第162話「魔の導」
風の迷宮第三階層ももはや狩り慣れたと言っていい。
とはいえ根を詰めればどんなミスを犯すかはわからないから、余裕を持った間隔での戦闘を繰り返している。
魔導書の初使用となる今回は尚更に慎重を期して行動している。
「まずは魔導書の効果を発動してみてくれ」
「はい」
ディアナは魔導書を片手に開いて数秒、MPが減少する。
魔導書へ魔力を注いでいる様だ。
魔導書が微かに発光した後、火球が飛び出す。
火球は壁に衝突すると小さな爆発を起こして散った。
以前見たヨウの火魔法にごく近いのではないだろうか。
魔導書に集約した魔力が火球として構築され、出来上がった時点で発現する形か。
スキルの魔法であれば、その工程を自身で行わなければならないのだろう。
本来であればそのセンスというか、才能によっては魔力を魔法として構築出来ないといった所だろうか。
それを外付けして才能の有無に関わらず魔力さえ注げば半自動的に行ってくれるのが魔導書なのだとすれば、なるほど理に適っている。
魔力を外部で集約し決められた魔法へと変質させる性質は機械的だ。
本来であれば四散してしまうのだろう魔力を魔導書という媒体に取り込み、効率的に、もしくは増幅させる事で低燃費の魔法を実現しているのか。
「発動時間はそれが限界か?」
「そうですね」
「リミッター付きか」
「りみったーですか?」
「単純に魔力の変換に限界があるのか、それとも魔力枯渇に対するセーフティ……制限か」
「確かに、必要以上には魔力を吸収しない様になっているみたいですから」
もしかすればこれも魔力枯渇を避ける為に組み上げられた歴史の爪痕なのかもしれない。
ヨウの火魔法やオルガの光魔法と比べると発動に掛かる時間は長く、自力で魔法が使える者であれば魔導書はむしろ邪魔になるだろうか。
反してMPの消費効率は良く、比較的MPの低めなディアナには適しているだろう。
何より広範囲高燃費の竜の息吹が咄嗟に使えるだけの温存は重要だから、その兼ね合いとして考えると非常に相性が良い。
「旦那様は博識ですね」
「以前にも言ったが、俺は知識を後追いしているだけの一般人だ。ただの想像に過ぎないよ」
ディアナは嬉しそうに話すが、俺の知識は所詮表面的な物だ。
これで魔導探究の仲間が出来たと勘違いされでもしたら大変だ。
もしもディアナが良い気分になって小難しい事を言い始めたら、俺は意味もわからずうんうん言い続ける赤べこ状態にならざるを得ない。
ただひとつ確かなのは、魔導書は魔力を吸収して高効率で魔法に変換しているという事だ。
この本の型にそれを詰め込んでいるのは、やはり並の技術ではないのだろう。
いわば小型の魔力融合炉――この世界風に言うならマジックマージとでも言おうか――の役割を果たしている魔導書だが、俺がそういった認識に至ったのもあくまで元の世界の知識と擦り合わせただけで、この世界基準の発想ではない。
この世界には天蓋の出現という人類の大きな転換期があって、それから上下の世界に分かれて独自の体系が発展していった系譜があるから、理解し難い部分が多い。
魔導書に関しては尚の事。
それを組み上げた者は魔力の専門家なのだろうから。
「ひとまず魔導書の使い方はわかったが、ディアナとしてはどう戦闘していくのが良いと思う?」
「とにかく魔導書での魔法攻撃……ですよね?」
不安気に問いで返したディアナ。
戦闘に関しては素人だから、主な動きは説明しておくべきだろう。
「まずディアナにはみっつの武器がある」
「みっつですか?」
「ひとつめは筋力値の高さと剛腕の破壊力による物理攻撃」
「それは……」
微かに視線を落としたのは、運動神経の無さを痛感してのものか。
酷ではあるが、能力の高さとそれが有効活用出来ないという事実は理解してもらうほかない。
「ふたつめは魔力値の高さと竜の息吹による遠隔範囲攻撃」
「竜の息吹ですか……」
「いざという時には頼りにさせてもらう」
「はい……」
竜の息吹を乱発するのはディアナも望む所ではないだろう。
あれは竜人として使いたくない技だった様だ。
それでもいざという時には使ってもらう事になるから、それだけは認識させておく。
「みっつめは魔導書での遠隔単体攻撃だ。今後はこれを主力として使ってもらう事になる」
「妥当ですね」
「オルガの初撃に続けて魔導書で追撃していくのが基本か」
「オルガ、ですか?」
「始末という特殊能力で強力な初撃を与えられるから、それを合図に魔導書も使用すれば間髪入れずに攻撃を加えられるだろう」
「なるほど……」
そうして戦略を固めていくと、ディアナは多少だが俺の言葉に対しての反応が変わった。
耳を傾ける様になったというか、しっかりと聞こうとする意思が出来上がったと見える。
指令塔として認めて貰えたという事だろう。
魔導書の導入により、戦闘はこれまで以上に順調に進められる様になった。
オルガの弓矢とディアナの魔導書で遠隔攻撃に厚みが出来たから、格下相手なら一方的に撃破する事も容易だ。
それから夜まで戦闘を繰り返し、この日もまたクライムとは出会えず迷宮から離脱する。
魔石の換金に冒険者ギルドへ訪れると、風の街では馴染みとなりつつある受付嬢の下へと向かう。
「魔石の換金に来ました」
「精が出ますね」
グレイディアと親しげな茶髪の獣人受付嬢、名はヴェージュ。
もしやと思い能力を盗み見てみたものの、特殊な能力の持ち主ではなかった。
相変わらずふさふさの尻尾が目を引くが、気の強そうな雰囲気を纏っているので浮ついた会話はしていない。
「グレイディアも変わりましたね」
「色々あったからな」
グレイディアはその言葉と同時に俺に視線を向け、ヴェージュも意味深に俺を見る。
その色々がどういった意味なのかは知らないが、やましい事はない。
いや、グレイディアが裏で何を語ったかにもよるが。
何はともあれ、グレイディアと知己を得ているという事は、ヴェージュは理解のある存在なのだろう。
冒険者ギルドには世話になっているし、せめて嫌われない程度によろしくしたい所だ。
それから魔石の換金が終わると、ヴェージュは微かに身を寄せて小声に話す。
「グレイディア、少し話が……」
「皆は先に宿へ戻っていてくれ」
グレイディアはそう残して、ヴェージュと共にカウンターの奥へと消えた。
ふいに見せた真剣な表情は、何事か問題でも発生したのだろうか。
気になる所だが、冒険者ギルドの職員間の話に首を突っ込む訳にも行かない。
グレイディアから又聞きするのが得策だろう。
「グレイディアっていつもあの受付嬢と会ってたのかな?」
「そうかもな、仲良さそうだし」
オルガの疑問を受けて、なるほどと思う。
これまで風の街に来てからの何かしらのやり取りは、ヴェージュとのものだったのかもしれない。
もしくはヴェージュを仲介としてこの街のギルドマスターに会っているだとか。
何にしても、そのグレイディアを介して俺にも情報が来るのであればありがたい事だ。
そこら辺は冒険者ギルドという組織としての機密等もあるはずだから、色々省かれての情報提供になるだろうが。
真面目な事を考えている俺の横で、シュウが青い瞳を爛々と輝かせている事に気付く。
その手は閉じたり開いたり――若干いやらしい手付きにも見えるのは俺の心が穢れているからだろうか。
「どうしました?」
「ずっと思ってたんですけど、あの受付嬢さんの尻尾……気持ち良さそうですよね」
「ああ、確かに」
「ですよね!」
これまでにない程に食いついたシュウは、どうにももこもこした物が好きらしい。
わからないでもないが、さすがにヴェージュの尻尾を触る勇気は無い。
犬や猫と同様なら尻尾は重要な器官のはずで、下手に触れれば怒りを買う恐れもある。
いわゆる龍の逆鱗の様な物だ。
まして獣人。
いくら身近にヴァリスタが居て慣れて来たといっても、シュウにとっても未だ恐怖の対象である事は変わらないはずだから、暴挙には及ばないだろう。
ヴェージュのもこもこな尻尾を考えていると、視界の隅に細長い紺藍がちらつく。
揺らめきを追って、見るとそれは尻尾。
紺藍のそれは勿論ヴァリスタの物で、一瞬目が合って、逸らされて――。
「ヴァリーの尻尾も綺麗な毛並みだな」
「本当?」
「そうだな、良い尻尾だ、これは良い尻尾だ」
軽く撫でてやると尻尾の揺れは納まり、満足した様だ。
ヴェージュの尻尾に対する嫉妬だったのだろうか。
獣人特有の対抗心だとすれば中々可愛いものだ。
少しの発見と何か不穏な気配を感じつつ、宿へと戻った。




