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第172話「常在対照」

「今日はもう休みだ、解散」


 その言葉に皆が退室して行く中、残ったのはディアナだった。


「今日から始めるんですよね」

「うん?」

「これでもずっと腕に悩まされて来たんです。旦那様の不安はわかります。だから協力させてください」


 先程茶化したあの言葉を真に受けて、どうやら本当に手伝ってくれる気らしい。

 身に染みているからこそ、なのかもしれない。

 確かに剛腕のリスクというか、荷の重さは予想以上だった。

 無論この強大な力を手放すつもりはないが、生活に支障が出てしまっては本末転倒だ。

 ありがたく助力を願う事にする。


「ディアナは主にどういった事をして来たんだ?」

「まずは物を壊さない様に、例えば食器なんかを握って力の加減を覚えていきました」

「やはりそういった地道な訓練が必要なのか」

「他には――」


 剛腕を使いこなす上でどうすれば良いのか。

 一朝一夕に身に付くものではないのは確かだ。

 それは覚悟していた。


 ただ、ディアナの行ってきた訓練というのはどうにもかなり原始的に感じた。

 勿論それが間違っているとは思わないし、幼心に思い至った訓練としては至極真っ当で確実な道だろう。

 問題なのは、剛腕による影響の全てを把握し切れていないかもしれないという事だ。


 ディアナが問題としているのはあくまで腕だ。

 無意識に他人を傷付ける腕にはさぞ苦しめられただろうし、だからこそ盲目的に腕の訓練をしていたのだろう。

 しかしただ腕を使い慣らすだけでジャスティンと同レベルの剛腕使いに成れるのであれば苦労はしない。


 何か見落としがあるのかもしれない。




 しばし思案するも考えは纏まらず、人斬りによる忌避感の裏返しか、嫌に昂っている事にだけ気付いてしまった。


「ひとまず休息だ。俺は風呂に入るから、適当に寛いで居てくれ」


 ゆっくり浴槽に浸かって気分を平静に戻そうと脱衣所へと向かった。

 マントを脱いで、シャツを脱いで、自分のものとは思えない隆々とした剛腕が曝け出された。

 気のせいだろうか、胸筋までもが膨張している気がする。


 剛腕を失ったディアナは今どうなっているのだろうか。


 ふと気になって部屋へと戻ると、ディアナは椅子に腰掛けていた。

 こちらに背を向けた格好だが、その姿勢は染みついたものか、良く整っている。

 幼少より剛腕に悩まされて来たからこそ、こういった日常的な部分でその失態を取り返そうとしていたのだろうか。

 その結果としての姿勢なのだとすれば物悲しくはあるが、並以上に根性があるのかもしれない。

 白みがかった琥珀色の髪は幻想的で、正直出会った当初より美しく感じるが、今はもっと気になる部分があった。


「ディアナ、ちょっといいか」

「何でしょうか?」


 微かに頭をこちらに向けたディアナ。

 その頬が仄かに染まったのは、俺の上半身を見てだろうか。

 スキルで得た偽りの肉体とはいえ我ながら凄い筋肉だから、あれか、見惚れてしまったか。


「椅子から立ち上がってくれ」

「はい」


 振り返りつつ立ち上がったディアナ。

 相変わらず良い身体をしているが、その肉体の変化は龍人と化した事による皮膚の一部鱗化だけではない。

 剛腕の消失と共に腕は女性らしいものになり、それに伴い腕に連なる筋もまた多少の軟化を見せていたのだった。


「何という事だ……」

「どうかしました?」


 やはりだ。

 女性としては長身のディアナが椅子から立ち上がった時に、俺はその全体の動作ではなく、ある一点の挙動にのみ注目していた。

 釘付けとなった瞳は緩やかに揺れた事だろう。


「横を向いてくれ」

「は、はい……」


 次第に曇るディアナの表情は置いておいて、ひとつの発見に目を奪われた。


 剛腕を継承した事で腕に連なる筋肉として胸筋までもが膨張したのだとすれば、ディアナもまたその影響を受けていたのではないかと推測した。

 以前のディアナの胸は、重力に逆らいまるで脂肪タンクの如くそこにあった。

 マウスパッドとして最適であろう形状を保持していたその脂肪の塊は、今では多少の歪みが窺える。


 そう、それは胸の下地を強固に支えていた胸筋が失われた事による倒壊。

 胸部建築の基礎に無理が生じたのだ。

 以前には感じなかった現実味を帯びた重みが、そこにはあった。


 要するに、俺の瞳が捉えて離さなかったのは、いわゆる乳揺れであった。

 衣類の上からでもわかる大きさだとかも凄い物だが、今重要なのは乳房が揺れた事だった。

 そんな俺の食い入る様な視線を前に、ディアナは不安を口にした。


「やっぱり、こんな鱗が生えた女は気味が悪いですか……?」

「いや、最高だよ。いつまでも眺めていたいくらいだ」

「そ、そうですか……」


 まるで別の事を考えていたせいで意味の異なる回答をしてしまったが、ディアナはそれを受けて手を前に重ねてもじもじと恥ずかしげに俯いた。

 そうすると、挙動を起こした腕を震源とし、揺れるのだ。

 これは凄い。




 ここに来て俺の興奮は最高潮に達していた。

 そうして冴えた思考はあるひとつの答えを導き出す。


 ディアナの肉体は生来より備わっていた剛腕という鉄骨を基準とし、その類稀な耐震強度に合わせ胸部に十分な脂肪を蓄積させていったに違いない。

 それは普通には過剰でも、決して破綻しない程度の積載量だった。

 だがそれを支えていた剛腕が抜けた時、ディアナの胸は自重に耐え切れず重力に屈したのだ。


 とはいえ完全に重力に負けた訳ではなく、自然な形になったというのが的確だろう。

 垂れなかったのは元々引き締まった肉体だったのが幸いしたか。

 しかしまさか、ディアナの胸にこんな秘密が隠されているとは……。




 ディアナの胸は初対面の頃よりガン見していたが、この変態的な思考が役立つ日が来るとは思わなかった。

 俺を育んだ今は遠い国への望郷の念と、礎となった原初の変態達への畏敬の念を抱かずにはいられない。

 そして快く協力してくれたディアナへと感謝を込めて、掴み掛けた断片を忘れぬ内に行動へと移す。


「ありがとうディアナ。おかげで考えが纏まりそうだ」

「え? あ、はい。それは良かったです」


 ディアナへというか、ディアナの胸へというか、とにかく感謝を述べて俺は脱衣所へと引き返した。




 腕だけでなく胸板も厚くなったこの身体。

 もしかすればこれは、上半身が強化されたと言っても過言ではないのかもしれない。

 しかし――。


「バランス悪いな……」


 嫌な予感はしていたが、ズボンを脱いでみて確信した。

 屈強となった上半身に対し、相対的に下半身は貧弱に見える。

 いや、相対的ではなく、やはり弱化された下半身の筋肉は縮小しているのではないだろうか。


 だがそれだけではない、何か強い違和感を感じた。


 しばらくぼうっと自分の身体を観察して、脚力弱化というデメリットに思い当たる。

 動きが緩慢になる可能性は想定していたが、戦闘中に躓いたのは冷や汗ものだった。

 しかしジャスティンは剛腕を持ちながらもその移動速度が大きく削がれている様には感じられなかったし、実際機敏に動いていた。

 だから使いこなせるようになれば運動能力に大きな影響は無いのだと思う。


 逆に適切な扱いが出来ていない場合、部位単位の問題だとしても甘く見てはいけないのかもしれない。

 全速力で斬り込もうとして段差も無い床で躓いたのだから。

 腕だけでなく脚にも意識と実態の差が生じていると考えていいだろう。


 つまり単純な外見や肉質の変化だけでなく、上半身と下半身では力の伝達に大きな差があるのだ。

 例えば隙の無い一撃を繰り出そうと考えた場合、強化された上半身には弱めに力を籠め、弱化された下半身には強めに力を籠めなければならない。

 いくら上半身が強力になろうとも、それに負けて下半身の軸がぶれると力が滑ってしまうからだ。


 生まれてよりこれまでの間に経験した数えきれない失敗や痛みで培ってきた“加減”というものは、剛腕を受け継いだ時点で意味をなしていなかったのだ。

 まるで上半身と下半身とでそれぞれに脳を分けて動かす様な形態が正解なのだとすれば、それを我が物としていたジャスティンとは一体――。




「頭がどうにかなりそうだな」


 困惑する思考を一旦止めて浴槽に浸かってしばらく、理解出来たのは剛腕を使いこなすには腕だけでなく脚も慣らさなければならないという事だった。

 最適な攻撃の為だけでなく、運動能力の安定化の為にも、だ。

 大概のモンスターは脇目も振らず攻撃を仕掛けて来る。

 先の戦闘では、俺が突然に怪力を発揮した事でジャスティンが警戒し立て直すだけの隙は得られたが、今後戦闘中に躓いていたりすればどうなるか――想像に難くない。


 それでもまさか、この歳で二足歩行の練習を計画する羽目になるとは思わなかった。

 腕の力は確かなのだから、いっそ四足歩行にでも逆行すれば意外とすんなり納まりそうではあるが、さすがにハイハイやナックルウォークはよろしくない。

 動物の様な特徴を持つ獣人でさえ二足歩行しているのだから、その中で一人四足歩行をしていたらあまりに目立ちすぎるし、せめて人間性は失いたくない。

 種族表記は人間ではなく人族なので今更ではあるが。


 思えばディアナが近接戦闘を極めて苦手としていたのも、単純に戦闘行動に適性が無かっただけでなく、剛腕によるズレの様なものが根深く影響していたのかもしれない。

 平衡感覚の乱れとは原因は異なるが、それに近しい感覚の弊害が生じているのだとすれば、ようやくと納得出来た気がした。

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