし」
「本当だ、真っ黒でライみたい。強そう」
そうしてヴァリスタの視線はモルドスケイルことカマキリに釘付けとなり、一切の音を立てなくなる。
爛々とした獣の眼光は、もはや突撃命令を待つばかりだ。
黒くて二刀流が全部俺になるのだとすると中々判断基準がガバガバだが、このカマキリは俺の代わりにサンドバッグになってくれる逸材かもしれない。
「しかし嫌に近いな」
襲い掛かって来る気配は無いが、少し嫌な距離だ。
木々に遮られているのもあるが、そもそもの索敵範囲が狭いのかもしれない。
「何か精霊魔法が利き難い時があるんだよね」
「迷宮の妨害か?」
「妨害というか……うーん、よくわからないけど。邪魔な気配がある感じ?」
「これだけ深いと中ボスでも居るのかもな」
「チューボスって?」
「守護者の部下の中間管理職」
「ふーん」
精霊魔法による広範囲の索敵は頼りにしていたが、今回はマップ機能の索敵範囲に引っ掛かる直前での発覚だった。
あり得るとすればこの階層自体に魔法妨害の結界の様なものが張られているか、対魔法スキルを発動している存在があるか、そんなところだろう。
土の迷宮でも殺意あるトラップがあったのだから、何が起きても不思議じゃない。
思案していると、窮屈そうに身を屈めたディアナが隣について囁き声で聴いて来る。
「遠隔攻撃で先制しますか?」
「そうだな。ただ奴は速攻型だ。下手に感知されて攻撃態勢に移られるより接近して一気に叩くべきだろうから……」
「接敵の直前に撃ち込めば良いですか」
「そうしてくれ」
ディアナも戦闘に慣れて来たからか積極的に意見を出す様になった。
本人は安全策を講じているだけで自覚していないだろうが、司令塔の適性にも思える。
もう十分戦力に数えられるだろう。
それにしてもこの空間、良い風は吹いているが、反して空が開けているのが怖い。
俺達にとってはただ見上げるだけの黒い空間でも、有翼の連中にとっては庭だ。
もしかすればこれこそが、これまでの階層との一番の違いなのかもしれない。
嫌な予感がする。
「空から飛来する可能性もある。オルガはもう一辺周囲を探査してくれ」
「了解」
動く気配は見られないが、あのカマキリが特定の範囲を徘徊するモンスターであるならば孤立している今始末しておきたい。
ひとつ先の大木に身を潜めているグレイディアが黙して作戦を聞いた後、剣を構えて小声で呟いた。
「あれは飛ぶのか……」
「もしかすれば、ですが」
「警戒しておこう」
こちらの世界の生態系が把握出来ている訳ではないから確証は無いが、少なくとも見た目はカマキリだ。
飛ぶ可能性を考慮して然るべきだろう。
とすると、どうだろう。
「速攻出来ないと群がって来るかもな……」
「でも近くには他にモンスターはいないみたいだよ」
「よし、一斉に掛かるぞ。オルガとディアナは交戦直前に撃ち込め。先頭はシュウさんで、敵がわからない以上防御優先、しっかり守って斬り込んで」
「任せてください」
「他は尻に引っ付いて突っ込むぞ。回避優先でやばそうなら各自退避。首だけは狩られないように」
貫通持ちだ、いくら盾受けしてもダメージは減算されないだろうが、シュウは素の防御能力が高いから耐久的には問題ないだろう。
怖いのは急所を打たれる事だけだ。
そよ風にざわめく黒い森と、擬態に揺れる黒い魔物と――虎視眈々と狙い澄まし、獲物の視線が一瞬明後日の方向へと逸れた時、シュウは跳び出した。
続いて背後には俺と、左右にはヴァリスタとグレイディア。
細身の巨体に駆け寄ると、逆三角の顔面が突然に反応した。
千切れそうな勢いでぐりんと向けられた顔は赤い残光が尾を引いて――気付かれた。
その瞬間には風切り音と共に火球が頭の上を抜けていく。
鎌が微動し、攻撃態勢に入ったかと思った時には既に左右から襲い掛かって来ていた。
速過ぎる――盾を構えたまま突進するシュウと、咄嗟に両腕を耳元まで引き上げ剣を盾にした俺に対して、左右の二人はさっと身を屈めて鎌を潜り直進した。
鎌の刃元はシュウが受け止めたが、湾曲した切っ先は裏の俺にまで届き、挟み込まれる凶悪な圧に剛腕で対抗する。
回避行動により生まれたグレイディアの残像が視線を引いてか、逆三角の頭がぐりんぐりんと不審に動き出した。
挙動不審の隙を突き鎌を弾き返してやれば、次の瞬間にはがら空きとなった胸部に火球と矢が到達し、左右から刃が通される。
鎌を抜けたシュウも剣を届かせると、黒い怪物はわしゃわしゃと奇怪に蠢きながら倒れ伏し、気味の悪い声を発して尽きた。
「この階層も苦戦は無さそうだな」
グレイディアの言葉に一同が頷くが、あの凶悪な速度で迫る鎌を潜り抜けるヴァリスタとグレイディアが基準となってしまっている辺り、このパーティの常識は中々面白い事になっている。
釣られて回避に移行していたら、俺の首はその辺に転がっていた事だろう。
力押しで鎌は退けたが、それでもどうにも移動する気配は見られなかった。
完全に待ち伏せ型なのかもしれない。
しかしならばこの空は――。
ただ景観が変わっただけと納得して良いものだろうか。
虫の知らせという言葉もある――。
「一端此処を離れよう」
完勝の裏で一人不安を募らせていた。




