第1話「よく見なくてもバグってた異世界召喚」
「いつもお疲れ様です」
「これはどうも」
たまにすれ違う、学生服がよく似合う黒髪黒目の少女。
腰を折って、今時珍しい礼儀正しい挨拶を交わし、でも今まだ授業中だよなあなんて考えつつ俺は足早に男子便所へ向かう。
水の底で鳴る、籠った不快な吸引音。
先端に大型の吸盤のついた棒状のそれは、いわゆるキュッポンとか呼ばれる器具だ。
正式名称ラバーカップというらしい。
「ちゃんと報告しろよな」
俺は便所掃除をしていた。
先程あった少女同様、黒髪に黒目。
だが学生のような希望の未来は無いしょっぱい身分の社会人一年生だ。
霧咲未来、十八歳、高校の清掃員の仕事をしている。
俺はこの未来という名前自体は良いと思うのだが、ちょっと女っぽくて苦手だ。
今は学生が詰まらせたまま放置した便器の詰まりを必死こいて直そうとしている最中だ。
こんな便所掃除をしているが、遊びにばかりかまけていた俺にとっては立派な仕事だ。
遊びと言っても友人など極僅かで、携帯ゲームをしたり、勉強しているふりをしてPCでゲームをしたりと、碌なものではなかった。
世間ではオタクと呼ばれる部類に入るだろうか。
「なかなかしぶといな……」
それよりもこの詰まりである。
現在一年生の居る二階男子便所の清掃中な訳だが、学生に遭遇すると俺が下手に若いので奇異の目で見られる。
だからさっさと開通させて、今日の清掃業務を終わらせたい。
腕に力を籠め、だらしない穴にキュッポンキュッポンとラストスパートをかけていると、重い音が鳴り響いた。
遂に詰まりが解消したかとほっとすると、一瞬足元がふらつく。
地震だろうか、それにしては妙に物理的な影響が無い。
途端に身体が引っ張られるような吸引、そしてまるでジェットコースターのような浮遊感を味わった。
表現し難いが、まるで錯覚のような、平衡感覚を失うとはこういう事をいうのだろうか、変な感覚だ。
確かに床へ足をつけているのに、まるで安定感が無い。
未だ便器に突っ込んだままのラバーカップを支えに何とか踏みとどまっていると、しかしその吸引はラバーカップのような生易しいものではなく、俺とラバーカップの必死の抵抗も空しくずるりと持って行かれた。
そうして頭が混乱したまま辺りを見やると、そこは高校の男子便所ではなかった。
白い壁、赤い絨毯、まるでゲームの世界の、謁見の間。
左手を尻のポケットに突っ込みスマホを取り出し見てみるとオフラインだった。
圏外という事は此処は何処ぞの地下なのか、あの気持ち悪い浮遊感の後、一体何が起きたのか。
「よく来てくれました、ゆう……戦士達よ」
そんな馬鹿みたいな台詞が綺麗な声で聞こえてきて、スマホを仕舞って振り返った。
そこには学生服を着た少年少女が沢山――いや、この人数は恐らく三十人ほどの、ひとクラスだろうか。
その切れ目から微かに見えたのは、見目麗しい金色の髪に碧眼の女性。
その顔立ちは整い、まるで作り物のような笑顔で学生達を見ていた。
学生達の斜め後ろの位置に立っていた俺は気付かれていないのだろう。
「なんだよ、これ」
そんな声は、男子学生のものだ。
めんどくさそうな声色で、頭の後ろに手を組んで辺りを見渡していた。
それは他の者もおよそ同様で、周囲を眺めるばかりだ。
中にはあの美しい女性に目を奪われているエロガキもいるが。
「どうかこの国を救ってください」
その言葉で、散漫になっていた学生達の視線は女に向かった。
およそ三十の視線とざわつきを浴びて、女は顔色ひとつ変えない。
「えっと、君は誰?」
一歩前に出てそう質問したのは、茶髪イケメンの男子生徒。
「私はこのミクトランの姫、ナナティン・ミクトランです」
ミクトラン、それがこの国の名前だろうか。
落ち着いて周囲に目をやると、あのナナティンという姫の奥には玉座らしきものがあり、スケルトンのように痩せた虚ろな髭親父が頬杖をついて座っている。
玉座だとすれば、あれが王か。
その遠く左右、壁際には甲冑の兵士が控えている。
この仰々しい感じは、何処かの国の、謁見の間なのだろうか。
「それでナナティンさん、僕達はどうしてこんな所に?」
「あなた方に理解しやすい言い方ですと“召喚した”という事です。此処はあなた方からすれば異世界という事になります」
その言葉を受け、学生たちは一瞬静まり返って、騒ぎ出す。
歓喜の声を上げる者も居れば、意味が解らず泣き出しそうな者も居る。
まさに騒然、俺は呆然だ。
「落ち着いてください、戦士達」
「此処何処よ! 帰しなさいよ!」
茶髪に染めた遊んでそうな女子生徒に返された言葉にナナティンはたいした反応も見せず、静まるのを待った。
「私達はこの国の繁栄のため、戦っております。その為に戦士達の力をお貸しください」
「だいたいその戦士達ってのは何なんだよ! 俺達はただの学生だぞ!」
黒髪角刈りヘアーのゴリラのような男子生徒、ゴリくんとでも呼ぼうか、ブチ切れである。
再び騒ぎ出す学生らを無視して、ナナティンは言葉を続ける。
「あなた方には強力なスキルがあるはずです。“チート”と言えば理解できるでしょうか」
びくんと数名が反応した。
そこから理解できていない者が近くの者に教えられ、全員が理解した所で、各々自分の手を見たり、遠い目をしたりして、途端に静まり返る。
その反応があからさま過ぎて吹き出しそうになったが、要するに俺達のような新参者が持っているはずのない馬鹿みたいに強力なスキルが最初から備わっていて、この世界において卑怯な程の力を手にしているという事だろう。
きっと今、学生達の脳内では最高にクールな自分の姿が描き出されているに違いない。
それから兵士がプレートを持ってきた。
分厚い石製のタブレットのような物だ。
それをまず、イケメンが持たされた。
すると、小さな歓声が沸く。
さすがに気になって、俺も接近しちらと覗いてみた。
プレートは淡く輝き、そこには文字が浮かび上がっていた。
池綿聡 Lv.16
クラス 勇者
スキル 達人 盾術 光魔法 全属性耐性 HP自動回復
やっぱりイケメンじゃないか。
正に勇者といったスキル構成か。
HPがあるという事は、MPもあるのだろう。
各能力の詳細が見れないのは残念だ。
しかし魔法が存在するんだな。
更にスキル制ときたもんで、俺は自分の番が来るのが少し楽しみになって来た。
そうしてプレートは口の悪いゴリくんへと渡される。
恐らく格闘術とか持っているんじゃないだろうか。
受け取ったゴリくんは、しばらくプレートを眺め、ぷるぷると微かに震え始めた。
何かやばそうなヤツだと思いつつ覗き見ると、これは震えても仕方ないなと思った。
剛力武 Lv.16
クラス 勇者
スキル 達人 全魔法 魔法耐性 全属性耐性 MP自動回復
ゴリくん、そのガタイで完全な魔術師タイプかよ。
しかしレベルはおよそ年齢に比例していると見ていいだろうか。
だとすれば十八歳である俺は一歩リードか。
次にゴリくんに続いてプレートを持ったのは、先程ナナティンに食って掛かっていた茶髪の女だ。
九蘇美値 Lv.16
クラス 勇者
スキル 達人 抜刀術 剣術 心眼 必殺
クソビッチちゃん、純粋なアタッカーだろうか。
心眼はわからないが、必殺は即死付与かクリティカル率アップか、そんな所だろう。
達人というのは勇者共通のスキルだろうか。
クラスに関しては全員勇者なのだろうが、恐らくスキルにより役割の差別化が出来ているのだと思う。
タンクのイケメン、アタッカーのゴリくんとクソビッチちゃん、後はヒーラーとバッファーがいればひとつのパーティの出来上がりだ。
あくまでゲーム的な発想だが。
「あれ? うちのクラス三十一人よね。一人足りなくない?」
「ああ、人を寄せ付けない雰囲気のお堅い奴がいたな。俺ああいうの苦手」
「彼女は保健室に――」
どうやら誰か、一人足りないようである。
イケメンいわく保健室に行っていたらしい。
そうして各々のスキルで盛り上がる学生らが確認を終わり、ナナティンがプレートを回収して話し出そうとしたので、俺は学生の間から呼び止める。
「すみません、私も確認してよろしいでしょうか」
「あら、その服は軍服……でしょうか?」
「いえ、これは――」
俺の着ている服は清掃員のやっすい制服だ。
何故軍服と見間違えたのかは知らないが、断じて軍服の様な格好良い物ではない。
学生らの後ろに居る俺に気付いたイケメンが、ぼそりと呟く。
「あれ、確か清掃員の……どうして貴方が居て彼女が……」
何やら物悲しげであるが、目下重要なのは俺の超絶チートスキルである。
人混みより左手を伸ばしナナティンからプレートを受け取り確認する。
ワクワクが止まらない。
あわよくば剣士系のスキルが欲しいな。
「これが俺のスキ――」
霧咲未来 Lv.1
クラス 村人
スキル スキル?
「――ル?」
「うわあ……」
「それバグってんじゃないっすか?」
「……」
俺を見るナナティンが一瞬無表情になったのを見てしまった。
何だ、俺が何をしたというのだ。
とりあえず謝っておくか。
俺は悪くないけれども、ナナティンの後ろには国王っぽいスケルトン風髭親父が鎮座しているし、この国の法律なぞ知らないが波風立てない方が良いだろう。
というかそもそも、こうなったら俺がこの場に居る意味が無い。
召喚されたのも学生だけだったようだし、学生が一人召喚されていない事からも、その枠に俺が巻き込まれたのかもしれない。
俺は学生の間を通って踊り出て、ナナティンに向かい合う。
「すみませんナナティン姫。私は彼らとは違い、召喚時に巻き込まれただけのようなのです。どうか元の場所に戻していただ――」
「――勇者様!」
「え?」
ナナティンはいつの間にか表情を作り、俺に熱視線を投げかけていた。
いや、俺というか、俺の下半身辺りだ。
俺はごくりと唾を飲みその視線を辿ってみると、俺の右手に握られた相棒がそこにはあった。
いや、右手にあったはずのラバーカップが、いつの間にか剣になっていたのだ。
それもかなり重厚で、蝶のような形の金の鍔を持ち、紺藍の刀身は刃先にかけてじんわりとマゼンタに染まっている。
刃渡り1メートルはあろうかという長大なロングソード。
「なんだこれ」
「伝説には、勇者とは剣を持って現れるのだとあります。貴方様こそが伝説の勇者様なのではないでしょうか」
「あー、ナナティン姫、私は――」
「勇者様、どうぞナナとお呼び下さい」
「ナナ姫――」
「ナナとお呼び下さい!」
「ナナ」
「はい、勇者様!」
かくして俺は、ただ一人剣を携えて、勇者としてミクトランに迎えられたのである。