第165話「静寂の獣」
淀んだ空気の中で遂に開戦の言葉が発せられる。
「貴方が使命の妨げとなるのなら、退いて貰う他無いですな」
おもむろに魔導書を仕舞ったジャスティンはカイザーナックルを装着した拳を握り込み、神妙な面持ちでそう告げた。
その表情はまるで俺を憐れんでいる様で――。
胸糞の悪い。
「あんたの神ごと、叩き斬ってやる」
俺の返しはひとつだった。
「皆、人族相手だからと手加減はするな」
「うん!」
「わかってる」
「ええ」
「……はい」
返答はヴァリスタ、オルガ、ディアナと来て、僅かに遅れたのはシュウだった。
地上と地下、出生は違えど同族だ。
俺以上の心痛を味わう事になるかもしれない。
「シュウさん、辛い様なら――」
「いえ、やります」
いくら可視化された能力で勝っていても、何が起きるかわからないのが戦場。
気を抜けば、余裕を見せれば足元を掬われる。
酷であっても、後味が悪くとも、ジャスティンだけは確実に――。
「始末するぞ。この場で、絶対に。人の皮を被ったモンスターだと思え!」
それは俺自身への鼓舞でもあった。
この後に見るのは四散する魔力の波ではない。
赤い紅い、血の雨だろう。
胃液が逆流してくるのではないだろうかという異常な緊張。
強張る体の震えを押し殺し、視線は前方一線。
今にも交戦に入る時、表情は窺えないがシュウもまた覚悟を決めた様だ。
じっと睨み合いが数秒。
それは既に戦闘の――殺し合う視線の相対。
一瞬たりとも逸らさずに見合って、まるで時が止まったかの様な場で――。
部屋の中央、薄まっていた魔力の奔流が完全に肉眼で捉えられなくなった瞬間。
それは射殺す様な視線が魔力を介してではなく、直接に刺しあった瞬間。
全くの同時だった。
「行くぞッ!」
「フッ!」
魔法の陣の中央で、キンと一閃、火花が散った。
拳を顔面の正中、顎に沿う様に携えて、全身をひとつの塊と化して猛獣の如く向かってきたジャスティン。
剛腕は鋭い息遣いと共に繰り出され、振り下ろしたはずの剣がぴたりと止まる。
助走を付けて振り抜いたはずの俺の一撃は完全に勢いを殺されていた。
その拳はあまりに的確で、まるで剣の軌跡のその先に初めから置かれていたのではないかと錯覚する程だった。
未来でも予知出来るかの様に寸分違わず剣に拳を突き合わせ、受け止めて見せたのだ。
衝突した剣と拳は、両者共に武器防御の付与された攻防一体の一撃。
それに共鳴する様に耳障りな金属音を上げていた。
迫り合って肉薄し、俺の表情は殺意に塗り固められたもののはずだ。
反してジャスティンは冷徹だった。
その表情は仏像の様に――。
ただし決して温和な表情ではない、そこにあるのは怒気。
しかし決して俺に向けたものに思えないのは、例えばそれはもっと奥底に対しての怒り。
先程の憐む様な表情といいまるで諭しているかの様で、俺を改心させようとでもいうのだろうか。
そうだ。
腐ってもこいつは狂信的な神の信者――神官なのだから。
ジャスティンとの衝突とほぼ同時、俺の背後より飛び出たのはヴァリスタ。
その小柄はいつの間にか前衛の後方に潜み、接敵と同時に襲い掛かるというある種のテンプレートが出来上がっていた。
単純にして強力な戦術はその体格をフルに活用する、野性が生み出した死角から突く抹殺の剣。
切っ先は脇から潜り抜けて剣と拳の交わったその間に向かうも、屈強な胸板の下部から突き入れる寸でで弾かれて盛大によろめいてしまう。
ふたつの剣が凌がれた一瞬の後には風切音。
続けざまに飛び込んだのは、俺の頭のすぐ脇を抜けて通った一本の矢。
オルガが撃ち放った一撃は狙い澄ましたものだったが、上体を逸らしただけで避けられる。
バックステップでもダッキングでもなく、あまりに無駄のない縫う様な回避。
その直後には暗がりの部屋に燃える光源。
ディアナの魔導書から生み出された火球は少し離れた横合いから一直線にジャスティンを捉えた。
火球は矢とは違い、それなりの大きさを持つ。
今度は逃れられない。
防ぐ素振りも見せずに直撃した火球は僅かに視界を遮る小爆発を巻き起こした。
「シッ!」
「やっ!」
好機到来。
俺とヴァリスタは全く同様の事を考えていた様で、引き戻した剣を爆炎のその先に鋭く突き入れた。
「は!」
僅かに遅れて到着したシュウも赤錆びのブラッドソードを振るい、煙幕を裂く様に一撃を放った。
最初の一太刀、大声で言葉を吐いて突撃しジャスティンの注意を引いたのも、俺の攻撃がメインではなかったからだ。
あくまでパーティでの攻撃に徹した。
そうして確実に始末した。
そう思った時、剣から伝わったのは肉の生温い感触ではなく、鉄の硬質な手応えだった。
すぐさまに剣を引くと、晴れた煙の先には無傷の巨漢。
再び顎に拳を沿えて、ひと纏まりとなったその姿はまるで筋肉の弾丸。
剣に矢に魔法にと、凶器の雨あられに拳のみで突貫して尚悠然と立つその姿はもはや神官とは呼べない。
インファイトを会得した、狂気の格闘家だった。
剣と打ち合い、矢を避け、火球が直撃した。
その濃密な攻撃の先で、ジャスティンはまるで堪えていなかった。
神官として魔法耐性の高いジャスティンにはなから火球でダメージを与えられるとは思っていない。
しかし、確かに直撃した。
それにも拘わらず怯む事はおろか僅かな焦りすらも見せず、視界を遮ったはずの煙のカーテンから見舞った追撃すらもいなして――全てを対処された。
隙が、見えない。
いや、それどころではない。
最初の二撃――俺の剣を左手でもって抑えた状態で、右手でヴァリスタの剣を弾いていた。
片手だ。
小さなヴァリスタだけならまだしも、大の男が両手持ちで繰り出した一撃を、片手でもって抑えて見せたのだ。
これだ、何よりも強力なのは剛腕スキルによる別次元の腕力。
モンスターの扱う我武者羅な剛腕や剛脚とは一線を画している。
ものにした、自在に操る剛腕とは、これほどの力を秘めていたのか。
その上で反撃に打って来ない。
その意味する所は、力の誇示か。
ジャスティンの怒気に当てられていたが、そこから殺意は窺えない。
現にあちらから攻撃を仕掛けて来る様子は無い。
あくまで超人的な反射神経でこちらの攻撃に合わせて来ている。
俺の、俺達の心を折るつもりか。
「反撃の隙を与えるな!」
此処で戦意を失っては思う壺だ。
呆気に取られていた仲間達は、ただひとつの命令を受けて攻撃を再開する。
あれを凌ぎ切ったジャスティンに対し凄まじい能力の持ち主と錯覚するだろうが、それは魔法耐性のみだ。
物理攻撃を全て凌ぎ切ったのは間違いなく実力だが、それ以上に厄介なのは剛腕。
どれだけ反射神経があっても普通ならば体がついてこないはずだ。
現に最初の衝突以外で脚を動かしていない。
攻撃も防御も、全てを上体でこなして見せるのは、それだけ剛腕が強力な証。
脚力の弱化というハンデを補って余りあるほど性能。
敏捷という能力値すらも越えて攻撃を合わせてみせるのは、まさしくスキルによる超人的な補助のおかげだろう。
あの剛腕が本来生物にあるべき箍を外した挙動を可能にしているに違いない。
だがそれでも一撃、たったの一撃でいい。
どれだけ恵まれた格闘技術を持っていても、ジャスティンはあくまで神官だ。
近接特化の能力ならば、ただ一撃を通すだけでジャスティンを戦闘不能に追い込める。
この世界は理不尽だ。
能力値という概念がある限り、どれほど運動神経があろうが掠っただけでダメージを負う。
そうすれば、問答無用でトドメを刺せる。
胸糞悪いが、ジャスティンが手を出して来ないのは好都合だ。
神の使命を帯びたと嘯くその驕りの隙を突き、仕留める。
部屋の隅の僧侶達は魔力枯渇に未だ動けず、魔法陣の上は俺達だけの舞台と化している。
能力値という概念だけを参考にすれば、本来先の攻防で決着がついた一戦。
それを苦戦どころか勝機すら潰して見せたのは剛腕。
だがジャスティンは独りだ。
個体で多くを蹂躙するドラゴンや魔族と違い、個人では限界がある。
だからこそ言葉を介し、仲間を作り、対応する。
それがヒトである以上の弱みであり、強み。
ジャスティンは個として強過ぎたのだ。
その絶対の強者であるジャスティンに剣を届かせる手段。
正々堂々などという格好の良い言葉からは真逆の、命を奪い取るあまり原始的で暴力的な。
モンスター相手には避けていた陣形。
仲間達の攻撃の最中、一人飛び退いて静かに呟く。
「取り囲め」
戦闘指揮の効果は優秀だ。
パーティとして編成されている仲間達には剣戟の音にも遮られずに声が届く。
仲間達が微かにだが一瞬ぴくりと反応したのは、指示を聞いて理解した証。
作戦が伝わった事を確認し再びジャスティンの真正面に斬り込むと同時、割れる様にヴァリスタとシュウが左右に散った。
円陣で一斉に掛かれば凌ぎ切る事は出来ないという単純な考え。
それはいつかレイゼイ率いる騎士団が魔族ゾンヴィーフにして見せた攻撃隊形。
あの時は範囲魔法やカウンタマジックという強力無比な反撃スキルにより有効打には至らなかったが、今回は違う。
物量で圧し潰すというのは確かに有効な手段で、ただ一撃を通せば勝利を掴み取れるこの場においてこれほど効果的な手は無かった。
いざ取り囲まんという時、ジャスティンは俺の剣を弾き返すと同時に後退した。
剣戟の騒音の中、俺の指示はジャスティンには聞こえなかったはずだ。
だとすればそれは抜群の戦闘センス。
攻撃を凌ぎつつも的確に状況を把握しての離脱。
その素早い判断でヴァリスタとシュウの包囲も僅かに間に合わなかったが、裏を返せば危機を感じたという事だ。
格闘術と剛腕による圧倒的なシナジーをもってしても、四方八方の攻撃は捌き切れない。
勝機は見えた。
そうして逃げる様な挙動を見届けた直後、そこには違和感があった。
ジャスティンの表情に一切の曇りは無く、ただひたすらに顎元に拳を沿えて動きを待つ。
その様子は決して追い詰められた風ではない。
むしろ逆で、壁を背にたったひとりの鉄壁の陣を築いたのだとすら思えた。




