第164話「聖光崩蘖」
魔力の波は収束する。
魔法陣を中心とし多くの者達から集められたそれが、陣を崩しても尚四散せずにあったのは、魔族召喚が成っていたからに他ならない。
既に手遅れだったのか。
とはいえあの時の様にはいかない。
魔力枯渇状態に陥った僧侶達は立ち上がれずに魔力の塊を見る。
ぼうっとしたその瞳は、もしかすればつい先程魔力を使い切ったばかりなのかもしれない。
つまり今、此処で敵となるのは魔族とジャスティンの二名。
魔族は元より、ジャスティンにも手加減をするつもりはない。
グレイディアは不在だが、それでもこちらは五人居る。
全員が一戦級の能力の持ち主だ。
そして今、まさに魔族が出現するその瞬間に立ち会っている。
やはり、好機。
魔力が凝縮し形を成したその瞬間、両手でもってディフェンダーを握り込む。
「ライ!?」
焦りの窺えるその声はヴァリスタのもの。
らしからぬ言動を招いたのは他でもない、陣形を無視して俺一人が斬り込んでいたからだ。
ただ部屋の中央の発行体――凝縮された魔力へと。
一撃。
魔力が魔族と化した瞬間に、その血肉を帯びない体を太身の切っ先が刺し貫いた。
「あ……」
ただ苦しげに、まるで何が起きたのかすらもわからなかった様で――耳元で小さく吐き出された声が頭の中で反響する。
「た、たす……」
白い髪に赤い瞳、尖った耳は確かに魔族のもの。
貫通したそれは、女性型魔族の胸。
涙に濡れた赤い瞳が助けを求めて彷徨い来て、力無く縋り付いて――蹴り飛ばした。
胸部からずるりと、嫌に生々しく抜けた刀身には血も付着していない。
胸を押さえて崩れ落ちた魔族は力無く首を垂らし、白い髪が床に散乱する。
目前に曝け出された急所をしかと見極めて寸分の狂いも無く正確に叩き落とすと、それはHPだとか体力だとか、そういった数値化された概念そのものを貫通してあっさりとひとつの命を絶った。
一糸纏わぬその姿は――もしかすれば魔法陣を崩した事による影響で召喚は完全なものではなかったのかもしれない。
この魔族もまた、やはり、パラディソと同様に魔族らしからぬ気質の持ち主だったのかもしれない。
魔性を失った穢れの無い存在だったのかもしれない。
可能性に過ぎない。
どちらにせよ始末される宿命。
その魔族は無暗に生み出され、散ったのだ。
個体と成す程に濃縮された魔力は繋ぎ留めるものを失うと今度こそ四散して、その先に呆然と立ち尽くす巨漢と相対する。
「何という事を……」
ジャスティンは戸惑いを顔に表していた。
それは何というか、一言で表すならばまさに絶望的な表情。
魔導書を抱えたその腕も微かに震え、鬼気迫るものを感じる。
「あんたもこうなる」
ディフェンダーを薙いで、微かに遺る魔力の残滓を振り払う。
それを見てようやくと状況を理解したのか、僧侶達からは微かにどよめきが漏れ伝わる。
「つ、強い……」
「あれは勇者様じゃなかったのか」
「何が起きて……」
やはり彼等も魔族召喚を勇者召喚と教えられ、謀られたのか。
魔力枯渇はそう簡単に治るものではなく未だ立ち上がる者はないが、魔法陣によって召喚された者が人族ではない“何か”だった事は、はっきりと彼等にも伝わった事だろう。
魔力溜まりは既に決壊し、じきに魔力の奔流も肉眼では捉えられなくなる。
ジャスティンは詰んだのだ。
敗因はただひとつ、俺の障害となった事。
もう少し行動を起こす時期がずれていれば、俺の目に留まらなければ――ジャスティンの手によって地下は魔族の楽園と化していたかもしれない。
いや、むしろヒトに連なる者と魔族との終わらない種族間抗争が勃発していたのだろうか。
ぞっとしない。
「ライ様、大丈夫ですか!」
盾を構え隣に立ったシュウがそう問い掛けて来て、頷き返す。
ヴァリスタを筆頭に、すぐさまに仲間達が駆け付けたのだ。
そのヴァリスタは何か言いたげだったが、口を噤んで敵を見る。
敵――ジャスティンは未だ微かに震えを見せる。
果たしてそれは怒りか、恐れか。
どちらでもいい、俺は俺の為すべき事を為すだけだ。
睨み据える俺の前で、ジャスティンは虚空を見たままぼそりと呟く。
「私は――」
「御託はいい。来いよジャスティン、あんたはこの手で始末するって決めてたんだ」
エティアを瀕死に追い込み、それに伴いその義母フィリアにも影響は広がって――それは例えば、俺がこの世界に召喚されていなければ、今頃エティアはアイドル魔族に乗っ取られたまま地下の征服に乗り出していたのかもしれない。
それはつまり、エティアの手でフィリアが――義理とはいえ母が子に殺される未来もあったという事。
そう考えると、気が気じゃなかった。
「――貴方は、何を言っているのですか?」
ジャスティンは心底不思議そうに問い掛けて来た。
「あんたの罪は重い、真っ黒だ。今度は逃げられると思うなよ」
「私はただ神に与えられた使命を果たしたまで。それを貴方は……」
ジャスティンのその意志の強い瞳には、微かな怒りが見えた。
屈強な体つきに相応しい彫りの深い顔立ちは先程までの穏やかさを失い、怒気が混じると途端に恐ろしげに見える。
使命とやらを妨害した俺に対する怒り、なのだろうか。
それはただの逆上だ。
「あんたの理由なんて知った事じゃあないんだよ。既にグレイディアさん――俺の仲間がギルドへと報告に向かった」
「仲間? グレイディアさんが貴方の仲間、ですか?」
「そうだ、ありがたい事にな」
やはりグレイディアは俺なんかよりも知られている様だ。
それは一般層ではなく冒険者だったり貴族の中でもお偉い方だったり、特定の者にのみだが、それでも知名度はそこそこにある。
そんなグレイディアが仲間となったのは、俺にとってはかなりの幸運。
ジャスティンは何処か不審に俺を見るが、無理もない。
かつてのグレイディアには他者の命を脅かす吸血というスキルの存在があったのだから。
少女の見た目とは裏腹に、警戒心の強さと人を寄せ付けない上から目線の言動――グレイディアのこれまでの事を考えれば、仲間という関係になるのは想像し難いのだろう。
ともあれ現在俺の仲間として行動を共にしているのは事実で、ジャスティンからすればマイナス要素でしかない。
ほんの数秒、ジャスティンは思案気に問い掛けて来た。
「貴方は一体――何者なのですか?」
「俺はライ、冒険者だ」
いつもの如く、それを返した。
ジャスティンの言葉は何処か探る様で気味が悪い。
だがそれを受けて何かが変わる訳ではない。
「此処は魔法の陣が敷かれた部屋。召喚された魔族は俺が始末し、それを見た者達も居る。今更取り繕ったって後の祭りだ」
「魔族……? 違いますあれは異邦の――」
「あんたらの大好きな勇者様ならわかりやすい特徴があるだろうが」
尚も言い逃れを続けるジャスティンの言葉を遮って、俺自身の黒い髪と黒い瞳とを暗に示した。
これまで目を付けられて来た原因のひとつだ。
遠巻きに見られたり、避けられたり――それはどちらかと言えば悪い意味だった気がするが、確かに特別視されて来た。
「黒い髪に黒い瞳――愚かしい。それで勇者と成れるのならば、誰も苦労はしません」
「だろうな」
「ですから神に頼るのです」
俺の言葉にジャスティンは当然の様に答えてみせる。
どうやら問答出来るだけの正気は保っているらしい。
だがその答えこそが問題だ。
「魔族には身体的特徴がある。そしてあんたが召喚したあの女の外見はまさしく魔族のそれだった」
勇者イケメンの様に染色された髪や、そもそも地の色が違う場合だってあるはずだ。
だから勇者の外見的特徴はあくまで基準でしかない。
しかし魔族は別だ。
獣人に獣耳と尻尾が生えている様に、竜人に鱗と尻尾が生えている様に――種族の身体的特徴は簡単に変えられるものではない。
何より俺の目には視えていた。
出現したあの瞬間に視た種族は、確かに魔族だった。
そして刃を突き入れても血が出ず、死と共に魔力と化して四散した。
このターゲット表示の情報を開示する訳にはいかないが、あれが魔族だったのは確実だ。
神の使命で魔族を召喚し人族にとっての滅びの道を手繰り寄せようとするのは、異常としか言いようがない。
神官ジャスティンの神への妄想と妄言は信仰を大きく超えて、その執着はもはや病的なものに思えた。




