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第169話「斬らる者」

 剣を握り締め、歯を噛み締め――味覚を鉄が支配していた。

 口内に溜まったそれを再三に吐き捨てると、石造りの床に描かれた魔法陣の残滓に混じり、妖しく彩られた。

 僧侶達は既に一人も居らず、この場は俺達だけの決戦場。


 もはや手を隠す必要も無い。


 体勢を深く構え直し瞬時に踏み込める準備を整えると、視線をひとつに絞り切る。

 刃先には無傷の巨漢、剛腕の獣、信仰の鬼――ジャスティン。

 その容姿に似つかわしくない憂いに満ちた瞳で、微かに首を振りながら呟いた。


「力では負けていない。言葉だってそうです。貴方の言葉には剥き出しの棘があって、とらえどころがない。まるで鞘を失い、柄も折れた剣の様な……慈悲を持たない獣の様な――」


 疑問だらけの言葉だった。

 それに応えるものは無い。

 言葉のオブラートは時として毒にも為り得るから。


「――やはりそれが勇者の、勇者故の、カリスマというものなのでしょうか」

「他人を惹きつけるスキルなんて無い。だから斬るんだ」


 そんなヒロイックなものがあればこんな泥臭い闘いはしていない。

 カリスマなんてのは生まれや育ちによってもたらされる表情、声色、態度――そういった細かな要素から成り立ち纏う空気の様なものだろう。

 返答を聞いたジャスティンが嫌に純粋な瞳で俺を捉えると、その表情は途端に憐みに満ち満ちた。


「……それだけ打たれて尚、気付けないのですか」


 口元から滴る朱を見て、そうして諭す様に言うのだ。


「もう力比べは十分でしょう。剣を納めなさい。無駄に傷付き、血を失うだけです」

「さっきまでの戦いが無駄だったと、そう言うのか」

「ただ貴方が傷付いただけです」


 俺は一太刀も浴びせられなかった。

 だがそれが無駄だったとは思えない。

 雑魚だと思われるのは仕方ない、でもこの男は何処か、争い自体を恐れている様に感じる。

 あくまで凌ぎに注力し、限界まで手を出す事は無かった。

 これだけ力を持っていて――ただ争いによって他人が傷付くのが見たくないというのではなく、もっと本質的な――。


「本当は自分が傷付くのが恐いだけなんじゃないのか?」

「……貴方の剣は、私には届かない」

「もう、届く」




 長い沈黙があった。

 その間もいつでも斬り込める様に隙を探り続けた。

 対してジャスティンは聞き分けの悪い子供を相手取る様に、溜め息でもつきそうな、呆れた声色で返答した。


「ならば打ってみなさい、貴方の息が切れるまで」


 ジャスティンには絶対の自信があったのだろう。

 それはこの世界で生まれ育ち、剛腕をものにし、独り放浪の旅に出てしまえる程の確固たるもの。

 俺達五人を相手取っても凌ぎ切った事実。

 だからこそ盲目になっていた。

 暗がりというのも拍車を掛け、マントとジレとシャツの下、俺の肉体に生じた変化に気付く事はなく、ジャスティンは僅かな防御態勢のみを取り、無防備を晒した。


 勝利への確信を悟られる前に駆け出した。

 先程までの接近速度は無く、若干だが脚が重い。

 だが想定の範囲内だ。

 段差もない床で踏み外しそうになる足を無理矢理に修正して、太身の直剣を振りかぶる。


 コンパクトである必要は無い。

 それこそテレフォンスラッシュで構わない。

 何故ならあちらが合わせてくれる。

 俺はただ、持ち得る全てを叩き込み、それを貫く。


 ただ一撃に全力を籠めて、一太刀を振り下ろした。




「なっ……!?」




 握り込むだけで自傷しそうな握力とそれに連なる武器の筋。

 床にめり込んだ剣の切っ先、盛大に弾け飛ぶ礫。

 驚愕に染まった双方。


「何なのです……これは」


 避けやがった。

 衝突の瞬間に、何事かを察してみせたのだ。

 もはやそれは反射神経なんてものではない、直感だ。


 そのジャスティンは数歩後ずさり、体が発光していた。

 恐らく回復魔法を掛けている。

 当たらなかったのだから回復の必要は無い。

 だがそういった錯乱を引き起こすだけのインパクトを与えていた。


 俺自身は全力で放った一撃の対象を失い、留まる事を知らず床を破壊した。


 力が変質し過ぎて、自分自身で加減がわからなかった。

 しかし一撃で骨を断てるレベルの剛打を叩き込める事はわかった。

 当たればオーバーキルだ。


 同時に俺という存在が脅威であると知られた。

 少なくとも何らかの力を発揮した事には勘付いたはずだ。

 だからこそ二度は無い。

 全力で回避に徹するだろう。


 対して俺は力が滑ってしまっている。

 この意識と伝達の乖離はまるで自分の手足では無い様な、言うなれば突然義肢に挿げ変わった様な状態。

 だから真っ当な打ち合いで直撃させられる訳がない。




「俺がやる。近付き過ぎるなよ」


 自分の状態を理解して、呟く様に仲間達へ命令を出した。

 今の俺は、下手をすると仲間ごと斬ってしまいかねない。

 陣形が微かに変わった事を確認して一瞬の後、床に突き立った太身の直剣ディフェンダーを強引に引き抜いてそのままの勢いで振り抜いた。

 礫を撒き散らして薙いだ剣を受け止める事はせず機敏に引いたジャスティン。

 外された剣は重く風を切って、自ら振ったはずの剣に重心が乱され、力に身体が持って行かれてふらついた。


「なるほど、間違いなくあんたは化け物だ」

「私は人族です。化け物等ではない」

「じゃあ言い方を変えてやる――」


 がたがたの重心に舞ったマントの陰に隠れて、ディフェンダーを左手一本に構え直す。

 そのまま鈍足ににじり寄ると、ジャスティンもまた一歩下がる。

 そんな間合いを計る様な動きの中で、仲間達もその周囲を取り囲んでいた。


「――あんたは正真正銘の強者だ」


 逃げ場を失ったジャスティンを僅かながら中央から壁際に圧し込めつつ、追撃の準備を整え終え、一気に踏み込んだ。


「だが死ね!」

「ぐ……!?」


 マントの陰から斬り返して横薙ぎに一撃、避けられる。

 床を砕く一撃から逃れる為のステップにより生まれた隙が、確かにあった。

 振り切った剣の勢いに乗せて、間髪入れずにもう一歩。

 腰元から突き上げる様に繰り出した渾身の一撃、それこそがディフェンダーだった。


 マントの陰、右手にロングソードを取り出し二本の剣を携えて、重量の制限を受けずに振り切れた。


 ジャスティンは咄嗟に防御を取ろうとして、カイザーナックルとディフェンダーとが火花を散らして擦り合った。

 本来人力で出せるものではない硬質の摩擦音は等倍の衝突で生み出されたものではなかった。

 その防御は確かに、ほんの一瞬、遅れていた。


 直線に走らせただけの殺意の籠った一撃と、どうにかして凌ごうとした後手の防御が同威力であるはずがなかった。

 今の俺はジャスティンと同質の、人外の力を持っているのだから。

 勢いを削ぐ事もままならず胸元に届いた切っ先は肉を斬って、骨を断って――一息で貫いて深々と鍔にまで達し、柄を握り込んだ俺の手には震えるジャスティンの手が迫った。


「一体、何処から……にほ……ん……二刀流……とは……」


 ジャスティンは胸に突き立った剣を見て、俺を見て、血眼になりながら吐き出す様に言葉を発していた。

 その指は痙攣する様に脈動して俺を捉えようと動いている。

 右手のロングソードを腹部に突き込むとその勢いに巨体は一瞬地を離れ、重みが更に腹を抉った。


「ぐ……あ……」

「う――」


 呻くジャスティンは胸と腹に剣が突き立って、それでも動く。

 異常なまでの精神力。

 肩に手が掛かって。


「――らあああッ!」


 胸に突き立ったままのディフェンダーを両手で握り込むと、大きく一歩、踵を返して部屋の中央へ向かって振りかぶった。

 次の瞬間には遠心力に刃から抜け飛んだ巨体。

 尾を引く様に弧を描いて鮮血が舞い散り、その力を失くしたものが石造りの床に叩き付けられると生々しい打撲音が響き渡った。


 腹には剣が突き立ち、大穴の開いた胸からは一瞬だが噴水の様に濃い朱が散って――それが人としての、最期の脈だったのかもしれない。

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