第140話「支配者の素質」
風の迷宮から退出した後、宿へ戻る。
そのまま冒険者ギルドへと向かわないのは魔石の量が多すぎる為だ。
土の迷宮攻略後にもそうした様に、別の場所で取り出してから換金に向かうのが恒例のパターンになりそうだ。
いくら大量に魔石を収納出来てもそれを突然に取り出せば怪しまれるのだから、こればかりは仕方ない。
道すがら大きな布袋を購入した。
部屋に入った所で早速布袋に魔石を詰め始める。
布袋は六つある。
いくら中くらいの大きさの魔石とはいえ、その数は六百個だ。
この魔石の収納された謎空間からはひとつずつしか取り出せない。
地味で、そして時間が掛かる。
それぞれに布袋を開いて貰い、そこに百個ずつ魔石を入れていく作業だ。
「あの、ライ様」
「何ですか?」
詰め込み作業中に不意に話し掛けて来たのはシュウだった。
布袋を持ち前屈みに――その黒髪の下、青い瞳がちらちらとこちらを伺い、どうにも挙動不審だ。
メイド服の大きく開いた胸元は付け襟で覆われてはいるが、しかし見えそうで……見えない。
誰だこのメイド服を考案した奴は、けしからん。
「先程の方は、その、元の世界でのお知り合いなんですか?」
「レイゼイさんですか。俺は他の勇者とは立場が違いましたから、こちらの世界に来るまでは接点はほとんどなかった……と思いますよ」
「そうですか」
シュウは少しだけ笑みを見せた。
実際レイゼイとは挨拶を交わした程度だったはずだ。
とはいえその頻度はかなりのものだったが、友達だとか、そういったレベルではなかった。
俺とシュウの会話を聞いて、オルガが更に疑問を重ねる。
「そういえばあの黒鎧の人、ヴァリスタにゃんとか言ってたけど、あれは何なの?」
「ニックネームというか、何というか。あまり気にしない方が良い」
「ライにゃん?」
「お前さあ……」
ヴァリスタが不機嫌になりそうなので、この話題は無しだ。
この世界にはかつては犬猫もいたかもしれないが、地下に馬が見当たらない様に現在では動物も居ないのだろう。
とすると普段食べている肉は何の肉なのかという疑問が湧くが、ゴブリンやハーピーといったモンスターが頭に浮かんでしまうので気にしない事にしている。
布袋を俺がふたつ、残りは皆でひとつずつ持ち、ようやく六百もの魔石の詰め込みが終わる。
グレイディアがふっと笑い、目を向けるとすぐに俺の視線に気付き、その理由を語った。
「あの時、土の迷宮を攻略した後に魔石をすぐに換金しなかったのもこの為か」
「気付きましたか」
「ああ、全く出鱈目だな……」
あの時もかなりの量があったから、グレイディアとしては口に出さずとも疑問に感じていたのだろう。
「ライよ、信じていない訳ではないが、お前の常識がこちらと違う可能性もあるから一応言っておく」
「何でしょうか」
「あまり悪用はしてくれるなよ」
「しませんって。それに泥棒なんてしていたら俺の心が潰れますよ」
「別に泥棒行為を心配している訳ではない。お前がそういった事をする輩ではないのは知っている」
むっとして膨れっ面になったグレイディアが応えた。
どうにも俺を咎めるつもりではない様で、助言だろう。
ありがたい事だ。
「泥棒ではないというと?」
「例えば転売だ」
「転売ですか? まぁ確かに大量に持ち運べますが」
「知っているのなら話は早いか」
それでも行商人なんかも居るし、ハーピーの羽が武器屋に直接卸されていた様に特定の流通が確立されているから、俺が独占する事態には陥らないと思うが。
「お前には枷が無い。どれだけ物があっても荷物とならないから、運搬に掛かる時間も効率も変わらない。いや、効率面で言えば買えば買うほど増収となるな」
「安く買って高く売るだけですし、普通の行商人でも可能ではないですか?」
「例えば安値の物を大量に購入したとして、普通はそれを積載するだけの荷車も、保管場所も無い。そして運搬するには人件費も掛かる。だから安いからと言って手当たり次第に買うなんて真似は出来ないのだ」
ああ、前提条件が違い過ぎたのか。
俺の場合、運搬も保存も身一つで全てがまかなえてしまう。
単純に泥棒行為が働けるだけでなく、市場を破壊する事だって容易だ。
その気になればそれで国を乗っ取るなんて事も……いや、まるで興味は無いが。
政治やら何やらの面倒な事はお偉い方にやらせておけばいい。
お偉い方が美味い飯を食い、上質な酒に舌鼓を打っている間に、一介の冒険者でしかない俺は好き勝手に動き回れるのだから。
その為の冒険者だ。
俺という個人が転売で市場を潰し、国との繋がりも薄くないであろう商人やそれに連なる組織を敵に回すなど、愚の骨頂だ。
そうなると国を支配するか、人類に仇名す者となるか――それならばそれこそ勇者として立ち回った方がよほど賢い。
「それをすれば、お前はこの世界を好きに動かせるだろう。だがそれは――」
グレイディアは目を伏せた。
金髪の下で揺れる赤い瞳には、微かに苦心が見える。
もしかすればグレイディアは俺とほぼ同様の認識を持ってくれていて、俺がこの世界に連れ込まれた事が――つまり勇者の召喚が悪だと思ってくれているのではないだろうか。
だから俺がオークションという奴隷産業の闇に踏み入る事を阻止しなかったし、例え国や世界を転覆させる暴挙に出ても彼女は止めないのだろう。咎めないのだろう。
そして同時にグレイディア自身は冒険者としての活動に、吸血スキルから解放されて仲間と共に冒険出来る今の環境に、大きな解放感を覚えているのかもしれない。
だからこそ俺が冒険者でなくなるというのは望まない結果なのだろう。
「大丈夫ですよ。心配される様な事はしませんし、俺はあくまで冒険者として行動します」
「――そうか」
「だからこそグレイディアさんはついて来てくれたんでしょう?」
「ああ……!」
目を細めたグレイディアは、反して口元が緩み、歯を見せて笑みを浮かべてくれた。
今までも笑みは見せてくれていたが、どこかで制限を掛けていた。
なのでここまでの満面の笑みは見た事が無かった。
初めて知ったが、犬歯がかなり鋭い。
なるほど吸血鬼。
これのせいで本心から笑う事は出来なかったのかもしれない。
もしかして本気で怒らせたりしたら、あの歯で血管をぶち抜かれたりするのだろうか。
股間の勇者が縮みあがって、俺は無意識に首元を擦っていた。




