第163話「魔の法」
宿へと戻り俺の部屋で夕食までの休息とした。
扉がノックされ、誰かが尋ねて来た。
そこには若干に気落ちした様子と、真剣な眼差しとで不調和に佇む金髪赤瞳の小さな――グレイディアだ。
予想外に早い帰りで、部屋へと入ったグレイディアは荒っぽく椅子に腰掛けた。
全員がその雰囲気に何事かを察知して、グレイディアへと視線を向ける。
「どうしたんです?」
「魔力水の件だがな、ギルドが調査に向かったらしい」
「良かったじゃないですか」
元より魔力水の流通を止めるのが狙いだったのだから、グレイディアにとっても悪い話ではないはずだ。
根本的な解決には程遠いが、それでも目前の脅威は排除出来るのだから。
しかしグレイディアは微かに首を振って見せた。
「魔力水は既に消失していたそうだ」
「消失?」
「正確には売り切れ、だな」
オークション会場でも利用されていたし、金持ちであるならばそれを利用していても不思議ではないだろう。
そもそもとして魔法陣という普通ではない手段に用いられるのが問題なのであって、そうでなければただのMP回復薬に過ぎないのだから。
「でも現状では違法な商品という訳でもないですから、それ自体に問題は無いんじゃないですか」
「だがな、その相手が問題だ」
一層に眼光鋭く、話を続ける。
「購入した者は神官――ジャスティンだ」
「では魔力水の流通は……」
「そこまでは口を割らなかったらしい」
魔力水の流通に協力していた等と勘繰っていたが、それは違ったのかもしれない。
あの店でわざわざ購入したという事は、流通に直接関わっていた訳ではないのだろう。
いや、何故魔力水を買ったのか。
「とすると、ジャスティンは今この街に?」
「そういう事だな」
「なるほど……」
嫌な予感――いや、むしろこの状況は好機なのかもしれない。
「ジャスティンは悪い人なんだっけ?」
俺とグレイディアの沈黙に切り込んだのはオルガ。
「さてな。奴は狂信的な男だが、悪人ではなかった。それが問題だ」
「だがもし最悪の事態だった場合、野放しには出来ない」
「はぁ……なるほどね。ボクも二度とあんな思いはしたくないし」
珍しく気落ちしたオルガも、溜め息混じりで状況を理解した様だ。
グレイディアいわくジャスティンは信仰心が異常に強い。
神官としてはやはり出来た男だったのだろう。
だがそれとこれとは話は別だ。
「ジャスティンが犯人だった場合、最悪この街でもまた……」
「魔族が出現するんですか?」
「えっ!?」
シュウの純粋な疑問にびくりと反応したのは他でもない、ディアナだった。
本来なら魔族の出現後には警報が発令され、冒険者や騎士団が対処をする。
そういった準備期間も無く交戦に移行する街中での魔族召喚はやはり凶悪だ。
もしもそれがジャスティンの仕業であるならば、此処で片を付ける必要がある。
「ライよ、もしかすれば……」
「もしジャスティンが件の首謀者であるならば――全力で叩き潰します」
相手は人族だ。
だが例えモンスターでなくとも、魔族でなくとも、斬る。
これはいつか通る道なのだから。
「気負うなよ、人族も魔族も変わらないのだから。それにまだジャスティンが犯人と決まった訳ではない」
ぶっきら棒だが、それはグレイディアなりの励ましだろう。
無理に作った笑みが、今の俺には痛い程心に沁みた。
生者、それも人族を斬る事は何かしら俺自身を咎めそうだから。
「ライ……?」
「大丈夫だ、ヴァリー」
珍しく不安気な表情のヴァリスタは、もしかすれば殺人に対する俺の引け腰を見抜いたのかもしれない。
ヴァリスタは命知らずだ。
俺の命令ならばどんな役もこなしてくれるだろう。
その小柄な体格には似合わない程に肝が据わっている。
持ち前の野性的な直感は戦闘センスにも直結していて――だからこそ俺の弱気な態度を察してしまったのだろう。
だが――。
「邪魔立てするなら斬る。それだけだ」
主人として、情けない姿は見せられない。
荒っぽくヴァリスタの頭を撫でつけてやると、いつもの調子に戻って「うん」と一言、嬉しげに応えてくれた。
それは何処か俺の常識とは外れた反応だが、ヴァリスタにとっては強気なライという男こそが主人なのだろう。
モンスターは無数に、それこそ乱獲した。
魔族も斬り捨てた。
死霊と化した開拓地の者達だって手に掛けた。
それに塔を登り地上に出れば、何が起きても不思議ではない。
シュウの情報が確かなら、地上での俺は伝説の勇者を騙った大罪人。
それに便乗し有らぬ罪も着せられた事だろう。
避けられない殺人がある。
向かったのは教会。
塔の街と同様に、純白で潔白な建物。
入口へ続く階段を上った先、重厚な扉は閉まっており、その前で全員の準備を確認する。
ジャスティンの居場所の情報は無いが、真っ先に教会に向かったのは偶然ではない。
当てもなく、というのとは少し違う。
ジャスティンが神官である以上、僧侶達の心を掴むのは容易い。
それはアイドル魔族がエティアを乗っ取り、ただの少女の言葉で僧侶達を扇動して見せた先の魔族召喚が物語っている。
ただ神官というだけで――教会の者にとってはそれほどに大きな存在なのだ。
それに何より、初めてジャスティンに出会ったのも、そして魔族召喚の舞台となったのも教会だった。
思えば地下で穏便に金稼ぎを行えたのも、当時僧侶であったエティアに出会ったおかげだ。
そう考えるとこの世界の神様とは妙な縁がある。
此処に辿り着いたのもまた必然かと思うと気味が悪いが、考え過ぎか。
全員が戦闘態勢についた所で扉に手を掛ける。
ディアナは魔導書を両腕で抱きかかえ魔族への恐怖が隠せていないが、それでも闘う意志は確かにある。
扉を僅かに押し開けて、中を覗き込む。
静寂――。
そこはしんと静かに冷厳な、無人の教会。
内部もまた塔の街の教会と同様で、左右に並ぶ長椅子の中央、赤絨毯の遥か先には虚しく街灯を取り込むだけとなった機能不全のステンドグラス。
誰も居ない教会はあの時を彷彿とさせる。
とするならば、魔族召喚をする場もまた同様。
左右から続く奥の廊下へと抜けて、ひとつの部屋へと辿り着く。
それは塔の街の教会において、魔法陣が描かれていた部屋。
扉を開けば淡い発光が部屋を包み込んでいた。
それは床に描かれた魔法の陣を母体として肉眼で捉える程にまで凝縮された魔力溜まり。
灯り以外には物も無い部屋で、魔法陣の周囲には複数の僧侶。
それは魔族の召喚とも知らずに魔力を注いでいたのだろう。
誰も反応を示さないのは、その魔力が枯渇していたからに他ならない。
もはや足腰も立たず座り込んでいる者、倒れ込んでいる者。
その光景は異様。
反応を示す者は居らず、進み出て魔法陣の外周に踏み込む。
魔力水で描かれた一部を擦り消し、発光は僅かにだが収まった。
陣は崩した。
しかし収束とまではいかない。
発光が弱まった事で、中央に強く残留している魔力の奥にひとつの影を見た。
魔法陣を挟んで奥手には屈強そうな男が一人立ち尽くす。
側面を刈り上げたくすんだ金髪と、顎に沿って短く蓄えられた髭。
剛腕により膨張した上半身は窮屈そうに牧師風の服を纏っている。
その手には分厚い本――魔導書。
視線がぴたりと合って、張り詰めて――。
俺の瞳に映った情報は、確かにその男を示していた。
その男は間違いなくジャスティン。
この場は間違いなく魔族召喚の陣。
「お久しぶりです、ジャスティンさん」
「これはこれは、ライさんではないですか」
会話はそこで一旦途切れた。
未だ四散しない凝縮された魔力溜まりの一室で昂り掛けた心を沈静しようとして、ジャスティンをしかと視る。
武器はカイザーナックル。
武器防御の追加効果が付与された、両手に装着している格闘武器だ。
腕に抱えた分厚い魔導書は、あの時も持っていた代物。
その名は魔法の書。
「魔法の……魔の、法……」
「どうかされましたかな」
「そういう事か……」
思慮が足りていなかった――いや、根本的な知識が足りていなかった。
それでも恐らく、俺以外には気付けなかっただろう。
物の詳細を視る俺には、魔導書という種類だけでなくその名もわかる。
ディアナに買い与えた魔導書の名は火球の書。
簡素で直球なネーミングは、この世界の神のセンスか、はたまた適当な名が振られているだけか。
何にしても、これこそが全ての元凶。
「その魔導書の効果を知った上で使っている……んでしょうね」
「貴方も神の言葉を聞いたのですかな? この世界を救済するのが私の使命です」
「……」
語りながらジャスティンは微かに腕を広げ、小さく天を仰いで見せる。
天井を抜いてもしかし、その遥か上には天蓋。
この暗い地下に生きるジャスティンに何が見えるというのか。
神――。
その偶像を盾に、これまでの行動を肯定しろというのか。
魔導書というかつて地下の人々を生かした叡智の結晶。
それが魔族憑依という不倶戴天の凶器と化して――。
エティアの命を奪い掛けたそれを持つこの男を、ヒトに仇なすこの男を、果たして生かしておく理由があるだろうか。
「ジャスティン……その蛮行は赦されるものじゃない」
「ふむ……?」
「この世界に本当に神様が居るのなら、あんたは地獄逝きだ」
右手にだらんと構えていた太身の直剣ディフェンダーを握り込んで、ジャスティンを睨み据える。
果たしてジャスティンに届いたかは知れない言葉は無意識に低音で、どうにも憤りを隠せなかった。
左隣に居たシュウがたじろいで僅かに下がったのを感じた。
右隣のグレイディアも微かに俺に気を向けたが、一瞬だ。
今、俺は酷い顔をしているのだろう。
張り詰めた空気の中で、どうにも感覚が鋭い。
視線すらも感じ取れるのは、この世界では魔力の影響なのだろうか。
身体から微弱な魔力が放出されていて、それが視線にも乗っているのだとすればそうなのかもしれない。
自覚する程に、此処まで神経を張り詰めたのは初めてだった。
緊迫した空気の中で、グレイディアが囁く様に告げる。
「私はギルドへ向かう」
信頼されたものだ。
俺が負ける訳が無いと踏んでの行動だろうか。
この状況をギルドへと報告し、先の魔族召喚がジャスティンの仕業と知られれば全てが決着する。
「奴の処遇はお前に任せる。これだけの魔力が溜まっているのだ、馬鹿げた魔法陣の暴発で死人が出ても不思議ではない」
「グレイディアさん……」
「私はたまたま、その場には居なかった」
下手をすると、捕縛された後に無実として釈放される可能性もある。
それはジャスティンという男が放浪の神官としてこれまで見過ごされて来た経緯からも、あり得ない話ではない。
グレイディアもまた、ジャスティンの存在を危惧していたのだろう。
要するに、此処で始末を付けろというお達しだ。
グレイディアが去った後、遂にディフェンダーを正眼に構えようという時――背後からはっとした息遣いの後に静寂を破る大きな声が響いた。
「ご主人様、来るよ!」
オルガの声だ。
思わず振り返りそうになった時、部屋中の魔力の奔流が中央へと収束するのが見えて踏み止まる。
収まり掛けていた光は煌々と強まり、全員が一斉に構える。
オルガの言葉はすなわち、魔族の出現を察知したものだった。




