第145話「アンダーグラウンド」
冒険者ギルドで魔石の換金を行った。
中くらいの魔石が四百個、前日の乱獲で動きに慣れていたおかげか、半日の成果としては上々だろう。
むしろその換金額は金貨二十枚と、効率は前日よりも上がっているのではないだろうか。
とはいえ仲間達はどれだけ優秀でも女であり、その体力は決して男の俺基準で考えてはいけない。
この二日だけでもかなり無理をさせてしまったので、後は休みとする。
それを告げると、嬉しそうに反応を返した。
やはり休暇は必要だろう。
反してグレイディアは真剣な面持ちで今後の予定を口にした。
「私は用事があるからギルドに残る。ライ、くれぐれも気を付けてな」
「勿論です。グレイディアさんも無理はせずに」
そうして女性陣を宿へと送り届け、一人外へと出る。
これから向かうのはオークション会場。
念願――とは言えないのだろうが、俺の求める奴隷を見つけるには絶好の場だ。
街を出た俺は北方へと歩を進めた。
暗い平野をカンテラの灯りを頼りに進み、辿り着いたのは大きめの壁だった。
壁を伝って入り口となる門へと向かう。
街を囲む巨大で堅牢な壁とは違い、どちらかと言えば魔族ゾンヴィーフとの決戦場であった開拓地の壁に近い。
あれが完成していれば、この町の様になっていたのかもしれない。
そう、此処は――オークション会場となるこの地は、風の街から離れた小さな町だった。
バーで貰った用紙には指定地の大まかな場所しか書かれていなかったから、果たして本当に合っているのか疑問に思う。
町という事は、国の管理区だろう。
此処でオークションをして大丈夫なものなのだろうか。
色々と詮索しつつ門へと辿り着くと、その左右には軽鎧を纏い槍を携えた門番が立っていた。
俺に気付いた門番がおもむろに近寄って来て、声を掛けられる。
応対する一名と、その斜め後方でカンテラを掲げて俺の顔を確認する一名。
「ようこそ。身分を示す物はありますか」
実に怠慢さの欠片も見られない見事な職務遂行である。
この地下世界基準の衛兵としてはなかなか見られないのではないだろうか、嫌に丁寧な対応だった。
ギルドカードを取り出して手渡すと、それをよく確認しながら一言発した。
それは問答ではなく、呟きの如きごく小さな言葉だった。
「光」
何だ、突然。
そう思ってすぐ、はっとなって返す。
「炎」
合言葉だ。
まさかあのバー以外でも使う事になるとは思わなかった。
ここでミスっていればオークション会場へは連れて行ってもらえなかったのだろう。
無事に認可された後、門の内から出て来たカンテラだけを手にした衛兵――というには些か身軽で小奇麗な男に連れられて町へと入る。
その身なりからすると、オークションに参加する者に対してのみ宛がわれる案内人といった所だろう。
町は家々が立ち並び、街灯も完備されている。
しかし妙に人通りが少ない異質な光景だった。
それを見物する間も無く壁沿いに延々進み、一角の小さな家へと辿り着いた。
簡素過ぎる。
まさか此処がオークション会場だとでもいうのだろうか。
騙されて闇討ちでもされたらたまらない。
いつでも剣を取り出せる状態を維持しつつ案内人に続いて屋内へ入る。
家の中は暗く、注意深く周囲を警戒していると、案内人はカンテラを掲げて一角へと向かった。
ひとつの部屋、扉を開けて入室して行った案内人に続いて行き、俺は苦笑した。
「どうぞこちらへ」
「はっは……何という――」
――何という皮肉だろうか。
その部屋は便器がひとつだけ備え付けられた――そう、便所だった。
おもむろに取り外された便器と床、見るとそこには階段があった。
続く先は――地下。
そもそもとして俺が地下世界と呼んでいるのは、天蓋を地上として見るからこその呼称だ。
本来この地こそが地上と呼ばれるべきで、地球と同様に地盤で形成されているのだろう。
何も不思議な事ではなかった。
奴隷商でも在った様に、地面を掘り返して作られた地下こそがオークション会場だったのだ。
通常は便器で覆い隠しているこの階段なら、確かに見つかり難いだろう。
国に隠れて運営出来る訳だ。
もはや苦笑せずには居られなかった。
「どうされました?」
「いえ、驚いただけです」
俺の様子に気付いた案内人が心配そうに声を掛けて来て、慌てて取り繕う。
便所――それこそが地下への入り口。
俺と共にドラゴンにトドメを刺し龍撃とした相棒逆光の騎士剣バタフライエッジアグリアスは便器詰まりの友キュッポンの化身で、俺がこの世界に来るはめになったのもまた便器の前。
アンダーグラウンドに続く道は便器の下で――これほどの皮肉があるだろうか。
あの時便所掃除に行かなければ、早い段階で便器詰まりを報告してくれていれば――そんな馬鹿みたいな考えが去来していた。
別にそれで心が揺れた訳ではなく、もっと酷い心持だった。
それはつまり、全ての始まりは便器だと、そう改めて気付いてしまったのだ。
便器の勇者――やめよう、虚しくなるだけだ。
馬鹿な考えを振り切って、案内人に促されるがままに階段を下った。
階段は土ではなくしっかりと石で補強されており、入り口こそ便器で隠されているが決して汚らわしい印象ではなかった。
金持ち連中が使う場だから、こういった所には気を使っているのだろう。
階段を下り切ると遂にオークション会場へと辿り着いた。
「お好きな席にご着席ください」
案内人はそう言い残して去った。
多く椅子が設けられたその場は床も壁も石造りの地下施設だが、決して狭苦しくは感じなかった。
それは例えば中央を大きく開いて椅子が配置されていたりだとか、魔石を燃料としているのであろうランプが間接照明的に辺りを照らしていたりだとか、要するに窮屈には見せない作りをしていた。
前方の舞台以外は淡く照らされるだけに留まり視線を舞台に誘導する様に工夫されているし、ある壁には稲妻模様の刺繍の入った布が下げられて微かに石壁の硬さを緩和している。
周囲の壁際には先程の案内人と同様の鼻につかない程度に小奇麗にした者達が控えており、不測の事態には彼らが応対してくれるのだろう。
オークションに掛ける意気込みというか、此処が莫大な金の動く場だというのはありありと感じさせてくれた。
場違い感も覚えるが、気を引き締めて掛かろう。
紺藍のマントは脱がず椅子の間、中央を突っ切って、最前列の右端に陣取った。
最前列というのは商品をよく観察する為という意味もあるが、一応他の客に顔を覚えられない様にとの考えもある。
此処に来た時点であまり気にしても仕方ないが、下手に後列に居ると振り返っただけで顔を見られる。
それに舞台照明の強い最前列ならば逆光で黒い髪色も目立たないだろうし、カモフラージュには丁度良いだろう。
服装はいつもの勇者服だが、これは材質の良い物だろうし、地上でも公衆の面前で着用した物だ。
戦闘だけでなく礼式用としても問題は無いはずだ。
マントは羽織ったままなので礼儀としてはあれだが、これは外せない。
白いシャツを紺藍のマントで覆って背後から目立たない様にする役割だ。
何よりこの薄暗い空間だ。
隅で静かにしていればそこまで目につかないはずだ。
全身真っ黒なのもたまには役に立つ。
準備万端に着席して待っていると、次第に入場者も増えて来たらしい。
顔触れを見てみたいところだが、今回はグレイディアの居ない完全な単独行動だという事は忘れてはいけない。
誰もフォローはしてくれないから、うかつな行動を取らない事だけは念頭に置いておこう。
一息ついて落ち着いた頃、後方には人の気配が増え始め、マップにもいくつもの白点が点在していた。
しばらくすると、俺の隣にも誰かが着席した。
嫌な予感がする。
最前列はあまり人気が無く――恐らく目立つ事を嫌って後列を選んでいるのだろうが――まだ埋まっていない席は多いはずだ。
「随分早い到着だったね、ライ君」
「これはどうも。初参加なもので、遅れないよう早めに来ていました」
嫌な予感は的中だ。
わざわざ俺の隣に座ったのは金髪碧眼の優男、クライムだった。
服装は軽鎧から貴族然とした物に変わっており、こうして隣り合わせとなるとやはり俺は場違いに感じる。
とはいえそんな事を気にしていても仕方が無い。
俺が厳守すべきは下手に喋らない事。
そして目的は良い奴隷を見つけ出す事。
この二点だけを留意して、冷静に行動しよう。
いよいよとアンダーグラウンドに足を踏み入れた事を実感しつつ、その時を待った。




