第184話「遺伝子組み換えである」
「そうだ、迷宮へ行こう」
それは領主との胃の痛くなる対話を終えて翌日の事だった。
「まだ剛腕を使いこなせないんじゃ……?」
「スプーンが持てようが握手を交わせようが、結局は剣が振るえなきゃ意味無いしな。俺は」
今回はそれがメインではないのだが。
予想外だったのはディアナの適応力だ。
剛腕を無くして感覚の変化はあるだろうが、器用に魔導具を弄る様を見れば随分と馴染み始めているのは確かで、その実験も兼ねての判断だった。
あるいは無自覚に他人を傷付ける危険が無くなった事で余裕が生まれたのかもしれない。
何はともあれ良い方向に転んでくれたのだから、俺が剛腕を物にするまでの期間を丸々休暇にしてしまうのは惜しい。
何より鈍る。
元々見様見真似でしかない俺の武術――それも剛腕の上に二刀流まで重ね極めて斬新な事になるであろうゼロベースのそれ――への影響ではなくて、仲間達が錆びつく事への危惧だった。
何だかんだ今のパーティは上手く行っているのだから、この流れを崩すのはうまくない。
出発に向けて着々と準備を整える中、先日から身体に籠る熱は未だ取れずにいた。
仕方なしに腕捲りをしているとシュウから鱗のブローチを渡される。
白みがかった鱗のブローチは例のあれだが、早速マントへ着けてみてちらちらと伺うディアナへも聞こえる様にべた褒めすれば満更でもなさそうだった。
そうして身支度を終え宿から出れば、人通りの目は俺でもオルガでもなくディアナへと向けられる。
その容姿はどうしても目立つものだが、当人は魔導具について考えているのか上の空だった。
慣れからか根っからのものだろう危機感の無さが表出している気がするが、これでいて色々と考えているのだから構い過ぎも良くないだろう。
程なくして冒険者ギルドへと着く。
迷宮へ向かう前に冒険者ギルドへと寄ったのは不安視していた事があった為だ。
いつものふさふさ尻尾の受付嬢の元へと向かい、上の空のディアナを呼び寄せる。
不審に思ってか受付嬢の鋭く疑る目付きはディアナへと向けられたもので、その妙な視線に気付いて不思議そうにするディアナが隣に来た所で話に入る。
「この子、ギルドに登録されてますか?」
「はい?」
嫌な予感がしていた。
予感の根源は容姿の変化等ではなく、種族が変化した点だ。
グレイディアがあれほど驚いていたのに俺が適当に飲み込めてしまったのは、ディアナを“人間”ではなく、あくまで“竜人”という別世界の生物として解釈したからに他ならない。
初めこそスーパードラゴン人的な一時の形態変化という淡い希望も抱いてはいたが、それらは尽く外れてしまった。
要するに、人間に例えれば突然別人種へと変態する様なもので、いや、それはもう変態というか変身、むしろ転生といっても過言ではない異常事態であり、とにかくとても有り得ない話なのだ。
それはロリババアもビビる訳である。
一度その異常性が引っかかれば想像は悪い方へと膨らむばかりだった。
龍の鱗をその身に刻み龍人へと変態した事で生じた影響。
種族の変化という超常的な事態は、遺伝子そのものに作用しての反応と考えても行き過ぎた発想ではない。
だとすれば、この世界におけるディアナという存在自体が別物に置き換わっていたのだとすれば――どうだろう。
「検めさせて頂きますが、構いませんね?」
「勿論です」
拒否するはずもない問いをわざわざ投げ掛けて来るのは反応を伺う為だろう。
取り出された一枚のプレートをディアナが受け取ると、そこにはいくつかの情報が表示される。
すぐに確認作業へと移った受付嬢は、鋭い眼光をちらと向けて、淡々と報告する。
「未登録ですね。しかし龍人とは、聞いた事もありませんが」
龍人という種族に対する疑問は妥当だ。
謎の緊張感に飲まれ置物と化したディアナの横で適当な愛想笑いで返せば、受付嬢は何度か瞬きをして話を進めた。
「見た所、以前お連れになっていた奴隷と同性同名の様ですが」
「ああ、そいつ死にました」
短い問答を聞いた仲間達から漏れ出る悶々とした謎の圧力に晒される中、努めて平静を装う。
しばし俺とディアナとを見ていた受付嬢は、おもむろにグレイディアが頷いたのを見て、数度の瞬きと共にようやくと納得してくれた。
塔の街のギルドマスターより認可を受けているグレイディアが首肯するのだから、その重みは俺の空っぽの頭とは比べものにならない。
それに状況が状況なだけで、冒険者の死亡自体は珍しい事では無いのだ。
「ならば死亡という事で手続きを進めてもよろしいですね」
「よろしくお願いします。ついでにこちらのディアナを登録させてください」
そうして今此処に竜人ディアナは事務的に死を迎え、名実共に龍人ディアナが誕生したのだった。
「何だったのだ、あれは」
「そうそう、ディアナが死んだってどういう事?」
「いくら何でも死亡届はあんまりじゃ……」
ギルドから出て人の気配が遠く薄らいだ所で、グレイディアが最もな疑問を口にしたのを皮切りに、オルガとシュウもぶつけてくる。
当のディアナは未だ呆然としたままとぼとぼと後ろを付いて歩き、一様に状況が飲み込めていないらしい。
「どうやらディアナが龍人と成った事で生じた不具合みたいですね」
「成る事で生じる不具合……」
「そうでなければ良かったのですがね」
「でもわざわざギルドへ向かったんだから最初から気付いてたんじゃないの?」
「予想だ予想」
「じゃあ不具合っていうのは何なんです?」
「何というか、生体情報が噛み合わなくなったのでしょう」
「生体情報……ふむ……」
シュウは元より、オルガとグレイディアもふわふわしている様だ。
遺伝子が云々とそれっぽいネタを知っている俺ですら理解出来ていないのだから、この世界の住人が理解出来ないのも無理はない。
そんな面倒な話に露程も興味を示さないヴァリスタは何時の間にか先へ先へと向かっていた様で、辛抱たまらない面持ちで待っていた。
「そんな急かすなよヴァリー。迷宮は逃げないぞ」
「こうしている内にもモンスターは死んでいるよ!」
「いや、そうだけども。半無尽蔵なんだしもう少し落ち着いて。ほら、ディアナが追い付いてないし」
「ディアナはもう死んだでしょう?」
「うっ……死んでないからね!?」
此処まで黙していたディアナだが、ヴァリスタのボケだか素だかわからない言動に呼応してか凄惨な形相で割り込んで来た。
難しい話に頭を悩ませていたグレイディア達と、教育に集中した俺とヴァリスタと、皆が反応を示さなかった事で次第に焦り始めたディアナ。
全身を使って視界を遮り始めて、必死の生存アピールにとうとう鬱陶しくなって目を合わせれば安堵の表情で騒ぎ始めた。
「ほら、此処! 私は此処に居ますよ!」
「見える見える。凄い生命力だよ。ディアナが元気いっぱいで嬉しいよ俺は」
「ちょっと馬鹿にしました!? いえ、そんな事より、本当に私が死んだ体でいくつもりですか!?」
「死んだのはかつてのディアナな。それに本当に死んだ訳じゃなく、書類の上での話だ。さすがに同一人物が重複していたらまずいだろう」
「それはそうですけど……。そんなぁ……何か嫌じゃないですか。こう、言い表せませんけど。そもそも嘘をつく必要あったんですか?」
そこの所は俺自身、微妙な判断だった。
しかし俺の仲間としてある以上、僅かでも手放す可能性は避けたかった。
「あまり聞いて楽しい話ではないと思うが、この際はっきり言うぞ」
「是非にも」
「良い度胸だ。例えば竜人が変態出来ると知れたらその原理を調べたがる者が現れるかもしれないよな」
「まぁ、それはそうですね。私も魔導具の事ならいくらでも知りたいですし」
「だとしたら変態の要因を知るべく身体の隅々まで調べ尽される。それだけなら可愛いもんで、もしかすれば鱗の一枚一枚、爪先から骨の髄までを刃に通すはめになれば……それらにどういった反応を示し、果たして人体に差異があるのかも重要な評価対象になるだろうな」
「そ……そこまでしますかね……」
「魔導具だってそうじゃないか? 構造を知る上では一度バラした方がわかりやすいからな」
「えぇ……」
「それで、ディアナがもし竜人から成った龍人だと知れたらどうだ? 栄えある変態龍人第一号に選ばれたら……」
「わ、わかりました。わかりましたから!」
少し脅し過ぎな感はあるが、にわかにでも心が揺れぬようにしておくべきだろう。
変態変態言っているが、生まれた時からナチュラルな龍人だったという言い訳が一番安全なのだと思う。
「でも突然死は絶対怪しまれてますよ」
「魔導書で爆死したとかでいけるだろう」
「いけませんよ! ただの間抜けじゃないですか!」
「冴え渡ってるな」
予想外の激しい突っ込みに驚いてしまうが、どうにもプライドが邪魔しているらしい。
いや、プライドを撒き餌に千切っては投げ千切っては投げを繰り返して来た俺の方が異端なのだが。
どうしたって後々首を絞める事になる「竜人と龍人のディアナが共存している」というぶっ飛んだ説だけは回避しなければならなかった。
「そうだ、グレイディアは仮にもギルドの職員として同行しているんでしたよね。叱ってあげてくださいよ」
「私に振られても……」
「えぇ!? 不正ですよ、不正申請!」
「……一応、対モンスターが前提である冒険者同士の決闘は御法度だからな。理由はどうあれ暗殺したとも取られかねない事件は案外と調査されるものだぞ」
「マジですか」
「とはいえ今時魔導書を知る者は少ない。幸いにしてディアナが魔導書を持ち歩いていた事は認知されているだろうから、言い訳は立とう」
うぐぐと唸るディアナは俺を睨みつけているのだが、それがどうしてか全く怖くないのは睨み慣れていない為か、はたまた心の底から怒っている訳ではないからなのか。
むしろこのメンバーに馴染んで来ている事が確認出来る一幕に安心感すら覚えた。
反して本物を窺わせるグレイディアの“笑み”は大迫力で――。
「何より証拠が無いからな」
呟いたグレイディアの一言が全ての答えだった。
要するにそれは、ディアナという存在そのものの話だ。
竜人ディアナは既にこの世にはない。
死亡する瞬間を目撃される訳もなく、その身の残滓すら一欠けらとして遺されてはいない。
何故なら別の個体に挿げ変わってしまったのだから。
そうなると、ある意味でこれは完全犯罪とも言うべき事案。
そもそも変態自体を信じられるかという話でもあるし、例え龍人化を目の当たりにした僧侶達に真実を口外されても、それらが魔族に加担した者であるという事実が圧し掛かる。
知らずとはいえ人類の天敵に手を貸してしまった者の言にどれほどの力があるのか。
最も我先にと逃げ出した僧侶達の中にリスクを恐れず正義に動く勇者は居ないだろう。
天敵というのは実に扱い易い言い訳だった。
「元魔導学者で奴隷落ちして魔導書で爆死って……け、経歴が……」
「壮絶な半生だね。物語を綴って食べて行けそう」
「私だったら勇敢に散って肉片も残さず食べられちゃったとかが良いな」
ディアナの愚痴に付き合うオルガとシュウは果たして慰めているのかはわからないが、爆死設定の評判がすこぶる悪い事だけはわかった。
すっかり龍人と成った新生ディアナを引き連れて浴びるは向かい風――街の中心、風の迷宮へと向かう。




