第177話「調整期間」
二人きりの部屋の中で、隣の椅子に座り込んだディアナは俺が鱗を身に付けるまでちらちらとこちらを伺っていた。
色々理屈をこねてみたが、結局ディアナの鱗は頂く事になった。
首から提げて胸元に主張する大振りの白い鱗は、どうにも目立って仕方ない。
決意の証ともいえるこれを謎空間に放り込んだりすれば、ディアナも良い気分はしないだろう。
どうしたものかといつもの黒マントを羽織ってみれば良い具合に隠れはしたが、ディアナが一瞬不満げにした……気がした。
マントを脱いで、しばし思案。
改めて、首から提げるのはまずい気がする。
何かこう、あらぬ誤解を招きそうだからだ。
とりあえずだ――。
「いつまでそこに居るつもりだ」
扉に向かって声を掛ければ、がたんと音が届く。
ゆっくりと開かれた扉からは長い耳と白緑の髪がちらりと覗く。
そうして愛想笑いを浮かべて真っ先に入って来たのはオルガだった。
「おはようご主人様。丁度今来た所で――」
「お前の今は随分長いな。ともあれ皆も入って来いよ」
笑って誤魔化しながら空いた隣席にするりと滑り込むこいつは、見習いたいくらいの剽軽さだ。
ヴァリスタ、シュウ、遅れてグレイディアと全員が着席した所で、鱗については知られているのだろうと思うと何とも言えない気分になるが、ここはいつも通りいくべきだろう。
様子を伺っていた俺に若干の沈黙が訪れた場で、言い訳を思いついたのか我先にと乗り出したのはシュウだった。
「私はあくまで細工を気に入って頂けたか確認しにですね……」
「そんな耳年増なシュウさんにひとつお願いがあるんですが」
「な、なんでしょうか」
「この鱗の細工、ネックレスじゃなくピンみたいに出来ますかね?」
「ピンですか?」
「ブローチですかね。こう、衣服の留め具みたいな感じに。いかんせんこのままでは戦闘には向かないでしょう」
「わかりました、やってみます!」
「じゃあひとまずそれをお願いします」
マントの留め具にでもすれば、鱗を主張させたまま別の意味に取られる可能性も少ない。
ちらとディアナを見てみれば満更でもなさそうだから、大丈夫だろう。
続けてグレイディア。
「私は先頃ギルドから戻って来たばかりだ。いくつか話もある」
「そうだったんですか。お疲れ様です」
「え!? 信じるんですか!?」
手元の鱗を眺めて細工を考えていたのだろうシュウが突然に驚愕の表情を曝け出し、顔を上げて俺を見ていた。
相変わらずというか何というか、マップ機能で壁一枚程度意味を為さないという事を忘れているらしい。
最後にヴァリスタだが――しんと澄まして対面の椅子に腰掛けている。
朝の挨拶と共にタックルの如き抱擁を決めて来る事もあったのだが、今日は妙に落ち着き払っている。
何だろうか、元々馬鹿騒ぎする様な子ではないし、冷静である事は悪くないのだが、以前は膝上という肉薄した定位置を陣取っていたのもあり、微妙な距離感が逆に怖い。
「ヴァリーは何か言う事はあるか?」
「全部聞いていたわ」
そう来たか。
開き直るとは、反抗期だろうか。
此処はひとつ主人としてガツンと決めておこう。
「盗み聞きなんて良い趣味じゃないぞ」
「ごめんなさい」
聞き分けの良さはいつも通りだが、感情が籠っていない様で気味が悪い。
「ヴァリー、どうした」
「何?」
「その……何だ。今日のヴァリーは妙に大人びているな」
「まあね」
ヴァリスタはふっと意味深に鼻で笑って見せながら言葉を続けた。
「まだまだ子供のディアナの分まで、私がしっかりするのよ」
何だその鼻に掛けた言動は。
まるで用意していたかの様な台詞を噛みそうになりながらも言い切ると、ぴくりと揺れた猫耳と共に表情筋が緩んで、途端に尻尾が乱れ出した。
名指しされた当のディアナは呆然としており、何とも言えない空気に包まれていた。
「昨日からずっとこんな調子だよ」
小声で聞かされたオルガの一言で納得がいく。
どうやら昨日大人だお姉ちゃんだと散々に持ち上げたのが尾を引いているらしい。
上機嫌故のポーカーフェイスだったのか、まだまだ甘い。
背伸びヴァリスタは微笑ましいのでしばらく放っておく事にする。
そうして一段落ついた所で本題――グレイディアからの報告――へと移る。
「まず、ジャスティンの件は滞りなく終えた。ギルドから領主に話を通し、じきに決着するだろう」
「それは良かった」
「魔法陣形を知らしめた事、塔の街での魔族召喚並びに風の街での召喚未遂――およそ人の世に貢献する行為とは言い難い」
「結局悪人だったって事で良いの?」
口を挟んだオルガの素朴な疑問に答えは返せなかった。
グレイディアと共に口を噤んでしまって、一瞬変な空気になった所で控えめに続けたのはディアナだった。
「少なくとも、あのまま放っておけばあの男の言葉に乗せられてしまう者は少なくなかったはずです」
「まぁ、それはそうかもね」
「奴なりの考えはあっただろうよ。でも手段がまずかった」
「そっか、魔族を召喚していたんだもんね」
それ以上何かを追及する真似はせず、オルガは納得した様だった。
過程はどうあれ、奴はいかれた犯罪者として処理された。
力、身分、人望――何があろうが、何処で転ぶかわからないものだ。
「ともあれ当面の心配事は無くなった。皆の協力に感謝する。これは内々に処理されるだろうから報酬はたいしたものではなかったが……」
そうして袋を取り出しこちらに手渡そうとするグレイディアを制止する。
「そいつはグレイディアさんが持っておいてください」
「何故だ?」
「何かと入用になるでしょうし、何よりギルド職員としての報酬でしょう?」
「……よくわかったな。しかし遠慮する事は無いのだぞ?」
以前資産を譲渡して来たグレイディアだからこそカマを掛けてみた訳だが、当たりだった。
どこまでも律儀だが、俺が一括で管理するのはうまくない。
グレイディアも多少の金銭は持ち歩いているが、決して常に行動を共にしている訳ではない。
別行動中にあらぬ問題が発生してからでは遅いのだから。
幸い現在はしばらく生活に困らない程度の資金が残っているし、グレイディア自身が独立した大人だから過剰に縛り付けるのは長い目で見てもデメリットが大きい。
俺には無い知識を授けてくれる上、その戦闘能力と冒険者ギルドに顔が利くという点だけでも十二分に貢献している訳で、それ以上を望んでいないというのもあるのだが。
平時でもグレイディアの全てを享受するというのは少々ムシが良過ぎるというか、それでは何か、仲間という枠組み以上の関係の甘い蜜だけを一方的に啜っている形になってしまう。
グレイディアが裏切るとは思っていないが、それはあくまで現段階での話だ。
負担を掛け過ぎれば関係は歪み軋轢を生む。
信頼の上に胡坐をかいてはいけない。
他人の感情なんてものは御し切れないのだから。
表裏は一体ではないと考えた方がいいが、邪険にするのもうまくない。
この辺りの塩梅が問題なのだが、ひとまずの余裕がある今は遊びを取って置くべきだろう。
「ではまた、必要な時に相談させてもらいます」
「そうか……ほら、これが今回の報酬だ」
必要な時に借りるというのもかなり都合の良い話ではあるが、グレイディアは渋々と納得した。
袋より差し出されたのは金貨五枚。
一人の男の捜索という表面的な成果への対価としては破格だろう。
「表向きの評価にはならずとも、国の心証は悪くないはずだ」
「なら安心です」
「目を付けられる可能性は大いに増した訳だが」
「元々悪目立ちしてますからね。無名のままではままなりませんし……。とはいえ気持ちの良いものではないですね」
「同感だ」
これにて今回の件は一応の終わりを見た訳だが、俺には未だ剛腕による影響が強く残っている。
この身体を慣らすまでにどれほどの時間を要するかはわからないが、数ヶ月も掛かるものではないだろう。
そう思いたい。
「急を要するものは無くなったから、しばらくは休みだ。皆も休んでくれて構わないが、無断外出だけは厳禁な」
「じゃあ私は部屋で作業に入りますね!」
「ボクも手伝うよ」
鱗を手に持ったシュウはオルガと共に元気に部屋を出て行った。
あの様子だと、オルガも手先が器用なのだろう。
シュウの健康的な太股を見送って視線を戻すと、瞼が落ち掛けているヴァリスタが目に入る。
「ヴァリーはどうするんだ?」
「うーん……」
うつらうつらと、どうにも頭が回っていない様だ。
先程までの覇気はどこへやら、休みと聞いた途端にこれだから寝子スイッチは素晴らしい。
いつもなら嬉々として寝入るのだが、そうしない辺り変なプライドが邪魔をしているのかもしれない。
「眠気が残っていたら、いざという時に戦えないぞ。一流の戦士は万事に備えておくものだ」
「うん……じゃあ、私は、万全に……寝る」
「おう、おやすみ」
多分本人の中では未だ凛々しくあったのだろう。
此処で寝入ってしまうかと思いきや、ふらふらと尻尾を揺らしながらもドアを開けて出て行った。
獣人故なのか、あの状態でも躓いたりしない辺り、平衡感覚はかなりのものだ。
俺の場合いくら能力値が上がっても基本的な身体能力は平凡だから、時折そのスペックが羨ましく感じる。
次々と退室していく中、残ったのはディアナとグレイディア。
沈黙するグレイディアを見て、おもむろにディアナが身を乗り出して来る。
その爛々とした瞳は、恐らく魔導具に関しての相談だろう。
「魔導具の事ですけど、どういった物を作れば良いのか。何か案はありますか?」
「そうだな……」
正直そこまで明確なビジョンがある訳ではない。
魔導具に大きな興味も無いし、ディアナを繋ぎ止める為の口車に過ぎないのだから。
ともあれそれに打ち込む事で色々と雑念を払う事も出来るだろうから、これほど都合の良いお題目はなかった。
以前は身近な物を連想してドライヤーでもあれば便利だろうと考えていたが、結局の所利便性を取るならば魔導具自体の小型化が肝になる。
「小型化だな」
「小型化ですか」
「出来そうか?」
「ううん……」
唸る様は、やはり簡単ではないのだろう。
俺は技術屋ではないからこうして適当に振る事しか出来ない訳だが、こういったものはどこに創作のヒントが落ちているかわからないというし、その断片でも提示出来るならば口にしておいて損は無い。
「そういえば、当たり前に魔石を燃料にして火を点けたりしているが、魔導書みたいに攻撃に転用したりも出来るのか?」
「出来ますよ」
「出来るのかよ」
ならばそれを量産してぶっ放していれば魔族なんて敵ではないのではないだろうか。
「但し消耗が激しいのか、有効活用は出来ません。攻撃に際しても致命傷は与えられない……という事らしいです」
「ああ、なるほど。固定ダメージなのかな」
「よくわかりませんが、魔導具を攻撃に使う考えは一般的ではありませんね」
攻撃用ではないものでのダメージと言えば、開拓地で魔族ゾンヴィーフに死霊化されていたリザードマンを思い出す。
グレイディアに足蹴にされて篝火に突っ込まれていたが、あれも致命傷には至らないスリップダメージだった。
あれを基準として考えるならば確かに燃費が悪いし、火力偏重の現パーティであれば尚の事役に立たない。
魔導具はあくまで日用品としての側面が強いというか、この暗い地下で生き残る為に生み出された技術の系譜なのだから、その方向性が偏っているのも妥当か。
魔石、魔力、魔族――。
思えばジャスティンが作り上げた魔力溜まりにおいて、一時的にだが神経が研ぎ澄まされていたのは気になる。
単に人斬りを前にして異常に張り詰めた事で生じた現象なのか、それとも魔力溜まりという場において覚醒する知られざる効果なのかは不明だが――。
いくら強力な剛腕をもってしても自分自身の運動神経が超人化する訳も無し、一時的な神経の精練が再現出来るならば俺にとって大きなプラスになるのは確かだ。
何だか麻薬的だが、試してみたい気はする。
「魔石から魔力だけを放出させる事は出来るのか?」
「転化せずにそのまま捨てるという事ですか?」
「多分そんな感じだな」
「その程度なら簡単ですが」
よくわからないが可能みたいだから――
「魔石の利用は魔導具において一番基礎的な抽出の――」
「ああ、うん。そう……なるほど……」
「――でも、ただ魔力が放出されるだけでは魔導具としては欠陥品ですし、実用性は無いですよ?」
「いや、それで構わない。ひとまず作ってみてくれないか。出来るだけ小型化を目指して。魔導の道も魔力からだ」
「はい、わかりました!」
――適当に相槌を打ち、自分でもよくわからない言葉で締めてディアナを鼓舞すると、魔導具製作の目標を定めた。
剛腕を慣らすまでにどうしても暇が出来てしまう訳で、その間に細工をする者、魔導具を作る者、寝る者と――我ながら完璧な割り振りだった。




