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第171話「浄罪対掌」

 後をグレイディアに任せ教会を出た俺達は宿の自室へと戻っていた。


 手には未だ人の肉と骨を貫いた感覚が残留していて、異常なまでの力を持った握り拳を数度作って、自身を誤魔化してから振り返る。

 五人全員が入室し、最後尾のディアナが扉を閉めた所で全員を見やる。

 ヴァリスタ、オルガ、シュウ、ディアナ――微かな疲れは見えるが、特別問題は無さそうだ。


「初の対人戦だったが皆は大丈夫……みたいだな」


 人斬りに苦痛に似た何かを覚えたのは俺だけだった様だ。

 考えてみれば俺にとって散々斬って来たモンスターという存在がファンタジーの――まさに別世界の生物だったとしても、彼女らにとっては同じ世界に生きるもの。

 だから一番俺に近い感覚の持ち主であろう地上出身のシュウも初戦闘では臆していたが、それを越えてしまえばモンスターも人も変わりない――という事なのだろうか。

 きっと皆は、これまでもしっかりと殺す事を実感していたのだろう。

 少しだけ情けなくなって自嘲気味に表情を歪めてしまうと、目ざとくそれに気付いてか、オルガがそそっと寄って来て悪戯な笑みを見せる。


「慰めてあげようか?」

「馬鹿言え。とはいえ今回は良く戦ってくれた」

「でも一時はどうなるかと思ったよ」

「そうだな。ジャスティンは強かった」

「ご主人様の事を言ってるんだけど」

「悪いな、嫌な気分にさせてしまったか」

「いや、そういうのじゃないけど……」


 多分俺がジャスティンの発言に同調した様な振る舞いをした時の事を言っているのだろう。

 オルガが遺憾の意を露わにするのは珍しい。

 本当は腸が煮えくり返っていたりしたら怖いので、過激な発言は控えるべきなのだろうか。




 しばし沈黙している内に、シュウが手を伸ばして来た。

 その手には水気を帯びた布があって、優しく口元の血を拭ってくれて――何だかとても驚いた。

 たったこれだけの行動で色気づいた考えが浮かんでしまったのは、戦闘後というのもあるが、シュウとは若干の距離がある為だろうか。


 それは俺とシュウの関係が主従という絶対的な立場ではなく、尚且つ俺が変態的な色眼鏡で見ているせいだろう。

 だが目を合わせればそういった類の行動ではないとすぐに気付けた。

 その青い瞳はまるで夢見る少年の如く燦々と輝いていた。


「最後の一撃、格好良かったですね!」

「あ、ああ。背負い投げですか」

「やっぱり必殺技だったんですね!」


 必殺技と来たか。

 やはり英雄志向である。

 二刀流による一転攻勢からの背負い投げという一連の馬鹿げた行動は、シュウの目には究極無敵な必殺技に映ったのだろう。


「以前魔族と戦った時に使った体術といい、やはり何か、こう、あるんですね!」

「いやあ、どうですかね」

「一族の秘伝とかでしょうか」

「そんな戦闘民族出身ではないので我流ですよ」


 我流どころかただの猿真似である。

 蹴手繰りはバタフライエッジアグリアスの神速とコンバットブーツの硬質化の恩恵があってこそのものだったし、背負い投げもまた似た様なものだ。

 剛腕が無ければ決まらないとなれば、むしろディアナのおかげではないだろうか。


 それよりもだ、シュウが意外と戦闘を分析している事に驚いた。


 能ある鷹は何とやらだが、シュウの場合は自分の観察眼に気付いていない天然物だろう。

 だから文句も言わず指示に従っているし、訳もわからず突然に閃く。

 過程や理由はわからないし気にしない、まさに天才肌という奴だ。

 剣術や盾術の早熟もそういった無自覚の才能に起因しているのかもしれない。




 ぼうっと考えていると、いつの間にやら不安げな表情に様変わりしていたシュウが小さく問い掛けて来た。


「そういった技を教えて頂ければなあ、なんて」

「背負い投げをですか?」

「はい、以前魔族に使った技もですが」

「教えられない事も無いですけど――」


 覚えたとしても特別強力な技ではないし、にわか仕込みの格闘技では武器の前には歯が立たないだろう。

 だが俺の脳裏にはシュウに蹴手繰りや背負い投げを教える様が浮かんでいた。

 それは非常に密着した肉体と肉体のぶつかり稽古。

 頭を剛腕でぶち抜かれる様な衝撃が走った。

 これは稽古という名の――。


「――丁度、武術の研鑽には相手が必要だと思っていたんですよね」

「本当ですか!」

「私もやる!」


 武術と聞いては黙っては居られないのか、シュウだけでなくヴァリスタも声を上げた。

 二人はそれはもう嬉しそうにしている。

 しかしこれは大人の稽古なのだ。


「ヴァリーにはああいった技は向かない」

「どうして!?」

「思い出して見ろ、俺の技は相手を引き倒したり背負ったりするものだ。ヴァリーでは逆に潰されてしまうだろう?」

「あ……うん……」


 がくりと肩を落としたヴァリスタはしばし俯いて沈黙すると、何事かに突然尻尾を激しく逆立て射殺す様な眼光を――シュウにぶつけた。


「シュウ……」

「ちょ、ちょっと待って! 何で!? 私何もしてない!」


 多少は慣れて来ていたはずだがシュウは元々獣人へ強い恐怖を抱いている。

 それが再燃したのかビクビクと後退すると、手近に居たオルガを盾にした。

 ヴァリスタは普段非常に目付きが悪く、特に敵を捕捉した時等は本能的に嬉しくなってしまうのか野獣の如き風貌になるからシュウが苦手としているのもわかるのだが、それが自分に向けられるとは思っても見なかっただろう。


 これではさすがにトラウマになりかねない。

 二人の間に引き摺り込まれたオルガが何とかしてくれるだろうかと期待したが、適当に笑って誤魔化しつつもその目はちらちらとこちらへ向けられていた。

 ブチギレヴァリスタはお手上げらしい。


「ライは私とはやってくれないのにシュウとはやるの?」

「いやいや、ヴァリーとも訓練をしたいと思っているよ」

「本当?」

「今回の件で対人戦闘の訓練も必要だと気付いたからな。だからシュウさんとも仲良くしなさい」

「うん!」


 どうやらシュウへのヘイトは切れた様だ。

 どれほど俺と斬り合いがしたかったのか。

 以前俺が勝ち逃げしたのも拍車を掛けているのかもしれない。

 吹き出しそうな表情のオルガが視界に入ったが、無視してシュウへと声を掛ける。


「時間がある時に稽古しましょう、手取り足取り」

「ありがとうございます!」


 ヴァリスタが睨みを効かせなくなりようやくオルガの盾を解除したシュウ。

 格闘技の断片から物語の英雄の様な格好良い必殺技を編み出す事を夢見ているのかもしれない。

 俺の掌にもまた夢幻が去来していた。

 それは健康的に柔らかな、以前一度触れた事のあるシュウの太股の感触――。




「ライッ!」

「ファッ!?」


 突然大声で呼ばれて覚めると、先程まで上機嫌だったヴァリスタが真っ直ぐこちらを見ていた。

 目を合わせると大きく瞳を輝かせて、何か期待めいたものを全身に纏って無言。

 どれだけ懐いてもぶっきらぼうなヴァリスタだが、感情だけは隠さず見せてくれる。


 本人は事あるごとに大人だと主張して見せるが、まだまだ成長途中の子供だ。

 それでも俺の剣としては非常に優秀で、先の戦闘ではいつの間にか背後に回り込みクッションにすらなってくれた。

 その小さな身体にはあまりに大きな負荷だったろうし、どうにも俺に対して謎の独占欲を見せる事があるから何を仕出かすかわからない不安はあるが、今回は素直に感謝だ。


「ヴァリー、いつもありがとうな。あの時は庇ってくれたおかげで命拾いしたよ」

「そう……」


 目を伏せて、突然の脱力、皮肉めいた返答。

 労いにしょんぼりとして、薄い反応が返って来た。

 一度だけ似た反応を見た記憶がある。

 ヴァリスタが初めてリザードマンを斬った時だ。


「まさかヴァリーが俺を受け止められるとは思わなかった。いつの間にか身体も随分大きくなったな。もうあれだな、あれ、頼れるお姉ちゃんって感じだな!」

「うん!」


 満面の笑みと共に、勢いよく抱き付いて来た。

 どの言葉よりも、感謝よりも、ただ一言「大きくなった」という事実が嬉しかったのだろう。

 ヴァリスタにとっての幸福とは、その力にあるのかもしれない。


 大きくなる事、それはすなわち強くなる事。

 それこそがヴァリスタの原動力なのだとすれば、それは尊重するべきだ。

 そうして猫の様に腰元に頬擦りをかますヴァリスタを抱き返してやった途端だった。


「ライ? い、痛い。痛いよ!」

「え? お、おう。ごめん、ごめんな」


 痛みを訴える声にはっとして力を緩めて、掌に残留していたシュウの太股の幻覚も瞬く間に消失し、思考がぐるりと一巡した。


 確かに抱き締めるだけの力は込めた。

 あくまでハグという愛情表現としての力加減のつもりだった。

 だがそれは剛腕というスキルに増強されて、痛みを与えるだけの力を発揮していた様だった。


 解放されてふらりとしたヴァリスタの頭を謝罪も込めて撫でようとして、手が止まる。

 この撫でるという行為も今の俺では予想外の圧を掛けてしまうのではないかと、そんな嫌な予感が頭を過ぎり、日常的にしていた動きすらも遮っていた。

 対してヴァリスタは強過ぎた抱擁をさておいて、いつもの様に撫でられるのかと思ってくれたのだろう。微かに頭を垂れさせて、しかし準備万端の頭に届かない手に首を傾げていた。


 確かにこれは、剛腕というスキルは、使いこなす所か日常生活すら苦難の連続なのかもしれない。

 感覚と乖離した現実。

 決して容易に身に着ける事の出来ない力を手にしていたのだ。


「どうやら稽古は当分先になりそうです」

「そうみたいですね」


 シュウはすぐに納得してくれた。

 短期間でもディアナと同室で暮らしていた訳だし、剛腕に纏わる体験談は聞いていたのかもしれない。

 ヴァリスタは少々腑に落ちない様だが、何となく察しがついたのだろう、文句は言わなかった。




 一連のやり取りを見てか、静観していたディアナがバツの悪そうな表情で問い掛けて来る。


「本当に良かったんですか、その腕」

「奴があれだけ使いこなしていたんだ、出来ない事は無いはずだ」

「そんな簡単に使いこなせるものじゃないです」


 結局、どれだけ考えても理解が及ばなかったのだ。

 体感して初めて解った。

 この力は、ごく当然の様に他人を傷付ける。

 自分の力に振り回される訳だ。


「だから私も協力します。何でも言ってくださいね」

「何でもか……今夜は期待しておくよ」

「そうですね。そのままでは日常生活も苦労しますから」

「……ありがとう」


 俺の茶化した言葉にディアナは至極真っ当に返答し、逆に俺が面食らってしまった。

 相変わらずそういった事には無頓着な様だが、その腕はもう筋肉質なものではない。

 女性らしく、しかし引き締まった肉感。


 変わりに白み掛かった髪と鱗と――竜人ですら無くなっていたが、どこか晴れ晴れとした表情は見ていて気分が悪くなるものではない。

 生来より苦しめられた剛腕という一種の呪いを棄てた為か、心なしか挙動の不審も無くなっている様に感じられた。

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