第110話「魔族戦線、白と黒の」
黒ずくめの剣士と、白銀の騎士。
対極する俺とパラディソが向き合って、荒い息遣いだけが辺りを支配していた。
パラディソのHPはこのまま減少を続け、じきに力尽きるだろう。
アイドル魔族は気合か執念か、尽きたHPと減少するMPの中で、未だに俺を睨み据えていた。
「勇者様が負けた」
どこからともなくそんな声が聞こえて、静寂は崩れた。
「何故……離れて行くのです……。勇者は此処に居て、私は神官で……」
僧侶達は一斉に移動し、少しでもパラディソから離れようとした。
あの二人を魔族だと仮定して距離を取ったのだ。
アイドル魔族の声は虚しく、誰も耳を貸さなかった。
人なんて、こんなものだ。
アイドル魔族は事の本質を理解していなかった。
ただ利用出来るからと利用して、人心を掴んでいたのはあくまで勇者としてのパラディソだった真実に気付いていなかった。
そのパラディソの決闘を潰した事が大きなミスだとは、思い当たらないのだろう。
自己防衛に走った僧侶達を無視して、剣を向ける。
シュウとギ・グウも隣に立ち、剣を構えた。
「終わりだ、詰みだよ魔族。大人しくするんだな」
「クッ……! 私はどうなっても構わん、しかしアイドールは……!」
「見上げた根性だ、さすがパラディンといった所か」
パラディソはディフェンダーとタワーシールドを手放し、武装解除した。
膝をつき、完全に降伏の構えだ。
ここに来てようやくと、その膨大なHPの減少と置かれた状況を理解し始めたのだろう。
「兜を外せ、お前が魔族だと証明しろ」
「それで、アイドールは……」
「最初から言っている。そのアイドルは知った事じゃないが、俺はエティアちゃんに……その体の主に会いに来ただけだとな」
嘘だ。
最初から目的は魔族を征伐する事。
パラディソがその正体を表せば、それで決着となる。
「ライよ、私は戦士としてお前と決着をつけたかった」
「そうかい」
「決闘があの様な形で終わってしまった事、無念に思う」
「それより早くしないと、冒険者の一団が駆け付けてしまうぞ。俺も一介の冒険者に過ぎないから、荒くれ共を抑える事なんて出来ない」
パラディソはその兜に手を掛けた。
「やめなさい、パラディソ!」
「お前を護る為だ」
アイドル魔族は舌打ちして、脇に落ちていた紫色の刃を手に取った。
あれは――魔剣ゾンヴィーフの切っ先。
「ふっ……ふふふ……。本当、使えない。塵ね」
「塵……?」
「何が魔法陣よ、失敗作じゃない。貴方が居なければこんな面倒事にはならなかったのよ、役立たず」
「そんな、私はただ……」
「何がパラディンよ。貴方はただ私の言う事を聞いていれば良かったの。余計な事をして、馬鹿じゃないの」
魔法陣、それがパラディソを生み出したものか。
魔族は本来であればゾンヴィーフの様に狡猾に人の命を狙い、アイドル魔族の様に人々を扇動して利用する。
天然の魔族ではないパラディソはその本質が歪められ、アイドル魔族と誇りとを護り抜くだけの騎士の鏡になってしまったのかもしれない。
失われた魔性――パラディソを一言で表すならば、まさにそれであった。
アイドル魔族は魔剣ゾンヴィーフの剣先を握っているが、そのHPは切れ、MPも枯渇寸前だ。
今更何が出来るのか、もう終わりだ。
そう思った時、アイドル魔族は両手に持った剣先を赤絨毯に立てた。
切っ先が上に向けられ、掌が切れたのか、赤く鮮血が滴る。
「貴方、この女が欲しかったのでしょう?」
「何……?」
「どうせもう勝ち目がないのだから、せめて苦しませてやるわ」
「よせッ、アイドール!」
「この女を助けられなかった事を永遠に悔やんで生きなさい!」
「やめろ!」
俺が飛び出したその瞬間――そこに首を、落とした。
切っ先は吸い込まれる様にその首元に突き刺さった。
一瞬、静寂ではなく騒然に包み込まれた教会の中で、俺は立ち止まらずに駆け寄った。
「クソが」
MPは切れている。
魔力枯渇を感じて凶行に及んだのか。
最後の最期に、やりやがった。
「……あ……あ」
エティアの声か、言葉にならない空気の抜ける様な音が何処からともなく漏れていた。
生きている。
それどころか意識もあるのか。
刃が突き刺さった瞬間のショックは全てアイドル魔族が受けたという事か。
アイドル魔族は魔力枯渇を感じて行動したから、直後に魔の法が解除され、こういった結果になったのか。
不幸中の幸い……とは言えないかもしれない。
ショック死は逃れたが、今も激痛がエティアを襲っているはずだ。
ごひゅっと嫌な音がして、俯せのエティアの肩を抱いて横向きに寝かせる。
赤絨毯を更に赤く染め上げる鮮血が飛び散って、隣で硬直しているパラディソの白銀の甲冑を染めた。
エティアの着る真っ白な服もまた、首から次第に赤く染まって行く。
青い瞳が挙動不審に揺れて――状況を理解出来ないでいるエティアは、しかしその目に涙が湛えられていた。
苦痛からか、首元に伸ばそうとしたエティアの右手を握り締めて、遠ざける。
下手に刃を触れば何処を傷付けるかわかったものではない。
手を握った俺に気付いて、エティアが震える瞳を向けて来た。
何かを訴え掛ける様に目が合って、胸が痛い。
「聞こえているか、エティアちゃん。気をしっかり持ってくれ」
「……う……」
「大丈夫だ、大丈夫だから」
手を握ってそう言ってはみたが、全然大丈夫じゃない。
何なのだ、これは。
生きていたのは良かった。
良かったが、何故首に刃物が突き刺さって生きている。
少し冷静になった俺には、この異常事態への対処がわからない、という事のみが理解出来た。
だからとにかく、考える。
この切っ先を抜いて、大丈夫だろうか。
まっすぐに縦に突き入れられた刃は、血が滴っている。
呼吸と共に赤く飛び散るが、これでも辛うじて流血が押さえられているのではないか。
縦に突き入れられたからなのか、太い動脈は切れていないのかもしれない。
刃に長さもないから延髄にも届いていないはずだ。
挿入が前面からだったのは幸い……だったのか。
いや、それどころじゃない。
この世界にも失血死というのは確実にある。
しかし仰向けにしてしまうと、器官に血が溜まって呼吸困難になってしまうんじゃないだろうか。
出血に、呼吸困難に……俺は医者じゃない、処置なんてわかりっこない。
「ヴァリー、グレイディアさんを呼んで来い!」
すぐさまに駆け出したヴァリスタを見送って、次を考える。
焦っては駄目だ。
モンスターとの戦闘の様に、出来る範囲で対処する。
わかる部分だけ、ひとつずつ解決していくしかない。
グレイディアを呼んで、次はどうする。
回復、回復魔法だ。
いや、ゾンビ状態の治療が先だ。
「おい! お前とお前! 来い!」
ばっと周囲の僧侶を見渡して、魔力枯渇から回復している神聖魔法の持ち主を選んだ。
びくりと震え、動こうとしない。
魔族に近付きたくないのか、俺を怖がっているのか、何でもいい。
「さっさと来い! この子が魔族に操られていたと、近くに居たお前らがすぐに気付いていればこうはならなかったんだぞ」
我ながら暴論だ。
神官で、見た目は普通の少女で、そんな相手を魔族だと見破れるはずがない。
だが、動いてもらわなければ困る。
「それにそこの二人だけじゃない。澄ましているが、お前ら全員魔族召喚に加担したな? その罪は重い。知る者が知れば――」
早い話が、さっさと手伝わないと暴露するぞという脅しだ。
バツが悪そうに目を泳がせる僧侶達。
「ボクからもお願いするよ」
オルガが目線だけを僧侶に向け、おもむろに弓矢を見せる。
構えるのではなく、ただ、見せる。
青くなった僧侶二名がそそくさと俺の下に来て、まるでエティアの首から生えた様な血塗れの刃を見て目を逸らす。
「今からこいつを引き抜く。そしたらすぐに状態異常を回復しろ、良いな!」
「わ、わかりました……」
「は、はい」
大丈夫だろうか。
ゾンビ状態が治せるかも不明だが、魔剣ゾンヴィーフが突き刺さったままでは状態異常に掛かり続ける。
だから抜いて、治す。
これしかない。
俺に完璧な処置なんか出来っこない。
このまま待っても生存率が下がるだけだ。
「エティアちゃん、これからパーティ申請をするから、驚かずに承諾してほしい」
エティアと目を合わせて、話し掛ける。
そうしてパーティ申請を投げ、エティアをパーティに入れた。
パーティメンバーであれば戦闘指揮の効果で俺の声も届きやすいだろう。
刃を引き抜いた時、どうなるかはわからない。
万全を期す。
「耐えてくれ、エティアちゃん」
死角で取り出した布を、エティアの口元に運ぶ。
何をされるか理解したのか、エティアは涙目を瞑って布を咥えると、思い切り噛み込んだ。
肝が据わっている。
「いくぞ」
掌を出血しつつも、刃を思い切り握り込んで引き抜いた。
ずるりと付いて来た首を押さえこみ抜き切ると、エティアは声にならない声を上げた。
握り込んだ魔剣ゾンヴィーフの剣先は、砕け散った。
脱力したのか、エティアの咥えた布が落ちた途端、首元からはどばっと血が溢れた。
俺の行動でトドメを刺してしまったのではないかという恐怖に駆られつつ、止まる訳にはいかなかった。
もう一枚取り出した布で首を押さえ、状態を確認する。
状態異常ゾンビは、消えた。
「回復魔法を掛けろ!」
「ライ! 呼んだか!」
僧侶達が回復魔法を放ち始めた時、俺の名を呼ばれた。
入り口へと目を向けると、額に汗を浮かべ肩で息をした金髪幼女――いや、グレイディアが居た。
いつもお前とか呼ばれていたから一瞬戸惑ったが、ロングソードを手に現れたグレイディアはどうやらその敏捷を最大限に活かしヴァリスタを置き去りに辿り着いたらしい。
ありがたい。
「グレイディアさん、お願いが……!」
「いいから言え! 馬鹿者が!」
「ちょっと待っ……!」
忠告を聞く前に跳ぶ様に俺の隣に来たグレイディアは、しかし俺の抱える血塗れの少女を見て目を見開き、弾ける様に後退した。
グレイディアには吸血スキルがあるから、出血状態のエティアに近付き過ぎれば危険だ。
「な、何だ!? 死に掛けているのはお前ではないのか!?」
「え、ええ。それで、この子に吸血スキルを……」
「いいだろう!」
中々エティアのスキル欄に表示されず、はっとしてグレイディアにパーティ申請を投げる。
スキル譲渡はパーティメンバー同士でしか出来ないのか。
これまでパーティの状態でしか使っていなかったから気付かなかった。
ようやくとグレイディアの吸血がエティアに譲渡され、俺の肩口の傷が塞がっていなかったのと掌の出血もあり、吸血が始まった。
俺のHPが減少していく。
とはいえ戦闘不能となったエティアのHPに変化はない、血だけを吸収しているのだろう。
吸血鬼という種の固有スキルだろうから譲渡は出来ないと思っていたが、賭けて正解だった。
ともあれこれで輸血は出来た。
実際に血液として適応されるのかは不明だが、俺に出来るのはここまでだ。
「そんな事より、お前のあの獣人奴隷は何だ! どうしてああも雑な説明を!」
「す、すみません。緊急だったもので……」
「はぁ……」
珍しく怒ったグレイディアだが、溜め息と共に沈静した。
人が出来ている。
何を言われたのかは知らないが、この様子だと口下手なヴァリスタは「死に掛けているから呼んで来いと言われた」だとか、そんな事を言ったのだろう。
そしてグレイディアは俺が死に掛けていると勘違いして即行で駆け付けたのか。
「ありがとうございます」
「構わん。それで、その娘は無事なのか」
「どうでしょうかね……」
「まぁ……気負うな。どれだけ力があっても、全てが救える訳じゃない」
まさにその通りだ。
元より人助けなんてするつもりはないが、死者が出ないに越した事はない。
ぐったりとしたグレイディアに感謝しつつ、声を掛ける。
「吸血スキルはどうします?」
「どうとは?」
「いえ、以前邪魔だと言っていたので……」
「ああ、そうか……」
グレイディアは自分の両手を見て、しばらく沈黙した。
「今の私は、吸血鬼ではないのだな。私は――」
ステータスの種族欄には紛う事なく吸血鬼と刻まれているが、水を差すべきではないだろう。
噛み締める様に、赤絨毯を踏みしめて、ゆっくりと近寄って来たグレイディアは俺の隣に座り込んだ。
「――ライよ」
「何でしょうか」
「お前、幼女趣味だったな」
「違いますって」
「ふふ……」
何だ、その穏やかな表情は。
怖い、吸血スキルが無くなった事で思考にでも変質があったのだろうか。
その血の色の瞳もそのままだし、外見的な変化は見られないが。
「これで人並みに生きる事が出来る、気がする。だからもう、要らない」
グレイディアの言葉を聞き届け、俺は頷いてエティアに視線を戻した。
エティアの首を押さえていた布を見ると、滴る血がやけに緩やかになっていた事に気付いた。
恐る恐ると布を離してみると、大きな切り口に血の結晶が出来ていた。
かさぶたと言っていいのか、これほどの速度で治癒されるものなのか。
ごぼっと口から血を吐いて、すぐさまに拭き取る。
一瞬死んでしまったのではないかと気が動転しそうになったが、胸に手を当てると微かに鼓動が感じ取れた。
この分なら俺からの輸血はなされたと見て良い。
俺の掌の傷も癒えておらず、左肩も未だに多少の出血をしているから、このエティアの異常な回復速度は光属性への適性からか。
いや、そういえばパラディソのスポイトマジックが未だ掛かったままだった。
魔剣ゾンヴィーフの切っ先を握り込んだ事で受けていた俺自身のゾンビ状態を僧侶に治してもらう。
「もういいぞ。俺達は後始末がある、教会は貸し切らせてもらうぞ」
「し、しかし……」
「征伐戦に参加している訳でもない者が此処に居れば、魔族への加担者として目を付けられるかもしれないが、良いのか?」
それを聞いて、僧侶達はそそくさと教会を後にした。
残ったのは俺の仲間達と、ギ・グウと、グレイディア――そしてエティアとパラディソ。
祭壇の前、ステンドグラスの下で――静寂に包まれていた。




