第102話「予覚」
目の前に、ぼんやりと何かが映った。
人影――。
左にはフローラの脇と生足。
右にはシュウの尻と太股。
顔はぼんやりとしたもので、しかし局部だけがそれぞれに鮮明に捉えられた。
凄い光景だ。
俺は感極まって指を独立に曲げ伸ばし、手を開閉しつつ、それこそわきわきとさせながらその局部へと伸ばし――。
「……ま……さま!」
遥か右方、何やら声まで聞こえて来た。
ガンガンと耳障りな物音までする。
俺は今、大変に変態な状況で忙しいのだ。
外野は華麗にスルーだ。
「ご主人様!」
その呼び声で、目前のそれらが掻き消えた。
俺のハッピーな気分を掻き消すとは何て奴だ。
重い瞼を上げて――暗がり。
街灯がカーテンの隙間から微かに漏れ入る、暗い部屋だ。
先程までの光景が全て夢だと知って溜め息をつく。
最近は夢を見る。
主にシュウのぼんやりとした夢だったのだが、フローラの急接近とシュウのパンツァー事件のせいか、今回は色々と鮮明に見えてしまった。
元の世界では仕事以外ではゲームばかりしていたためか、夢を見る機会はごく少なかった。
夢は記憶の整理だとどこかで見た気がする。
とすれば、俺の記憶に刻まれているのは尻や太股ばかりなのか。
何という事だ、異世界恐ろしい。
思えば俺は、地下におとされてから生き急いで来た。
勿論それを止めるつもりはない。
俺はとっとと元の世界に帰り、いつかの日常へと戻るのだ。
こんないつ死ぬとも知れない世界には居たくない。
それに勇者達も今どうなっているのか――。
駄目だな、少し難しく考え過ぎた。
どうやら色々と溜まっているらしい。
情欲が掻き立てられたせいだろう、少しすっきりさせる必要がある。
「ご主人様! ご主人様!?」
「うん?」
どうやら先程夢を掻き消したのは現実の声だったらしい。
扉の向こう側から聞こえるのは……オルガの声だろうか。
このタイミングでフローラよろしく色仕掛けでもされたら暴発してしまう。
扉を開けずに聞き返す。
「どうした?」
「開けて、開けてよご主人様!」
オルガらしくない取り乱し方だ。
夜這いがどうこう言っている場合ではないのか。
すぐさまに扉を開けると、扉の向こうに居たそれは腰辺りに飛びついて来た。
やはり変態であったか。
また俺をからかうつもり――ではなさそうだ。
扉の向こうには目を擦りながら不機嫌レベルが振り切って毛を逆立てた尻尾を振り回すヴァリスタと、毛を跳ねさせて欠伸をかみ殺すシュウが居た。
どちらも叩き起こされたのか、穏やかじゃない。
そして視線を落とせば俺に縋り付き白緑の髪を震わせる、青い顔をしたオルガだ。
「どうした」
「逃げよう! 早くこの街を出ないと!」
「落ち着け、大丈夫だから」
「で、でも!」
「大丈夫だから」
「本当……?」
「大丈夫」
何が問題かは知らないが、このままでは何もわからない。
こういう時はとにかく冷静にさせる事が大切だろう。
しかしオルガがここまで取り乱すとは、嫌な予感しかしない。
「そ、そうか、そうだよね。ご主人様なら大丈夫だよね」
「ああ、話してくれ」
「魔族、魔族が出た」
魔族出現予測――。
それはオルガを購入した最たる理由だ。
オルガは精霊魔法の適性が他のエルフより高いという。
とすると、俺達以外は魔族出現を察知していない可能性がある。
「場所は何処だ」
「この街だよ!」
「何?」
「正反対の、北側!」
既に街中に居るとは、恐ろしい事態だ。
開拓地を根城にしたゾンヴィーフといい、どうにも人の密集地へ向かう習性でもありそうだ。
いや、魔族からしてみればそれこそが行動原理なのかもしれない。
ヒトが迷宮でモンスターを倒し、魔石を集める様に。
魔族もまた、ヒトを狙い攻撃を仕掛けて来る。
だからこそ、存在自体が不倶戴天。
「戦闘準備だ!」
装備を整えつつ、どう展開するかを考える。
魔族もまた、迷宮のモンスターの様に何かをドロップする。
だから出来るならば俺達で倒し、それを頂きたい。
魔族ゾンヴィーフの場合は素材が悪臭を放っていた為に俺が受け取れたが、全てがそうとは限らない。
とはいえ俺達だけで勝てるとも思わない方が良い。
もしもの場合に備え、まずはグレイディア辺りに知らせて冒険者達の手配を頼むべきだろう。
「ご主人様、やっぱり戦うの?」
「ああ、怖いだろうが、ここで逃げて街が潰されれば間接的に俺達にも被害が及ぶ。だから、やられる前にやる」
「そっか、わかった。頑張るよ」
オルガにとって魔族とは森林地帯、つまり故郷を襲った敵だ。
そしてそのせいで奴隷落ちしたといっても過言ではない。
それは恐怖に駆られてもおかしくはない。
それでもオルガは闘うと言ってくれる。
男友達の感覚で付き合ってはいるが、良い女とはこういう者を言うのだろうか。
何にしても、魔族は倒す。
まずは相手を見極める必要がある。
ドロップアイテムは欲しいが、相手がやばそうなら応援を待っても良い。
「精霊魔法は敵の強さは……」
「ごめん、それはわからないよ」
「なら数は?」
「一体だよ。魔族は魔力の塊だから、すぐにわかるんだ」
魔力の塊……。
そういえば、ゾンヴィーフはいくら斬られても出血していなかった。
血肉で出来たヒトとは真逆の、身体自体が魔力で構成された存在という事か。
話しながら準備を整え、全員を確認して声を上げる。
「準備は出来たな、行くぞ!」
「はい!」
魔族と聞き眠気眼も吹き飛んだ俺達は、部屋から跳び出す。
シュウも俺達の気に当てられて眠気を吹き飛ばした様だ。
真っ先に向かったのは冒険者ギルド。
中へ飛び込むと荒くれ共が視線を寄越す。
俺達の様子に異常を感じているのだろう、さすがに誰も目を逸らさない。
受付へと向かい、いつもの如く奥の椅子に腰かけたグレイディアを見付ける。
「グレイディアさん! 魔族が出ました!」
「何?」
ざわめきと嘲笑と、ギルドに居た荒くれ共からは様々な反応が聞こえた。
対してギルド職員は目付きが変わる。
グレイディアもまたいつもの余裕たっぷりの動作ではなく、つかつかと早歩きにやって来た。
「こちらでは観測されていないが」
「うちのオルガは精霊魔法の使い手です。それも並以上の」
「ふむ……」
「場所はこの街の北側らしいです」
腕を組んだグレイディアは、しばし悩んで頷いた。
「良いだろう。ギルドマスターには私から話しを通しておく」
「お願いします。私達は一足先に向かいますので」
「緊急のため征伐指令が下るのは少し遅くなる。応援が向かうまで出来る限り引き付けてくれ。それと……無茶はするなよ」
「はい!」
俺も自分の命を粗末にするほど馬鹿じゃない。
グレイディアの注意をありがたく受け取り、二度目の魔族戦へ向けて駆け出した。




