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第173話「芽から鱗」

 考えが纏まり脱衣所で着替え終わるも、浴槽に長く浸かっていた為か身体が火照っていた。

 頭も体も冷ます為にシャツを腕捲りして、大きく息も吐き出して、僅かでも熱気を逃がした。


「ディアナも入りな」

「あ、はい!」


 脱衣所を出て声を掛けると、椅子に座り込んでいたディアナは飛ぶ様に立ち上がった。

 振り返る挙動に合わせてトカゲの様な太い尻尾が椅子を薙ぎ倒して、いそいそとそれを立て直す。

 どうにも浮足立っている様に感じられた。


 とはいえそれ自体は以前にも見た事がある。

 龍の鱗を手に入れた喜びからか、尻尾を扉に激突させていたあの時だ。

 それは見た目的にも太いし、今はその先端も白みがかった鱗に覆われているから相応に強靭なのだろう。


「そういえば、着替え無いだろ」


 ディアナに問い掛けながらシャツを手渡した。

 今なら物を買い与えられる事を嫌がる事はないだろうし、明日にでも買い出しに行くべきか。

 シャツを抱いてそそくさと脱衣所へと向かって行ったのを見送って、一人となった部屋で食器類を取り出し机へと並べる。

 それらは木製の丈夫な物だから滅多な事では壊れない。

 試しにスプーンを指先で構えてみれば、みしりと嫌に軋みたつ。


 やはり加減が出来ていない。

 少し力を緩めても、スプーンは指先から落下しない。

 当然だ、もはや普通の力加減が普通ではないのだから。


 そうして探るのは、最適な加減。

 力の強さではなく、弱さ。

 どこまで緩めれば日常生活で周囲を傷付けずに済むかを推し測る必要があった。




 からんとスプーンが机に落ちて、次は脚を確認してみる。

 実は強化された腕より弱化された脚の方が不安が大きい。

 マイナス面だからかそういった未知の恐怖がある。


 その場で足踏みして、軽く跳ねてみて――動いてみても、腕と比べてそれほど変化は感じられなかった。


 予想通り弱化の影響はごく小さいものだ。

 ただ腕が異常に強化されるスキルという認識ではまず気付かない誤差だったのは間違いない。

 それ自体は幸いではあるのだが、だからこそ感覚的に掴み難いのかもしれない。


 例えばゲームやスマホといった機器において僅かにレスポンスが遅れただけでもストレスを感じラグだ何だと騒いでしまうが、まさにそういったごく僅かな感覚と実態の差が生じているのだろう。

 これが人体で起きてしまっているのだからただ事ではない。

 だとすれば剛腕という能力は本来発揮出来る人体のスペックから大きく外れている。


 それで生じてしまう小さな影響も、一瞬のミスが命取りとなる戦闘中には大きな問題となる。

 脚の僅かな挙動の乱れが腰、腹、胸、腕と波及していって、力の伝達に齟齬が生じ、軸がぶれてしまう。

 力が滑るというのは、まさにこれが原因だったのだろう。




 だが今の俺はその影響を知って、理解出来ている。

 ただ盲目的に腕を鍛えるでも、神に祈るでもない。

 思えばスキルの詳細を視る事が出来る俺と違い、剛腕のデメリットを把握出来ていなかっただろうジャスティンが使いこなせていた事こそが異常なのだ。


 どうにかして剛腕をものにしようという尋常ではない意志力が猛獣の如き動体視力と直感に結びついて、まるで予測して行動するまでに至ったのだとすれば――。

 つまりそれは無意識に先へ先へと強引に手足を動かす挙動を身体に覚え込ませ、剛腕の境地に至ったのだろう。

 生憎その狂気とも言える精神性は持ち合わせていないが、剛腕の長所と短所とをしっかりと意識出来るのが俺の強みに違いなかった。


「いけそうだな」


 思わず口にした言葉は自分への鼓舞でもあるが、注意すべき点が把握出来ればものに出来る確信があった。

 後はそれに合わせて地道に手足のバランスを整えていくだけだ。

 ビジョンがあるだけで効率は段違いだろう。




 そうしてしばし手足の調子を探っていると、ディアナが戻って来る。

 その頬は赤らめていて、よく温まって来たのだろう。


 俺の身体――もとい上半身にも未だに熱が籠っている事に気付いた。

 突然に肉質が変化したせいだろうか、本来無意識に行えているはずの放熱が上手く行っていないのかもしれない。

 これは身体というより頭が慣れるまでの辛抱だろうか。


 改めてディアナへ目を向けると、何処か恥ずかしげにしている様に感じられた。

 服は俺が普段着用しているシャツで、ディアナ自身体格が恵まれている為かサイズ的に問題は無い。

 むしろその大き過ぎる胸も含めれば丁度良いものではないだろうか。


「しかしこれは、なかなかどうして……」


 元々龍人と化した際に生じた鱗に恐怖は抱いていないが、龍人というのはまさに亜人というか、ヒトとモンスターの中間といった感じに見える。

 この世界の者が恐怖に慄くのも無理はないのかもしれない。

 とはいえ竜人だって尻尾には鱗があったのだし、そうして見れば通常とは異なる位置に鱗が生えている事よりも、超常現象を目の当たりした事による未知への恐怖というのが大きかったのかもしれない。


 しばしその豊満な肉体を見ながら思案していると、見慣れた位置で、ふと気付く。


「アレはどうしたんだ?」

「あれ?」


 俺自身の胸を叩いて見せると、釣られてディアナは自分の胸を見て、そこを両手で激しく弄ってしばらく、突然にびくりとして硬直した。

 そのまま長い沈黙が訪れて、ただただその胸をガン見していても応えは無かった。

 間違いなく、ディアナの胸から消失していたのは龍の鱗だった。


「無くしたのか?」

「此処に、あった……はず、なんですけど……」


 その歯切れの悪い言葉は子供の言い訳と全く同様の口ぶりに聞こえるが、ディアナがそういった嘘をつくとは思えない。

 元より本人が首に提げていた事は確認していたし、常に行動を共にしていたのだから何処ぞで売り払う機会も無かった。

 青ざめていく顔は次第に泣きそうになっていて、とりあえずなだめる事にする。


「少し気になっただけだから、そこまで――」

「で、でも! あんな、たいせつな物を……すみません!」

「落ち着いてくれ。あげた物だし、とやかく言うつもりはない」


 ディアナを適当に慰めて、考える。

 自ら処分したのではないと信じるとして、首から提げていた物を落とすのは元より、そう簡単に奪われる訳も無し。

 脱衣所と風呂を見回ってみたが、見当たらなかった。


「それにしても、俺から奪い取ろうとした程の物なのに何も気付かなかったのか?」

「え、えっと……」


 手を合わせて何事かを懸命に考えるディアナは、竜人だった頃の気弱な姿に戻ってしまったかの様だった。

 何か後ろめたい事があるのかもしれない。


「あの鱗に対する強い気持ちは本物でした。でもこの身体になって途端にふっと消えていた……んだと思います」

「自分でもよく分からないという事か?」

「今は、あの時の気持ちが全く無いんです。どうしてそれを忘れていたのかすら……」


 俺から龍の鱗を奪い取ろうとしたあの時の表情と態度の豹変は、何かもう野獣というか、恋い焦がれて強行手段に出た変質者をも連想する程のものだった。

 何せこの気弱な女だ、とにかくあの時だけは異常だった。

 だからこそ付け込んで龍の鱗で釣った訳だし、忘れるはずもない。

 それが竜人から龍人へと変態した事で消滅したのだとすれば、何か少し、手掛かりの糸くらいは見付けられそうだった。




「もしかすれば見付かるかもしれないが、探してみるか?」

「そうですね。このままでは申し訳ないですし……」

「じゃあまず、その尻尾からいくか」

「え!? あ……はい……」


 ばっと一瞬自身を抱いて驚愕の顔をしたディアナは、しかしすぐに何事かに納得して諦めた表情で俺の視線を辿った。

 視線の先はベッド。

 その端に手を付くと、自然と腰を上げる体勢となり、太い尻尾が主張して来る。

 先端には白みがかった鱗が生えていて、それこそが龍人たらしめる証なのだとすれば、調べる事はそう多くはない。


「いや、悪い。やっぱり止めた方が良いかもな。何せまだこの腕が使いこなせていないし」

「触っても、いいですよ。私、身体だけは丈夫ですから……」


 恐らく元々の竜人という種自体が強固なのだろうし、その言葉に偽りはないだろう。

 何より剛腕の力を知った上での言葉なのだから。

 もはや抵抗も無いディアナを見て、ならばと手を伸ばす。


「しかし綺麗な鱗だよな」

「そ、そうですか……」


 尾の先、ひとつの大振りの鱗に触れると、びくりと反応した。

 元からあった規則正しく並んだ小振りの物が竜人の鱗とすれば、その整列を乱して先端より生える大振りの物が龍人の鱗とでも言おうか。

 それは一見鉄壁強固に思えるが、感覚はある様だ。


 犬や猫の尻尾が敏感なのと同じく、意外とその感覚は強いのだろうか。

 取得させていた鋭敏も影響しているのかもしれない。

 だとすれば、通常よりもその感覚は鋭くあるのだろう。


 そうして尻尾の上辺に指を走らせ波打たせながらしっかりと確認していく。

 捲れたりするものかと思ったが、そういった事は無かった。

 その配列は隙間無く、整然としているという表現が正しいのだろう。

 鱗は微かな凹凸がありつつもなだらかに一帯を覆っていて、その手触りもさらりとしたものだ。

 それは負傷の痕も無い綺麗な状態だからなのだろうが、スケイルアーマーという鱗状のパーツを無数に配した防具がある様に、湾曲した形状の本質は天然の鎧に他ならない。


 まさにトカゲの鱗が近いが、大きさがまるで異なる。

 世界が違えばこの整然と並ぶ鱗が芸術品や嗜好品の類に認定されていてもおかしくはないのかもしれない。

 例えば鰐革の様にある種ブランドを確立され高価に取引されて――いや、もし竜人革の財布なんて悪趣味な物が売っていても絶対に手に取らないだろうが。


 ともあれ撫で慣れたヴァリスタの頭髪とはまるで毛色の違う硬質な撫で心地は中々に気持ちが良い。

 何せディアナには露骨に避けられていたから、まともに触れ合った事が無かった。

 皮膚や体毛とは違う鱗という物自体にも多少の興味があったというのも、わざわざ触れて確認するに至った一因ではあるが。




 上方の確認を終えると、その太い尻尾を持ち上げて下方も覗き込んでみる。

 いわゆる腹の面というのだろうか、ぷくりと膨らむ腹側には鱗という物は見当たらない。

 確認する物も無いのだが、とはいえ初見より気になっていた部分だ。


 その尾の根元はシャツが被さり暗がりで、しかし健康的な太股が拝める。


 ベッドに手を付かせてその背後から大切な部分を弄っていたのだと気付けば得も言われぬ感覚が襲って来るが、そういった背徳感に勝る確固たる意思があった。

 尾の腹、そこは鱗でも毛でもない。

 少し硬めだろうその皮膚の感触は初体験となるだろうし、是非とも触れてみたいという純粋な思いも混じって、手を伸ばした。


「んっ!? んん……?」

「意外と気持ち良かったりするのか?」

「触れられたのは初めてなので……変な感じです……」


 触れた途端に尾が大きく反り返ったのは反射的な挙動だろう。

 すぐに元の位置に戻ると、掌にはぷくりとした感触が落ちる。

 握り込む様な事はしない。

 この大変に変態な状況でどれだけの握力が出てしまうかわからないからだ。


 だから下部を撫でる様にして感触を確かめてみると、そこは随分と弾力があり、しかし柔らか過ぎる事も無い。実に強固な尻尾だった。

 鱗と脂肪と筋肉とが太く堅牢に骨を守っている様は、やはり重要な器官なのだろうと思わせる。

 そしてその大切な部分に触れてディアナから漏れ出たくぐもった言葉の意味は、多分そういう事なのだろう。


 俺に尻尾は無いので想像でしかないが、感覚としてはあれだろうか、人でいうならば尻を撫でられている感じ。

 そういった感覚が鋭敏スキルをもってしてもこの程度で済むのであれば、それはもはや初心というか鈍感といった方が近いのかもしれない。

 魔導具にしか興味が無かったせいか、剛腕のせいで他人との接触が浅かったせいか、何にしてもその感覚はお互いに初体験だったらしい。




「まぁ尻尾には無いよな」

「あの、一体何を……」

「鱗だよ。あの鱗を探している」

「ドラゴンの……? 私の身体に付いている可能性があるんですか?」


 可能性に過ぎないが――。

 白みがかった琥珀色の髪に、やたら大きい胸、引き締まった手足――その身体に僅かに生まれた龍人の鱗と、消えた龍の鱗。

 僅かに思案して、率直に話す。


「しかし見た限り、あの鱗がそのまま付着している感じじゃなさそうだよな」


 頬、手足、尻尾と白みがかった鱗が存在している訳だが、どう見てもあの深緑の鱗は無い。

 だとすれば本当に無くしたのか。

 それとも――。


「あの、旦那様……?」

「何だ?」

「こちらは、どうでしょうか?」


 背を向けたままのディアナは目を細めて、頬を染めて、遠慮がちに見返って消え入りそうな声量で呟いた。

 布の擦れる音で視線を僅かばかり下げてみれば、肩口からするりとシャツをはだけて見せていた。


 綺麗な素肌だった。


 腋から覗く重力に吊られた曲線にどうにも視線を持って行かれるが、背には鱗は無く、僅かばかり尾の付け根に本来の竜人としての鱗が見えただけだった。

 そう、下着すらも纏わないその姿は――ありのままの肉体が曝け出されていた。

 咄嗟の行動に思わず引き下がりそうになるが、押し留める。


「綺麗だよ、とても」

「本当ですか?」

「ああ、傷ひとつ無い」


 この時ばかりは、その潤んだ赤い瞳が妖しく見えた。

 平静を取り繕ってはだけたシャツを正してやると、一連の行動の異常性にようやくと気付いたのか、火照りが一気に広がって自身を抱いてあちらを向いてしまった。

 耳先までを真っ赤に染めて、僅かに震えすら見えて、どうにもおかしく笑って誤魔化せる状況ではなかった。


 手を伸ばして、その肩に触れる寸でで冷静に一呼吸置き、剛腕が暴れぬように細心の注意を払ってゆっくりと肩を叩いた。


「大丈夫だ。ディアナは間違いなくヒトだよ」

「……はい」


 それで震えが治まったのを見て、ひとつの確信を得た。




「そういえば、顔にあるのはその頬の鱗だけなのか?」


 肝心の龍の鱗は見つからず仕舞いだが、思えば見過ごしていた部位があった。

 塔の六十階層、ドラゴンとの死闘。

 あの時俺が断ち切った、弱点たる部位――顎下。


 肩を掴んでこちらに振り向かせて、その顎に手を当ててくいと少し上げてみる。


「ひゃっ!?」

「此処だったか」

「ちょ、ちょっ……ちょっと待てえええっ!?」

「うお!? お、おう……」


 顔を近付けて確認してみれば、いつの間にやら爆発しそうな程に赤くなっていたディアナは、柄にもない尻切れな言葉と共に声を上擦らせながら、腕を左右に振り払って二歩、三歩とふらつきながら後方へ下がって行った。

 そうして手を胸元に粗い呼吸を繰り返し謎の興奮を見せるディアナを置いて、若干以上の驚きを抑えつつも状況を整理する。


 その首の下には確かに鱗があった。

 それは僅かに深緑を覗かせていて、恐らく、間違いなく龍の鱗だろう。

 しかしターゲットしてもディアナの情報が映るばかりだった辺り、その鱗はもはや道具として認識されず、半ば内臓されてしまっているのかもしれない。


 つまり解剖でもしない限り取り出す事は不可能という事だ。


 いや、あれは竜人の物と比べてもかなり大振りの鱗だったから、そのまま顎下の皮膚に滑り込めるとは思えない。

 下手をすると骨格と同化している可能性まである。

 奪い返すつもりもないから俺としては構わないが、ディアナにとっては問題か。


 何故なら龍の鱗が同化しているという事は――。


「落ち着いて聞いてくれ、ディアんぶっ!?」

「んんんっ!」


 龍の鱗の行き先を知らせようとした口は、いやに熱烈な口付けに塞がれていたのだった。

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