第166話「愚者の討」
壁を背にしたジャスティンは不意に口走った。
「ひとつ、聞かせてください」
俺を筆頭に全員が訝しげにジャスティンを見て、決して構えは解かない。
「何が貴方をそうさせるのです。私は使命の為に行動しています。では貴方は?」
「俺は俺の為に闘っている」
「多くの人を救えるだけの力を持ちながら人前には立たず、しかし今、私の前に立っている。それは貴方の為なのですか? 貴方の意志は、何処にあるのです?」
「戯言を。そうして扇動して来たのだろうがな」
信仰心の面で言えば俺は最低だ。
例え神の使命とやらを持ち出されても心に響くものは無い。
それが他人を傷付けるものならば尚更に。
「だが聞こえの良い言葉で飾ってほしいのなら、人類の為だ」
「それならば私と志を同じく――」
「あんたが盲目的に選んだのは人を棄てる道だ。奴隷を従える俺と変わらない、外道って奴さ」
言葉を失ったジャスティンに続けざまに問いを返す。
「神官だてらに拳を打ち……本当は説法なんか得意じゃないな?」
「……」
やはりか。
その無言こそが答え。
顎元に添えた拳をぐっと握り込んだのが見えた。
最初の段階で、俺が聞く耳を持たなかった時点で、ジャスティンはその拳でわからせようと動いた。
この男が神官として名があるというのもあながち間違いではないのかもしれない。
それは拳で改心させるという何とも神官らしくない手のおかげで、だろうが。
だとすれば――。
「その腕、さぞ苦労したろうな」
「貴方にはわからないでしょうね。神の加護を受けこの地に降り立った貴方には」
神の加護――以前にも冗談めかして言われた事がある。
もしかすればそれに関しては否定は出来ないのだろうか。
俺自身の力ではない、何か超常的な存在に生かされているような――そう考えてしまう節もある。
スキル取得という能力のおかげで此処まで生き抜いて来られたのは事実なのだから。
だが剛腕の欠点を知らない訳ではない。
「わかるさ。俺の仲間にも一人同じ境遇の奴が居るから。無意識に他人を傷付ける力は、それは怖いものだろうよ」
「旦那様……」
後方からぽつりと漏れ伝わったディアナの声は、どこか惚けたものだった。
ジャスティンと同じく剛腕を持つディアナだが、その力を制御し切れていない。
感極まると握り潰されるのはなかなかに恐ろしいが、それは当人も同じだろう。
確かにわかったのは、少なくとも日常生活を送っているだけで使いこなせる段階に持って行ける代物ではないという事だ。
ジャスティンの言動から見て、剛腕をものにするには相当の修練が必要になる。
そして制御出来ない力は他者を傷付け、次第に自らも傷付けていく。
返って来るダメージも相応に大きいのかもしれない。
「それが信仰の原動力か」
例えば剛腕が災いして逃げる様に神に縋り、祈りを捧げ、その先で剛腕の扱いを会得したのだとすれば、神に対して並々ならぬ信仰心を持ったとしても不思議じゃない。
心身が衰弱し危機的な状況に置かれれば、つい聴こえの良いものに手を伸ばし、都合の良いものに飲まれてしまうのが人の性だ。
それには神という偶像がどれほどに都合の良いものだったろうか。
その信仰の果てに神の言葉を聴くにまで至ったのだとすれば、それは恐ろしい事だ。
それが聴こえてしまう事も、それを信じてしまう事も。
「狂信的とまでグレイディアさんに言わしめた理由、わかった気がするぜ……」
ジャスティンは神により救われると信じている様だが、例えこの世界に創造主としての神が実在したとしても人に寄り添う存在ではないのは確かだ。
もしそうであったのならば天敵である魔族なんて生み出してはいないだろう。
能力値という物がある事からも良い意味ではフェアな環境と言えるのかもしれないが、悪い意味では弄ばれていると言ってもいい。
そして俺達も……。
俺達は、そう、言うなればゲームのキャラクターの様なものだ。
そう考えると俺含め勇者連中は、この世界という物語の最中に登場したイベントキャラクター――いや、不正なアドオンによる、まさしく仕様外のキャラクターといった所だろうか。
笑えない。
俺が黙ったのを好機と見てか、ジャスティンが語り出す。
「人と人の、血で血を洗う凄惨な争いだけは止めなければならない」
何を言い出すのかと思えば、戦いを止めようねと、そんな都合の良い話だった。
「貴方は空を、知っていますか。暗い天のその先の、遥か彼方にある大いなる光を」
大いなる光――太陽、か。
天蓋に塞がれて、この地下世界では永らく太陽を拝めていない。
生命の源、母なる太陽、様々な呼ばれ方はするが、そのどれもが人と密接な関係であるからこその“当然”であり、そこに当たり前にある存在。
対してこの地下に生まれ育った者にとってはそれこそが超常の象徴なのかもしれない。
「その昔、人々は温かな光に包まれ豊かに暮らしていたそうです」
何処かに遺る伝説で、そういった過去が綴られていたのだろう。
「礼拝堂に掲げられたステンドグラスもまた過去の遺物。かつては大いなる光が射し、厳かに人々を見守っていたといいます」
街灯を取り込むだけとなった機能不全のステンドグラス。
それが本来陽光を受けどれほど美しく光り輝いていたのか、俺にはわかる。
ほんの数週間前までは当たり前に陽の光も月の光もある環境に居たのだから。
「ですが今では見る影もありません。天の光を失い、魔族に怯え――奴隷へ身を堕とした者も数知れず。この淀みを断ち切るには勇者が必要なのです。何者をも従える、屈強にして清廉な、人々を導く光となる勇者が」
「それが為に人でない偽りの勇者を召喚したというのか」
「勇者とは象徴です。煌々と立つ勇ましき者。それが今、必要なのです」
魔族という、勇者とはおよそ真逆に位置するであろうそれを祀り上げ、果たしてそれで上手くいくと思っていたのだろうか。
「……何を企んでいる?」
「友、同胞、そして多くの力無き者達――。我々の手で救うのです、全てを」
「そうか、よくわかった……」
ますますわからなくなった。
ただひとつ確実なのは、もう手遅れだという事だ。
尻すぼみに言葉を終えた俺に何か手応えを感じたのか、ジャスティンは一際に拳を握り込んで力強く続けた。
「力は裏切らない。私はそう信じています」
「同感だ」
「ご主人様……?」
ジャスティンは僅かばかり構えを軟化させ、純真な少年の様な瞳で俺を見た。
反して後方からはオルガの不満げな声色が届いた。
実際、力があれば誰だって従えられるだろう。
「おお、わかって頂けたのですな」
「そうだな、力は裏切らない」
「ライ様……」
それはもう嬉しげに、ジャスティンは声を上げた。
斜め前に陣取っていたシュウが何か物悲しげに振り返って、その隣のヴァリスタは迷いの無い瞳で今か今かと命令を待ち続ける。
思わずふっと息を吐き出して、ジャスティンに視線を戻す。
「だが、道化だ。竜の息吹を準備しろ」
「なっ……!?」
ジャスティンには聞こえなかっただろう。
囁きに言葉を発しつつ、ほんの一歩を踏み出して瞬間、一気に床を踏み込んだ。
シュウとヴァリスタの間を突き抜けて――一足でジャスティンに肉薄すると、驚愕に染まったその顔に向かって切っ先を突き入れた。




