第129話「遂行意志」
風の吹く街の大通りを避け、グレイディアの先導で路地に移動する。
路地といっても決して狭くなく、むしろこちらが普通の道幅だろう。
大通りが広すぎるのだ。
俺と同様に乱れた黒髪を手で撫でつけながら、シュウが暗い空を見上げた。
「何だか地上に戻った気分ですね……」
「地下は風を感じませんからね」
酸素も十分にあるしさすがに空気が滞留している訳ではないと思うが、地下で突風が吹いたりといった自然現象に出くわした事が無い。
太陽も無ければ雨も降らない、地下とはそんな閉鎖的な空間だ。
その会話を聞いて、ヴァリスタが珍しく反応した。
「シュウ、地上は違うの?」
「そうですね。風はいつも吹いているし、朝には陽が射して、夜には月が淡く照らしてくれるんですよ。地上では真っ暗になる事なんてありませんから」
「だからご主人様も元の世界に帰りたいって事?」
シュウの言葉を聞いて俺に疑問を投げたのはオルガだ。
残念ながら、元の世界では元々太陽とか月だとかより、電気によって生み出された人工的な照明が当たり前に存在していたから何とも言えない。
しかし電気の恩恵を多大に受けて暮らしていたという面から考えてみると、魔石を燃料として街灯を灯し火や水まで生み出して生活基盤を構築しているこの地下は、見方によっては元の世界とさして変わりないのかもしれない。
といっても人類と明確に敵対する魔族の存在という軽くない相違点があるが。
ゆっくり首を振ってみせて、返答する。
「俺はただ、平和な世界に戻りたいだけだ」
死が身近過ぎるこの世界。
平穏に暮らしていた者を死地に送り込むこの世界。
この世界を知った時点で、単純に長居したくないと感じてしまっていたのだ。
呟く様に言った自らの言葉を掻き消す様に、俺は路地を見渡して次の言葉を口にする。
「それにしても凄い街だ」
「風は止むことが無いからな」
応えたのはグレイディア。
この街の建造物が密集して建てられている構造は、外側の建造物が内側の建造物の風除けとなっている様だ。
強風ではないが、まるで息をする様に一定周期で吹いて来る風は、何度も浴びて気持ちの良いものではない。
それを避ける為にいくつかにブロック分けされた密集構造は、同時に風を逃がす大通りも確保しており、まさに機能美といった所か。
「あの風は何処から発生しているんでしょうか」
「迷宮からだ」
「迷宮が風を生み出しているんですか? 土の迷宮は何もありませんでしたが……」
「随分昔の話だ。ある程度――といってもそれなりに長い期間だが、迷宮が自壊せずに維持された状態が続いて外部にも多少の影響を与える様になったらしい」
「不思議な物ですね」
「考えて理解出来る物でもないな」
大きく開いた開放感と、元の世界の建築に勝る洗練された雰囲気のある大通りに反して、路地には塔の街と同様に人が歩き、屋台があり――。
どうにも洗練された、という表現は間違っている様な気がしてならなかった。
路地に居住スペースやら主要の施設やらが在る為に人通りが集中しているから、大通りは人も疎らで一見して雑多な感じを受けなかっただけか。
風の迷宮を囲む様に街を作るに当たり、なるべくしてなったのだろう。
異世界観光なんてするつもりも無かったが、こうして見てみると面白いものだ。
俺があちらこちらと見物する様を眺めていたグレイディアが、丁度意識が逸れたタイミングで話を戻してくれた。
「ライよ。観光は後にして、そろそろ宿を取りに行かないか」
「ああ、すみません。物珍しいものでつい。では行きましょうか」
路地は複雑にならない様に大まかな通りで分かれている様で、滅多な事では迷わないだろう。
グレイディアについて門から正反対の東ブロックにまで歩き、ひとつの宿へ辿り着いた。
塔の街の高級宿とは比べ物にならない程の――。
「普通の宿ですね」
「高ければ良いという物でもない。特に此処は塔の街ほど素直じゃないからな」
そう言ってグレイディアは路地を見やる。
いくら歩きやすい地形で衛兵も居るとはいえ、いくつもの路地から成り立っているから、そこには死角も存在する。
塔の街はゴロツキの様な者も多かったが、こそこそ動ける様な地形ではないし、実際真正面から絡んで来る様な奴しか居なかった。
此処はそうではないという事か。
「気を付けた方が良いという事ですか」
「特にお前はな。高級な宿となると貴族の子息なんかが利用している事が多い。これは塔の街でも変わらないが、あちらは余裕のある連中ばかりだからな」
「まぁこんななりですし貴族を警戒しろというのはわかりますが、子息という事は子供の方が厄介なんですか?」
「普通の貴族なら下手に手は出してこないだろう。しかし此処は迷宮街だ。何かしら成果を上げようとしている勘違い男や、下手に意識の高い者が多いだろう」
「なるほど――」
全く考えていなかった。
要するに、例えば貴族の次男坊とかが安泰の長男を引き摺り下ろす為に冒険者として成果を上げようとしていたり――そういった面倒な手合いと出くわす可能性があるという事か。
例えば俺を利用して迷宮踏破を目指そうとしたり、仲間に引き入れようとしたり、そういう事だ。
貴族が冒険者の真似事をしてどうするんだと思ってしまうが、権力の小さな者が成り上がる為なら間違った選択でもない。
剣術を修めている姫フローラを見る限り、そして事実俺の様な身元不明の黒ずくめに好意を抱いてしまった辺り、武技を磨いて成果を上げる事で認められる面は決して安くない。
特にミクトランの貴族の間ではフローラが力のある者を好むというのは知られているのだろうし、運よく見染められでもしたら玉の輿どころか次期王候補にまで成れるのではないだろうか。
しかしいくら腕っぷしが強くても肝心の頭が残念では厳しい気もするが。
何より先王とのいざこざがあり、今も北の一部を占領下に置かれているミクトランだ。
表面的には平穏だが、裏ではあのタヌキ親父ボレアスも苦労しているであろう事は容易に想像がつく。
そこのところを鑑みると、多少腹芸の出来る者でなければ治める事は難しいだろう。
ボレアス王はそれこそタヌキの如く腹が出ていたから、きっと食でストレスを発散するタイプだ。
「では此処に泊まる事にします」
「ああ。私はギルドに到着の報告を伝える必要があるからしばらく別行動となるが、下手に出歩くなよ」
「……わかりました」
「お前……。まぁいい、相手を見て喧嘩は売れよ」
俺が出歩く事を先読みされてしまった。
さすがに何をするかまでは読めなかった様だが、街に来て早速動き回る腹積もりの俺が何かしら良からぬ事に首を突っ込むつもりなのは勘付いているのだろう。
それでも止めない辺りはグレイディアらしいというか、何というか。
何せ奴隷オークションに際してやるべき事がある。
オークションはアンダーグラウンドな――まぁ要するに密売だから、事前に告知されたりはしていない。
そんな事をすればさすがにボレアス王が黙っていないだろう。
その開催予定を把握する為に動く必要がある。
奴隷というのはあくまで金銭的に難のある者や犯罪者が堕ちる位だから、これを不正に隷属化した者に当てはめてしまっては人権も何も無い。
そこの所で法の網を掻い潜って行われているのがオークションだ。
俺がそれを教えて貰えたのも、この髪色の様な黒い人徳あってのものだ。
何せ犯罪奴隷のヴァリスタを躊躇いも無く購入して手懐けたり、王族の名をちらつかせてオルガを購入したりと、かなりダーティーな事をして来た。
偏に屑の一人として認識されていたからに他ならないが、犯罪を摘発して伝説の勇者様として称えられる、何て夢見る子供みたいな考えは持ち合わせていないし、腹の内でどう思われていようが結果的に俺に利点があるのなら望む所だ。




