第186話「風の迷宮、質実剛拳な男」
グレイディアとの打ち合いから――ただただモンスターを斬る日々が続いた。
魔石の換金額は何事も無かったかの様に元の値へと戻り、荒くれ共の暴動の気配すら伺えなかった所を見ると、やはり俺個人へ向けた動きだったのだろう。
生活基盤は守られたとはいえその生活を剛腕という爆弾と共にしているのだから、肩慣らしをしながらのチャージ期間に終始するしかなかった。
そうして今、降り立ったのは風の迷宮、第四階層。
階層が深くなるにつれモンスターのレベルも種類も増加する訳で、いわば危険域にも係わらず人の気配が十分に感じ取れるのは、需要と供給が絶妙なバランスを維持している為だろう。
それはつまりほどほどに稼ぐ者の裏でほどほどに人死にも出ているという事だ。
作りとしては上層とそう変わらない洞窟の様で、注意すべきは新たに出現する大型のモンスター。
グリフォン 魔獣 Lv.25
クラス ウィングドール
HP 16885/25000
MP 55/125
筋力 500
体力 125
魔力 500
精神 125
敏捷 125
幸運 125
スキル 風魔法
見上げる程の体躯に鋭い嘴を持つ鳥の如き面構え。
四足にして骨太の胴体はさながら馬の様で、背には後付けのように翼が生えていた。
横這いの能力の中で頭抜けたHPの値は守護者クラスで、耐久性に強みがある所を見ると土の迷宮でのゴーレムに相当するか。
ゴーレムとの大きな差は環境に恵まれていない点だ。
その動きは鈍重で、閉所において巨体にして有翼という組み合わせは決してメリットにはなりえないのだろう。
翼を用いた縦横無尽の機動が満足に使えないのだから。
中距離レンジを風魔法で補っている形だ。
とはいえHPの高さは驚異の一言で、火力が足りなければ地獄のような相手だろう。
そんなまさに、死線の最中にある一幕へと行き会っていた。
岩盤に覆われた大広間は多少に開けた空間ながら逃げ出す者は居らず、飛び交うは風の魔法、打ち鳴らすは剣と槍と、飲み干される回復薬に捨てられた空き瓶に――。
「助太刀する!」
「ああッ!?」
挙げた声と共に飛び込んだ戦場では、ベターな四人の冒険者からなるパーティがジリ貧の死闘を繰り広げていた。
返された答えにならない応えの正体は切迫に他ならず、既に二名が倒れ、残る二名が武器を手に立ち向かっている状況だった。
勇猛だが、その戦闘能力ではじきに削り負け、死ぬ。
駆けつける間にもまた一人突風に削り落とされ、さすがに勢いも落ちる。
マントの影より二本の剣を引き抜いて、向かうグリフォンは上体を持ち上げ翼を大きく羽ばたかせると迎撃の風を生み出した。
風圧と風魔法とが融合したのか、羽ばたきは暴風となり直撃する。
だが風、所詮は魔法の風。
真向から受けながらがら空きとなった足元に突っ込むと同時に一閃。
生まれた勢いを殺す事無く体表に張り付いて剣を這わせ、一挙に踏み抜く。
反撃が来るよりも早く二撃、四撃――振り切れた勢いのままに素速く次の動作に繋げれば、二本の剣を重ね連ねて膨大な数値を瞬く間に削り飛ばしていく。
「なんつう動きしやがる……」
巨獣が伏したすぐ横で、決して感心ではない放心に近い声が届いた。
息と共に高めた戦意を吐き出すと全身の緊張を解いて振り返る。
ただ男の疑念に満ちた視線が突き刺さるのだった。
「……例の黒いのだな。どういうつもりだ」
「同じ冒険者仲間の危機でしたので駆けつけました」
「よく言うぜ。魔族殺しか何か知らんが、貴族かぶれに目を付けられる謂われはねえ」
見ず知らずの間柄なのだが、よくもここまで嫌われたものだ。
男は悪態を突いて少々、ようやくと冷静になったのか周囲を見渡して異常に気付く。
俺の周りに誰も居ない事に。
「いや……一人か?」
「自分を鍛える為にね」
「いけすかねえ野郎だ。目当ては何だ」
「言ったでしょう。たまたま見掛けた同業者を助けただけだと。俺は冒険者ですから」
軽くマントを翻して、余裕ありげな挙動でもって曲がり角をひとつ、陰に消え入った。
そうしてすぐそこに待機していた仲間達と合流する。
寄って来た仲間達を見て安堵の息を漏らすと、途端に全身の熱気を知覚して体を休めた。
全身がじとりと汗ばんでいる事に気付いた。
消耗が、激しい。
そんな休息の折、真っ先に声を上げたのは俺ではなくシュウで、それはもうお怒りの様子だった。
「無茶し過ぎですよ!」
「ごめんなさい。シュウさんがそこまで心配してくれているなんて思いませんでした」
「私なら魔法を防ぎながら格好良く斬り込めたのに……」
「あ、そこですか」
ヒロイック成分の不足にお怒りのシュウの裏で、どうしてか物悲し気なディアナがぼそりと呟く。
「まさかこの短期間に本当に剛腕をものにするなんて……一体何をしたんですか?」
「ただ歩く練習をしただけだよ」
「ええ……?」
剛腕の扱いというより脚捌きの矯正といった方が正しいのかもしれない。
それよりも二刀流だ。
想像していたものとはまるで別物と化してしまった。
グレイディアの剣術を模倣したつもりだったが、出来上がったのは舞踏などという華麗なものではない。
重心移動と共に踏み出す当たり前の動作を潰して、まさしく拳からの挙動としたのだから。
「ライ、強いね!」
紺藍の髪と細身の体を上機嫌に揺らしながら近寄って来た小さな影はヴァリスタ。
屈託の無い笑顔の下で両手にて握られたロングソードからは次の一言が読めるようで――。
次第に不穏な雰囲気を纏い始めて、瞳は爛々と、一際に鋭く輝いた。
「ライ、や……」
「やりません」
「なんで?」
「まだ力加減が完璧じゃないから」
「そっかー。じゃあまた今度」
「お、おう……」
意外な程にあっさりと引き下がったヴァリスタは、いつの間にかひとつ大人になったという認識で良いのだろうか。
ともあれ力加減がマスター出来ていないのは事実だ。
先程の戦闘も腕を全力で振っただけに過ぎない。
これは二刀流という力が分散されている状態だからこその“全力”であり、両手持ちでやろうものなら剣か地面のどちらかを叩き割る事になる。
これまでとの最大の違いはやはり何より腕が最優先に動作する点だ。
それに伴い胸、腹、腰、脚と威力を殺す事無く繋げる事が出来れば、移動と攻撃の両立が可能な段階になる。
瞬発力はあっても持続性は無いのが玉に瑕だが。
見出したのは断続的な力を連続させて全身を引っ張る、馬鹿げた剛腕の本領だ。
グレイディアの剣がコスパの鬼とすれば、それとは真逆の筋肉賛美的な方向に走ってしまった。
どうして舞踏の剣を目指してブートキャンプになったのかと考えてみれば、あの完全な動作をこの不完全な身で再現しようとしてしまったせいであり、何というかもう、本当の意味での必殺の剣だ。
スタミナの消費が激し過ぎて必殺出来なければ必殺される、膂力任せの必殺合戦だ。
それに勘付いてか、はたまた別の観点からか、あんまり静かなオルガが気になって目を向ければ、珍しく神妙な面持ちで佇んでいた。
視線に気付いて目が合うと、努めてクレバーに答えてくれた。
「今のご主人様、凄く輝いてるよ」
「これ汗だから。それより何か心配事か?」
「何か無理してない? 領主様に目を掛けられてるんだから、そんなに急ぐ必要は無いと思うんだけど」
「そうでもない。俺の噂は少し想定外の方向に膨らんでいるみたいだからな」
「悪い事かなあ」
「良くもない」
「ひとつの街を治める人に認められた事実は誇るべきだよ」
「本当良い女だな、オルガは。見習いたいくらいだよ」
「本当失礼だな、ご主人様は。疑り深過ぎるんだよ」
軽口というか愚痴を狩るというか、何だかとても冴えない応酬が終わると、グレイディアが突っ込んでくれた。
「踏破者、魔族殺し、少々気味悪がられてはいるが、ギルドでもそれほど悪評は流れて来ないぞ」
「魔族殺しってのが問題なんですよ。この所大人しくしていたせいか、聞こえて来るのも変人だとか奴隷使いだとかではなくて対魔族ばかりですからね。これはいけない」
「お前は何を目指しているんだ」
それでも運が良かったのはレイゼイの存在だ。
魔族ゾンヴィーフを討伐した立役者として俺が台頭してしまっていたが、その場には暗黒の勇者レイゼイが居た事も広まっている。
もう一人の――いわば真の勇者の名が挙がれば、勇者っぽい何かを気に留める者は減る。
減るはずだった。
想定外だったのは領主と一対一での面談を申し込まれてしまった事だ。
下火になっていた俺への興味が悪い方向で再熱してしまった。
同時に国には俺を引き込む準備があるという事実も圧し掛かった。
確実なのは、王ボレアスは多少の問題行動なら見過ごす構えを取っている点。
そうなると、以前姫フローラが取ったストーキング&ダイナミック撒き餌の数々も尋常ではなくなって来る。
やはり釣ろうとしているのではないか。
娘にして姫であるフローラにそんな恐ろしい選択を許すタヌキ親父に監視されているのだから、早めに予防線は張っておくべきだろう。
冒険者として。
「とにかく今は冒険者としての名を鮮明にしておきたい。その意味でもここらでひと暴れしとこうかと」
「名誉を力技で上塗りするのか。強引だな」
「でも嫌いじゃないでしょう?」
「違いない」
にっと攻撃的な笑みが伝染して、力にものを言わせた風の迷宮攻略へと踏み出した。




