第183話「朱に交われば」
領主邸での胃痛との闘いを切り抜け満身創痍で宿へと戻ると、帯剣したヴァリスタに出迎えられた。
小さな身体に似つかわしくない射殺す様な眼光でもって全身を舐める様に確認した後、僅かばかりに肩を落とし、さながら意気消沈している様だった。
他の仲間達は椅子に腰掛け一見くつろいでおり、それでも武装はきちりとしている。
どうにもヴァリスタだけが浮足立っていた様に見える。
「何だ、残念そうだな」
「……だって敵が来ないんだもの」
しゅんとして耳を伏せて尻尾を垂らす。
まだまだ成りは小さいが、意気込みは一人前だ。
「十分だろ、見知った顔にも気を抜かずに応対出来たんだから」
「うーん……」
実際、最悪の可能性を潰す為に臨戦態勢を取らせていたのだから、そうならなかっただけで満足のいく結果と言えるのだが、それでは納得がいかないらしい。
「ヴァリーが居た事で敵も警戒して近寄れなかったのかもしれないな」
「そっかー」
やはりヴァリスタにとっては強さこそが全てなのだろうか。
機嫌良さそうに尻尾を靡かせてばればれのポーカーフェイスで背伸びに繕う様は相変わらずだ。
短く返事をしたかと思えばベッドに飛び込んで、もぞもぞと丸まり眠りについた。
小さな容姿に似つかわしくない言動の節々から感じる違和感は“敵を殺す”という一点に集約される危険な思考回路。
衣食住が整った環境でさえ萎びぬ殺意と眼光は、狂戦士ゲインスレイヴを彷彿とさせる。
あの男と同じ一門の生まれなのだとすれば――根掘り葉掘り聞かずにおいて良かったのかもしれない。
境遇故か尖り過ぎたその牙が欠ける様子は見られないが、今はもう、少なくともベッドの上では、ただぐっすりと眠る一人の子供なのだから。
ようやく腰を落ち着ければグレイディアから静かに届く疑問。
「それで、どうだったんだ」
その質問に目を向ければ一同の視線が集中している事に気付き、一息おいて、結論から述べる。
「何というか、気の抜ける結果でしたね。どうにも魔族征伐に対する労いだったみたいです。とても好条件の勧誘もされましたが」
「……受けたのか?」
「受けませんよ」
「えー、どうして断っちゃうんですか。せっかくの機会なのに勿体無いですよ」
「ほんとほんと」
安堵だろうか深く頷いて返したグレイディアに対し、心底残念そうにするシュウとそれに悪ノリするオルガと――どうにも肝を冷やした自分自身が馬鹿らしく感じてしまうが、警戒し過ぎるくらいで丁度良いはずだ。
「ご期待に沿えず残念でした。これからもあくまで冒険者として行動するので悪しからず」
「でも街を救ったのは事実なんですし……」
「もう少し欲張っても罰は当たらないと思うけどなあ」
「そういう先っぽだけならって甘い考えが身を滅ぼすんだぞ。先走ってからじゃ手遅れなんだから」
なるほどと腕を組みうんうん唸るシュウは理解出来ているのかわからないが、謎の笑みを浮かべるオルガが今にも問題発言をぶちかましそうだったので、要らぬ事を口走る前に話を切り上げる。
「色々聞いてわかったが、塔を登るなら尚の事上の土俵には立つべきじゃない」
「ほう。冒険者を貫く意志が強まったと」
「それなりの地位を約束するといった旨を聞かされましたから、最悪上の命令と下の管理と、色々押し付けて飼い殺すつもりかもしれません」
「あり得そうな話ではあるな。何分今は時期が悪いし、だからこそ可能性を秘めた勇者の存在は貴重だ」
「あちらにも色々あるんでしょうが、やはり自由を失うのは痛いですよ」
「悪意でなくともまともに人や金を動かせる様になるまで数年は勉強するはめになるだろうからな」
勉強と言ってもこれまでして来た様な自分本位の生温いものではなく、他人の生死の掛かったものだ。
政治が出来ずとも腹芸が出来れば内部から上手い事吸い上げられたかもしれないが、生憎そこまで器用じゃない。
大体、貴族となって相手取るのは迷宮で散々乱獲して来た脳筋のモンスターではなく、激動の政界を生き抜いて来た腹黒のモンスターなのだから。
そこには敵を倒して勝利という単純なものは存在しない。
何を切り捨て、何を選び取るか。
時として人命すらもベットする、いかれた取捨選択の世界に違いない。
事後報告は終わった。
各々張っていた気を緩めた所で、ひとつ聞いておかなければならない話がある。
「そういえば、グレイディアさんは古の戦士の一柱として御高名らしいですね」
「大袈裟な。さてはお前、要らぬ知恵を吹き込まれたな……?」
まさに溜め息交じりといった感じで、大袈裟にがくりとうな垂れて見せた。
「俺なんかよりよほど勇者に見えますよ。御立派」
「茶化すなよ。私は疎まれこそすれ、勇者には成れないさ」
人の世の為と口にして、冒険者ギルドという人々の生活にごく近い立場で活動するグレイディアだ。
魔族征伐にも協力的で、人族から見ればそれは英雄的な存在とも為り得るのではないだろうか。
強大な能力故に危険視されるならまだしも、随分塔の街に長居していた風だし、世渡りだって下手じゃない。
「疎まれる理由がまるで思い当たりませんが」
「考えても見ろ。幾世にも渡る盛衰を目にして現在。それはもしかすれば一から十まで、個人の生活から国の推移までをも監視している可能性。馬鹿げた憶測も立つだろうよ」
「ああ……何か、すみません」
「永く生きれば色々ある。全く、終わりがあるのは良い事だよ」
思慮が足りないという言葉では片付けられない問題なのかもしれない。
そこには小僧には理解出来ない考えがあって、どうあっても辿り着けない答えがある。
何より他人の死を身近に感じつつ自身が死ぬ事が無いとなると、結構きついかもしれない。
「しかし他のお仲間もご存命なんですよね?」
「まあ、だろうな」
「どういった方々なんですか」
「下手に誤魔化してもお前は探ろうとするのだろうな」
「出来ればグレイディアさんの口からお聞きしたいですがね」
「魔女と人狼」
ぶっきら棒な言動は何処か不機嫌にも見える。
本当に教えたくない事柄だったのか、はたまた過去を引き摺り出されるのが嫌だったか。
てっきり吸血鬼の仲間かと思っていたが、別の種族らしい。
人狼というのは獣人系だろうから、間違いなく強い。
魔女はそのままの意味だろうか。
魔法が得意となれば、引き込みたい人材ではある。
どちらにしても大先輩だ。
グレイディアと同程度の戦力と仮定すれば、その二人を仲間にするだけでも相当なものになるだろう。
何より育成の手間を省ける戦に長けた人材だ。
これを見逃す手は無い。
「あわよくば……」
「紹介なんてしないぞ」
「そこを何とか」
「塔を登る前に食われたいのか」
「食うって……グレイディアさんと違って随分と過激な方々なんですね」
「ギルドが出来て、国が出来て――今でこそ人の世に間借りしているが、私とてかつては無法に人斬りをしていた。そしてあれらは……それ以上に本能に忠実だ。だからこれは提案でなく、警告だ」
俺にとって敵となり得る存在なのだとすれば、警戒こそすれ進んで接触すべきではないのだろう。
ジャスティンがまさにそれだった。
最終的な決断を俺に一任しているグレイディアが明確に否定するという事は、そういう事なのだ。
「といっても外見的にはヒトに馴染んでいるからな」
「なるほど。どなたかも可愛いお人形さんにしか見えませんからね」
「あのな……まぁ、幸いな事にお前には私の素性すらも視えるのだろう?」
「素性というか、ある程度の状態は」
「ならば出くわしても避けるのが利口だ。特に魔女はやめておけ。魔女は駄目だ、魔女は」
人狼の方は肉体言語が必要な気はしていたが、まさか魔女の方も言葉が通じない手合いなのか。
魔女というと何だか頭の切れそうな響きだが、そうでもないらしい。
むしろ頭が切れるからこそ、色々切れてしまっているのだろうか。
「あわよくばお前をぶつけようとしていたのかもしれないな」
「俺に危険因子を炙り出させようとしたって事ですか? さすがにそういった会話ではありませんでしたが……もしそこまでを考えて匂わせていたのであれば狡いですね」
「深読みでも構わない。良い教訓だろう。冒険者である以上国は商売相手に過ぎないのだから」
国もまた同じ考えという事だろう。
利用し、利用され――だからこそ俺自身の価値を高めて来た。
誘導はされようとも強制はされない関係に落ち着けたと喜ぶべきか。
頭の痛くなる話を終えて、先程から足りていない一人の反応にようやくと目を向ける。
その音も視線も気に留めず黙々と作業へ打ち込む姿を見てしまうと色々心配でならない。
「シュウさん、ディアナの様子はどうでしたか」
「ずっと魔導具を作ってますよ。凄い打ち込み様ですよね」
シュウは比較的ディアナと仲が良い――というか、シュウはシュウで刷り込みによって下の世界の生物全般を怖がっている様だから、種族の差など些細な問題なのだろう。
当のディアナは部屋の隅に備え付けられた机に向かって取り憑かれた様に手を動かしており、恐らく俺が戻って来た事にも気付いていない。
職人気質と言えるのめり込み様だが、襲われていたら真っ先にやられてしまうのではないだろうか。
白みがかった幻想的な風貌ながら、その根元は魔導オタクのままなのだからギャップが酷い。
そっとしておいてやりたい所だが、注意くらいはしておこう。
肩を叩いた事でようやくと振り返ったディアナは、目を細めて渋い顔をする。
妨害されたのがそれほど嫌だったか。
「あれ、貴族様の所に行ったんじゃないんですか」
「さっき帰って来たところだ」
「えぇ……早いですね……」
あからさまに残念そうな顔をするが、そこには純粋なヴァリスタとは違い邪な考えが内包されている。
俺が不在の間は延々魔導具弄りが出来るからこその反応で、何だか倦怠期の夫婦みたいで物悲しい。
「別に自分の時間を作るなとは言わないけど、安全が確保出来ていない時は何時でも武器が取れる様にしといてくれよ」
「その点は抜かり無いですよ!」
待ってましたとばかりに魔導書を取り出して見せ、思わず「そうじゃない」と突っ込みそうになるが、これでいて準備だけは万端らしい。
「最も私は旦那様を信じていますから」
「端から俺が上手い事解決するって?」
「それに陣形も滅茶苦茶なままに戦っても私なんて役に立ちませんからね」
屈託の無い笑みは自嘲でも何でもなく、本気でそう思っているのだろう。
実際踏み込まれたら魔法砲台が精一杯のディアナでは対処出来ないというのは間違いない。
「悪いが俺だって単独で無敗な訳じゃない。敵の情報を元に最悪の事態に備え、雑魚相手でも容赦無く叩き潰して来た結果が今だ。そこの所は履き違えないでくれよ」
「その上で、です」
「……嬉しいね。随分と高く評価されているみたいで」
ディアナはふっふっふと意味深に笑って見せながら部屋を見渡した。
「だって一人も欠けず正確に強者だけを揃え、従えているんですよ。その時点で異質なんですよ、旦那様は」
無防備に眠りに落ちたヴァリスタを筆頭に仲間達を見て、強者と謳われ満更でもないシュウが自慢げに胸を張って――これは意外と冷静に見れているんじゃないのか。
俺達の現戦力、それに纏わる過程、そういった部分がぼんやりとだが見えていて、だからこそ過剰に畏怖する面があったのだとすれば中々酷な事をしていたかもしれない。
それは何かしら非合法な手での支配や、そういったものを恐れての恐怖で――ようやくとそれらが払拭されて来たという事だろうか。
意外な程に冷静に受け応えて見せたディアナに代わり、ワクワクが止まらないシュウが遂に我慢出来ずに身を乗り出して来る。
「斯く言う私も村人でしたが、此処に来てから随分強くなりましたからね。魔族とか倒しちゃいましたから。ねーライ様!」
「あーそうすね」
シュウは相変わらずの通常運行で安心すべきか、不安視すべきか。
ノリノリのシュウが大きな胸を更に張って、ぽろりしないかなとか考え始めた頃、ディアナの笑顔も更に深くなる。
何がそんなに嬉しいのか。
「そんな強い皆さんに比べて私はあまり戦闘には向いていないのです。その分こうして魔導具を開発する事で貢献しているんですね」
「ふむふむ、なるほど。さすがディアナは頭が良いね」
「いやいや、そんな。私は仲間の一員として当然の事をしているまでですよ」
そのサボり手のおっさんの様な処世術に衝撃が走る。
意識的か無意識的か、魔導具以外のものを自分の周囲から遠ざけている。
こうして見るとシュウは何だかんだでディアナに上手い事転がされているのではないか、これは。
凄いものを見てしまった。
ちょっとお灸を据えてやろう。
「そうだな。じゃあそんな熱心なディアナにはこれからはオルガと一緒に司令塔の勉強もしてもらうから」
「はい。はい? え、あの、私はあまり戦闘は……」
「殴り合いには向いていないかもしれないがディアナは頭が良いし、幸いにも魔力も高いから後方から指揮を執るにはもってこいだ」
「そうですよね! ディアナの指示なら安心して受けられますよ!」
「えぇ……ちょ、ちょっとシュウ」
「え、何?」
呼び寄せられて壁際に連れて行かれたシュウが何を吹き込まれたのかは知れないが、多分無意味だろう。
初戦闘の折に乗せ過ぎたせいか、少々脳筋が入ってしまっている節がある。
そんなシュウは聞かされた何事かをふんふんと噛み砕いて代弁する。
「ディアナはやっぱりあまり戦いは好きじゃないみたいです。剛腕を失った事で身体も慣らさなきゃいけないって」
「せっかくシュウさんを慕ってくれる後輩が出来たのに、活躍出来ないとは非常に残念ですね」
「そ、そうですよね。シュウには申し訳ないけど、人には得手不得手がありますから」
適当に便乗したディアナがほっと一息ついて、数々の地雷を踏み抜いた事に気付かないのも無理は無かった。
「でも私達で鍛えてあげれば良いじゃないですか! 何事も慣れですよ! 私だって最初は怖かったですもん! あ、近接戦闘については私が手取り足取り教えますよ! ライ様はまだ本調子じゃないみたいですし!」
「シュウ先輩がこう言ってるんだけど。シュウ先輩が」
「頑張らせて頂きます……」
シュウは活躍するのが大好きなのだ。
例えばシュウがディアナに戦闘教育を施し、そのディアナが活躍すれば、それはもう最高の気分に違いない。
悲しいかな、時として親切心は劇薬ともなってしまうのだ。




