第150話「勇者の血道に」
奴隷の契約を終えて舞台袖から出ると、そのままディアナを引き連れて一直線に出口へと向かう。
自己紹介くらいは椅子にでも腰掛けて落ち着いてするべきかとも思ったが、会場に留まるのは得策ではないだろう。
ディアナは嫌に従順で逆らうつもりはない様だが、この場で奴隷であるディアナも座らせて対等に会話をしているだけで俺へのヘイトが盛り沢山になるだろう。
さすがに俺も奴隷の立場とその割り切りは理解出来ている。
ヴァリスタを購入した当初、俺の分の肉を食べさせただけで冒険者らしき男達に絡まれたのだ。
相手が貴族連中ならば確実に目を付けられるだろう。
「お疲れ様でした」
便器階段から出た所で案内役だった男が待っており、挨拶を受けた。
こういった過剰なサービスは、何だか日本に戻った気分だ。
仄かに虚しい懐かしさを抱きながら、適当に会釈で返して小屋を出る。
「俺はライ、冒険者だ」
「ディアナ……です」
門番から再度検問を受けて無事に通ると、町から離れ灯りも淡くなった所で初めて自己紹介をした。
ビクついているその様から、かなり警戒されている事が窺える。
ヴァリスタの時の様にラフ過ぎれば相手によっては付け上がる可能性があるし、オルガの時の様に無理に調教しようとすればあらぬ失敗をする可能性がある。
ならば極端にならず、奴隷と主人の関係を崩さない程度に接するだけだ。
その上で対等でなくとも仲間として共闘出来る様に気を付けてやるのが最善だろう。
とはいえまずは打ち解けなければならない。
おもむろにカンテラを取り出して見せる。
「えっ」
あの無口なヴァリスタとの対話の切っ掛けを作ってくれた収納能力はやはり有能だった。
手品の如く使って見せるが、まさに種も仕掛けも無い。
その原理は俺にだってよくわからないのだから。
しかし良い反応が返って来るもので、謎空間から取り出したカンテラにディアナは目を丸くした。
「こういった訳のわからない力を持っているが、他言無用で頼む」
「は、はい……」
その赤い瞳は中央の瞳孔が縦に鋭く、ここまでは身を竦めていたせいで体格も明確にはわからなかったが、俺と同等――いや、俺よりも背丈自体は高いだろう。
竜人というのがどういった系譜で生まれた種かは知らないが、例えば蛇等は全身筋肉の様なものらしいから、その剛腕を除いたとしてもディアナが恵まれた肉体であるのは頷ける。
体つきに反してすらりとした印象も覚え、引き締まっているというか、見事なまでに出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいるから、何というか無駄が無い。
その気弱さが小さく見せているのかもしれない。
シュウ以上に肥大した無自覚に主張して来る胸などは、薄い貫頭衣の上からでもツンと上向きの先端が把握出来てしまう。
しかし弛みの少ないその形状は明らかに重力に逆らっており、その下地にもやはり筋肉がある事が窺える。
胸には浪漫が詰まっているというし、俺もその考えにはまっこと大変に肯定的なのだが、さすがにここまで――それこそ絵に描いた様な形状なのはおかしい。
筋肉への変換効率の良い体質上、蓄積し難い脂肪を保存するタンクの役割なのではないだろうか。
さすがに「お前の胸って脂肪タンク?」等と聞いたら好感度マイナスどころではなく、最悪その剛腕で叩きのめされる可能性があるので仮定として留めるが、そのすらりとした肉体で他に脂肪の貯蔵出来る場所と言えば尻や太股くらいだし、そこに多くは入らない。
脂肪タンクというのはあながち間違ってもいない気がする。
何せ竜人――種族としては人族の近縁種なのだろうが、それでもやはり人族とは違う種族なのだから。
思えばヴァリスタやグレイディアも、体つきこそ小さいがこのディアナの様に鋭い瞳孔をしていた。
“そういうもの”として人族と同列に捉えていたが、こうして考察してみると面白い。
顔立ちこそ人族に近いものの、やはり種族の違いはあるのだと思い知る。
ともあれその感情の本質に人族との大きな差異は無いと見ていい。
猫風の獣人ヴァリスタはそれこそ猫に構う様に接してやったおかげかいつの間にか――というよりとても急速に懐いていた。
獣人が血の気が多いだとかそういった性質の差はあるらしいが、だからといって喜怒哀楽に差は無いだろう。
しかし残念ながら竜人との接し方は想像もつかない。
例えば竜と人の混血だと仮定しても、そもそもとして竜が何を好むのかがわからないのだから、やはり地道に関係を築いていくしかない。
だが時間を掛ければ問題は無いだろう。
何より大きいのは、ヒトをヒトたらしめる最たる技能、対話での意思疎通が可能な点だ。
どれほどか、そのマウスパッドにしたら良い具合であろう脂肪の山をガン見しながら考察していると、遂にディアナが沈黙を破った。
「あ、あの。ライ……様は、勇者、ですよね」
「そうだ」
「やっぱり……良かった、良かったです……うう……」
勇者かと、そう聞かれるのは予想していた。
俺は胸をガン見したまま答え、ディアナは声をくぐもらせた。
それに気付いて胸から視線を上げると、目を赤く潤ませていた。
今にも泣きそうなその表情に、嫌な予感しかしなかった。
「私、無理矢理奴隷にされて、それで――」
「それで?」
「――は、はい。あの、解放してもらえないでしょうか」
「無理だな」
「あ、あの、でも私……」
「俺が勇者だとわかっているならば話は早い」
一息ついて、しかと目を合わせる。
「ディアナ、よく聞け。俺は人族だが、人族じゃない。お前と同じく無理矢理囚われた、ただの人間だ。こんな腐った世界の事なんてどうだっていい。元の世界に戻れるならば外道にだってなってやるし、人間だって、殺してやる」
ディアナは目を逸らした。
俺自身、それはもう自分に言い聞かせている様なものだった。
最悪の場合、勇者イケメンをこの手に掛ける事になる。
それは知っておかなければならないし、覚悟しておかなければならない。
「それは……そうですね。そうですよね、ごめんなさい……」
嫌に冷静に納得して見せたディアナはその大きな胸の元に手を当てて、だらりと首を垂らした。
いつかグレイディアにもこうして謝られたが、ディアナのそれはこの世界の者としての俺への謝罪か、それとも俺が解放しない事を知っての無念か。
どちらでもいい、ただ俺の考えだけははっきりと知らせておく必要がある。
「だが、俺は奴隷だからといって酷い扱いをするつもりはない」
「……」
疑る目は、先の言葉で俺に不信感も抱いたのだろう。
確かに俺がしている事は、決して正道ではない。
だから予め、しっかりと知っておいてもらう必要がある。
「俺は塔を登るつもりだ」
「塔……ですか?」
暗闇で見えもしないが、遥か西方のあの地を見据えて続けた。
「六十階層、天蓋。そこには囚われた勇者達が居る。かつての俺の、仲間だった者達だ」
今ではどうなっているのか。
この世界でたった一週間だが共に鍛錬し、闘った仲間達だ。
悪い方に考えたくはないが、全員無事に生き残っている事を願いたい。
「俺は仲間を救うためにも闘わなければいけない。だからディアナ、それまでお前の力を貸してほしい」
ディアナははっとして、それから小さく頷いた。
その想う所はわからないし、はなからヴァリスタやオルガの様に心を開いてくれるとも思っていない。
しかし、協力してくれるつもりはあると見える。
ならば俺も裏切られない様に主として努めるだけだ。
正直、最初は俺だけでも生きて元の世界に返ってやるという考えだった。
俺が生き残るのが最優先だったし、勇者の救出は二の次だった。
それは俺があまりに非力だったのもあるし、この世界全てへの怨みと、裏切った勇者イケメンに対する憤りが大きかったのだろうと思う。
だがギ・グウに出会い、グレイディアに助けられ、エティアを助けて――。
そしてこの暗い地下で、レイゼイと出会ってしまった。
同郷の者が救えると、知ってしまった。
今では順調に戦力も整い、希望が見えて来ている。
力がある。
欲を出せるだけの力が。
裏を返せば、結局力が無ければ何も出来ないという非情な現実を知ってしまっただけではあるが。
だからこそ冷静に物事を考えられる様になったし、勇者達を救いたいという意思が強くなったのだろうと思う。
これからも当初の意志は変わらない。
ただ、いつからだろうか――この腐った世界の、勇者を巡る血塗れの道の先で――出来る事ならば一人でも多く生き残って欲しいと、そんな贅沢な願いが生まれていたのは。




